2013年1月28日月曜日

【西東詩集30】 Musterbilder(模範の像)



【西東詩集30】 Musterbilder(模範の像)


【原文】

Musterbilder

Hör und bewahre
 Sechs Liebespaare.
Wortbild entzündet, Liebe schürt zu:
 Rustan und Rodawu.
Unbekannte sind sich nah:
 Jussuph und Suleika.
Liebe, nicht Liebesgewinn:
 Ferhad und Schirin.
Nur für einander da:
 Medschnun und Leila.
Liebend im Alter sah
 Dschemil auf Boteinah.
Suesse Liebeslaune,
 Salomon und die Braune!
Hast du sie wohl vermerkt,
 Bist im Lieben gestaerkt.


【散文訳】

模範の像

聞け、そして、守れよ
六つの愛の一対を。

言葉の像が火をつけて、愛が縫い閉じる
ルスタンとドーダヴ。
見知らぬもの同士で互いのかたわらにいる
ユススフとズーライカ。
愛、そして愛の獲得ではない
フェルハードとシーリン
ただ互いのために、そこにいる
メドシュンとライラ。
老年の中で愛していることを見た
ジェシェミールが、ボータイナーの上に
甘い愛の情調
ソロモンとその花嫁!
お前は、これらの者たちを確かに銘記したか
お前は、愛すること中で、強くなっているか


【解釈】

ゲーテは、この愛の巻の最初の詩で、東洋、中近東、或はオリエントの有名な恋人たちの名前を挙げて、自分のこれから歌う恋の歌の前章とします。

簡潔にこれらの恋人達の一組の愛を歌ってみせます。

そうして、この前歌は、次の歌、ゲーテ自信の恋を歌う恋の歌の前蹤となっています。

【Eichendorfの詩 19】Auf einer Burg (とある城にて)


【Eichendorfの詩 19】Auf einer Burg (とある城にて) 

【原文】

Auf einer Burg

Eingeschlafen auf der Lauer
Oben ist der alte Ritter;
Drüber gehen Regenschauer,
Und der Wald rauscht durch das Gitter.

Eingewachsen Bart und Haare,
Und versteinert Brust und Krause,
Sitzt er viele hundert Jahre
Oben in der stillen Klause.

Draussen ist es still und friedlich,
Alle sind ins Tal gezogen,
Waldesvoegel eisam singen
In den leeren Fensterbogen.

Eine Hochzeit fährt da unten
Auf dem Rhein im Sonnenscheine,
Musikanten spielen munter,
Und die schöne Braut die weinet.


【散文訳】

Auf einer Burg
とある城にて

待ち伏せし、見張りをしていて、眠り込んでしまった
上に、年老いた騎士がいる
その向こうには、激しい雨降りが行く
そして、森は、格子を通して、さやさやと音を立てている。

髭と髪が、生えるにまかせたままになっている
そして、胸当てと、襞のついた襟が石化している
彼は、何百年も、坐っている
上にある、静かな幽居、房室で

外は、静かで、親しい感じがする
ひとはみな、谷の中へと行っている
森に棲む鳥達は、孤独に歌っている
空虚な窓の上部の弧状の中で

結婚式が、行われている、あの下のところ
太陽の輝きの中の、ライン河で
音楽家達が、陽気に演奏している
そして、美しい花嫁が、泣いている花嫁が


【解釈と鑑賞】

この詩も不思議な詩です。

歌われいる兵士は、どこかの山の上にあるお城の城壁の龕籠(がんろう)のような見張りの狭い空間の中で、敵が来るのを監視している。

そのままの姿勢で、何百年も、そうしている。その兵士の眼にみえる景色を歌っています。

これは、どこかライン河沿いにある古城なのでしょう。

森、そのさやけき音、鳥とその鳴き声、窓、谷、孤独、陽気、結婚式、河、音楽家と演奏、城と騎士、どれもアイヒェンドルフの舞台に出て来る、馴染みの舞台装置です。

装置というには、余りにその意味するところと密接に融合していて、恰もものそのものであるかのように、この詩の中に姿を現しています。

この詩人の言葉は、実に現代的で、古びない。不思議な詩人です。

2013年1月24日木曜日

Wenn die Kälte zu gross wird(寒さが余りに大きくなるならば):第5週 by Paula Ludwig(1900 - 1974)




