2011年11月26日土曜日

Einfkaufen gehen in Muenstereifl(ミュンスターアイフルへ買い物に行く):第50週


Einfkaufen gehen in Muenstereifl(ミュンスターアイフルへ買い物に行く):第50週

by Jochen Arlt (1948年生まれ)

【原文】

Fuer Manfred Hausin

Gebn Se mir bitte
N Viertlpfund Winter
Aber nich zu feucht

Mit etwas Morgnfrost
Vielleicht und
Viel sonnign Tagn
Fuer mich und fuer die Kinder
Etwas Schnee
Dass wir Schlittnfahrn koenn

Mit wenig Matsch
und gefrorn’n Pfuetzn
Mit Knecht Ruprecht
Und Zimtstern’n
Mit vier schlesischn Weisswuerstn
Und zwei Glaesern Schampanjer
Am Heiligabnd

Und bevor ichs vergesse
Mit etwas
Ergriffnheit


【散文訳】

マンフレート・ハウシンのために

わたしに、どうか
4分の1ポンドの冬を
くれないか
でも、湿気が多すぎないような冬を

ひょっとしたら、少し朝の霜のある、そうして
わたしと、子供たちのための
たくさんの太陽燦燦の日々のある、
少し雪のある、そんな冬を
そうしたら、橇(そり)遊びができるから

泥濘(ぬかるみ)は少なく
そして凍りついた水溜りのある
クネヒト・ループレヒトと
肉桂の星々のある、
聖夜に
4つのシュレージエン地方の白ソーセージと
2杯のシャンペンのある、そんな冬を

そして、わたしが忘れる前に
何か感動のある、そんな冬を


【解釈】

これは、方言で書かれています。

詩人の名前もその土地の名前らしい名前です。

この詩人のドイツ語のWikipediaです。写真も載っています。

http://de.wikipedia.org/wiki/Jochen_Arlt

これを読みますと、シュレージエン地方で生まれた詩人です。

それで、白ソーセージ、Weisswuerstn、ヴァイスヴルストゥンも詩の中に出てくるのでしょう。

ああ、食べたいものです。


Muenstereiflは、地図では次のような場所にある町です。

http://www.bad-muenstereifel.de/seiten/index.php

これはこの町のホームページです。

Bad Muenstereiflというのが正式な町の名称なのでしょう。

また、ドイツ在住の方のブログに、今のドイツのクリスマスの市の動画が掲載されていましたので、紹介致します。

これは、如何にも歳末のドイツの市場、Weihnachtsmarkt、ヴァイナハツマルクトという感じが致します。

http://oosyuu.wordpress.com/

ああ、ドイツに行きたくなって来ました。

来年、あなたと一緒に、ドイツに行きましょう。

ミュンスターアイフルへ買い物をするために。





2011年11月19日土曜日

Dezember(12月):第49週

Dezember(12月):第49週

by Lars Gustafsson (1936年生まれ)


【原文】

Dezember war immer ein Monat,
in dem man eigentlich aufhoerte zu sein.
Man wurde eine Parenthese im Dunkel,
mehr nicht.
Laternen wurden angezuendet, Lampen und Kerzen.
Aber sie waren so offensichtlich
unzureichend
gegen die steigende Flut der Dunkelheit.
Leicht versteht man
eine urspruenglichere,
eine heidnische Weihnachtsbotschaft:
Mit Fackeln und Flammen um jeden Preis
ein Sonnenlicht zurueckzuholen

dessen Wiederkehr sich nie von selbst verstand.


【散文訳】

12月はいつも
ひとがそもそも存在することを止める月だった。
ひとは、暗闇の中で括弧になり、
それ以上のものではなくなった。
ランタンに火が灯された、ランプにも、蝋燭にも。
しかし、これらのものは、明らかに
暗闇の、いや増しに上昇して来る洪水に対しては
不十分だった。
容易に、より根源的な
異教的なクリスマスの知らせを人は理解する。
つまり、篝火と炎とで、何が何でも
太陽の光を取り戻すのだ。

