2010年3月31日水曜日

Hart Crane余語3【謎を解く詩】

今手元にあるThe Complete Poems of HART CRANEから、To Brooklyn Bridgeという精華に連なる、しかし、最初の萌芽、即ち問いの詩から。だれでもが、持つ問いの詩。

Did one look at what one saw
Or did one see what one looked at?

この問いである詩は、Einsteinという物理学者の晩年の問いを彷佛とさせます。それは、晩年だから問うたのではなく、弱年の頃からの問いの筈です。

僕が月を見るから月が存在するのか
それとも、僕が見なくとも月は存在するのか?

Craneの問いが、僕の関心を惹くのは、それが単純過去、もっといいたいのは、純粋過去だからです。Simpleはpureに通じるのだろうか?

人類は、文法において、過去形から、時間を捨象して、接続法を産み出し、仮定の、つまり時間のないmodeを造り出した。このことの、やはり、一番単純な姿を、たった2行で表しているからです。

僕の答えは、こうです。まづ、Einsteinに。

僕が見るから月が存在する。
僕が見なければ月は存在しない。

それから、Hart Craneに。

いやあ、これは難しい。何故なら、これらの問いの中心には、whatがあるからです。これは、本質を問う疑問詞。これを巡って、因果が逆転する。生理的にも、論理的にも。一体どこに幸せがあるのだろうか。

これが、僕の弱年の頃からの問いでした。

Craneのこの詩の題名は、

Hieroglyphic

というのです。

象形文字。神聖なる象形文字。Symbols or symbolics.

さて、同じことを、散文家、Thomas Mannは、18歳のprosa or prose、Visionにおいて、次のように書いています。

Hinter mir knackt heimlich nekkend die Stuhllehne, dass es mir jaeh wie hastiger Schauder durch alle Nerven faehrt. Das stoert mich aergerlich in meinem tiefsinnigen Studium der bizarren Rauchschriftzeichen, die um mich irren, und ueber die einen Leitfaden zu verfassen ich bereits fest entschlossen war.

僕の背中で密かに椅子の背もたれが(背の重みで)ギッと音を立てて嘲笑うや、急に、僕のすべての神経が、激しく震える。それが、怒り心頭に発するのは、僕が、深い意識の中で、仔細に、体系的に読もうとしているのに、僕の周りに漂い彷徨(さまよ)う、煙草の煙りの奇妙奇天烈な煙り文字の、その謎解きと、そうして、そいつの答えの導きの糸をしっかりと?まえようと既に決心をしてそのつもりでいるのに、その音が、それを邪魔するからだ。

これは、Thomas Mann 18歳のHieroglyphic。

あなたにも、ある筈です。それを何という言葉で、あなたはsymbolizeしたのか。
思い出してみてください。

18歳のThomas Mannは、既にこのとき、煙草を吸っていて、だから上のような散文が掛けたのです。煙草を吸うと、意識は純粋過去に向かう。

いかがでしょうか。

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