三島由紀夫の十代の詩を読み解く27:『剣』論(1)
目次
I 双葉竜胆とは何か
II 何故双葉竜胆の胴をつけたまま国分次郎は裏山で死んだのか
III 何故裏山で「凶ごと」が起こるのか
IV 何故国分次郎は「詩の罠」に嵌(はま)らずに山を降りることができたのか
V 三島由紀夫の詩の世界で鳩の形象は何を意味するのか
VI 三島由紀夫の詩の世界で百合の花の形象は何を意味するのか
VII 三島由紀夫の詩の世界で鳩と百合の花の関係はどのやうな関係なのか
VIII 『剣』といふ小説の結構(構造)はどのやうなものか
IX 『剣』の主人公の最後の死は何を意味するのか
*****
I 双葉竜胆とは何か
『三島由紀夫の十代の詩を読み解く26:イカロス感覚6:呪文と秘儀』で論じ、明確に定義することの出来た三島由紀夫の作品群の分類から考えると、これは、叙情詩としての小説といふことになります。その箇所を引用します(http://shibunraku.blogspot.jp/2015/10/blog-post_18.html)。
「(22)『剣』:1963年10月:38歳
「黒胴の漆に、国分家の双葉竜胆の金いろの紋が光つてゐる。」
双葉竜胆の紋とは、次のやうな繰り返しの模様、即ち対称性を備えた文様です。
この同じ形象に、三島由紀夫の好きであつたダリの描いたキリストの磔刑の十字架の絵があります。
即ち、この紋の図柄で、三島由紀夫が一番魅かれるものは、十字の交差した中心にある円形の場所にあるのです。
この場所には、繰り返しの中にあつて、時間のない積算の値の存在する、さういふ意味では『天人五衰』の最後の月修寺の庭前にあるのと同じ、三島由紀夫が終生求め続けてやまなかつた静謐静寂の空間が、否、時差があるからです。このことについては、次の考察をご覧ください。:
1️⃣『三島由紀夫の十代の詩を読み解く9:イカロス感覚1:ダリの十字架(1):三島由紀夫の3つの出発』:http://shibunraku.blogspot.jp/2015/08/blog-post_23.html
2️⃣『三島由紀夫の十代の詩を読み解く10:イカロス感覚1:ダリの十字架(2):6歳の詩『ウンドウクヮイ』:http://shibunraku.blogspot.jp/2015/08/blog-post_26.html
また、三島由紀夫が楕円形が好きであつたことについては、『三島由紀夫の十代の詩を読み解く5:三島由紀夫の小説と戯曲の世界の誕生:三島由紀夫の人生の見取り図2(詳細な見取り図)』(http://shibunraku.blogspot.jp/2015/08/blog-post.html)の[註1]をご覧下さい。」
今、その[註1]から以下に引用して、再掲します。
「さて、三島由紀夫の小説が叙事詩だといふことに関する考えは、私の仮の説であり、仮説です。しかし、十代の次の詩が、丁度、叙情詩、叙事詩、そして小説といふ時間の順序で展開してゆく其の中間状態の移行期の姿を示していて、わたしの仮説は、正しいのではないかと思はれます。
この仮説を証明する其の詩は、13歳の『桃葉珊瑚(あをき)《EPIC POEM》』といふ詩です(決定版第37巻、206ページ)[註1]
[註1]
桃葉珊瑚(あをき)といふ題の言葉と、この老いの記の内容との関係を稿を改めて明確にすること。この時期、三島由紀夫は桃の詩を幾つも歌つています。桃と桃色の意味を解く事を後日致します。今ここで少しく考察を加えてをけば、次のやうになります。
桃葉珊瑚(あをき)といふ植物は、「葉は厚くつやがある。雌雄異株。春、緑色あるいは褐色の小花をつけ、冬、橙赤(とうせき)色で楕円形の実を結ぶ。庭木とされ、品種も多い。桃葉珊瑚(とうようさんご)。」[『大植物図鑑』>「アオキ Aucuba japonica 桃葉珊瑚(1034)」:https://applelib.wordpress.com/2009/05/09/1034/]
この説明をみますと、三島由紀夫は、この当時楕円形といふ形が好きであつたやうに思はれます。何故ならば、この実は楕円形をしてをり、小説『詩を書く少年』の中で、13歳ではなく15歳といふ年齢設定ではあるものの、主人公の製作する詩集は「ノオトの表紙を楕円形に切り抜いて、第一頁のPoesiesといふ字が見えるやうにしてある」表紙を備えてゐるからです。
しかし、いづれにせよ『桃葉珊瑚(あをき)《EPIC POEM》』といふ《EPIC POEM》(叙事詩)を読みますと、その主題は、ある老いた人間の死と、その理由の誰にも知られない無償の自己犠牲によつて起こる生命の蘇生といふ主題ですから、この桃葉珊瑚(あをき)に永遠に繰り返され、冬の季節の後に到来する春に再び此の世に現れる強い生命力をみてゐたことは間違いありません。
さうすると、同様に此の時期歌ふことの多かつた桃についても、その形状と色彩と其の色艶に、同様の魅力を覚えたゐたことが判ります。桃を巡る形象は、夏であり、青空であり、泉であり、川の流れであり、その青色を映す湖であり、青色そのものである海であり、これらの歌われる春と夏の季節であり、また夜であり、月であり、月の光であり、黒船であり、とかうなつて来ると季節の秋もあり、夜に響く谺(こだま)といふ繰り返しの声があり、また桃の果樹園であり、桃林なのです。
『奔馬』で、この物語の最後に主人公が死を求めて、夜の海へと駆ける場所は、桃の果樹園ではなく、蜜柑畑といふ果樹園です。最晩年の三島由紀夫が蜜柑といふ果実と其の果樹園といふ場所、それも夜の海を前にした言はば庭園といひ庭といふことのできるやうな場所に何を表したのか。」
今、改めて、この「黒胴の漆に、国分家の双葉竜胆の金いろの紋が光つてゐる」といふ其の双葉竜胆の紋章を見ますと、確かに、三島由紀夫が1957年、32歳の時に、即ちこれから剣道に打ち込まうと決心した年の前年に再度16歳の詩『理髪師』を改作して『理髪師の衒学的欲望とフットボールの食欲との相関関係』と改題した此の二度目の理髪師の詩の第2連に登場するフットボールの形状と全く同じであることに気づきます。
このフットーボルは、読者ご存じのやうに運動競技の一つであり、そこで競技場を鍛へられた肉体を持つ運動選手たちに投げられ蹴られて其の生命の限りを尽くし尽くされる物体としてあるものです。
同じ詩想から書かれた詩に、詩集『HEKIGA』にある「玩具」の中の連作の最初の「a 独楽(「それは……」)」であり、もう一つは『聖室からの詠唱』所収の「幼き日」の中の最初の詩「独楽(「音楽独楽が……」)」という,三島由紀夫が十二歳から十三歳にかけて書いた詩があります。
これは、やはり十六歳の短編小説『花ざかりの森』の最後に「「死」にとなりあはせのやうにまらうどは感じたかもしれない。生(ゐのち)がきはまつて独楽の澄むやうな静謐、いはば死に似た静謐ととなりあはせに。……」とある独楽であるのです。
即ち、このフットボールは、十代の詩の独楽と同じ詩想より生まれた、43歳の三島由紀夫が文武両道のうちの武を思つた時に(十代の詩を読み返へして想起し追憶して)生み出した切実な、といふ意味は、自分の一回限りの人生に首尾一貫性を与へる大切な形象なのです。
双葉竜胆もまた同じ楕円形である以上、三島由紀夫にとつては、同じ意味を有してゐます。如何にして、文の楕円形を武の楕円形に変形したのか。
双葉竜胆の意義を知るために、『三島由紀夫の十代の詩を読み解く25:二人の理髪師』より当該箇所を再掲します。(http://shibunraku.blogspot.jp/2015/10/blog-post_18.html):
「5。フットボールとは一体何か
さて、フットボールとは一体何でありませうか。
『三島由紀夫の十代の詩を読み解く1』(http://shibunraku.blogspot.jp/2015/04/blog-post.html)から引用してお伝へします。:
「[註3]
三島由紀夫は、十二歳から十三歳にかけて、十代で独楽という題の詩を二つ書いております。一つは、詩集『HEKIGA』にある「玩具」の中の連作の最初の「a 独楽(「それは……」)」であり、もう一つは『聖室からの詠唱』所収の「幼き日」の中の最初の詩「独楽(「音楽独楽が……」)」という詩です。
こうして、この二つの詩の表題(形式)を眺めてみますと、題名の次に括弧がしてあって、「……」が必ずあり、これは安部公房の詩にも登場する同じ「……」という符号の使い方に省みて解釈をすれば、文字通りの余白であり、沈黙であり、そこにこそ自己の本来の姿が宿っていることを意味しております。十代の安部公房の場合は、この余白と沈黙に隠れ棲む自己を「未分化の実存」と呼び、即ち存在に生きる自己と言っております。しかし、この自己は、この世の人たちからみると、ほとんど死者のありかたに見える人間のありかたです。
三島由紀夫の場合も、同様であったように思われます。
なぜならば、この独楽の詩も、登場する縁語を此処に挙げますと、それは、白銀色の金属の独楽であり、悲しい音を立て、その悲しい音は音楽であり、落ち着きもなく狂ひ廻り、従い独楽は酔ひどれであり酔漢であり、そのようにして踊りを踊るものであり、踊りたくないのに一本の縄に「その身を托されて」いる。その立てる音は、梟の不気味なほ!ほ、という夜の声である。そうして、体は小刻みに震えている。(この体の小刻みに震える震えは、『木枯らし』や『凩』の木々の震えに通じているのだと思います。)
同じ『HEKIGA』の中にある「古城」という廃墟の城を歌った詩を読みますと、ここにも梟が出て参ります。この梟は、やはり”Hoh!”と鳴きます。この梟は、話者が廃墟の城の中に向かって問いかけることに対して、この声で応えるのです。また同じ詩集の「壁画」と題した詩では、梟は「梟が鳴く/一本調子の、/嗚咽するやうな、/物悲しい、啼き声、」と謳われていて、やはり、廻転する独楽に通じる悲しみを歌っております。廃墟の古城の梟のHoh!という鳴き声もまた、同様の感情を表しているのです。