Wenn die Kälte zu gross wird(寒さが余りに大きくなるならば):第5週 by Paula Ludwig(1900 - 1974)




【原文】

Wenn die Kälte zu gross wird
dann stossen auch sie
die geduldigen Voegel
einen Schrei aus
eh das Herz ihnen still steht.


【散文訳】

Wenn die Kälte zu gross wird
dann stossen auch sie
die geduldigen Voegel
einen Schrei aus
eh das Herz ihnen still steht.

もし寒さが余りに大きくなるならば
彼らも、つまり
忍耐強い鳥達も
一声の叫びを発する
彼らの心臓が静かになる前に



【解釈と鑑賞】


この詩人のWikipediaです。


オーストリアの作家であり、画家でもありました。

この人の人生も、大変なものがあります。

父と母は別居していました。しかし、母親が早くになくなり、3人の子供達は父に引き取られます。この父親のもとでの14年間は、読書三昧の生活をしたということです。この時代が一番幸せな時代であったのかも知れません。そのように見えます。

その後、最初は役者を目指し、ある画学校の寝床しつらえ係や、アトリエの助手として働きます。生活するためでした。1917年に、父親の不明の息子をひとり産みます。

その後、ミュンヘンへ出て、今様の言葉で言えば、シングルマザーの世話をしていた赤十字のお世話になります。

1920年前後のミュンヘンで、トーマス•マンの子供達、クラウス•マンとエーリカ•マンの知遇を得、盛んに詩を絵(素描)を出版することを薦められます。こうして1921年に、最初の水彩画が公けになりました。この間、自分の絵を売ったり、その他芸術にかかわる仕事をして、糊口をしのぐ生活をしておりました。

1923年にベルリンへ移り。ブレヒトやクルト•チュヒョスキー、リンゲルナッツ、ヴァルデマール•ボンゼルスの知遇を得ます。そして、Yvan Gollと恋に落ちる。その恋愛書簡集は、ふたりの間の息子が焼き捨ててしまい残っておりません。

1927年から1935年に、「天国の鏡」、「暗い神に。愛の年間詩集」、「生活の本と夢の景色」を出版します。

ナチスの圧迫から、逃亡の生活を余儀なくされ、スイスとフランスに逃げますが、その後ブラジルに亡命して、そこに住んでいた妹のところに身を寄せます。リオデジャネイロとサンパウロに住みました。この期間は、1940年から1953年まで。

この亡命生活の間も、作家活動は止む事無く継続されました。

1953年にヨーロッパに帰国。しかし、健康が害されていて、アルコール依存の状態になっていました。この時代の詩、「飢餓の花は、灰色の壁に咲く」、「眠りの木々は、朽ちた石の上に合図する」を書きました。
オーストリアでは、国籍の恢復が認められませんでした。ドイツでも、その反セミティスム(反ユダヤ主義)の故に、非難されました。パウル•ツェラが翻訳することになっていた恋人Gollの詩、Chansons malaisesをドイツ語に翻訳しようとしたからです。

その後、宿無しの暮らしを送り、住む家もなく、Goetzis, Duesseldorf, Wetzlarを転々としました。ダルムシュタットで、1974年1月27日に亡くなりました。墓は、そこのWaldfriedhof、敢えて訳せば、森の墓地にあるということです。

このような人生を振り返ると、この詩も非常に圧縮され、緊張した魂の叫び、それが鳥達の叫びであると感じます。単純で短い詩であればこそ、一層。


2013年1月20日日曜日

【西東詩集29】 愛の巻(エピグラム)



【西東詩集29】 愛の巻(エピグラム)


【原文】

Sage mir
Was mein Herz begehrt?
Mein Herz ist bei dir
Halt es wert.


