2010年3月31日水曜日

Hart Crane余語1

こうして、11連を一巡り、なお、文中に書いていなかったけれども、絶えずこの詩人の求めたるところと、その実現(これを僕は詩化と呼びました。White Building)を、言語の側から、読みながら訳しながら、何度も思い出すことがありましたから、そのことについて書くことにします。

僕がTo Brooklyn Bridgeを読んで、その言葉の概念化の徹底的な程度と、その能力から生まれる形象に接して最初に思ったことは、ヨーロッパの中世でした。それは、キリスト教の神が支配する、というよりは、日本語でいえば、統(す)べる世界の言葉のありかたです。それは、グレゴーリウス暦でいうと、11世紀から12世紀の時代、僕のよく知っているのは(といっても、日本語圏の住人に比べたらという相対的な意味ですが)、この時代のドイツ語圏の文学作品なのですが、その中で、目にし、文字に見て、接する言葉とその概念は、まさしく、比喩であることを止めて、それが喩(たと)えや、擬人化された言葉であることを終わりにした言葉、更に人間が言語能力の極限まで至って生まれた言葉、生きた言葉であったからです。いわく、Frau Minne、Der Tod、といったように。

Frau Minneは、英語でいうならば、Mrs. Loveであり、Der Todは、The Deathであるというと伝わるでしょうか(僕は当時20代の前半におりましたが、これは、この間、この日本という近代国家に生まれた個人としても、ずっと胸中にあり、思って来た事実なのです。)

これらは、みな、主語になり、生きた概念というよりは、生きた存在として、人々に働きかける能力を、当時は、備えていたのです(勿論今も。何故ならこうして僕が書いているから。しかも個別言語によらぬ。)。これは、もちろん、ひとりの詩人の力、一個の個人の1代30年の盛期では、とてもなしうるものではなく、その前の人々の歴史の積み重ねの結果、精華である筈のものです。そうでなければ、Frau Minneと詩人は文字をその作品に書くことはできず、読者はそれを理解することができないでしょう。これらの概念を庶民が共有していたということなのです。当時の社会システムと共に(ああ、Craneが17歳に書いたC 33の最後の2行、"But you who hear the lamp whisper through night Can trace paths tear-wet, and forget all blight."と詠った、その最後のblight(植物の罹る病)の、裏に隠れた絶望感を。しかし,尚、涙することができるのだ)。

それを、Craneは、アメリカというこの白人の歴史の短い(しかも、先住民の歴史を顧慮しない)、余所からの開拓民の集合である国の20世紀初頭において、アメリカの詩人達の力は借りたことでしょう、しかし、それでも独力で、言語の本質的な力への洞察とその力の発揮によって、これをなし得たということに、僕は驚嘆(大仰な言い方ではない)、賛嘆しました。

このような言葉の体系によって、得られるものは、一体何かと言えば、それは、静謐、沈静化の作用、安らぎ、安息、repose、そのような場所(repository)、静寂、寂寞、静けさ、であるからです。そこに、韻があれば、尚更。あるいは、なくとも。ここは、もう、宗教的な境地です。The Cityの与えるものは、喧噪であり、騒擾であり、それからは遥かに遠く、Craneの求めたものではありませんでした。

しかし、この苦しみは、毎日仕事をする、わたしたちの苦しみとその解決の努力ではないでしょうか?THE BOOK OF JOBを、だれもが毎日筆を執って書いている。職場でfiguresとして書いている。一日の労苦は一日で足れリ。そうして、エレベーターで堕ちて来る。落ちるのではなく、堕ちて来る。何故ならば、そこでは、性的なことはタブー、禁忌であり、他方、堕ちて来た地下、地上では、それはタブーではないからです。前者を職場といい、公といい、officeといい、officialといい、後者を私生活の場といい、私といい、private lifeといい、privateという。今の問題と、時代と、法律と、少しも径庭がない。"some page of figures to be filed away."

やはり、それは、Craneの言葉が、言語の本質的な、海のようなコミュニケーションの本源の世界に浸さ(dip)れて、そこから立ち上がり、何かの中心を旋回(pivot)する言葉だからだと、僕は思います。その何かを、white buildingの目的語にした、あるいは、the White Buildingそのもの、このプロセスが、これらのことが、Craneの詩なのだと,僕は思うのです(White Houseとは、よくもいったものだ)。

(それでも、まだ書き足りない。隔靴掻痒の感あり。)

僕が、今日言いたいことは、人間は、個人は、言語の力を借りて、その抽象化能力を極限まで発揮すれば、そのような社会が生まれ得るという、このことなのです。つまり、それは、概念化の能力です。勿論、それだけではありません。Thomas Mannは、既にして20代で、自分自身の創作の根本にあるふたつの方法について、幾つかのessaysの中で、このこと、自分の創作の方法について明確に何度も言及しています(それなのに、だれもドイツ文学の専門家も、どの散文家も、これに正面に向き合わない。かろうじて辻邦夫が、僕の知る限り、2度文字にして触れている)。これらは、Thomas Mannに限らず、Hart Craneであろうと、だれであろうと、勿論私達も、そうして、詩であろうと散文であろうと、作品を構築しようとすると、ものをまとめようとすると、だれでも必要とし、だれでもが要求され、だれでもが練習によって獲得できる能力のこと、即ち、次の2つです。

(1)die Vergeistigung(概念化)
(2)die Beseelung(context(s)化)

これらのことなのです。

不思議なことに、前者には精神(spirit)が、後者には魂(soul)が対応しています。

また、この2本柱を、Mannは、別のエッセーで、こうも言っています。

僕は、関係をつくること、関係というこのドイツ語(die Beziehung)がとても好きだ。

アリストテレスのいった言葉も思い出します。精確な引用ではないが、こういっています。

比喩を駆使する能力、これが人間の持つ能力の最大のものだ。

これを論じはじめると、あっという間に1万語を超えますので、本日は、これまで。しばらく、Craneは、blogには出ることがないかも知れませんが、言語の話とともに、また登場してもらうことにします。

今日の結局詩:

結局
死者のいない家は
貧しい

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