2010年3月31日水曜日

To Brooklyn Bridge by Hart Crane (1)

さて、The Complete Poems of Hart Craneという詩集を買って、朝夕と読んでいるのです。このうちの、To Brooklyn Bridgeを今日から読みはじめ、思うところに従って、訳してみましょう。これが、仕事の外の、僕の大仕事です。

毎日1連、one stanzaづつ、翻訳してみましょう。

TO BROOKLYN BRIDGE

これが、この詩のまとまりの題名です。この題名もとてもこの詩人らしく、意味深長なのです。これは、後述します。TOが斜字体になっていて、既にして、Hart Craneの思想がそこに顕われているのです。それから、この詩の題名の下に直ぐある、やはり斜字体の歌の引用を。

From going to and fro in the earth
and from walking up and down in it
THE BOOK OF JOB

地球の中で(あるいは地中の中で)行ったり来たり
その中で、歩いて昇り、また降りて
      仕事詩集より

この題辞の下の箴言の斜字体も、それが斜字体であれば、意味が深い。これから訳すそれぞれの詩の、ページの右に左にあれこれとある小文字の斜字体の註釈も、Hart Craneのとても大切な、この詩人らしきsenseの表現だからです。それは、To Brooklyn BridgeのToを、斜自体にした詩人のsenseと同じなのです。一本のsenseの糸の、裏道の、moon and kittenの世界です。

さて、この題名の下に、次の8つの詩が納められています。
(1) Ave Maria
(2) Powhatan's Doughter
(3) Cutty Sark
(4) Cape Hatteras
(5) Three Songs
(6) Quaker Hill
(7) The Tunnel
(8) Atlantis

さて、これらの詩の最初の詩、いわば(0)、零番の詩が、次の詩です。その最初の連を。これが、あなたへのChristmas Eveのプレゼントです。題名が、既にして、詩の中に溶け込み、その一部となっているのです。この純粋なる遊びよ。その題目を唱えた瞬間に、その詩のすべてが始まるのです。

TO BROOKLYN BRIDGE

How many dawns, chill from his rippling rest
The seagull's wings shall dip and pivot him,
Shedding white rings of tumult, building high
Over the chained bay waters Liberty-----

ブルックリン橋では、

その細波(さざなみ)憩はぬ橋桁に
寒く凍えて耐え難く、じっと波間に漂うことなく
鴎(かもめ)の翼という翼が、どれだけたくさんの夜明けを
その波に浸(ひた)す運命にあることか
そうして、ブルックリン橋を軸にして、その橋の上へ下へと旋回することか
騒乱と騒擾の、鴎の群れの、流れるような白い環を分たず分ちながら
(それは、ブルックリン橋の、白色の幾つもの指環)
その湾の、連なり、連鎖し、鎖に繋がれた水面水面(みのもみのも)のその上高く
自由の女神の白い像を、これらの鴎の翼で、層を成して積み、建築しながら


[註釈]
ここに既にCraneの好みの言葉が顕われている。
(1)鳥の翼(Chaplinesqueのrecess)
(2)旋回(Chaplinesqueのthe pirouettes of pliant cane)
(3)白い(white)
(4)建築する(あるいは、建築すること):building
あるいは
(5)白いものを建築すること、そのプロセス、その結果できた建物、構造体、階層化された(white buildings)。この意味は、白い色を階層化して建築すること、白い建物(白いビル)の掛け言葉です。
(6)それから、多分、dawnも。

Chaplinesqueの納められた詩集の題名が、White Buildingsというのです。
これは偏執ではなく、創造です。古今の天才達は、みな例外なく、このように徹底的な概念化をする。

この第1連の主語は、みな、鴎の群れの翼です、あるいは、鴎の翼の群れ、です。最後の一行は敢えて主客を転倒させました。

題辞のTo Brooklyn BridgeのToが何故斜字体なのかの説明をします。この同じ力を持つtoを、僕は既にChaplinesqueでみました。それは、このような一節です。

What blame to us if the heart live on.

何故、詩人は、What blame us if the heart live onと詠わなかったのでしょうか。

それは、to usが堅牢な意味のまとまりをもつからです。これを訳し出すと、訳が壊れてしまうので、僕の先日の訳には、いくら散文訳とはいえ、ここまでを入れ込んではいませんでした。それを今日説明をします。