【散文訳】

わたしに言え
わたしの心臓が何を希求しているのか?
わたしの心臓は、お前の所にある
そのこころを価値あるものとして持ち続けよ



【解釈】

最初の歌い手の巻が終わり、二つ目の愛の巻の冒頭のエピグラムです。

この箴言の真の意味は、これから繙くゲーテの詩を読むことで、段々と明らかになることでしょう。


Was es ales gibt(存在する全てのもの):第4週 by Robert Gernhardt(1937- 2006)




Was es alles gibt(存在する全てのもの):第4週 by Robert Gernhardt1937- 2006




【原文】

Was es alles gibt

Da gibt es die, die schlagen
Da gibt es die, die rennen
Da git es die, die brennen

Da gibt es die, die wegsehen
Da gibt es die, die hinsehen
Da gibt es die, die mahnen:
Wer hinsieht, muss auch hingehn

Da gibt es die, die wissen
Da gibt es die, die fragen
Da gibt es die, die warnen:
Wer fragt, wird selbst geschlagen

Da gibt es die, die reden
Da gibt es die, die schweigen
Da gibt es die, die handeln:
Was wir sind, wird sich zeigen.



【散文訳】


存在する全てのもの

そこに、打擲する人々がいる
そこに、走る人々がいる
そこに、燃える人々がいる

そこに、目をそらす人々がいる
そこに、警告する人々がいる
向こうを見遣る者は、実際向こうに行かなければならない

そこに、知っている人々がいる
そこに、質問する人々がいる
そこに、警告を発する人々がいる
質問する者は、自ら打擲される。

そこに、議論する人々がいる
そこに、沈黙する人々がいる
そこに、行為する人々がいる
わたしたちであるものは、姿を必ず現す。



【解釈と鑑賞】


この詩人のWikipediaです。


ロベルト・ゲルンハート(Robert Gernhardt, 1937年12月13日 ドルパート - 2006年6月30日 フランクフルト)は、ドイツの作家・詩人・風刺画家である。エストニア出身。筆名としてリュッツェル・イェーマン(Lützel Jeman)などの名前を使った。 シュトゥットガルトやベルリンで絵画を学び、F・K・ヴェヒター(F. K. Waechter)やF・W・ベルンシュタイン(F. W. Bernstein=フリッツ・ヴァイグレ)と共に雑誌「パードン」の編集者を務めた、とあります。



Du und Ich(君と僕):第3週 by Roger McGough(1937- )




Du und Ich(君と僕):第3週 by Roger McGough1937- 





【原文】

Du und Ich

Ich erklaere ruhig. Du
Hörst mich schreien. Du
Versuchst's andres. Ich
Fühle alte Wunden sich öffnen.

Du siehst  beide Seiten. Ich
Seh deine Scheuklappen. Ich
Bin beruhigend. Du
Erspürst eine neue Selbstsucht.

Ich bin eine Taube. Du
Erkennst den Falken. Du
Bietest den Palmzweig. Ich
Fuehle die Dornen.

Du blutest. Ich
Seh Krokodilstraenen. Ich
Entziehe mich. Dir
Schwindelt vom Aufprall.



【散文訳】


君と僕

僕は、静かに説明する。君は
僕が叫ぶのを聞いている。君は
それを別なものしようと試みる。僕は
古い傷が開くのを感じる。

君は、両方の面を見ている。僕は
君の目隠しを見ている。僕は
鎮静している。君は
新しい自分探しを節約しているのかも知れない。

僕は、鳩だ。君は
鷲を認識している。君は
棕櫚の枝を差出している。僕は
棘を感じている。

君は出血している。僕は
鰐(わに)の涙を見ている。僕は
拒み、免れる。君は
ぴしゃりと跳ね返ることに目眩がする。



【解釈と鑑賞】


この詩人のWikipediaです。


イギリスの詩人です。パーフォーマンス詩人とあり、この説明を読むと、自作の詩を何か演じてみせるような動作を伴った詩の演出をしている詩人です。

その他、TVのブロードキャスター、子供の本の著作者、戯曲家でもあるということです。

レコードを出して、イギリスのシングルヒットチャートの一位になったこtもあるとのことです。そのときのジャケットの写真を掲載します。一番左が、この詩人の若き姿です。




【Eichendorfの詩 18】Rueckkehr (帰還)


【Eichendorfの詩 18】Rueckkehr (帰還) 

【原文】

Rueckkehr

Mit meinem Saitenspiele,
Das schoen geklungen hat,
Komm ich durch Länder viele
Zurück in diese Stadt.

Ich ziehe durch die Gassen,
So finster ist die Nacht,
Und alles so verlassen,
Hätt's anders mir gedacht.

Am Brunnen steh ich lange,
Der rauscht fort, wie vorher,
Kommt mancher wohl gegangen,
Es kennt mich keiner mehr.

Da hoert ich geigen, pfeifen,
Die Fenster glänzten weit,
Dazwischen drehn und schleifen
Viele fremde, froehliche Leut.

Und Herz und Sinne mir brannten,
Mich trieb's in die weite Welt,
Es spielten die Musikanten,
Da fiel ich hin im Feld.

        

【散文訳】

Rueckkehr
帰還

わたしの弦の演奏、
それは美しく鳴り響いたのだが、
その演奏を以て、わたしは多くの国々を通って
この町の中に帰って来る。

わたしは数々の小路を通る
かくも暗いのは、夜だ
そして、すべては打ち捨てられていて
すべてが、わたしには別様のものかと思われた。

泉のところに、わたしは長い事立ち
泉は潺湲(せんかん)たる音を立て続け、それは以前のままであり
幾多の人々が、確かにやって来たが
だれも、わたしを知るものがいない。

そこで、わたしはヴァイオリンを奏で、笛を吹くと
窓という窓が、遥かに輝き
窓窓の間で、廻り、そして滑るように踊るのは
多くの、見知らぬ、陽気な人々である。

そして、わたしの心臓と感覚が燃えた
それが、わたしを、遥かな世界の中へと駆り立てた
音楽家たちが演奏をしていた
そこで、わたしは野原の中で、倒れ伏した。


【解釈と鑑賞】

話者である音楽家が、自分のいた町に帰って来ても、そこには見知らぬひとたばかりがいた。

そのような人々との交流ができるのは、ただただ音楽を演奏することによってであり、それは、普通の通俗的な交流とは、やはり、全然違っている交流であることがわかります。

見知らぬ音楽家達の演奏する中で、この主人公は死ぬのでしょうか。

2013年1月12日土曜日

【西東詩集28】 An Hafis(ハーフィスに寄す)



【西東詩集28】 An Hafis(ハーフィスに寄す)


【原文】

An Hafis

Was alle wollen weisst du schon
Und hast es wohl verstanden:
Denn Sehnsucht hält, von Staub zu Thron,
Uns all in strengen Banden.

Es tut so weh, so wohl hernach,
Wer sträubte sich dagegen?
Und wenn den Hals der eine brach,
Der andre bleibt verwegen.

Verzeihe, Meister ― wie du weisst
Dass ich mich oft vermesse ー,
Wenn sie das Auge nach sich reisst
Die wandelnde Zypresse.

Wie Wurzelfasern schleicht ihr Fuss
Und buhlet mit dem Boden;
Wie leicht Gewölk verschmilzt ihr Gruss,
Wie Ost-Gekos' ihr Oden.

Das alles drängt uns ahndevoll,
Wo Lock an Lock kraeuselt,
In brauner Fuelle ringelnd schwoll,
So dann im Winde säuselt.

Nun öffnet sich die Stirne klar
Dein Herz damit zu glätten,
Vernimmst ein Lied so froh und wahr
Den Geist darin zu betten.

Und wenn die Lippen sich dabei
Aufs niedlichste bewegen,
Sie machen dich auf einmal frei
In Fesseln dich zu legen.

Der Athem will nicht mehr zurück,
Die Seel zur Seele fliehend,
Gerüche winden sich durchs Glueck
Unsichtbar wolkig ziehend.

Doch wenn es allgewaltig brennt
Dann greifst du nach der Schale:
Der Schenke läuft, der Schenke kommt
Zum erst- und zweitenmale.

Sein Auge blitzt, sein Herz erbebet,
Er hofft auf deine Lehren,
Dich, wenn der Wein dein Geist erhebt,
Im höchsten Sinn zu hören.

Ihm öffnet sich der Welten Raum,
Im Innern Heil und Orden,
Es schwillt die Brust, es braeunt der Flaum,
Er ist ein Jüngling worden.

Und wenn dir kein Geheimnis bliebe
Was Herz und Welt enthalte,
Dem Denker winkst du treu und lieb,
Dass sich der Sinn entfalte.

Auch dass vom Throne Fürstenhort
Sich nicht für uns verliere,
Gibst du dem Schah ein gutes Wort
Und gibst es dem Vesire.

Das alles kennst und singst du heut
Und singst es morgen eben:
So trägt uns freundlich dein Geleit
Durchs rauhe, milde Leben.


【散文訳】

ハーフィスに寄す

皆が臨むものを、お前は既に知っている
そして、よく理解したのだ。
何故ならば、憧れが、塵から玉座に至るまで
わたしたち皆を、強い紐帯の中に保っているからだ。

かくも悲しいことだ、かくも間違いなくこうして今迄
誰がそれに逆らうだろうか?(逆らうものはいない)
そして、もしある者が首を折って殺したならば
他の者は、卑怯なもののままということになる。
(それほど、憧憬があらゆる者に通じていて、互いを結びつけていることは、当たり前なのだ。)

赦されよ、悟達の人よ、お前が知っている通りに
わたしは、しばしば測りそこなって、僭越なことをしてしまう
さまよう糸杉が、眼を自らに無理矢理に向けるたびごとに

どうやって、糸杉の足は、根っこの繊維に沿って、こっそりと歩き
そして、地面と恋の戯れをするのだろうか
雲の峰は、何とやすやすと、糸杉の挨拶を溶解するのだろうか
東の国(ペルシャ)の愛撫が、その呼吸を溶解するように。

こういったこと総てが、わたしたちを予感に満ち満ちて圧迫する
巻き毛が巻き毛に波打つところで
茶色の充溢の中に、巻いて膨らんだところで
そうして、そうすると、風にそよぐところで。

さてこうして、額が明瞭に開き
お前の心臓を、それによって磨き
ひとつの歌が、かくも陽気に、そして真実に
その中に精神を寝かせる歌を聞きとるのだ。

そして、唇(くちびる)が、そこで
一番きれいに動くのであれば
その唇は、一時(いちどき)に、お前を自由にする
お前に足枷を嵌めることから

息は、再び戻りらず
魂から魂へと逃げ
香りは、幸福を通って、うねって行く
眼に見えぬ雲のように行きながら

しかし、全能の力を以て燃える場合には
お前は、酒杯に手を伸ばして、これを掴みとる
酌人が走り、酌人が来る
初めて、そして2回目と。

酌人の眼は、輝き、その心臓は戦(おのの)く
酌人は、お前の数々の教えを聞く事を願う
お前を、酒が精神を持ち上げるたびに
最高の意義、最高の感覚で、聞くために。

酌人に、世界の空間は開く
内部には、安寧と結社がある
胸はふくらみ、産毛が茶色になる
酌人は、若者になった。

そして、お前には秘密などはないのであれば
心臓と世界を含むものがないのであれば
考える者に、お前は忠実に、そして愛を以て、合図をする
意義が、感覚が、開いて行くと。

