2010年3月31日水曜日

Sunday Morning Apples 3

さて、今日は、昨日に引き続き、次のwhitel buildingのうち、第2連、たった2行の短い連、すなわち2階の春へと階層を降りて行くことにしよう。

(1、5):(秋、秋)
(2、4):(春、春)
(3、3):(冬、冬)

このwhite buildingをみて直ぐのぼくの疑問は、何故秋からすぐに春へと行くのか、何故冬を過ごしてから春にならないのかというものでした。Craneの詩の構造は、To Brooklyn Bridgeに典型的であるように、最下層の階層は、世間の性道徳から見れば男色者の地獄である。こうして性道徳などという言葉を書いてみると、この言葉も変な言葉である。性に道徳はないからであり、道徳が性から生まれるからである。

さて、この3階層の最下層、すなわち1階は、その男色者の死刑執行の儀式、まったく純粋の、何かの対価を受け取ることのない死の季節、罰せられる地獄の季節である。この詩では、それが冬なのだ。

しかし、まづ、詩人の導きの糸を手探りしながら、ぼくは、この迷路を進むことにしよう。

こうして、また新たな稿の筆を執り、この数日毎日机に向かい、こうして同じように文章を書いていると、これがぼくのとても大切な仕事なのだと、しみじみと思われる。

とは、いいながら、この詩を構成するこの少数の語彙をみて、語釈に引用したWebsterの説明をみて、ぼくは、その意味の多義的な幾つものcontextの存在に気付き、今また溜め息をついた。1行のto springのspringは、春へと、あるいは春においてという意味もあるが、これは名詞の場合の意味であり、to springを不定句ととれば、それは飛ぶということになり、この動詞のspringも、下の語釈をみれば、男色者の性行為もあれば(Chaplinesqueを思い出してほしい)、Craneの大好きな帆船の比喩もあれば、Springには、To Brooklyn Bridgeの最初に詠われたDAWNという意味もあるのだ。Dawnとは何か、to begin to blow。LegendというWhite Buildingsの中の詩の第4連第2行にthe smoking souvenirとあるが、この場合もそうであるように、ハバナあたりの土産の葉巻きを吸うように、男の性器を口にくわえてスパスパと、それがARISEして大きくなるように、to grow as a plantのように大きくなるように、そうしてその樹木が成長して、林檎の実がその頂きにたわわに成るように、つまりは実りの秋を迎えるようにと、そのようにするのが生命力溢れる春なのだ。そうしてその行為が春の行為、動詞としての活動なのだ。



【原文】
But now there are challenges to spring
In that ripe nude with head
reared

【表の訳】
しかし、今この秋にこそ、春への挑戦というものが色々と胎動しているのだ
この木の葉がすべて散り落ちて裸になり、そうして
その頂きが垂直に立っている その姿の中には

【裏の訳】
しかし、今は、さあ、攻撃と防御の競争をしようぜといって
正当な要求をお互いにぶつけ刺激をしながら、男性の生殖器が植物のように
大きく成長することが何度も幾つもあるのだが、それは
あの、十分に大きくなって成熟している裸のもの 立派に上を向いた
亀頭を備えた剥き出しの一物が、相手の言うことに逆らわずに無理強いに耐えてでもとる柔軟な姿勢をとりながら、最後に射精をするために、そうするのさ

【解釈】
1. 冒頭の文章が既に解釈になっている。
2. さて、何故rearedがこんな位置にあるかということであるが、これはこう
うことではないだろう。rearedの次の行は、このようなものである。


In that ripe nude with head
reared
Into a realm of swords, her purple shadow

このような配列の詩は、他にもあり、ここでの解釈が他でもそのまま応用ができるかどうかわからないが、ぼくはここではこのように考える。上の配列を見ると、次の意味の集合がある。

(head, reared, shadow)
(reared, purple)

つまり、前者のように斜めに集合をつくるか、それとも後者のように一番近い言葉同士のみに意味の関係の親近性を求めるかという、このふたつである。

これは、裏の意味としては、両方を合わせて考えるのがよいのではないだろうか。つまり、亀頭が屹立するほどに男根が立ち、その影は、冬の自然の常として、雪地の上には紫色の影を映じるのだ。そうしてまた、今日も移動書斎にてあちこちを散見しながら、裏の世界での、Craneの色彩の使い方をみてみると、次のようなことが解る。

(秋、gold,purple?)
(夏、?)
(春、green)
(冬、white)

ぼくがこれを見つけたのは、同じWhite Buildingsの中の詩、FOR THE MARRIAGE OF FAUSTUS AND HELENのIIの第2連に、White shadowとあったからである。

また、上の色彩の階層は、そのまま男色者の性行為の中の四季を詠っているので、たとえば、性器が小さい芽から大きな樹木に成長し、立派な亀頭の林檎の実がなるまでの季節のそれぞれに、それぞれに相応しい色彩を配している。紫、purpleがどれにあたるのか、今はぼくはわからない。それは、やはり高貴な色、最高位の色であるのだろう。

話が今日の題からいささかはづれるようであるけれども、性器が小さい芽から大きな樹木に成長するときの、そのような男色仲間をbud(芽)であるが故に、Buddhasと読んでいる。仏陀の最後の2文字は、言うまでもなく、尻の穴のことである。十字架のCROSSという詩のこの題名も、小文字で詩中に出て来る場合でも、Craneの背徳的、冒涜的に割り当てた意味は、それぞれ男色者の性交であったから、仏陀も同様の意味を以て使われている。天使、Angelもまた、そうではないかと思われる。

実は、語釈を読んでみると解るように、このたった3行を、裏の訳で訳すにせよ、多くの解釈を論じることになるのだが、これは先々の楽しみとして、またこの行に戻って来ることにしよう。上の訳は、平凡なものかも知れないが、まづは、今日はこれでよいとぼくは思う。

【語釈】
語釈はすべてWebster Onlineから。このweb上のdisctionaryを参照下さい。

1. challenge
2. spring
3. ripe
4. summer
5. autumn
6. fall
7. winter
8. nude
9. head
10. rear

0 件のコメント: