(昨日お見せした翻訳のプロセスを省略します。)
上の如くに、この順序で訳したところを、冒頭の訳として掲げました。Thersholdとは、第5連と第7連、そして第4連と第8連で合わせて構成される、地下、すなわち地獄と、その上の地上と天上との、このふたつの世界の境目のことを言っています。
最後に大切な形式のことを。冒頭で解釈の推理と方針を述べましたが、その通りでしたね。第2連と第10連は、「. . . 」によって、その沈黙の深さと、白が黒になり、黒が白になり、白昼が闇になり、闇が白昼になる、その変換を示していましたが、この第8連は、第4連と対応して、「------」によって、橋の詩化とともに、人の夜明けが、次の連でやって来るという、その変化を示しているのです。
もうひとつ、最後に付け加えます。
それは、第1連では、現実の橋、男性名詞で表したブルックリン橋が、第11連では、女性の聖なる橋にtransformしているということ、そうして第1連に回帰しているということです。勿論、これは、その間の第9連の力によるのですが、さて、それでは、僕の解釈では、第9連は、第3連との関係があるだろうということになります。
いや、その筈です、そうでなければ、第4連の始まりを、Theeではじめることができなかった筈ですから。
そこで、先日訳した第3連を見てみると、僕はこのように訳しました。これでは、男色の色が出ていません。そうは思っていなかったのです。これは、いわば表の訳です。しかし、ことここにいたっては、someがあるということから、またその階層の連同士が同じ機能を持っていることからいっても、これは再検討に値します。やってみましょう。
I think of cinemas, panoramic sleights
With multitudes bent toward some flashing scene
Never disclosed, but hastend to again,
Foretold to other eyes on the same screen;
[表の訳]
僕は、映画を見ようかとも思ってみたが、しかし、それが何かを思ってみると
それは、敵の目を欺くための装置、見晴しはいいし、景色の眺めもいいが
しかし、それは監視者付で、或は監視者には見晴しのよい眺望を写している訳のもの
それを見ると、群集は、激しく点滅する映写画像の方に
面白いから、皆身を乗り出して、姿を曲げて歪めて夢中になるが
そうやって、正しい姿勢を失って、あの輝かしい帆船の帆を、わざわざ
ヤードにその美しい姿を折り曲げ歪めて縛り付けて仕舞うように
決して、群集は秘密も開示されることなく(そうさ、いづれにせよファイリングされる訳だからな)、
そのこころも開かれることないまま、だから、帆船の甲板のハッチを開けて
ブルックリン橋のあの空間に出ることも許されないままに、それゆえに、そうではなくて
夜明けが来て再び往来が騒がしくなり、あの、僕達の視線、白い鴎達の翼の群れ成す神の像に
揺れ動かされながらも祝福される視線とは別の目を持つ人間達の所へと、またもや、朝の到来で、急がされ、急(せ)かされて、
そうして、同じスクリーン、真理を欺き覆い隠すその戦闘的な同じ保護膜に頼って、しかし、監視者には絶景の眺めの中で、その目を持つ人間達に、はじめからその未来を見透かされ、握られて、先を読まれている
と、僕は思うのだ。
さて,以上を表の訳とすると、裏の訳は、同じ言葉の選択、同じ語順のまま、次のようになりますし、なりました。なんて野郎だ、Craneという詩人は(本当は感嘆符を幾つも付けたいところです)。驚いてはいけません。
[裏の訳]
僕は、映画でも、いや、男色のあの性的な飽きることなき動きのある一幅の動く絵でも見ようかと思ったが、しかし、それは、同じ仲間の見物人の前で繰り広げられるひと時の見せ物の動きの姿、あの一時の慰めにしかならない男色の、僕を欺く色々なテクニックを思うが、それは、ホストとゲスト、招待する側と客になる側、つまり、大きくしてくれて、もっとよく寛容な状態にしてくれ、いい気持にしてくれる側と、それをして貰う側とがあって、もう酷(ひど)く何回もたくさん奴らと、射精する場面(シーン)へと向かって、腰をひん曲げて角度をつけてやることになるが、
それは、決してひとに見られることなく、裏の仕事をそうやって見る立場にいて、その同じ場所でし続けて(同時に、帆船のハッチを開けてブルックリン橋の世界に通じるように自由な開放感があるようにも思うが、そして、折角そうであるように見えるのに)、しかし、一人の相手が終わったら、またもや、急がされ急(せ)かされて、どこへ行っても同じ男色専用の代用品の膜を張った道具の上で、同類の眼をした他の奴らを相手にするその運命の定めとはなっている。
[裏の訳の註釈]
隠語でmotionといえば、男色の性的な行為、性的な動きをいうのでしょう。cinemaの別名は、motion pictureです。次の第4連のmotionも同じ意味で、そのまま通じていますから。そうして、第5連でのmotionは、motion一語だけが、someもついて、微妙に変な感じがしていましたから。これで、僕は、すっかり、訳の上と気持ちの上ではすっきりとし、もやもやが消えました。僕は、今、この詩のすべてが明らかになったと確信しています。しかも、Hart Craneに礼節を守り、決してその柔らかな心臓を傷つけることなく、また少年の純潔を汚すこと決してなく。
このcontextでよむと、multitudesも、bentも、flashingもsceneも、discloseも、なにもかも、この上と下に説明したように、すべて、文字通りに白から黒へと、2、3、4、5連で、裏の詩を潜ませて、Craneは、詩を造って、まっ逆さまに地獄の地下へ、奈落の底へと落ちているのです。第1連の聖なるブルックリン橋(それでもまだ男性名詞で表現している)から、エレベータがよくも堕としてくれる、この垂直方向に、墜落するままに、男色の色を、実に透明な影に包んで("Only in darkness is thy shadow clear")、詩の中に忍ばせたのです。
こうして考えますと、
(1)4階(1、11)
(2)3階(2、10)
(3)2階(3、9)
(4)1階(4、8)
(5)0階(5、6、7)