また、玉座から、王侯の財宝が
わたしたちのためには、失われないのだと
シャーに、ひとつのよき言葉を与えよ
そして、それを、ヴェジーレに与えよ。

このようなこと総てを、今日、お前は知り、そして歌うのだ。
そして、明日もまた、それを歌う。
このように、わたしたちを、親しく、お前の随行が運んで行くのだ
粗野で、柔らかい人生を通じて


【解釈】

Hafisの巻の最後の詩が、このハーフィスに寄すと題した詩です。

この詩をこうして読むと、今迄の詩は、みなこの詩を書く為の、露払いの詩だということが判ります。この詩、ハーフィスへの思いを純粋に、純潔に歌うために、その時間と場所を清浄に払い浄めて、ゲーテはこの詩を書き、最後の位置に置いたのです。

この詩の中で、ゲーテは、自分自身を糸杉に譬えたり、酌人になったりしながら、ハーフィスへの思いを歌っています。

糸杉の写真がWikipediaにあります。

http://de.wikipedia.org/wiki/Zypressen

この説明を読むと、常緑樹ということですから、そのいつまでも若さを保つこと、生き生きとして変わらぬことの象徴なのでしょう。しかし、もっとヨーロッパの歴史の中で、この樹木の持っている深い象徴的な意味があるのではないかと思います。

そうして、この詩に限らず、今迄も出て来ましたが、der Sinn、意義、感覚という言葉が、ここでも出て来ています。これは、ゲーテがハーフィスを理解するときのキーワードなのです。

実に官能的に、ゲーテはハーフィスを理解しています。文字通りに生理的な、五感の感覚を通じてという意味と同時に、官能的な、エロティックなという意味で。

前者については、この感覚を通じてハーフィスと照応関係を持っていることが、ゲーテにとって、大切な意義と意味を持っているのです。

後者の感覚については、Suleikaとの詩篇となって、ゲーテ自身がハーフィスに変身して、これから歌われることになるのでしょう。

最後から2連目のVesire、ヴェジーレという語の意味は、次のWikipediaに載っています。

http://de.wikipedia.org/wiki/Wesir

これは、ペルシャ語由来の言葉で、カリフの代理を務めることのできる、補佐役の官職の名前です。これは、ゲーテ自身の、ワイマール王国での立ち場に重ねているのでしょう。

Strassenbahngedicht(電車詩):第2週 by Hugo Dittberner(1944- )




Strassenbahngedicht(電車詩):第2週 by Hugo Dittberner1944- 


【原文】

Als ich von dir kam,
schrieb ich dies Gedicht auf.
Von meiner Fahrt in der Strassenbahn,
wo ich neben einem Mädchen stand
in einem Lodenmantel,
das warm roch und nach Liebe.
Sie sah müde aus, genau wie ich.
Zufrieden sahen wir unser Bild
in den spiegelnden Scheiben,
während wir von Station zu Station
fuhren. Die Strassenbahn wurde immer leerer,
aber wir
blieben dich beieinander stehen.
Wir gehörten zusammen, wie wir da
gleich gross und ruhig in der Scheibe standen;
und die Fahrt endlos dauern konnte.


【散文訳】


わたしがお前のところから来て
わたしはこの詩を書き留めたのだ。
電車にわたしが乗車していることについてだ
電車の中で、わたしはある娘の隣りに立ち
娘は、粗い地の毛の外套を着て
その外套が、暖かく匂い、そして、愛の匂いがした。
娘は疲れているようにみえ、それは丁度わたしと同じだった。
満足して、わたしたちは、わたしたちの像を
映っている窓ガラスの中に見た
わたしたちが、駅から駅へと乗っている間に。電車はひとがまばらになる一方であり、しかし、わたしたちは、
体を寄せ合って立ち続けた。
わたしたちはお互いに帰属していて、それはわたしたちが、
窓ガラスの中で、そこで、同じ大きさで、そして静かに立っている通りであった。そして、電車の運行は、際限なく続いて行くことができた通りであった。