それは、廃墟の、空虚の、何もないものに対する悲しみの感情というものでありましょう。そうして、それは、一本の縄に「その身を托されて」酔漢のように踊り、廻転している悲しみであるというのです。
『聖室からの詠唱』所収の「幼き日」の中の最初の詩「独楽(「音楽独楽が……」)」という詩で「ほ!ほ」啼いている梟の声は、詩集『HEKIGA』にある「玩具」の中の連作の最初の「a 独楽(「それは……」)」で歌われている”Hoh!”と啼く梟の声に比べて、後者が説明的であるのに対して、前者は説明ではなく隠喩で歌われているだけに一層、何か酷く不気味な感じが致します。
三島由紀夫の独楽は「……」という余白、沈黙、もっと言えば、廃墟、廃絶、喪われて其処にあるもの、過去としてしか追憶できないものの中に廻っている。
これらのことが、十六歳で『花ざかりの森』を出版するまでの、十代の前半の三島由紀夫の感情生活の一端であるということになります。
『花ざかりの森』の最後にあるように、「生(いのち)がきわまって独楽の澄むような静謐、いわば死に似た静謐」、これが独楽の目に見えない程の廻転の意味なのです。」
このフットボールは、『花ざかりの森』の最後に繰り返し廻つてゐる独楽なのです。しかし、異なるところは、上で見たやうに、移動することができるといふこと、即ち、「生(いのち)がきわまって独楽の澄むような静謐、いわば死に似た静謐」である独楽の「生(いのち)がきわまっ」た姿でありながら、静止することなく、常に運動の生命に放り投げられ受け取られて移動し続け、宙を飛び続ける楕円形の球体、「いわば死に似た静謐」を実現した動く球体なのです。
ここまで読み解いて参りますと、三島由紀夫が此の時期に肉体を鍛え、さうして翌年33歳のときに本格的に剣道に打ち込み始めるといふ、そのこころが、そのままに写され、現れてをります。
しかも、この楕円形といふ形象は、十代の三島由紀夫の好む形象でありました。それは、13歳の『桃葉珊瑚(あをき)《EPIC POEM》』といふ詩です(決定版第37巻、206ページ)。『三島由紀夫の十代の詩を読み解く5:三島由紀夫の小説と戯曲の世界の誕生:三島由紀夫の人生の見取り図2(詳細な見取り図)』(http://shibunraku.blogspot.jp/2015/08/blog-post.html)より引用して示します。」
13歳の『桃葉珊瑚(あをき)《EPIC POEM》』といふ詩の楕円形については、上記[註1]に引用して示した通りです。
さて、このやうに考へて参りますと、双葉竜胆の模様は、その対称性の繰り返しの姿から、やはり「生(いのち)がきわまって独楽の澄むような静謐、いわば死に似た静謐」である独楽の「生(いのち)がきわまっ」た姿でありながら、静止することなく、常に運動の生命に放り投げられ受け取られて移動し続け、宙を飛び続ける楕円形の球体、「いわば死に似た静謐」を実現した動く球体だとはいふものの、フットボールといふ言葉に囚はれることがなければ、その文様は、そのまま、三島由紀夫の書斎の机上にある蜥蜴の姿であり、『太陽と鉄』の「エピロオグ---F04」の初めと最後に登場する、地球を円環をなして締め囲んでゐる巨大な蛇の姿に通じてゐるものでありませう。この円環をなす巨大なる蛇の環を、このエッセイでは、三島由紀夫は次のやうに書いてをります。
「 あらゆる対極性を一つのものにしてしまふ巨大な蛇の環は、もしそれが私の脳裡に泛んだとすれば、すでに存在してゐてふしぎはなかつた。蛇は永遠に自分の尾を嚥んでゐた。それは死よりも大きな環、かつて機密室で私がほのかに匂ひをかいだ死よりももつと芳香に充ちた蛇、それこそはかがやく天空の彼方にあつて、われわれを瞰下ろしてゐる統一原理の蛇だつた。」
「もしそれが私の脳裡に泛んだとすれば、すでに存在してゐてふしぎはなかつた。」とある此のイカロスとしてF104に搭乗して天翔る43歳の三島由紀夫の一行は、18歳の『中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜萃』に登場する海賊頭が、主人公の殺人者の問ひに答へていふ次の言葉に他なりません。:
「「君は未知へ行くのだね!」と羨望の思ひをこめて殺人者は問ふのだつた。
「未知へ?君たちはさういふのか?俺たちの言葉ではそれはかういふ意味な
のだ。------失はれた王国へ。……」
海賊は飛ぶのだ。海賊は翼を持つてゐる。俺たちには限界がない。俺たちに
は過程がないのだ。俺たちが不可能をもたぬといふ事は可能をもたぬといふ
ことである。
君たちは発見したといふ。
俺たちはただ見るといふ。
海を越えて海賊はいつでもそこへ帰るのである。(略)
創造も発見も、「恒(つね)に在つた」にすぎないのだ。恒にあつた。
――さうして無遍在にそれはあるであらう。
未知とは失はれたといふことだ。俺たちは無他だから。」(傍線原文は傍点)
この18歳の作品の海賊頭が殺人者にいふ言葉、即ち「創造も発見も、「恒(つね)に在つた」にすぎないのだ。恒にあつた。/さうして無遍在にそれはあるであらう。」といふ言葉からは、十代の詩の世界にハイムケール(帰郷)を決心した三島由紀夫が、その時代の開始の最初の年に書いた『絹と明察』の岡野のハイデッガー理解にそのまま生き生きと反響してゐます。『三島由紀夫の十代の詩を読み解く18:詩論としての『絹と明察』(1):殺人者たち』より引用します。(http://shibunraku.blogspot.jp/2015/09/blog-post_22.html):
「「『ハイデッガーの脱自(エクスターゼ)の目標は』と彼は考へ続けた。
『決して天や永遠ではなくて、時間の地平線(ホリツォント)だつた。それはヘルダアリンの憧憬であり、いつまでも際限のない地平線へのあこがれだつた。俺はかういふものへ向つて、人間どもを鼓舞するのが好きだ。不満な人間の尻を引つぱたいて、地平線の向つて走らせるのが好きだ。あとから俺はゆつくり収穫する。それが哲学の利得なのだ。』」
この科白は、会話、しかも「脱自」を説く此のハイデッガーの愛読者らしく、自己との会話となつてゐます。自己といふ一番親しい者との対話。「一種夢のやうな、儚い、一瞬の美に関する夢想」。その憧憬と夢想は、「さう言葉で呼び、言ひ表す以外にはない、それ以上でも其れ以下でもない命である」。「その命の一瞬の美は、「いつまで/見てゐても」、名前の変はることなく不変である」。その美の名前の在る「いつまでも際限のない地平線」へのあこがれは、「人のこころの中で知られてゐる、普段は意識しないが、何かがあればふと当たり前の、自明のことのやうに、人々の共通の記憶として意識に浮かび、思はれる、そのやうな場合の事実の言葉である」。
さうして、このやうに思ひながら眺める車窓には、その地平線は現はれない。何故なら、この車窓の窓は、15歳の詩『凶ごと』[註5]に歌つた窓ではないから。三島由紀夫が詩人としてゐられる部屋の高みの窓は、地上では空間的に動いてはいけないのでありませう。それは、上に引用したやうに「時間の地平線(ホリツォント)」になければならないのでせう。しかもまた、それ故に、上の独白の段落の次には、
「 岡野は旅には妻子や子女を連れ歩いたことはない。それでは物事が、「たまたま」にならないからだ。いかにも恰好な時恰好な場所に、精妙に居合わせるには、一人でなければならない。」
と続けて書かれるのです。
「凶ごと」は、必然的に起こるのではなく、「たまたま」自分の意図とは無関係に、偶然に起こらねばならない。そのやうに生活を工夫しなければならないのです。そのやうな凶ごとは、塔の高みの窗(まど)から眺めなければやつて来ない。必然に対する三島由紀夫の此の偶然に関する考察は、稿を改めて論じます。
[註5]
傍線筆者。
「凶ごと
わたしは夕な夕な
窓に立ち椿事(ちんじ)を待つた、
凶変のだう悪な砂塵が
夜の虹のやうに町並みの
むかうからおしよせてくるのを。
枯れ木かれ木の
海綿めいた
乾きの間(あひ)には
薔薇輝石色に
夕空がうかんできた……
濃(のう)沃度丁幾(ヨードチンキ)を混ぜたる、
夕焼の凶ごとの色みれば
わが胸は支那繻子(じゅす)の扉を閉ざし
空には悲惨きはまる
黒奴たちあらはれきて
夜もすがら争ひ合ひ
星の血を滴らしつゝ
夜の犇(ひしめ)きで閨(ねや)にひゞいた。
わたしは凶ごとを待つてゐる
吉報は凶報だつた
けふも轢死人の額は黒く
わが血はどす赤く凍結した……。
(『Bad Poems』、決定版第37巻、400~401ページ)」
此の詩については、更に詳細に論ずべきことが幾つもありますので、これは稿を別に改めます。
この『凶ごと』と同じ主題の詩を含む詩に、次のやうな詩があります。
1。『枯樹群』(決定版第37巻、368ページ)
2。『鎔鉱炉』(決定版第37巻、396ページ)
3。『古代の盗掘』(決定版第37巻、720ページ)」
II 何故双葉竜胆の胴をつけたまま国分次郎は裏山で死んだのか
概念の連鎖を辿つて、話が遠いところまでに至りました。しかし、いづれの話も同じ一つのことを語つてゐるのです。
双葉竜胆の話に、「恒(つね)に在つた」話に帰還致しませう。
「恒(つね)に在つた」といふ事、これが何故この小説の最後に主人公が唐突に裏山といふ詩人の高みで、主人公の原因と結果の因果律とは全く無関係に、唐突に死ぬのか、否「既にして」死んでゐるのかと言ふことの最初で最期の理由なのです。
この話の主人公の死ぬ場所は、『花ざかりの森』の初めと終わりで其の話者たる主人公がのぼる裏山の高みなのであり、国分次郎が「既にして」死んでゐるのは、そこが詩の世界であるからです。
それ故に、また此の結末の故にも、この小説の初めには、上に掲げた双葉竜胆の紋章の図柄のことが言及されねばならなかつたのです。
この小説を三島由紀夫は、この結末から書き始めたと言つても良いのです。
