2010年3月31日水曜日

To Brooklyn Bridge (8); (1/3)

O harp and altar, of the fury fused,
(How could mere toil align thy choiring strings!)
Terrific threshold of the prophet's pledge,
Prayer of pariah, and the lover's cry, -----

ああ、お前ブルックリン橋の、鋼の綱で出来ているその竪琴と祭壇は
罪人を罰するその破壊的な、その浄化の怒りを融解し、融溶しする、
そのような力を、本々所有して、そこにあり、

(何故ならば、一体ただ苦労をして仕事をするからといって、ただそれだけで、人間が、お前の、その美しい、あたかも朝日がお前の朝の振動の音楽に合わせて、大きなステップを踏み、踊りを踊るかのごとくに見える、その見事な合唱と唱和の声を上げる弦の数々を、人為的な規則に従って、調整し、調音できるとでもいうのだろうか?できるわけがない!)

お前は、予言者の、このTHE BOOK OF JOBたる詩篇をものする霊感の詩人の、
その詩人を養い、労り、傷を、病を癒してくれる、この詩人をこれ以上どこにも誰にも売ることのない、そのような保障された憩いの、安全の場所の、

お前を旋回する鴎の群れのその翼の群れが、毎日海に数多くの夜明けを浸すような具合に、そうしてそれが、水夫や船乗りが舷側を海に浸し、または海の水をそこ掛けて汚れを落とすように、その汚れを、詩人の罪を洗い浄め、その罪を洗い流してくれて、

しかし惨憺たる、且つ異常に素晴らしく晴れやかなる、逃避行の、道行きの、最後の至るべき門、すべてを最初から、何も無かったかのごとくにしてはじめることのできる、そのような場所、真実の生起する場所、地獄と、地上や天国との境界線、その線の下ではそのような救いの決してあることのない、そのような境界である、そのお前、聖なるブルックリン橋よ

南インドならば、カーストの最下層の非可触賤民、町を離れ、あの荒野に棲まいする、その野生の人間の祈りを、そうして恋する者の叫び声を、どうか聞き届け給え

[註釈]
この第8連は、第4連に対応し、同じ階層に帰属する連として詠われています。従って、第4連(下降の詩)を見ると、この第8連(上昇)の詩を読むことができます。前者も後者も、共通している筈のものは、この連での詩化と共に、次の連で夜明けがやって来るということです。その前段の連で、ともにあるということです。それは、夜明けと振動を共にし、共鳴する橋の姿です。それでは、第8連を見て見ましょう。

しかし、そう思う前に、僕はある印を見つけました。これは、Craneが忍ばせた、しかし、明瞭なる印です。それは、someという形容詞です。この詩のbuildingの様子を、今、連の序数を数字で示して、次のように表しますと、

(1)4階(1、11)
(2)3階(2、10)
(3)2階(3、9)
(4)1階(4、8)
(5)0階(5、6、7)

Someという形容詞で、次の名詞を形容している言葉のある連では、すべて、男色をそっとその連の中に忍ばせてあるということです。

それは、次の階層のうち、2、3、4、5の、この垂直方向に、ブルックリン橋から墜落して落ちて行く方向にあるカラムの連は、1を除き、すべてsomeがあって、男色の詩になっているのです。いづれも実に巧妙に隠されています。第10連に詠うように確かに"Only indarkeness is thy shadow clear"、影とは、そのように透明なのです。

(2)3階(2、10)
(3)2階(3、9)
(4)1階(4、8)
(5)0階(5、(6)、(7)):この連は5、6、7と行くに従って、構造上の理由によって、その色彩、男色の色彩が薄れていきます。その説明は、この連載の最後にします。

この第8連で詠っているthresholdとは、1階と0階の境目、仕切りのことを言っています。

さて、そうすると、今まで訳をしてきた連のうち、4連以外は、皆その色彩を明瞭に僕は訳し出しましたが、今こうしてこのsomeという言葉の側から4連を見ると、そのことの理解に欠けていたことを知りました。そこで、もっと、このsomeを明瞭に表すために、再度その部分のみを、ここに訳し出し、その上で、第4連に対応する同じレベルのもう1対の連、第8連の散文訳をすることにします。また、第11連にも、実はsometimeという副詞の中にsomeが隠れているのですが、このsomeを含む、もうひとつの男色の詩の解釈は、後述し、そのように訳してあります。

さて、それでは、第4連をもう一度引用して、訳し直します。

And Thee, across the harbor, silver-paced
As thought the sun took step of thee, yet left
Some motion ever unspent in thy stride, -----
Implicitly thy freedom staying thee!

ところが、僕は、お前、ブルックリン橋を思ってみる
港を横切り架かって、生き物のように、白銀色の調和、
即ち、自然の法と韻律と音楽に任せて、また合わせて
恰も朝日なる太陽が、お前の法と韻律と音楽に合わせて寸分違(たがわ)ず
踊りのステップを踏むかのごとくに、始原の要素を相響かせて共鳴し、
そして実に雄弁であるお前を思ってみる、しかし、お前の脚の長い(正確に測った、最大の能力を以て発揮される)ステップには、そもそも費消されることの永遠にない、ある運動、場所や機会を別のものに変じて精華を齎(もたら)す、そのような意志の衝撃と、行為とプロセスが残されており、

それは、お前の脚の長いステップ、すなわち、お前の長いマスト、その長竿の中にある、決して尽きせぬ、ある動きであって、それはひとに知られることなく、人の眼から隠されて、黙々となされる、自然の法と韻律と音楽に調和した動きであり、..............(A)

