2010年3月31日水曜日

To Brooklyn Bridge (6)

To Brooklyn Bridge (6)

Down Wall, from girder into street noon leaks,
A rip-tooth of the sky’s acetylene;
All afternoon the cloud-flown derricks turn . . .
Thy cables breath the North Atlantic still.

そうやって、戦死者の慰霊の碑へと落ちて行き、
ウオール街を歩くと、

お前、聖なるブルックリン橋よ、お前のその美しい構造を支える大梁(おおはり)から、大都会のビジネス街の正午の時間の中へと、落ちて行くと、

町中で、表通りのそこここで、鎚打つ響きも音高く、高層建築の溶接の、
空のアセチレンガスの、透明なその昼間の青い色と、薄明薄暮の時間のあかい色を合わせ持つ、その炎の色の通りに相異なるものを一体と化して統合する、その空の色の全体が、海の潮の干満や、海流や、海の風の流れが互いに相打つかってできる一つの水塊となり、そうしてできて海に立ち空に立つ一本の歯、白い炎、互いの力を交換し、変換し合って働くための、工事機械のひとつの歯車の白いひとつの歯、高所なる工事現場のアセチレンガスの白い炎が一つ、このウオール街で、昼は堕ちて来た死者として仕事で辛酸を嘗め、夜は男色に耽り、しかし、これらを皆一つに溶け合わせ融合するアセチレンガスの炎、この白昼の地獄の業火よ、その煉獄の火が、堕ちて来た死者を痛めつけ、傷つけ、拷問に掛け、むさぼり食い、滅ぼすが、それは男色者が相手の傷つき易い性器に歯を立てて傷つけるための、煉獄の息を吹き付けるように燃えてそれを焼く炎の一本の白い歯、その歯の白い炎が

白昼に、恰も闇の中から漏れ出るように漏れるのだ。

そうやって、

午後の時間ずうと休む暇なく、両端の大都会の街区から往来する自動車の群れに耐えて応じて暇(いとま)無く、円滑に、四大の自然の要素を循環させ、またその変化に応じて流れ、帆を立てて進むことができる、水の凝縮し濃縮されてできた雲、地球や月の気圏にそのように規則を以て流れ、航海する、そのような雲に合わせて操作をし、風に向かって進むことができるようにと、帆船の横梁の巻き上げ機が、回転し、旋回すると. . .

お前、聖なるブルックリン橋よ、お前の立派にそそり立つマスト、その主柱を支える数多くの鋼鉄の綱、その竪琴の糸、帆船の帆が、こうして、北大西洋の潮風の、息吹きを、静かに、吸って、生気を吐いている
海の上で


[註釈]
この詩は、第5連、6連、7連の3つの詩のまん中の詩です。その意味は、
「. . . 」とあることから、第5連と第7連を繋いで、丁度第2連と第10連が、それぞれ第1連と3連、第11連と9連に対して持っているのと同じ関係を、ここでは、持っている筈です。

第2連では、聖なるブルックリン橋を上へ下へと旋回する群れ成す鴎の翼の神の姿を視る高みから、エレベーターに乗って一日の終わりとともに、地上へと堕ちてゆき、第10連では、シティでのすべての罪が、あの古代の旧約聖書にあるシティと同様に、自分の男色の灼熱の身を焼かれる罪もまた、すべて、聖なる橋のたもと、眞の闇の中から対岸を眺めれば、そもそもは罪すらもなかった、原初の状態に戻るのです。

このような、Craneの作詩法からいっても、ここは、The Bridge全体の詩篇の真中に位置する詩のひとつ、Cape Hatterasは、そのようである、海の傍の岬なのではないでしょうか。そうして、そこには、やはり、このTo Brooklyn Bridgeと同様に、Three Songsという詩が配されているからには、この聖なるブルックリン橋と、更に、同様に、Southern CrossからNatinal Winter Garden、National Winter GardenからViriginaというように、上から下へ、下から上へ、白から黒へ、黒から白へと、National Winter Gardenで、同じ変化、循環が、古代的な言葉の力によって起きていることでしょう。