このやうに、既に『三島由紀夫の十代の詩を読み解く26:イカロス感覚6:呪文と秘儀』で明らかにしましたやうに(http://shibunraku.blogspot.jp/2015/10/blog-post_18.html)、さうしてこの話もさうであるやうに、三島由紀夫の作品の出だしの一行は、実に重く、充溢してをり、三島由紀夫といふ人間の生命そのものの凝縮なのです。[註1]
[註1]
言葉の意味の凝縮のことを、三島由紀夫の知悉してゐるドイツ語で、Dichtung(ディヒテゥング)、即ち、詩といふことは、『三島由紀夫の十代の詩を読み解く14:三島由紀夫は何故詩人であるのか、それはどのやうなことであるか、詩人とは何か』でお話しした通りです。(http://shibunraku.blogspot.jp/2015/09/blog-post_9.html)
さて、この話の主人公の最後に死ぬ場所は、『花ざかりの森』の初めと終わりで其の話者たる主人公がのぼる裏山の高みなのであり、国分次郎が「既にして」死んでゐるのは、そこが詩の世界であるからです。
『花ざかりの森』でも、詩人の生命を保証し保障する裏山の高み、高台が、その話の初めと終わりに出てくるのと同様に、この小説に於いても、「その一」といふ最初の章で、「面!面!面!面!」といひ、「めん!めん!めん!」といふ剣道の懸け声を、即ち、三島由紀夫が幼年時代より感じてやまない言葉の繰り返しの時間的差異に覚える美と叙情を丹念に描いた後に、「その二」の章で、やはり裏山を書き、そこで詩の世界を現出せしめるのです。[註2]
この小説を読みますと、この繰り返しと時差のことが、生理的な掛け声の発声とともに、三島由紀夫に美感をもたらし、そして同時に肉体を鍛えることになるといふ、文と武とが一つになつた武道であるといふ事が、よくわかります。
[註2]
田中美代子さんより戴いた『三島由紀夫短編小説 三島由紀夫研究15』所収の佐藤秀明氏の『「剣」論---「思想」を生きる人---』(同誌、23ページ)によれば次のやうに三島由紀夫は述べてをります。
「かつて若かりし日の私が、それこそ頽廃の条件と考へてゐた永い倦怠が、まるで頽廃と反対のものへ向つて、しやにむに私を促すのに私は驚いてゐた。(中略)私は剣道に凝り、竹刀の鳴動と、あのファナティックな懸声だけに、やうやう生甲斐を見出しいてゐた。そして短編小説「剣」を書いた。」(「二・二六事件と私」)
また、次のやうにも言つてゐます。
「嘘ではなく、そのかけ声(剣道のかけ声--引用者)が私は心から好きになつた。これはどういふ変化だらう。
思ふに、それは私が自分の精神の奥底にある「日本」の叫びを、自らみとめ、自ら許すやうになつたからだと思はれる。この叫びには近代日本が自ら恥ぢ、必死に押し隠さうとしてゐるものが、あけすけに露呈されてゐる。それはもつとも暗い記憶と結びつき、流された鮮血と結びつき、日本の過去のもつとも正直な記憶に源してゐる。それは皮相な近代化の底にもひそんで流れてゐるところの、民族の深層意識の叫びである。このやうな怪物的日本は、鎖につながれ、久しく餌を与へられず、衰へて呻吟してゐるが、今なほ剣道の道場においてだけ、われわれの口を借りて叫ぶのである。」(「実感的スポーツ論」読売新聞夕刊、昭和39年10月5、6、9、10、12日)
この引用を読みますと、三島由紀夫の最晩年のエッセイと論文3つ、即ち『文化防衛論』『日本文学少史』『太陽と鉄』は、一体として読まれるべきものだと、益々私には思はれる。
「その一」を読みますと、三島由紀夫は、このやうに、剣道には懸け声といふ発声のある事から、実際に肉体を使つた実感としての生理的な美と叙情を覚えてゐた事がわかりますし、何故三島由紀夫が43歳で16歳の詩『理髪師』を改作して、文武の統一を図る事ができたのかが、よくわかります。
何故、この「その一」といふ最初の章が必要であつたのか。それは、三島由紀夫の詩の世界でありますから、次のやうに、この道場でいふ「面!面!面!面!」といひ、「めん!めん!めん!」といふ繰り返し(「その一」)、また「ヤア!」「トウ!」「どうした!どうした!」「そら来い!」といふ繰り返し(「その五」)、また「一、二!、一、二!」といふ訓練で走るときの懸け声や、腕立て伏せの懸け声である「十五、十六、十七、十八……」や、「二十五、二十六、二十七、二十八、……」、「三十五、三十六、三十七、三十八、……」、「四十五、四十六……」(「その五」)といふ数字を数える懸け声が[註2]、もつと正確にいへば、それらの懸け声の間にある時差が、その詩の世界を招来するからです。
[註2]
『三島由紀夫の十代の詩を読み解く10:イカロス感覚1:ダリの十字架(2):6歳の詩『ウンドウクヮイ』』の[註1]から引用して、三島由紀夫にとつての数字の繰り返しの意味をお伝へします。:
「(5)独特の数の数え方、即ち、最後から数えて、その最後の数を勘定に入れて、下る(降順の)数を数えること。即ち、数を勘定するときに、一番最後から引き算をして勘定するといふこと。[註1]更に、このことから即ち、
(6)最初に最後を考えた事
[註1]
『研究』といふ15歳の詩の最後の一行は、「老博士」が「時間と数がずれるのを、耳にされるのである。」(決定版第37巻、564ページ)とあり、同時に此の博士は生きながらに「御自身の顱頂骨(ろちやうこつ)から蹠(あなうら)へ、一本の鉄の焙棒(あぶりぼう)をつきさして」ゐる死者として歌はれてをり、また同様の主題で『美神』という短編小説にも、やはり「R博士」が、自分しか知らぬ数字の秘密の差異が、時間の中で意味を持つてゐると密かに思つてゐたにもかかはらず、話の最後に其れが否定されることによつて悶死するといふ話である。
また『近代能楽集』の中の『道成寺』にも、衣裳戸棚の競(せ)りの値段が、時間の中で時間とともに終局(最後)に向かつて数字が列挙されてゆくといふ比較的長い科白のやりとりがある。
決定版第37巻の詩群には、これらの他にも、雪の降り積む丈の数字を挙げてあるとか、その他数字と時差といふ主題と動機は幾つも歌われてゐる。三島由紀夫は、数字を列挙してゆくときに、その数字と数字の(時間の中での)差異に美と叙情を覚えるのです。」
それ故に、この剣道場では、主人公は次のやうに独白できるのです。やはり窓といふ言葉の出てくることにご留意ください。窓が如何に、三島由紀夫にとつて大切な詩人の高みを保証し保障したか。しかも、この地上の低い平面にあつて、詩人の高みを保証し保障してくれた其の場所が剣道場であり、剣であるといふ事に。:
「 壬生はそんなに息を切らし、そんなに激しく動きまはつてゐるにもかかはらず、彼の面や籠手や胴に、まるでそれと明記したビラをぶら下げたやうに、明白な隙をぶら下げてゐる。
それはぽつかりと空中にあいた、時間の停止してしまつた白い窓だ。その白い窓が壬生の頭上にありありと見える。気張つた右手の籠手にありありと見える。そこへ次郎の剣はらくらくと入つて行く事ができる。」(「その一」、傍線筆者)
III 何故裏山で「凶ごと」が起こるのか
さうして、双葉竜胆の此の武道の繰り返しの後に、詩の世界たる、夏の合宿の宿の裏山といふ高みの詩の世界が立ち現れるのです。
それは、「その二」に至つても尚、「一、二、三、……」と「三百回の素振り」を主人公が繰り返した後に「稽古着に竹刀を提げたまま、道場の裏手へ出て、大学のキャンパスの北端に当たる裏山へのぼ」り、従ひ、そこには、必然的に偶然として、この世界で、主人公は、鳩と百合といふ十代の三島由紀夫の詩の大切な形象に出会ふのです。
私が「必然的に偶然として」と書いたのは、詩の世界の現出する直前には、やはり上に言及した十代の詩『凶ごと』と同じ此の予感がなければ、三島由紀夫の詩の世界は始まらないからなのです。それは、次の箇所です。:
「 彼はさうして何を待つてゐたわけでもない。晴れた空とものうひ雲の幾片(ゐくひら)を見た。工場地帯からは、瀰漫する低い響きのあいだに、縫針のやうに光つて、自動車の警笛がときどききこえる。彼はなんだか壮麗な瞬間の近づくのを感じてゐた。それは何だかわからない。しかし何か自分が、否応なしに一つの勇敢な行為の物語に織り込まれようとするその気配。むかしの剣客なら、それを殺気と呼んだらう。
銃声が耳もとをかすめた。」
この、三島由紀夫の偶然と必然に関する詩想については、『絹と明察』で岡野がハイデガーについて考へる、上に引いた同様の言葉を思ひ出して下さい。『剣』は『絹と明察』に連絡してゐるのです。
「凶ごと」は、必然的に起こるのではなく、「たまたま」自分の意図とは無関係に、偶然に起こらねばならない。そのやうに生活を工夫しなければならないのです。この工夫が、日本古来の武道であり、その一つである剣道なのです。そのやうな凶ごとは、塔の高みの窗(まど)から、この場合には、裏山の高みで、眺めなければやつて来ない。さうして、主人公は既に地上といふ低い平面にある筈の剣道場で其のやうな高みの窓を自分のものとしてゐる。それが剣道である。
『凶ごと』といふ詩を大文字で表に出して、改めて、読んでみませう。次のやうな詩です。勿論、窓は窗(まど)であり、高みにあつて外界を眺める高窓、『絹と明察』でいふならば、繰り返し描かれる、あの彦根城の天守閣の窗に同じです。
「凶ごと
わたしは夕な夕な
窓に立ち椿事(ちんじ)を待つた、
凶変のだう悪な砂塵が
夜の虹のやうに町並みの
むかうからおしよせてくるのを。
枯れ木かれ木の
海綿めいた
乾きの間(あひ)には
薔薇輝石色に
夕空がうかんできた……
濃(のう)沃度丁幾(ヨードチンキ)を混ぜたる、
夕焼の凶ごとの色みれば
わが胸は支那繻子(じゅす)の扉を閉ざし
空には悲惨きはまる
黒奴たちあらはれきて
夜もすがら争ひ合ひ
星の血を滴らしつゝ
夜の犇(ひしめ)きで閨(ねや)にひゞいた。
わたしは凶ごとを待つてゐる
吉報は凶報だつた
けふも轢死人の額は黒く[註3]