それは黙っていても必ず、いや僕一人がとは言わないが、しかし僕達が共にお前に願い出れば、必ずや裁きの命令や規則や指令を聞き届けてくれるのだということであり、つまりは、それは、黙示的に、無言の内に、何ももの言わずとも
お前の自由とは、あの帆船の帆柱がそうであるように、鋼鉄の綱がお前をそうやって、自分自身で直立させ、屹立させ、お前の進む航路を、どんな方向であろうと、風に向かって進めるもの、そのものなのだ(それがお前の自由だ。人にあてがわれた標準的な自由などよりも、その無言の自由、黙示的なもの言わぬ自由の素晴らしさを)と、僕はそう思うのだ。

上の訳で(A)とした段落が、あらたに訳して追加した箇所です。Strideは、a long stepでした。Stepは、常に mastであり、penisの形象を備えているのでした。「自分自身で直立させ、屹立させ、」という表現は(これは日本語の表現ですが、英語に当たってみて下さい)、次の第5連の「shrill shirt balooning」という、女性を必要としない、男色の自慰行為に掛かっています。

この連を訳していても、また訳し終えても、何かなお釈然としなかったのは、このmotionだったのですが、これですっきりしました。何故詩人がこの言葉を選択したかが、相対する、同じ階層の連の比較によって解ったからです。

そうして、また、僕が最初に単に「港を横切り架かって」と訳した「港」も、下のWebsterの初心に戻れば、securityという上位概念の下位概念であり、それは、これから精読する第8連のpledgeの縁語なのでした。(Chaplinesqueならばrecessといった)この帆船の、嵐や時化を回避するための避難所が、harborであり、この詩の第10連ではThe City (of Refuge)と呼ばれているものであり、第8連、この連では、pledgeと呼ばれているのです。

それでは、第10連では、The Cityと呼ばれている避難所が、相対応する第2連にはないのかと言えば、それは、そこにある「.... our eyes as apparitional as sails that cross some page of figured」の白の神の形象と男色の関係に詠われてあるのです。


従い、第8連の最後の行にある「Prayer of pariah, and the lover's cry」は、そのような社会から見ると最下層に帰属する非可触賤民である男色者の祈り、恋人の祈りとは、愛する側か、または愛される側か、いづれかのまた両方の嘆きの声でありましょう。それが、第11連では、次のように詠われていました。pariahは、町の外、荒野に棲むことを余儀なくされている人たちのようですので、このように訳しました。

O Sleepless as the river under thee,
Vaulting the sea, the prairies' dreaming sod,
Unto us lowliest sometime sweep, descend
And of the curveship lend a myth to God.

ここにある、「Unto us lowliest」は、そのような意味でもあったのです。

しかも、この同じ行にある「sometime」のsome-にも、同様の意味を、Craneは意図的に割り当てたと、僕は思います。すなわち、

僕達最下層の、そのような社会の非可触賤民である男色者としての人間達の上にも、いつか、そのようなある男色の時間として、また男色者をも含んだ時間として、すべての、日々苦労をし、過酷な仕事に耐えて生きている貧しいもの達、the curveshipの罪を、清浄に一掃し給え

と、このように詠っていることになります。

男色者の詩人の詩のすばらしさは、それは男色者だかれではなく、このように多次元的な宇宙を当たり前のように最初から持っているということだと僕は、こうしてsomeの意味を考えると、あらためて思います。それは、普通の、女性と肌を合わせ、packageを開封することを求める男が、本来求めている宇宙である筈のもの、自分が与えるのではなく、自分が受け取る側でいたいparcelの宇宙であるのだと僕は思います。それを女性に求めることの難しさを考えてみて下さい。これが、言語と性とcommunicationの、実に難しいところです。あなたは、そうは思わないでしょうか。それでもなお、男は女を求め、女は男を求め合って、恋愛が生まれる、何故ならば、コミュニケ-ションには、必ず、その結果が、Crane17歳の時の最初の詩、C 33の最後の一語、all blight(植物を腐食させ、枯れさせ、衰退させる病)であろうとも、コミュニケーションには、必ず、与える側と、受け取る側、与えられる側が生まれ、そうして、求められる側と求められる側があるからです。

さあ、以上のことを念頭に措いて、次のこの第8連の詩、このTo Brooklyn Bridgeの、訳すべき最後の連を訳すことにしましょう。THE BOOK OF JOBに従って。また、僕も、善良なる、しかし神に試されるヨブのように。


O harp and altar, of the fury fused,
(How could mere toil align thy choiring strings!)
Terrific threshold of the prophet's pledge,
Prayer of pariah, and the lover's cry, -----

この連は、この詩の中では唯一、( )の中を除けば、本文が、すべて名詞だけで
できている連です。すなわち、(第5連、第6連と来て、4階層の下の0階層で一つの神話、無時間を創造するための循環の最後の環をなし、第5連に降りて戻って接続し、且つ第7連にも上昇して接続するという、そのような機能を有する)第7連を承けて、名詞だけをCraneは措いたのですが、これによって、この連も無時間を維持することができるから、そうして,第9連で、また夜が明け染めることができるからです。

第8連での(内容の)無時間は、prophet's pledge、すなわち予言者とは、Websterから、

2 : one gifted with more than ordinary spiritual and moral insight; especially : an inspired poet

とありますので、これはCrane自身のことをも暗示しています。予言者の担保、安全保障、セキュリティ、喪失からの危害から自由である状態とは、すなわち、苦しみの、煉獄の灼熱の炎に肛門を焼かれる男色の世界です。付言しますが、これはセキュリティ、安全保障のための担保であって、一時の避難所であり、救いではありません(だから、この第4連ではharbor、第8連では、pledgeと、そういっているのです)。それをCraneはよく知っているのです。第8連に対応する第5連では、それに応じる箇所の説明は、既にした通りです。

(以下明日に続く)

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