2011年12月17日土曜日

埴谷雄高論2(虚体)


今日、あれこれといろんな事を思っていて想到したのであるが、埴谷雄高が「死霊」において、虚体という概念を最後に持ち出したということは、この藝術家が宇宙は機能の集合だということに想到したということを意味している。

即ち、「死霊」という作品は、異母兄弟のコミュニケーションのメディアの話であったのだということを、自分自身で知ったということである。

これほど自分自身を否定した作家は、日本文学史上にいないと思うけれども。

それは、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。

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