わが血はどす赤く凍結した……。
(『Bad Poems』、決定版第37巻、400~401ページ)
[註3]
轢死人もまた、三島由紀夫の十代の詩によく出てくる形象です。轢死人はいつも十字路に死んで横たわつてをります。『三島由紀夫の十代の詩を読み解く10:イカロス感覚1:ダリの十字架(2):6歳の詩『ウンドウクヮイ』』より引用してお伝へします。(http://shibunraku.blogspot.jp/2015/08/blog-post_26.html):
[以下に、決定版第37巻に十字、十字形、十字架、交差点など、総てこれらを両極端の切り結ぶ差異と云ふならば、明瞭に表立つてまた一見隠れてしかし露わに此の差異の形象の出てくる詩を、思ひつくままに列挙して、後日此の形象を、また此の形象との関係で別の三島由紀夫の主題と動機を、詳細に論じるための備忘と致します。
十字の交差点の形象の他にも、繰り返しそのものは、三島由紀夫の詩には、無数に無数に出て参ります。いや、十字の交差点は、上のやうに繰り返しの交点であると考へれば、ダリの十字架もまた静寂の時間の無い空間の中の繰り返しの形象であるのです。その他にある無数の、繰り返しによつて生まれる交差点の言葉が、さうであるやうに。
安部公房ならば、ザイン(存在、Sein)の十字路に立つてゐると、間違いなく言ふところです。
以下ページ数は、その形象の出てくる決定版第37巻のページ数です。細かく拾いますと、まだ他にもあることは間違いありません。
1。『ウンドウクヮイ』:17ページ:6歳
2。『高庇塚塋歌(かうひちようえいのうた)(長編叙事詩)』:135ページ:12歳
3。『桃葉珊瑚(あをき)《EPIC POEM》』:207ページ:13歳
4。『三 十字路の吐息』:286ページ:13歳
5。『独白 廃屋の中の少女』:296ページ:14歳
6。『誕生日の朝』:328ページ:14歳
7。『風と私』:330ページ:14歳
8。『美の五つの二行詩』:338ページ:14歳
9。『轢死 《モンタアジュ型式》』:472ページ:15歳
10。『風の日 〈童謡〉』:475ページ:15歳
11。『さびれた愛へ』:503ページ:15歳
12。『研究』:564ページ:15歳
13。『石切場』:566ページ:15歳
14。『美神 古典の形を借りて』:588ページ:15歳
15。『馬』:691ページ:16歳」
さて、この話の主人公の最後に死ぬ場所は、『花ざかりの森』の初めと終わりで其の話者たる主人公がのぼる裏山の高みなのであり、国分次郎が「既にして」死んでゐるのは、そこが詩の世界であるからです。
それ故に、『凶ごと』の詩では、最後の連で、「けふも轢死人の額は黒く」と、轢死人が歌はれてゐるのです。
この轢死人と自分がなるといふ其の「凶ごと」の起きる予感、「何か自分が、否応なしに一つの勇敢な行為の物語に織り込まれようとするその気配。むかしの剣客なら、それを殺気と呼んだらう」予感の後に、「「たまたま」自分の意図とは無関係に、偶然に」、しかし、私の言ひ方で云へば、「必然的に偶然として」、「吉報は凶報だつた」といふ事件が起きるのです。
それが、詩の世界である裏山を書いた「その二」で起きた事件、即ち鳩の死なのです。
あの『花ざかりの森』の最後に語られる、生の充実の究極の姿をした静謐の独楽が、国分次郎だと思つても良いでせう。
従ひ、詩人である主人公は、この高みの世界で、「必然的に偶然として」鳩の死といふ「凶ごと」に直面するのです。
IV 何故国分次郎は「詩の罠」に嵌らずに山を降りることができたのか
さうして、この詩と死の裏山から無事下山するには、百合の花が必要なのです。何故ならば、鳩と百合とは、三島由紀夫の十代の詩に歌われる素材であり、動機であり、形象であるからです。
この『剣』といふ作品の此の場面の鳩と百合を見る限り、前者は死であり、後者は再生(蘇生)でありませう。[註4]
[註4]
以下に、それぞれの言葉の出てくる詩の名前を挙げます。
1。鳩
(1)『古城』:詩集『HEKIGA』:12歳:決定版第37巻、103ページ
(2)『つめたきもの・あたゝかきもの』:詩集『聖室からの詠唱』:13歳:決定版第37巻、250ページ
(3)『四 薔薇、百合、鳩、日 訳詩』:13歳:詩集『聖室からの詠唱』:決定版第37巻、281ページ
(4)『黄昏に来た女』:詩集『公威詩集 I』:14歳:決定版第37巻、349ページ
(5)『春から……』:詩集『Bad Poems』:15歳:決定版第37巻、386ページ
(6)『病床にて 寂しい地獄の音たち』:詩集『公威詩集 II』:15歳:決定版第37巻、449ページ
(7)『囁きたち』の序詩:詩集『公威詩集 II』:15歳:決定版第37巻、463ページ
(8)『悲愴調』:詩集『公威詩集 II』:15歳:決定版第37巻、482ページ
(9)『ものみなかへる』:詩集『無題ノート』:15歳:決定版第37巻、548ページ
(10)『生まれた家 長いながい昔話』:詩集『無題ノート』:15歳:決定版第37巻、555ページ
(10)『松の芽は……』:詩集『無題ノート』:15歳:決定版第37巻、571ページ
(11)『森はのどかに……』:詩集『公威詩集 IV』:16歳:決定版第37巻、656ページ
(12)『狂人の耽溺』:詩集『公威詩集 IV』:16歳:決定版第37巻、687ページ
(13)『詩人の旅』第三章:詩集『拾遺詩篇』:19歳:決定版第37巻、733ページ
2。百合
(1)『四 薔薇、百合、鳩、日 訳詩』:13歳:詩集『聖室からの詠唱』:決定版第37巻、281ページ
(2)『小曲 第十番』:16歳:詩集『公威詩集 IV』:決定版第37巻、677ページ
(3)『風の抑揚』:16歳:詩集『公威詩集 IV』:決定版第37巻、682ページ
(4)『バラァド a Mille. K. Milani』:20歳:詩集『拾遺詩篇』:決定版第37巻、748ページ
(5)『オルフェウス』:16歳:詩集『拾遺詩篇』:決定版第37巻、751ページ
武道の若者として此裏山に登りながらも、武辺の者として文藝の、言葉の精華たる詩の世界にありながらも、それにもかかはらず、武の者のままに「-----かうして彼はかずかずの詩の罠の中を、それと知らずに、悠々と通り抜けた。すなはち、血に濡れた鳩と、森の日ざしと、勝利者の頬にゆくりなくも飛び散つた返り血と、深い藍いろの稽古着と、枯れた白百合と、これらのものが寄つてたかつて、彼のために用意した罠の中を」通り抜けるのです。
何故ならば、主人公は既に地上といふ低い平面にある筈の剣道場で「時間の停止してしまつた白い窓」「そこへ次郎の剣はらくらくと入つて行く事ができる」からです。其のやうな高みの窓を自分のものとしてゐる。それが剣道であるからです。
「時間の停止してしまつた白い窓」「そこへ次郎の剣はらくらくと入つて行く事ができる」とは、十代の詩の存在する高い塔の上の窗(まど)から外の世界を眺めるのではなく、それとは丁度正反対に、現実の世界から窗の中へ、即ち詩の世界へと入つて行くことができる道、これが剣道といふ道であることを示してをります。
三島由紀夫にとつて、この方面から考へてみても、やはり文武両道の道であつたのです。
それ故に、主人公は、「かずかずの詩の罠の中を、それと知らずに、悠々と通り抜けた。」しかし、また、今度は、現実の武道の世界を領してゐた筈の自分の定めた規則と道徳が、即ち自分の絶対命令が、「「……したい」などといふ心はみな捨てる。其の代わりに、/「……すべきだ」といふことを自分の基本原理にする。さうだ、本当にさうすべきだ。」(「その二」)といふ思ひが、命ぜられたものたちによつて破られたがために、最後にそこで、このやうな消極的な理由で、しかし現実に裏切られて、そのやうな自分の意志で、裏山の高みの詩の世界へ戻つて、最初は太陽の照る昼間に無垢のまま通り抜けることのできた数々の詩の罠の中で、最後は詩の罠の最たるものである夜の中で、即ち詩の世界で死なねばならなかつた。
夜もまた、十代の詩に頻出する言葉であり、三島由紀夫の詩を生み出した概念であり、また現実の時間であることは、いふまでもありません。恐らく三島由紀夫は夜に執筆したのではないでせうか。
さうしてまた、主人公が最初の場面で遭遇する詩の罠、即ち此処に書かれて列挙されてゐる通りに、鳩、森、日ざし、勝利者、頬、血、藍色といふ色、百合の花、これらのものは皆、三島由紀夫の十代の詩に歌はれてゐる、三島由紀夫の詩の世界の言葉であり、その形象です。
武辺の者は、これら詩の形象の中を傷つけられることなく、即ち『太陽と鉄』にある三島由紀夫の言葉を借りて言ひ換へれば、「言葉が現実を蝕むその腐食作用」[註4]を言葉から全く受けることなく、下界へと、その「太陽」[註5]の道場へと降りて行くのです。
[註4]
何度引用しても引用し過ぎることのない、三島由紀夫の掛け値のない言葉を『太陽と鉄』の最初の箇所より引用します。これは、三島由紀夫と言語(言葉)の関係を語る此の詩人の率直真性なる吐露の言葉なのです。:
「つらつら自分の幼時を思ひめぐらすと、私にとつては、言葉の記憶は肉体の記憶よりもはるかに遠くまで遡る。世のつねの人にとつては、肉体が先に訪れ、それから言葉が訪れるのであらうに、私にとつては、まづ言葉が訪れて、ずつとあとから、甚だ気の進まぬ様子で、そのときすでに観念的な姿をしてゐたところの肉体が訪れたが、その肉体は云ふまでもなく、すでに言葉に蝕まれてゐた。
まづ白木の柱があり、それから白蟻が来てこれを蝕む。しかるに私の場合は、まづ白蟻がをり、やがて半ば蝕まれた白木の柱が徐々に姿を現はしたのであつた。」
[註5]
「その五」に次のやうに、道場での主人公の姿が書かれてをります。:
「 道場の次郎は、荒れ狂ふ神のやうな存在で、すべての稽古の熱と力が彼から周囲に放たれて、周囲に伝播してゆくかのやうだ。その熱と力を、おそらく彼は、少年時代に見つめたあの太陽から得たのである。