【解釈と鑑賞】


この詩人のWikipediaです。



日常を歌った叙情詩を書いたとあります。その詩は、1970年代のドイツ文学の世界での、新主観主義という文藝思潮に分類されているとあります。

確かに平凡な日常のことを歌った詩です。

深い意味があるとすれば、第2行目と第3行目の間の行間ということになるでしょう。

お前という女性と別れて来たあとで、何故この電車の中の女性の詩を書いたのか。

2013年1月10日木曜日

【Eichendorfの詩 17-6】Der verliebte Reisende (恋する旅人)


【Eichendorfの詩 17-6】Der verliebte Reisende (恋する旅人) 

【原文】

                       6
Wolken, waelderwaerts gegangen,
Wolken, fliegend uebers Haus,
Könnt ich an euch fest mich hangen,
Mit euch fliegen weit hinaus!

Tag'lang durch die Wälder schweif ich,
Voll Gedanken sitz ich still,
In die Saiten fluechtig greif ich,
Wieder dann auf einmal still.

Schoene, ruehrende Geschichten
Fallen ein mir, wo ich steh,
Lustig muss ich schreiben, dichten,
Ist mir selber gleich so weh.

Manches Lied, das ich geschrieben
Wohl vor manchem langen Jahr,
Da die Welt vom treuen Lieben
Schön mir ueberglaenzet war;

Find ich's wieder jetzt voll Bangen:
Werd ich wunderbar geruehrt,
Denn so lang ist das vergangen,
Was mich zu dem Lied verführt.

Diese Wolken ziehen weiter,
Alle Vögel sind erweckt,
Und die Gegend glänzet heiter,
Weit und fröhlich aufgedeckt.

Regen flüchtig abwärts gehen,
Scheint die Sonne zwischendrein,
Und dein Haus, dein Garten stehen
Ueberm Wald im stillen Schein.

Doch du harrst nicht mehr mit Schmerzen,
Wo so lang dein Liebster sei -
Und mich tötet noch im Herzen
Dieser Schmerzen Zauberei.


【散文訳】

                     6

雲雲が、森の方へと行く
雲雲がl、家の上を飛んで行く
お前達にぶらさがって
お前達と一緒に、遠く彼方へと飛び去ることができればなあ!

終日、森の中を、わたしは彷徨い
思いで一杯になって、わたしは坐っていて
弦の中に、さっと、わたしが掴みかかると
再び、一時(いちどき)に、静かになる。

美しい、感動させる話の数々を
わたしは思いつく、わたしの立っている場所で
陽気に、わたしは書き、詩作をしなければならない
わたし自身は、かくも悲しいのに。

幾多の歌、それをわたしは書いた
確かに幾年も前に
そこでは、世界は、誠実な愛によって
美しく、輝いていた。

わたしは、再び今、不安で一杯だ
わたしが素晴らしく感動するだろうか
というのは、かくも既に消えてしまったのだ
わたしを歌へと誘惑するものが。

これらの雲は、更に行く
すべての鳥は眼を覚ます
そして、辺りは、明朗に輝く
遥かに、そして陽気に、露わになって。

雨が、さあっと下方へと行く
太陽がその間に輝く
そして、お前の家、お前の庭がある
森の上に、静かな輝きの中に。

しかし、お前は、もはや、苦痛のために待つ事をしない
かくも長い間、お前の愛するひとがどこにいようとも
そして、わたしを、まだこころの中で殺すのは
この苦痛の魔法なのだ。


【解釈と鑑賞】

愛する女性とわかれて、旅する者を歌った歌の最後です。

やはり、主題は変わらない。歌うものの悲しみとは裏腹に、陽気に書き、詩作しなければならない旅人と、愛する人への思いの丈(たけ)。

愛する人のこころがわりを、最後の連で歌っています。