この階層の理解は、正しい。(5)の0階の(5、6、7)連は、地下の世界、業火に焼かれる世界、仕事の辛酸と灼熱の肛門性交に焼かれる世界、そうか、だから、Craneは、その中心にある第6連において、アセチレンガス、高層ビル建築で鉄骨の溶接に使用されるその高温度のガスを、しかし、他方、そうやって、異なるふたつの色をし、実際に異なる二つのものを融解し融溶して一つにする、第8連で"O harp and altar, of the fury fused"と詠う、ブルックリン橋のその力に掛かっているのです。そうしてそうでなければならない。何故ならば、第8連は、聖なるブルックリン橋の一番下の階層のfloor、そこから第11連へと掛け昇り、上昇する、最初の地上のレベルだからです。それは、(5,6,7)連と地下で繰り返される、第7連では、煉獄の業火にやかれながら、死者として(昼は、第2連にあるような)ウオール外での日常の辛酸の仕事と(夜は第3連にあるような)夜毎と夜毎の灼熱の肛門性交の、これらの連鎖の軛(くびき)を、the chained bay watersの状態を脱するがために、第5連から、いや第5連においてこそ、何故ならば第5連は第7連から循環して還り、また第8連へと接続する地下と地上の間にあって分岐する連であるからこそ(ここが、日本語人風ならば、三途の川か、ここが地獄の1丁目というところでしょう)、実は第5連へは接続せずに、第7連から第8連へと一気に勇を鼓して、地下から地上に踊りい出、時代錯誤のドンキホーテの騎士の如くに、槍を抱えて吶喊するためには、(5、6、7)連は、地下の連と考えなければならないし、考えることができるからです。
これで、この詩の連同士の関係、その全体と部分の関係は、あきらかになりました。
さて、続けます。この詩の"Never disclosed"の前提には、Websterにある"behind the scenes"というidiomがあり、
1 : out of public view also : in secret 2 : in a position to see the hidden workings (taken behind the scenes and told just how in fact the actual government... has operated -- William Clark)
ということから、密かに一目に隠れてという意味を掛けています。それから、これは慣用句(idiom)であるということから、第9連の"unfractioned idiom"に係り、この第9連のidiomは、聖なるブルックリン橋のバラバラではない慣用句ですが、この第3連では、factioned idiomを、このように詩人は使ったということになります。あたかも、これが俺の毎日の労苦の中の、仕事のなかの、世俗の中の生活の中で使わざるを得ない慣用句の状態なのだ言わんばかりに、です。
それから、このforetellという動詞から、これは第8連のprophetに掛かっています。Foretellは、単に予言者だけではなくて、そのような芸術の格と域にある、霊感を受けた詩人の行為でもあるのです。
また、screenには、Websterによれば、
c : something that covers or disguises the true nature (as of an activity or feeling) (his geniality is just a screen)
という意味があることから、これは、deceiful craftnessと同類の、つまり男色のための、あるいは自慰行為のための、代用品であると、僕は思います。それは、率直にいって、第5連にあるthe "shrill shirt balooning"につかう、やはりshrill shirtのこと、この素材のことだと思います。それは、なお、この辞書には、
2 : something that shelters, protects, or hides: as a : a growth or stand of trees, shrubs, or plants
とある、このようなところから、また、
3 a : a perforated plate or cylinder or a meshed wire or cloth fabric usually mounted and used to separate coarser from finer parts
とあって、fabricの繊細な布地であって、帆船の帆か何かに使われる素材のshirtがあるのではないかと思うのです。
あるいはまた、更に
c : a piece of apparatus designed to prevent agencies in one part from affecting other parts (an optical screen) (an electric screen)
とありますから、これは,同じ何か代用品をふたりが共有して、その役割を交代しながら、射精を導くそのような器具または道具であるか(protectiveな、つまり、男の肌も性器をも傷つけず、従って精神的にも男であることを傷つけないような)と思います。
[裏の訳の語釈]
これは、Webser onlineを直接御覧になって下さい。先日の僕の語釈は、先入観があったために、つまり、表の解釈だけで満足して、someの意味を考えなかったために、辞書のすべての転記をしていませんでした。勿論ebookにするときには、完全に引用を掲載します。
しかし、あらためて、このように理論的に、Craneの構想し、企図した詩の構造の側から眺めると、これが、以上のような訳になるのです。この裏の詩のことを、Craneは、第4連では、"Implicityly thy freedom staying thee!"といったり、第5連では、"a jest falls from the speechless caravan."といったりしているのです。
さて、いよいよ大詰めです、最後に、何故Craneは、このような男色を裏に織り込んだ連には、必ずsomeを入れたのでしょうか?僕の答えは、簡単であり、それは感嘆であります。
それは、 an unknown, undetermined, or unspecified unit or thingであり、an unspecified number of somethingであり、an unspecified amount or number であり、すなわち、定義されない、まだ生まれえぬ原始と原初の状態の、接頭辞un-のついた生々しい形容詞(形容詞、です;the desert whiteといい、as apparitional as sails that cross some page of figures to be filed awayと詠った、あの言わば、揺れる形容詞)であり、また同時にしかし、眼にぞ著(し)るく、REMARKABLE, STRIKING であり、すなわち隠にして顕であり、更に、論理学的な定義では、少なくとも一人、1であり、つまり、
(続く)
0 件のコメント:
コメントを投稿