と、そう思って、試しに、僕が今手元に持っている詩集を見ると、第6連に「. . . . 」と、「. . . 」ではありませんが、4つのドットから成る、深い沈黙の符号が書いてありました。そうして、仔細には見ていませんが、その前と後とでは、すなわち、その前の5連と、その後の(大きく分ければ)4連と、または(小さく分ければ)7連とは、明らかに声調が異質です。

さて、この詩に戻りましょう。

第1行と2行です。

Down Wall, from girder into street noon leaks,
A rip-tooth of the sky’s acetylene;


そうやって、戦死者の慰霊の碑を落ちて行き、
ウオール街を歩くと、

お前、聖なるブルックリン橋よ、お前のその美しい構造を支える大梁(おおはり)から、大都会のビジネス街の正午の時間の中へと、落ちて行くと、

町中で、表通りのそこここで、鎚打つ響きも高く、高層建築の溶接の、
空のアセチレンガスの、透明なその昼間の青い色と、薄明薄暮の時間の色を合わせ持つ、その色の通りに、相異なるものを一体と化して統合する、その空の色の全体が、海の潮の干満や、海流や、海の風の流れが互いに相打つかリできる一つの水塊
となり、そうして相打ってできて海に立ち空に立つ一本の歯、互いの力を交換し、変換し合って動くための、機械のひとつの歯車の力を持つ、高みの工事現場のアセチレンガスの炎が一つ、

白昼に、恰も闇の中から漏れ出るように漏れるのだ。(なぜならば、)

と、さて、こうして訳して来たものを、上にまとめたのです。

こうしてみると、アセチレンガスの色から、一日の、始めと終わりの色に、また、交錯して、陸地の騒がしい工事現場の様子と、またこれに対比して、海の息吹くを吸って静かに浮かぶ、聖なるブルックリン橋という帆船と、とこのように、幾つもの形象を、ひとつのcontextの中に掛け合せています。

そうして、やはり、この連の冒頭の推理と予測に戻りますが、Craneは、アセチレンガスの炎の色とその特性を詠って、白昼を夜に、夜を白昼になし、光を闇に、白を黒に、黒を白に、変幻させて、第7連へと橋を架けているのです。

この(5、6、7)連は、聖なるブルックリン橋から堕ちて来て、地獄の業火にやかれる0階の階層の物語なのですが、ここで気が付いたことは、第5連の"a bedlamite"と"a jest"、そうしてこの第6連の"a rip-tooth"と、不定冠詞がついていることです。前2者が男色者のことであるならば、後1者もそうであろうと推理しtiltingやbalooningからいって、間違いのないことだと思います。

何故ならば、aという文字は、"something shaped like the letter A "ということから、loft、あの尻の三角形を意味し、その複数形は、"a’s"または"as"であって、assであり(発音も)、そして、その使い方は、大文字であれば、男色行為のホストの側、与える側の役割であり、小文字で書けば、主語にはならず、attributeとして、常に述語部にあって、主語、すなわちホストに支配されるa、つまり尻であるからです。

そうして、あとひとつ、不定冠詞のついている言葉が、この詩の中にあります。それは、第11連のa mythです。これは、従って、男色者の神話という意味に、密かに、Craneは、掛けているのです。この隠れた、あるいは隠した意味を、表に文字に表して、この連載の最後にもう一度、第11連を訳し直すことにします。

さて、次の第7連は、Andではじまります。明らかに、このtransformationの連を承けているのです。そこは、再び、第5連に戻り、同時に(同時にとは何か、です。そうではなく、構造的に、無時間で、というべきでしょう)、Brooklyn Bridgeの上の階層、すなわち、8、9、10、11、の連へと、詩は、そこから掛け昇って行くのです。そうして、5、6、7と(地下の世界で)循環するように、11は1へと美しく循環し、こうして、永遠に、Brooklyn Bridgeと、To Brooklyn Bridgeで生きるものたちは、このような循環のもとで、祝福され続けるのです。

(語釈以下は明日とします。)

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