その光は、決してひとりでには戻って来ないのだった。


【解釈】

この詩人は、スウェーデンの詩人です。

この詩人の英語のWikipediaです。

http://en.wikipedia.org/wiki/Lars_Gustafsson

先日の第45週の詩「秋の魔女」はリトヴィアの詩人、これはスウェーデンの詩人。

これらの詩には、何か、異教的な匂いが芬芬(ふんぷん)とします。

12月。冬。暗闇の支配する季節。人間。火。抵抗。戦い。

この詩では、春の到来は、思いの外です。全く期待されていない。

わたくしは北海道で12月に生まれました。

この詩の持つ雰囲気は、わたしの故郷の雰囲気にとても似合っていますし、とても通い合うものがあります。

北海道からアリューシャン列島を伝わり、シベリア大陸を経てスエーデンへと、何者かが往来しているのでしょう。時間を空間を超えて。

それは、やはり12月の、冬の闇であり、それに抗する人間の意志、即ち光りを求めてやまないこころだと思います。

そう思って、この詩を読むと、実に象徴的な詩だと思えるのです。

他方、誠に実感の籠った現実的な詩であることのままに。



2011年11月12日土曜日

Die Schwierigkeit(難しい事):第48週


Die Schwierigkeit(難しい事):第48週

by Heinrich von Kleist (1777 - 1811)


【原文】

In ein grosses Verhaeltnis, das fand ich oft, ist die Einsicht
leicht, das Kleinliche ists, was sich mit Muehe begreift.

【散文訳】

大きな関係の中を洞察することは、よく見たことがあるが、易しいことなのだ、
小さいものこそ、苦労して解るものなのである。


【解釈】

この詩人は、小説家でもあり、劇作家でもあります。

ドイツ文学史に名前のある作家です。

ドイツ語のWikipediaです。写真が載っています。

http://de.wikipedia.org/wiki/Heinrich_von_Kleist

これは、箴言詩という範疇に入る詩だと思います。

大きな関係の中を洞察することは、易しく(それは何度も見た)
小さいものこそ、苦労してわかる当のものだ

と訳することもできるでしょう。

この箴言の訳を考えるのに、Googleで検索していて、ドイツ語の詩人たちの箴言のウエッブページを見つけました。

http://gedichte.xbib.de/Kleist,+Heinrich+von_gedicht_Epigramme+(II).htm

20代の初めに、ドイツ文学の先生に言われて、クライストの短編はすべて読んだことがあります。

どの作品も直接法のない、間接話法の文章であったことだけ、そうして何か悲劇的な感情だけが強く記憶に残っております。

クライストの短編にご興味のある方は、アマゾンで日本語で手に入りますので、お読みになってはいかがでしょうか。



2011年11月5日土曜日

母:第47週

母:第47週

by Friederike Mayroecker (1924年生まれ)

【原文】

meine Mutter mit den offenen armen
wenn sie mich grueszte wenn ich zu ihr kam

meine Mutter mit den zaertlichen Worten
wenn ich sie anrief dasz ich nicht kommen koenne

meine Mutter mit dem abgewandten Gesicht
als sie noch sprechen wollte aber es nicht mehr konnte

meine Mutter mit den geschlossenen Augen
als ich zu spaet kam sie ein letztes mal zu umarmen


【散文訳】

わたしの母は、腕を広げている
いつも、母のところへ行って、わたしに挨拶してくれるときには

わたしの母は、優しい言葉をかけてくれる
いつも、わたしが声をかけて、行けないよというときには

わたしの母は、顔をそむけている
まだ話したいのに、それ以上できなかったときに

わたしの母は、目をつむっている
わたしが遅くなって、母を最後に抱きしめることができなかったときには、


【解釈】


ドイツ語の表記から受ける印象は、この小人は少女で、まだ文章もうまく書けないような年齢の子供だということです。

何か、言葉の表記に稚拙な感じがします。

それは、詩人がそう表現しているのかも知れません。

こんな詩人です。写真が載っています。

http://de.wikipedia.org/wiki/Friederike_Mayr%C3%B6cker

こちらは、英語のWikipediaです。

http://en.wikipedia.org/wiki/Friederike_Mayr%C3%B6cker

最後の連は、お母さんがもう亡くなっているのかも知れないと思わせる言い方にもなっています。