またそれは確信だつた。誰が道場における次郎のやうな確信の美しい塊りになることができただらう。」
V 三島由紀夫の詩の世界で鳩の形象は何を意味するのか
まづ鳩について、次に百合について見てみませう。
『古城』では、鳩は、次のやうに歌はれてゐます。:
「鳩は、
寺の軒に帰つて行つた。
然し、鴉は、
遥かな森の彼方へ飛んで行つた。」
これを見ますと、鳩は寺といふ、寺院といふ神聖なる建物へと帰るのに対して、鴉は遥かな森へと帰るといふ。
この話者は、この箇所では、寺の傍にゐるのでせう。さうして、鳩は神聖な寺院に帰還する。他方、鴉は、それとは別に遠い森、そこは神聖なる世界とは別の森の世界があるのでせう、そのやうな世界へと帰つて行く。
『つめたきもの・あたゝかきもの』では、
「狢(むじな)の穴
鳩の胸」
と歌はれてゐて、狢は地下に棲む、鳩は空を飛ぶ、狢の世界は凹、鳩の胸は凸といふやうに対称的・対照的に歌はれてをります。鳩の胸は、やはり丸みを帯びてゐて、楕円形をしてゐて、三島由紀夫には美しいものとして、その目に映つたのでありませう。
『四 薔薇、百合、鳩、日 訳詩』は、ドイツの詩人ハイネの訳詩です。
「薔薇、百合、小鳩、太陽を、
われ、過ぎにし日愛でしかも、
現在(いま)たゞ一途恋ふるなり、
いとけなく、将(は)た、うつくしき、
清き一人の乙女子を。
君よ、汝はもろもろの
愛の泉ぞ。----薔薇と百合
太陽は君なれや、また鳩も。」
とありますので、この詩では、鳩は太陽であり、百合は薔薇と同じく愛の源泉と歌はれてをります。
前の詩の「鳩の胸」の丸い曲線の胸の美しさに通ずるものがあります。さうして、その美しさは、神聖なる場所にある。
(鳩は死しても薔薇の愛で蘇る。国分次郎は死しても、薔薇の愛で蘇ると言ひ換えたい位です。何故ならば、三島由紀夫の詩では、薔薇はよく百合と一緒に歌はれるからです。)
『黄昏に来た女』では、鳩を一人の女に譬えて、詩人は次のやうに女に命ずるのです。:
「翼をおひろげなさい。
さあ飛ぶのです。
はげしい羽搏きを……
――ところで女はわたしの、
両手のうちで、
一羽の冷たい鳩のなきがらとなつた。」
前の連の「……」といふ記号は、話者の追想追憶を意味してをりますから、この記号の後に来るのは、追想追憶の思ひです。さうして、現在から過去を振り返つて、その時差たる思ひ出の中に我が身を置いてみたところが、どうなつたか。
破線の「……」に対して、実線の「――」は、事実をあらはしますから、事実の問題、即ち現実として、鳩たる美しい女性は「一羽の冷たい鳩のなきがらとなつ」てしまつてゐたといふのです。[註6]
この詩は、そのまま「女」を「男」に替え、いやもつと「国分次郎」に替えたならば、そのまま国分次郎の裏山での、怒りと鳩に対する殺意の説明になるでありませう。
[註6]
三島由紀夫の使用する記号については、次の考察をお読みください。
1。『三島由紀夫の十代の詩を読み解く11: イカロス感覚2:記号と意識(1):「………」(点線)』:http://shibunraku.blogspot.jp/2015/09/blog-post.html
2。『三島由紀夫の十代の詩を読み解く16:イカロス感覚2:記号と意識(6):「《 》」(二重山括弧)』:http://shibunraku.blogspot.jp/2015/09/blog-post_21.html
3。『三島由紀夫の十代の詩を読み解く17:イカロス感覚2:記号と意識(7):「『 』」(二重鍵括弧)』:http://shibunraku.blogspot.jp/2015/09/blog-post_86.html
『春から……』では、
「草色に草にむれてる丘陵
(略)
だれも訪ねてこないのは
はつきりわかつてゐるんだが……
わたしの鳩
わたしの出窓、
(略)」
とあるやうに、やはり鳩もまた丘陵といふ小高い場所、高みの場所に、即ち詩の世界にあつて、さうして窓に縁語として歌はれてゐます。
三島由紀夫にとつては、神聖なる鳩は窓(といふ裏山の上の高台の詩の世界)と一対になつてゐることがわかります。『剣』といふ剣道の小説に何故その裏山に鳩が凶事の予感とともに登場するのか、その必然がわかりませう。
『病床にて 寂しい地獄の音たち』では、病床にあつて聞こえて来る様々な音を様式化して列挙し、その本題の詩の後に、心中の独白であることを、やはり記号の「( )」を使つて示し、次のやうに歌ひます。
「(あなたは今日も訪れず
わが病ひの日脚は倦(ものう)い
寂寞の抱擁のうちに
わたしをつきおとす
これらの音々。
みんなさびしい
ひとりぼつちの
地獄の鳩のやうだつた。)」
これを読みますと、やはり、三島由紀夫の詩の世界は、訪れるといふ言葉は、窓と連語であり、従ひ、
鳩(窓、訪れ、寂寞(静寂や静謐)、孤独)
と一連なりになつてゐることがわかります。
この詩で、自分が「地獄の鳩のやう」なのは、周囲の音に堪えかねるからであり、三島由紀夫の求めるものは、静謐であることがわかります。
鳩は静謐の中に生き、飛んでゐる。
としてみれば、鳩は、やはり裏山での凶事の予感とともに登場するのが相応しい。その裏山の静謐と静寂を破るのが、「凶ごと」、即ち「次郎と大して年齢のちがはない若さの、愚かしい体臭だけ」の、空気銃を持つた「五、六人の若者」なのです。この裏山の静謐と静寂を破つたことに対して、主人公は最初の怒りを覚える。二つ目の、それに続く鳩への殺意に転ずる怒りが、何故生まれるかは、上の『黄昏に来た女』のところで、三島由紀夫の十代の詩の解釈の一つとして示した通りです。
『囁きたち』の序詩では、
「囁きたちは一つ一つの小さい詩
月夜にとんだ白磁の鳩」
とありますやうに、やはり「囁き」とあるやうに、鳩は静謐と静寂の鳥として、それも夜に飛ぶ鳥として、しかし黒白の対照として「白磁の鳩」として夜目にも著(し)るき鳥として歌はれてをります。さうしますと、更に概念連鎖は、夜を加へて、次のやうになりませう。
鳩(窓、訪れ、寂寞(静寂や静謐)、孤独、夕暮、凶事、夜)
『悲愴調』では、
「やはらかい春先の空は、塵芥(ほこり)にまぶされてゐた、
街々にきいろい霧は立ちこめ……
砂に息をつまらせて、くるしい声で鳩がなく
翼(はね)もななめに。」
とありますので、やはり此の鳩もまた「……」といふ追想追憶の中にあつて、この詩では騒音ではありませんが、しかし塵芥の霧に立ち籠められて、苦しい声で鳴いてゐる。
『ものみなかへる』では、『古城』といふ最初の詩と同様に、
「杉木立ちと雲
道を登りつめると
火の見の煉瓦いろの屋根と
櫓(やぐら)がせり上がつた
(略)
わたしの郷愁も かへつてくるらしい
あなたの思ひも やがてかへるだらう
鳩のやうにやさしく羽搏き長ら
あなたの心の 白い鳩舎(きうしや)へ」
とありますから、やはり郷愁は鳩に譬えられてゐて、神聖な場所である鳩舎のある「道を登りつめた」「火の見櫓」の高みへ、故郷へ、寺院の軒先へ、詩の世界へと帰つて来るのです。
同じやうに、老小使の「塵芥車は小径の上をゆるゆると去る」のに対して、国分次郎は「伝書鳩部の鳩舎への道を辿」り、山を降りて、剣道場といふ故郷へ、寺院の軒先へ、詩の世界へと帰つて来るのです。
同じやうに、老小使の「塵芥車は小径の上をゆるゆると去る」のに対して、国分次郎は「伝書鳩部の鳩舎への道を辿」り、山を降りて、剣道場といふ故郷へ、寺院の軒先へ、詩の世界へと帰つて来るのです。
『生まれた家 長いながい昔話』では、
「(略)せまい空と、ときどき寺のはうへ翔(か)けてゆく鳩が曇つてみえ……きいろい畳の茶の間よ、高窓からおぶつてもらつて覗くとそとは……(略)納戸には長持ねむり、その上にのつてのぞけば窗(まど)からは、お寺の甍、小さい杜(もり)、ふしぎなあかるさで光つている夕ぐれ時の町の屋根々々、(略)」
とあるのを見れば、鳩は、いつもお寺、高窓(窗)、覗き、納戸(『太陽と鉄』でいう機密室)、眠り(といふ追想追憶)、同じ形象の繰り返しの形象である甍、そして森(杜)、(凶事の起こる)夕暮れ時が一式になつてゐることがよくわかります。
さて、もう少しです。
『松の芽は……』は、短いこれだけの詩ですが、
「松の芽は一本気だ
あゝ小窗(こまど)の額絵よ
陋巷に一羽の鳩
わたしのひたひに汚された嘆きを。」
とあり、これを読みますと、
汚れた巷(ちまた)である「陋巷」に、鳩もまた汚れてゐる。それは、神聖なる高みの窓である窗のこちら側の詩の部屋にゐるのではなく、窗の向かうに額縁の景色となつてゐる向かうにゐるからだ。
それも、一羽でゐますので、やはり、上で見たやうに、孤独の鳩なのです。
「松の芽は一本気だ」といふ一本気の松の芽とは、これから一本気に成長して行かうといふ15歳の三島由紀夫自身のことでありませう。
『森はのどかに……』では、
「館は池に映つてゐる
萍(うきくさ)のおくにひらく窗(まど)へ
なにか白いものが凭(よ)つてゐる
とびださうとする鳩のやうに」
やはり、鳩(窗(高窓)、館(高い建物)、白い色)は一式なのです。
しかも、館といふ高みのある建物は、池に映つてゐて、現実の反転した世界にあるのです。従ひ、上の『囁きたち』の序詩で見たやうに、高みの塔の頂上にの窗のある部屋の中の静謐な空間は、現実の反転した世界であるといふことになります。しかし、これは「陋巷」から見れば倒錯といはれることになりませうとも、それは倒錯では全くなく、三島由紀夫といふ詩人にとつては「陋巷」こそが倒錯した世界なのです。[註7]
[註7]
澁澤龍彦責任編集の『血と薔薇』創刊号に『All Japanese are perverse』といふ三島由紀夫のエッセイがある。これは若いアメリカ人の同じ此の言葉に触発されで、全く其の通りだといふ事から論じた、性を中心に論じてをりますが、しかし実はいひたいことは、日本人の「二元的論的思考」が如何に薄弱かといふ論なのです。
