2010年3月31日水曜日

Hart Craneよ

Hart Craneよ

わたしは、もう50を超えたから、貴君をお前呼ばわりしてもいいだろう。
ドイツ語ならば、Sieではなく、Duを使って、初っ端からあなたを呼称するのだ。

わたしは、お前の年齢も、それから出自も、育った町も、いつ生まれていつ死んだのかも、何も知らない。蕃さんが楽天ブログに書いてある、若くして船から投身自殺をしたことしか知らない。それ以外は、君については、何も知らないのだ。僕は、君の言葉だけ、君のテキストだけを読むことにしよう。それが順序だ。何故なら、君は言葉から生まれたからだ。そうして、その逆の人生ではなかったからだ。

しかし、他方、これは、永年の間の、わたしの、あらゆる人に対する礼儀であり、礼節であった。言葉だけから、そのひとを知ること。言葉の側からだけ、まづその人に知り合うこと。それから、その他のことを知りはじめること。無理なく、自然に。こうして、お前に呼び掛けながら、自分自身のことに触れることになるのは、不思議なことだ。これが、僕の君に対する挨拶だ。

(*)
GoogleでChaplinesqueという言葉を検索すると、チャ-リ-チャップリンの映画のDVDの一式の謳い文句が最初に僕のパソコンの画面に出て来たところをみると、これは君が流行らせたか、あるいはsuffixの力を借りて、映画会社が別に思い付いたかどちらかだろう。なぜならば、あとの被検索文のまとまりは、すべて君と君の詩のことだったから。今この2004年12月18日に、世界中に、でも英語圏だけだが、君のこの言葉を引用したウエッブサイトが13,300あるのだ。先月、2004年の11月に、chaplinesqueという言葉、chaplineque crane hartという君の名前、これらを求めて英語圏で検索した回数は、それぞれ33足す26で、59回。君は、11月には、英語の世界で、59回も必要とされたのだ。

さて、はじめよう。

分析は、いつも結果だ。君の詩は起承転結でできているが、君はそれを意図したわけではない。しかし、とても、論理的な詩だ。論理的とは、繊細という意味だ。

君は、縁語の達人だ。でも、詩人だから当たりまえだ。ざっと、読みながら、あちこちに飛んで、挙げれば、こうなるか。


(1) (deposit, pockets)
(2) (wind, recess)
(3) (wind, (wing), coverts)
(4) (wind, recess, index)
(5) (wind, deposit, recess, enterprise)
(6) (sidestep, evade)
(7) (fury, coverts)
(8) (coverts, game)
(9) (coverts, fury, game)
(10) (sidestep, coverts, recess, evade, no enterprise, obsequies, fine collapses)
(11) (doom, thumb)
(12) (thumb, index)
(13) (chafe, pucker)
(14) (squint, obsequies, fine collapses)
(15) (recess, coverts, evade, inevitable, x)
(16) (game, enterprise)
(17) (doom, enforce)
(18) (doom, enforce, cane)
(19) (grail, quest)
(20) (smirk, laughter)
(21) (laughter, gaiety)
(22) (laughter, sound)
(23) (love, the heart, squint, innocence)
(24) ((moon, kitten), (quest, grail))

最後の(24)、これがChaplinesqueの意味。Thomas Mannならば、Ironieといっただろう。

これは、独身者の詩だ。きっと20代の。トーマスマンが20代に書いた短編の世界によく似ている。その芸術家像によく似ている。ということは、その詩人や散文家の求めた人間像に、よく似ている。そうして、その人間と社会との関係の図柄が。勿論ことばは大いに違う。とても違う。それから、この詩人は、トーマスマンなんかより、ずっとよく実業の世界にいたら仕事をしていた筈のひとだ。

この詩人は、株式の売買の世界にでもいて仕事をした人なのだろうか?
アメリカ人ならば、ニューヨークのひとだろうな。生まれも育ちもニューヨークか。それとも、田舎から来て大都会にやって来たのか。


今日は、まづここまで。今日一日君のこの詩を眺めながら、明日の原稿を考えることにしよう。

それでは、また明日。


追伸:Hart Craneの詩は、次の通り。

Chaplinesque

We will make our meek adjustments,
Contented with such random consolations
As the wind deposits
In slithered and too ample pockets.

For we can still love the world, who find
A famished kitten on the step, and know
Recesses for it from the fury of the street,
Or warm torn elbow coverts.

We will sidestep, and to the final smirk
Dally the doom of that inevitable thumb
That slowly chafes its puckered index toward us,
Facing the dull squint with what innocence
And what surprise!

And yet these fine collapses are not lies
More than the pirouettes of any pliant cane;
Our obsequies are, in a way, no enterprise.
We can evade you, and all else but the heart:
What blame to us if the heart live on.

The game enforces smirks; but we have seen
The moon in lonely alleys make
A grail of laughter of an empty ash can,
And through all sound of gaiety and quest
Have heard a kitten in the wilderness.

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