このtoは、場所を表しますので(もともとの意味です)、僕達の場所、あるいは、僕達が集まればできる場所を言っています。そこは、暖かく、理想の場所、法令書のthumb indexの乾涸びた皺皺を親指で延ばし延ばし、その解釈の正しさを伝える役人も、心の臓が脈打っていれば、それを否定することのできない、敵も味方もない場所です。これは、前置詞ですが、この前置詞に、この詩人の社会的な地位と、そうして、その詩的センスが輝いていると僕は思います。それはsidestepを踏まなければ、出世欲ぎらぎらの人間には、とても理解のできない立場、位置、前置詞なのです。名詞の前に位置する位置の詞。ひとは名詞に目をやるけれども、名詞の格変化は、前置詞に支配されるのだ。名詞の露払いの、先触れの、斜字体の、しかし、最初に措かれれば、その後の全ての詩篇を支配する、囲碁の最初の石、計画の最初の詞。"Our obsequies are, in a way, no enterprise."なのです。"not enterprise"なのではありません。"no enterprise"なのです。そもそもの、初めから。

Brooklyn Bridgeとは、詩人にとって、そのような橋だといっているのです。

そうして、しかも、橋という概念は、その言葉は、詩人にとっては、とても重要な言葉です。何故ならば、それは、関係の形象であり、表象であるからです。言葉と概念の関係こそが、この詩人の塒(ねぐら)であるように、僕には思われます。W.H.Audenならば、crooked holeといったねぐら。それをHart Craneは、bridgeといったのです。これは、その前置詞と相俟って、その力もあって、尚、神聖で、宗教的な場所である筈のものです。宮沢賢治ならば、自分を勘定に入れずにと詠ったことでしょう。

実は、僕は第2連以降もまだよく読んでいない。しかし、題辞と第1連の言葉と表象から、これらのことを書きました。それから、Chaplinesqueの詩を読んで得たことを基礎にして。

それでは、また明日。TO BROOKLYN BRIDGEで会いましょう。


【蕃さんのコメント】
タクランケさん
壮大な試みですね。楽しみにしています。クレインも絶対に草葉の陰で喜んでいますよ。
From going to and fro in the earth
and from walking up and down in it
THE BOOK OF JOB
これは全体の詩のエピグラフに置かれているものです。旧約聖書の「ヨブ記」の冒頭の部分の有名な言葉です。神(ヤハウェ)がサタンに尋ねます。
「お前はどこから来たのか」、それに対するサタンの答えがこの言葉なのです。ここから神はあの善良極まりないヨブを恐ろしい地獄のような試みの前に立たせることになるのです。このサタンが神にいいます。あなたの善良な僕ヨブだって、あなたが守護してくれるからあなたを畏れるのだ、あなたの手をのばして彼の財産を奪ってみなさい、きっとヨブはあなたを呪うでしょう。神はこのサタンに命じます「彼の持ち物をみなお前の手にまかせよう。ただ彼の身にお前の手を伸ばしてはいけない」、こうして過酷な試練がヨブに始まります。

今日はクリスマスじみたことを書いてしまいました。

タクランケさん
神戸大学の菱川さんという人がthe bridgeの簡単な注釈をそのサイトでやっています。まだ完成しきってはいないですが、参考になると思います。
http://www.lit.kobe-u.ac.jp/^hishika/bridge

ありがとう。楽しみにして読みます。
(2004年12月25日 09時42分)


【不肖タクランケのコメント1】
蕃9073さん

米国からの来客、お忙しいところを、
THE BOOK OF THE JOBのご教示ありがとうございます。

大文字なので、後で調べようと思って措いておいた訳でした。なんだか、先生に怠けごころを指摘された生徒のような心境であります。

しかし、この聖書のヨブ記のサタンのセリフ、そうして、神とサタンと善良なるヨブの話は、これだけを聞いても、身につまされるように、我がこととして理解することができます。人間というのは、どうしようもない、道徳は善を教えますが、それだけでは、足りない、人間とは一体なにか、です。そして、Hart Craneのこの、これらの問いの間隙を見事に縫った美しい表現。そうか、美とは、このような場所で生まれるのだなあ。

菱川さんという方の註釈のご紹介ありがとうございました。行ってみましたが、今サーバに載っていないようです。後で行ってみます。
(2004年12月25日 10時54分)


【不肖タクランケのコメント2】
蕃さん

タクランケです。

The Book of Jobは、ヨブ記、The Book of the Jobは、仕事の記、詩ならば、リルケのDas Buch der Bilder(形象詩集)というように、あるいは、祈祷書がbookであるように、これは、Hart Craneの掛け言葉ですね。

そうすると、THE BOOK OF THE JOBの日本語訳は、

仕事(労苦;勤労)*詩集*神の事蹟の記録*ヨブ(善人の典型)

これらの総体を表す言葉の組み合わせとなりますね。

こんな概念をいう日本語があるのだろうか。

詩事(しごと)の記

あるいは

詩事記

でしょうか。

歳事記なら日本風ですね。詩事記も、そうするとよいかも知れません。

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