これらの十代の詩を眺めても、三島由紀夫の思考は二元論的思考の強烈なものであることがわかりませう。この論理で総ての作品を書いたのです。三島由紀夫の読者は皆、この論理を生活の中に求めて生きたいと願つてゐる人達でありませう。
さて、あと二つ。
『狂人の耽溺』をみませう。この詩は大変興味深い詩で、様々な主題を既に孕んでをります。16歳の時の詩でありますが、既に同じ年齢の『理髪師』や32歳の時の改作『理髪師の衒学的欲望とフットボールの食慾との相関関係』をその中に含み、更に最晩年の小説『奔馬』に通じる馬の形象も歌はれてをり、このことから言へば、『馬とその序曲』その他の馬の出てくる詩篇にも大いに通じてをります。ここでは、鳩の形象のみを引用します。
「己には壁が、キリストの断末魔の額に見えた
狂つた聖鳩(はと)は汚汁に染まつたのだ
――己は夕焼の不吉な空を舐(な)めた
赤い鏡に舌が映つた」
これを見ますと、
鳩(窗(高窓)、館(高い建物)、寂寞(静寂や静謐)、孤独、訪れ、(夕暮、凶事)、夜、白い色))
といふ概念連鎖が、三島由紀夫の詩には、あることがわかります。
さうして、高みの塔の軒下を離れ、窓の向かうの陋巷に行き、汚汁に染まると、聖なる鳩は狂ひ、狂気に陥るのです。これが三島由紀夫の鳩です。
その事件と同時に、間を置かずに、夕焼けが在り、「赤い鏡に舌」を映して、殺人者としての蛇、あの「理髪師」が登場するといふ訳です。[註8]
[註8]
「理髪師」については、『三島由紀夫の十代の詩を読み解く25:二人の理髪師』で、また此の『剣』といふ小説との関係では、文武両道とは三島由紀夫の詩の世界では何であつたのかを詳細に論じましたので、お読みください。:http://shibunraku.blogspot.jp/2015/10/blog-post_4.html
最後の『詩人の旅』第三章では、どうでせうか。この詩もまた一覧すれば直ちに、三島由紀夫の文学の様々な重要な主題を内蔵してゐる詩であることがわかります。それを19歳の三島由紀夫は12章に仕立てて歌つた。しかし、この詩の全体を論ずるのは後日とし、相変わらず、焦点を絞つて、鳩のことに集中します。
「雲の翳ゆたけき園の桔梗(きちかう)はいかにありや。
花摘むは帰帆のため、と嘗(かつ)て言ひて
君、秋の籬(まがき)にみいでしは何花。
君、鳩に物言はむと手さしのべし時
その鳩の片影だに無し、
君、菊採らむとて籬に近く歩みけるに
はや散りはてて跡だに無し、といへることあり。
否、喪失を失へる者まことに知れり。
物そこに在るとき
既に花咲ける也」
「鳩に物言はむと手さしのべし時/その鳩の片影だに無し」といふのですし、その次の一行「君、菊採らむとて籬に近く歩みけるに/はや散りはてて跡だに無し」といふのですから、普通に考へれば、何か虚しいことのやうに思ひますが、この話者はさうではないといふのです。
これがさうではないのは、この話者が「喪失を失へる者」と再帰的な動詞と名詞(目的語)で表現されているやうに、話者は再帰的な人間であつて、且つ何らかの喪失を経験してゐる者であるからだといふのです。
この三島由紀夫といふ再帰的な人間の喪失が何であつたかは、15歳の詩『少年期終をはる』が、その謎を解く鍵となる詩であると、私は考へてをります。
VI 三島由紀夫の詩の世界で百合の花の形象は何を意味するのか
さて、次は、百合の花です。
『四 薔薇、百合、鳩、日 訳詩』。これは、鳩も歌はれてゐる、ハイネのドイツ語の詩の訳詩であつて、原文のドイツ語と並んで訳が続いてゐるものの、これは、三島由紀夫が13歳の時に、おそらくは引き写した詩であらうと思ひます。ドイツ語を学ぶのは17歳の学習院高等科(文科乙類)になつてからです。しかし、自分で訳したのかも知れないといふ可能性も捨てきれません。何故ならば、13歳の時に『A Certain Country』といふ英詩を自分で書いて、そのあとに日本語で訳をつけてゐるからです。
「薔薇、百合、小鳩、太陽を、
われ、過ぎにし日愛でしかも、
現在(いま)たゞ一途恋ふるなり、
いとけなく、将(は)た、うつくしき、
清き一人の乙女子を。
君よ、汝はもろもろの
愛の泉ぞ。----薔薇と百合
太陽は君なれや、また鳩も。」
これも見ますと、鳩のところでも述べましたが、鳩は太陽であり、百合は薔薇と同じく愛の源泉と歌はれてをります。
三島由紀夫の鳩は、
鳩(窗(高窓)、館(高い建物)、寂寞(静寂や静謐)、孤独、訪れ、(夕暮、凶事)、夜、白い色))
といふ鳩でありましたが、このハイネの詩は三島由紀夫の鳩とは異なり、太陽の鳩です。
ハイネの詩は明るい一方であり、「薔薇、百合、小鳩、太陽」を同列に論じて、明るい昼の世界で薔薇と百合、「君なれや」と呼びかけられてゐる相手が鳩と同様に太陽なれといはれて並べられてをります。
三島由紀夫は『太陽と鉄』といふ最晩年のエッセイに於いても百合の花を歌つてをります。これはエッセイの筈ですが、しかし三島由紀夫の意識の中では、F104といふジェット戦闘機に搭乗して天の高みに登つた以上、それは詩の世界なのです。
さうして、天の一番の高みから地球を見下ろして、地球を巻き締めてゐる「あらゆる対極性を一つのものにしてしまふ巨大な蛇の環」である「統一原理の蛇」を目にした後に、戦闘機は下界へと降りて来ます。その時に、夕陽に輝く雲海の中に百合の花の咲く野原を目にするのです。
「眼下の雲海のところどころの綻びから、赤い百合が咲き出てゐる。夕映えに染められた真紅の海面の反映が、雲のほんのかすかな綻びを狙つて、匂ひ出てゐるのである。その紅が厚い雲の内側を染めて映発するから、それがあたかも赤い百合があちこちに、点々と咲いてゐるやうに見えるのだ。」
とあつて、そのあとに、当然のやうにして『イカロス』と題した三島由紀夫最後の詩が掉尾を飾つてをります。
この雲海の赤い百合の文章からわかることは、
1。百合は一輪よりも、野原(雲の海)に群生してゐる形象であること。
2。それは、実の百合ではなく、恰も百合の花のやうであること。そしてやはり、
3。百合は美しいこと。
このやうなことになりませう。さて、このことを念頭に置いて、十代の百合の詩に戻ります。
『小曲 第十番』では、
「おまへは絹の着物を着て
―-襞は冷たく、レェスと扇に閉ざされて―-」
わななく手で僕の手を握つてゐた、
失はれた愛を確信するかのやうに。
むなしい朝。いくたびかゆめみた忘却。
風が吹きつのる百合の原。
その頃からひとつの憧れが
おまへと僕との
やさしい懐(おも)ひのなかに水脈(みを)をひいた。」
かうしてみますと、
百合(愛、喪失、忘却、風、野原、懐旧(追憶追想)、水脈)
といふ概念連鎖になりませう。更に、
『風の抑揚』では、
「だが……
風がさやかに揺(ゆ)すると、かつてない不注意な羞らひがやさし
さが、おまへにひらめく、百合が朝(あした)と夕(ゆふべ)だけ、うすく
れな
ゐに映えるやうに。」
これらの詩の言葉を見ますと、『太陽と鉄』といふ最晩年のエッセイに於いてもさうですが、三島由紀夫は、百合の花に朝陽や夕陽の照り映えることに美しさを感じてゐることがわかります。
美しさを三島由紀夫が感じるのは、いつも現在から過去を振り返つて、その時差に何かを思ひ、見ることを意味してをりますから、この詩でも、例外なくいつもさうであるやうに「……」といふ追想追憶の記号があつて、それで過去の時間の中に百合の花が、「恰も百合の花のやう」に、やはり風に揺すられて歌はれてをります。
さうして、その百合に映える美しさは、やはり百合自身が思つてもゐない美しさであり、自分では知られることのない美しさですから、「不注意な羞らひがやさし/さが」と歌はれるのですし、このやうな百合に対して、最後の連では、話者は、その美しさを、丁度窗(まど)から覗くやうに「この生籬のやぶれから」「息をひそめて」「見てゐる」のです。三島由紀夫の詩の世界です。
さうして、百合の花を見る時には、風があり、この詩では、話者の覗く「生籬のやぶれから」「緑の風が身を撚(よ)つてとほつてゆく」のです。
さうしてみますと、
百合(愛、喪失、忘却、風、野原(雲の海)、窗、懐旧(追憶追想)、水脈)
といふ連鎖を成す鎖の環の一つ一つは、『剣』の「その二」の鳩が空気銃で撃たれて死ぬ場面にも、同様に、散りばめられてゐる筈です。
百合(愛、喪失、忘却、風、野原(雲の海)、窗、懐旧(追憶追想))といふ言葉の並びだけでも、もう三島由紀夫の詩の世界の構成要素ですが、「水脈」といふ言葉の類語は、同じ場面の次のところに出て来ます。やはりこれも、百合と一緒に併せて思はねばならない言葉なのです。
「ほらごらん、こんなにきれいにとれた」
と老小使は、血を吸ひ取つた花びらを示した。その燻んだ光沢をとどめてゐる白い部分は、しめやかに血を吸つて、白い敏感な肌があらはに示した血管のやうに、脈の形に血の赤を織り込んでしまつてゐた。」(傍線筆者)
『バラァド a Mille. K. Milani』をみてみませう。
「汽車は走つた 海のほとりを
日のくれるまで 海のほとりを
昏れる海から百合の原のやう
しろい手がたくさん招いてゐた」
この百合もまた、汽車の窓から眺められて、
百合(愛、喪失、忘却、風、野原(雲の海)、窗、懐旧(追憶追想)、水脈)
といふ世界に咲いてゐることがわかります。
この『バラァド a Mille. K. Milani』を見ますと、次のやうに語順を変へて、水脈を類縁の語である海原の傍に持つて来た方が良いかも知れません。
百合(愛、喪失、忘却、風、(野原(雲の海)、水脈)、窗(籬の破れ)、懐旧(追憶追想))
最後に『オルフェウス』の第一連です。三島由紀夫20歳。
「あて人よ
忌まはしい蛇がしかし優雅な美しい歯で
死自らも気づかなかつたほど謐(しづ)かな死を
君に贈つた約婚の百合の野よりも」
ここにも『太陽と鉄』のF104戦闘機の搭乗を書いた『エピロオグ---F104』にあるやうに、百合と一緒に、奇すしくも、蛇が出て参ります。
「優雅な美しい歯」とは、やはり繰り返しの形象であり、しかし三島由紀夫の繰り返しは、安部公房の繰り返しの呪文が空間的な繰り返しであるのに対して、時間的な繰り返しの呪文でありますから、『彩絵硝子』の典型的な冒頭がさうであるやうに、次のやうに、時間的な形象で即座に打ち消されずにはゐられないのです。以下『三島由紀夫の十代の詩を読み解く26:イカロス感覚6:呪文と秘儀』から再掲します。(http://shibunraku.blogspot.jp/2015/10/blog-post_18.html):
「まづ、叙情詩としての小説からみてみませう。傍線を施したところが、繰り返しを意味する言葉であり、その形象なのです。さうして、それが空間的な形象であれば、それを直ちに時間的な形象で、三島由紀夫は、その空間性を打ち消す。最初の『彩絵硝子』が其の例です。
「優雅な美しい歯」とは、やはり繰り返しの形象であり、しかし三島由紀夫の繰り返しは、安部公房の繰り返しの呪文が空間的な繰り返しであるのに対して、時間的な繰り返しの呪文でありますから、『彩絵硝子』の典型的な冒頭がさうであるやうに、次のやうに、時間的な形象で即座に打ち消されずにはゐられないのです。以下『三島由紀夫の十代の詩を読み解く26:イカロス感覚6:呪文と秘儀』から再掲します。(http://shibunraku.blogspot.jp/2015/10/blog-post_18.html):
「まづ、叙情詩としての小説からみてみませう。傍線を施したところが、繰り返しを意味する言葉であり、その形象なのです。さうして、それが空間的な形象であれば、それを直ちに時間的な形象で、三島由紀夫は、その空間性を打ち消す。最初の『彩絵硝子』が其の例です。
(1)『彩絵硝子』:1940年11月:15歳
「化粧売り場では粧つた女のやうな香水壜がならんでゐた。人の手が近よつてもそれはそ知らぬ顔をしてゐた。彼にはそれが冷たい女たちのやうにみえた。範囲と限界の中の液体はすきとほつた石にてゐた。壜を振ると眠つた女の目のやうな泡が湧き上がるが、すぐ沈黙即ち石にかへつて了ふ。」」この典型例と同じやうに、「優雅な美しい歯」は、「死自らも気づかなかつたほど謐(しづ)かな死」といふ時間によつて、また時間の終はりによつて即座に打ち消されてをります。
さて、それはそれとして、かうしてみますと、この『オルフェウス』の詩から、『暁の寺』の最後にジン・ジャンの蛇に噛まれて唐突に死に至る場面が、既に十代の百合の花の、上に掲げた構成要素の織り成す概念連鎖の様式に含まれてゐることに気づきます。
月光姫の最後は如何に書かれてをりましたでせうか。
VII 三島由紀夫の詩の世界で鳩と百合の花の関係はどのやうな関係なのか
さて、随分と長い量の鳩と百合の花の考察とはなりました。最後に、概念連鎖として、まとめてみませう。
1。鳩(窗(高窓)、館(高い建物)、寂寞(静寂や静謐)、孤独、訪れ、(夕暮、凶事)、夜、白い色))
2。百合(愛、喪失、忘却、風、(野原(雲の海)、水脈)、窗(籬の破れ)、懐旧(追憶追想))
鳩は、いつも『癩王のテラス』にある十字路に立つ寺院のやうな高い塔のある軒の下へと帰りますから、垂直方向への軸を、これに対して、百合は、水平の平面の海原に群れなして美しく咲きますから、水平方向への軸を、それぞれ三島由紀夫の造形の世界では、構成してゐるのではないでせうか。
それといひますのも、この詩の世界を描いた「その二」の後に配置された「その三」と「その四」は、小説の結構をみてみますと、
1。「その三」:木内の家の中:木内ー賀川:先生と生徒:垂直方向の関係
2。「その四」:喫茶店の場面:国分次郎ー壬生その他:生徒同士:水平方向の関係
となつてゐるからです。
三島由紀夫がどのやうに小説の結構を構成するものか、これはその一端に過ぎませんが、確かに[註7]に言及しましたやうに、これらの十代の詩を眺めても、三島由紀夫の思考は二元論的思考の強烈なものです。勿論、三島由紀夫はいづれか一方の極に偏するわけでは全くありません。これらの両極の統合こそが、現実と非現実を宰領する三島由紀夫の不断の営為でありませう。三島由紀夫の意識は作品の中に、言葉によつて遍在してゐるのです。
この章の最後に、鳩と百合を一つにするものは、何かといへば、上の二つの概念連鎖を見れば、それは白い色だといふことになりませう。従ひ、鳩に白い色を入れて、次のやうな概念連鎖となります。
1。鳩(窗(高窓)、館(高い建物)、寂寞(静寂や静謐)、孤独、訪れ、(夕暮、凶事)、夜、白い色))
2。百合(白い色、愛、喪失、忘却、風、(野原(雲の海)、水脈)、窗(籬の破れ)、懐旧(追憶追想))
さうして、百合の花には、朝陽夕陽の太陽の光が反映するのです。百合は、三島由紀夫にとつては、太陽の光を映す鏡なのです。さうして恐らくは、そこに映った対象の姿が何であれ、その姿の自己のためにある、清浄と再生(蘇生)の鏡なのです。
VIII 『剣』といふ小説の結構(構造)はどのやうなものか
さて、それぞれの冒頭に着眼して、『三島由紀夫の十代の詩を読み解く26:イカロス感覚6:呪文と秘儀』(http://shibunraku.blogspot.jp/2015/10/blog-post_18.html)にならつて、その章の種類を判別すれば、次のやうになります。
1。「その一」:叙情詩
「黒胴の漆に、国分家の双葉竜胆の金いろの紋が光つてゐる。」と始まってゐることが示してゐるやうに、これは叙情詩としての章。
2。「その二」:叙事詩
「この春、次郎が主将(キャプテン)になつたのは、先輩の指名によるのだが、彼はもとより当然キャプテンになるものと思つてゐた。
自分の強さは、彼の自明の感覚になつてゐた。いつからか、強さは二六時中彼の皮膚をうつすらと包んでゐる透明なシャツのやうになつてをり、それを着てゐることさへ忘れてゐられた。」
「二六時中」といふ言葉の選択が叙事の印だとして、私がここで引用してお伝へしたいことは、この数字を含む段落の「二六時中」「彼の皮膚をうつすらと包んでゐる透明なシャツのやうになつてをり、それを着てゐることさへ忘れてゐられた。」といふ言葉にあるのです。
これは何を意味してゐるかと言ひますと、これは『或る朝』といふ14歳の詩に或る透明な目に見えぬ鏡に主人公の肉体が包まれてゐるといふことを表してゐるのだと、私には思はれる。それは、次のやうな詩です(詩集『公威詩集 II』決定版第37巻、424ページ)。[註9]
「或る朝
まつ白な裾長い闊衣で
彼女は芝生を駆けて行つた。
なにかすらつとした鳥たちは
透明な肉体のまゝ、
朝霧を切つて行く。
あらゆる鬱金色の花のおもて、
すべての森や湖や、
噴水や糸杉(サプラス)を包んで、
目に見えぬ鏡があつた。」
この鏡に映る自己の姿を巡つて、手前(鏡の前)と向う(鏡の中)、左右の対称と倒置・反転といふことから、さうしてまた其の肯定と否定といふ論理の視点から、三島由紀夫の十代の詩の形象の意義と意味は精妙を極めてをります。この解析は、また稿を改めます。
[註9]
『或る朝』を含み、これ以外にも、この「透明」といふ三島由紀夫の詩の言葉を含む詩には、次の詩があります。
1。『枯樹群』:詩集『Bad Poems』:決定版第37巻、369ページ
2。『夜の人』:詩集『公威詩集 II』::決定版第37巻、413ページ
3。『或る朝』:詩集『公威詩集 II』:14歳:決定版第37巻、424ページ
4。『瞳物語』:詩集『明るい樫』:歳:決定版第37巻、520ページ
5。『屍臭から逃れて』:詩集『無題ノート』:歳:決定版第37巻、563ページ
6。『カット・グラス』:詩集『鶴の秋』:決定版第37巻、600ページ
7。『鬼』:詩集『拾遺詩集』:決定版第37巻、718ページ
安部公房ならば、この『或る朝』の話者が歌つてゐる「透明な肉体のまゝ」ゐる鳥たちは、まさにリルケが歌つたやうに、存在の鳥たちであると言ひ、また「あらゆる鬱金色の花のおもて、/すべての森や湖や、/噴水や糸杉(サプラス)を包」む「目に見えぬ鏡」こそは、存在に映じて存在する我が身の反照であるといふ事でせう。
さうして、安部公房は間違いなく、「透明な肉体のまゝ」ゐる鳥たちを贋の鳥たちと呼んだことでありませう。
さうして、安部公房が『剣』を書いてゐたならば、この三島由紀夫の書いた『剣』といふ小説の主人公の最後と全く同じやうに、安部公房の主人公を、小説の中の閉鎖空間を脱せしめて、主人公みづからの死と引き換へに、主人公の生きた世界とは別にあるもう一つ上位の次元、即ち時間の存在しない無音の静謐の、リルケの純粋空間へ、即ち存在と永遠へと脱出させてゐたことでありませう。
安部公房の世界から眺めますと、三島由紀夫の此の小説の最後のところでは、国分次郎は全く死んではゐないのです。
さうして、安部公房が『剣』を書いてゐたならば、この三島由紀夫の書いた『剣』といふ小説の主人公の最後と全く同じやうに、安部公房の主人公を、小説の中の閉鎖空間を脱せしめて、主人公みづからの死と引き換へに、主人公の生きた世界とは別にあるもう一つ上位の次元、即ち時間の存在しない無音の静謐の、リルケの純粋空間へ、即ち存在と永遠へと脱出させてゐたことでありませう。
安部公房の世界から眺めますと、三島由紀夫の此の小説の最後のところでは、国分次郎は全く死んではゐないのです。
3。「その三」:叙事詩
「 木内は自宅へいつでも喜んで後輩を迎へ入れる。木内の妻も、その大学の剣道部の連中を、息子たちのやうに扱つてゐる。それといふのも、木内夫妻には女の子が二人しかなく、二人とも嫁(かたづ)いてしまつてゐるからである。
ある晩のこと、賀川が一人でぶらりとやつて来た。」(傍線筆者)
4。「その四」:叙情詩
「壬生は髭が濃くなるやうに毎朝髭を剃つて学校へ出かけたが、家人はみんな剃刀の刃が無駄だと言つていた。」(傍線筆者)
繰り返しの呪文が唱へられてをりますので、これは叙情詩としての章。
5。「その五」:叙事詩
「剣道部の夏の合宿は、夏休みの終りごろ、八月の二十三日から十一泊、西伊豆の田子といふ漁村で行はれることになつた。」とあるやうに、数字で始まってゐることから、叙事詩としての章。
6。「その六」:叙事詩
「壬生が当番に当たつた三日目は、みんなん疲労が極限に達した日で、休み時間にも口をきく気力もなかつた。
(略)
三日間、練習は、朝六時半からの一時間トレーニングと、十時からの二時間の打込みを主にした烈しい稽古と、午後の三時から二時間の稽古と、夜の八時から一時間の反省会と、寸分のちがひもなく強引につづけられてた。」
7。「その七」:叙事詩と抒情詩
「九月二日の納会は賑やかで、はじめて酒や煙草もゆるされ、木内は猫や犬の遠吠えの物真似をし、みんなは校歌を合唱したり、サノサ節の替唄を合唱したりした。」
この最後の章は、二つの詩が、一つになつてをります。何故ならば、木内が「猫や犬の遠吠え」を繰り返し繰り返すからです。
この最後の章は、二つの詩が、一つになつてをります。何故ならば、木内が「猫や犬の遠吠え」を繰り返し繰り返すからです。
以上のやうに『剣』の章の構成を見てみますと、次のやうな章立ての小説となつてゐることがわかります。
1。「その一」:叙情詩
2。「その二」:叙事詩
3。「その三」:叙事詩
4。「その四」:叙情詩
5。「その五」:叙事詩
6。「その六」:叙事詩
7。「その七」:叙事詩・叙情詩
実に美しい様式ではありませんか。
これを見ただけでも、三島由紀夫がヘルダーリンといふドイツの詩人を愛唱し、愛読した理由がよく解ります。
この様式美は、三島由紀夫の親しき友、生涯やはり詩人として生きた安部公房の傑作のひとつ『箱男』の次の様式美に、そのまま通じてをります。この二人の大才は、本当に言語の本質を共有してをりました。徹底的に反時代的であるほどに、その本質を。
「9。《……………………》:余白:次の次元(存在)への接続の章
以上の構成の順序をまとめると、『箱男』の構成は、安部公房の秘儀の式次第に則り、その見かけを裏切って、実は、次のように単純で美しい構成であることが判ります。
(1)シャーマン安部公房の秘儀の式次第(繰り返しの呪文を唱へて、空間の差異に存在を招来する)
(2)7つの章(散文)
(3)4つの写真(詩)
(4)7つの章(散文)
(5)4つの写真(詩)
(6)7つの章(散文)
(7)《……………………》:余白:次の次元への接続の章」
(もぐら通信第34号:https://ja.scribd.com/doc/269859440/第34号-第二版)
『剣』の此の章立てがなぜさうなのかは、それぞれの章の主題と内容に、さうして各章相互の関係に関係のあることでありませう。その方面からの詳細な分析も可能だと思ひます。
VIII 『剣』の主人公の最後の死は何を意味するのか
最後に、最後の章「その七」に於ける主人公の死を書いた結末の数行と、それ以前の文章との間の飛躍は、因果関係といふ時間の順序による物事の有り様の説明では、説明がつかないこと、敢えて、三島由紀夫が、古典的な、もつといへば古代的な神話の世界の論理を此の小説に備はしめ、主人公に体現せしめたといふことが、この小説の中で一番に重要なことではないかと思ひます。
これは何も技術的な小説作法のことを問題にしてゐるのではなく、古典主義の時代の最後の年に当たる38歳の時に、既に次のハイムケール(帰郷)の時代の7年間の、『豊饒の海』の主人公たちの転生輪廻を見据ゑた小説に、構造上これはなつてゐるといふ事が、言ひたいことなのです。
果たしてうまく話せると良いのですが。
少し迂遠のやうですが、次のやうな話から始めます。
最後のハイムケールの時代の没年の前年1969年、44歳の時に、三島由紀夫は『日本文学少史』といふ日本の詩文の論を書いてをります。
この最後の第六章で、三島由紀夫は源氏20歳を描いた「花の宴」と35歳の源氏を描いた「胡蝶」を称揚してをります。この年齢を見ますと、20歳とは、三島由紀夫が先の敗戦の年に第一の太陽を見た時であり、35歳とは、一年の隔てはあるものの、『憂国』を書いた36歳にほぼ当たりませう。
自分の人生のそれぞれの転回点に匹敵する源氏の年齢を書いたこれらの作品を、三島由紀夫は「ほとんどアントワーヌ・ワットオの絵を思はせる」と云ひ、またその醍醐味がいづれの巻にもあつて、それは「「艶なる宴」に充ち、快楽(ヴォリユプテ)は空中に漂つて、いかなる帰結をも怖れずに、絶対の現在のなかを胡蝶のやうに羽搏いてゐる」その胡蝶の羽搏いてゐる「つかの間の静止の頂点なしに、源氏物語は成立しなかつた。」といつて、この章の締めくくりとし、更に続けて「何らあとに痕跡を残さず、何ら罪の残滓をあとへ引かない、快楽の純粋無垢な相がこの世に時折あらはれることを知つてゐればこそ、源氏の遍歴は懲りずまに」なると云うのです。
この論を締めるための此の前段を読み、次の後段を読みますと、三島由紀夫がドイツの文豪トーマス・マンの愛読者であつたことの意味が、源氏物語を語る三島由紀夫自身の言葉の中にあることを知ることができます。それは、次のやうなトーマス・マンの文体に関する分析です、といひたくなるほどに、源氏物語の文体の分析になつてをります。
「源氏物語の、ふと言ひさして止(や)めるやうな文章、一つのセンテンスの中にいくつかの気の迷ひを同時に提示する文体、必ず一つことを表と裏から両様に説き明かす抒述、言葉が決断のためではなく不決断のために選ばれる態様、……これらのことはすでに言ひ古されたことである。」
さうして、次に引用する『日本文学少史』の最後の二行の文は、三島由紀夫が詩人たる散文家として至つた散文の精神を、自分の文化意志として次のやうに語り終へるのです。しかし、この語りは、終はるのではなく、全く小説家の精神の言葉として、私の耳の中にいつまでも残響として残つてをります。平たくいへば、国分次郎が身にまとふてゐる「二六時中彼の皮膚をうつすらと包んでゐる透明なシャツ」に備わつてゐる「自明の感覚」と既になつてゐる「強さ」、即ち、それは詩人の無名の、無私の、自己犠牲の、歴史の中に忘却されることを恐れない、裏山に登つて死ぬ覚悟をした、一個の人間の「透明なる」心だからです。
三島由紀夫の造形する主人公たちが、詩の高みに登る時には、安部公房の主人公たちが皆例外なくさうであり、詩人の心を以てこの世と別れて、この世の賦活と蘇生を願つて、存在の中へと消えて行くやうに、やはり死を覚悟して、さうして実際に言葉の世界の中で死ぬのでありませう。
安部公房は、三島由紀夫と共有してゐたこととして、次の二つのことを言つてをります。
1。文化の自己完結性に対する確信
2。言葉によつて存在すること
三島由紀夫の造形する主人公たちが、詩の高みに登る時には、安部公房の主人公たちが皆例外なくさうであり、詩人の心を以てこの世と別れて、この世の賦活と蘇生を願つて、存在の中へと消えて行くやうに、やはり死を覚悟して、さうして実際に言葉の世界の中で死ぬのでありませう。
安部公房は、三島由紀夫と共有してゐたこととして、次の二つのことを言つてをります。
1。文化の自己完結性に対する確信
2。言葉によつて存在すること
この文化意志、「それは古今集が自然の事物に対して施した「詩の中央集権」を、人間の社会と人間の心に及ぼしたものだつたと云へやう。実際、藤原道長が地上に極楽を実現しようとしたことは、日本文学史平安朝篇に詳しい。」と書いた三島由紀夫の心と、この二つは同じものです。
さて、しかし、三島由紀夫の源氏物語への関心の中心が、その二つの、謂はば人に余り評価されることの少ない二つの章であることを思ひますと、恐らく、三島由紀夫は、『剣』の結末と源氏物語の神話的な関係について、これから私が述べることにつては自覚がなかつたものと思はれます。
源氏物語の「浮舟」の逸話に、薫の君と匂の宮の二人に愛されて、図らずも二人の男を愛した浮舟が、生田川に身を投げて、しかし、横川の僧都に発見されるのは、内陸の、川ではなく、山の中の木々の間であり、意識を喪失し、自己を喪失した状態でした。
この時間の因果を飛躍した話の非連続の、即ちそれまでの話の筋の時間と、次の話の筋の時間の間の差異に浮舟が心神喪失のまま倒れてゐることは、遠く紫式部の11世紀より此の短編小説にまで、神話の結構の様式として及んでゐるのではないかといふことです。
この説明が一種概論めいてゐて、具体的な細部に不足のあることを承知の上で、やはり、備忘としてでも良いので、敢へて此処に書かずにはゐられない。
『花ざかりの森』で小説の結構の創造の根底にある海賊頭の生き方、即ち「恒(つね)に在つた」といふ過去形である事、これが何故この小説の最後に主人公が唐突に裏山といふ詩人の高みで、主人公の原因と結果の因果律とは全く無関係に、唐突に死ぬのか、否「既にして」死んでゐるのかと言ふことの最初で最期の理由なのです。
この話の主人公の死ぬ場所は、『花ざかりの森』の初めと終わりで其の話者たる主人公がのぼる裏山の高みなのであり、国分次郎が「既にして」死んでゐるのは、そこが詩の世界であるからです。
主人公の此の、小さいとは言へ山頂での死は、勿論文字の上では確かに死んではをりますが、三島由紀夫の心の奥深いところでは実は死なのでは全くなく、国分次郎は最初から「恒(つね)に在つた」といふ過去形に生きる人間である事によつて生き続けて『豊饒の海』の第2巻『奔馬』の主人公として蘇るのです。
これを更に歩を進めて、トーマス・マンの小説や安部公房の小説との関係を、この「既にして」死んでいると上で解析した、三島由紀夫の此の主人公の在り方を、超越論的(transzendental)な哲学の視点から論じたいところですが、これもまた稿を改めたいと思ひます。
最後の最後に、『剣』の前後の時間も入れた三島由紀夫の人生の見取り図を掲げますので、この詩人の人生を思つて戴ければありがたく思ひます。
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