今日は、Jack Derridaから始めよう。移動書斎の中でDisseminationを読む。その中のPharmakonを。
今という時間を止めることができない。しかし、それは何故だろうか。この問いに、人間のすべの苦しみや悲しみが宿っているようにぼくには思われる。
The khairein takes place in the name of truth: that is, in the name of knowledge of truth and, more precisely, of truth in the knowledge of the self. This is what Socrates explains (230a). But this imperative of self-knowledge is not first felt or dictated by any transparent immediacy of self-presence. It is not perceived. Only interpreted, read, deciphered.
自己を知るために、主語である支配者の秘密を知るために、今日も言葉の聖杯探究を始めよう。
【原文】
A boy runs with a dog before the sun, straddling
Spontaneities that form their independent orbits,
Their own perennials of light
In the valley where you live
【表の訳】
太陽の前で、ひとりの少年が一匹の犬と一緒に走っている
遊戯をし、戯れるので、それぞれが互いに独立した円を描いていて
その軌道は形成する様々な自然の動き、自発的な喜びに股がって
恰も馬を駆るように そうして、つまり、
お前が住む谷の光の持つ、少年と犬のそれぞれ自分自身の一年の四季に
股がって
【裏の訳】
太陽の役割を演ずるホストの男色者、この死刑執行者の眼前で
うぶな可愛い少年が、その魅力に惚れて犬のように従順になっている
人間の神、そのような年長の男色者と一緒に運行している。
それぞれの独立した、何ものにも従属することのない軌道を形成しているのは
その自然の姿態でありモーションの数々で、黙っていても腰が自動的に動くのさ、いわば馬に股がるように、両脚を開いて尻を上げながら、つまりお前の生きている男色街のその男達の尻の中に差すその光、夜明け前の薄暮の光を、そのビジョン、この世にはあらぬ土地で、一年中春夏秋冬相も変わらず、それぞれ自分の尻を性交ごとに立たせながら
【解釈】
1. ひとりの少年が犬と戯れている様を書いているのが、この連の第1行。A boyは、そのAから、既に恋人の少年を指している。だから、こうして解釈すると、これはWilhelm Sommerのことだとぼくは思う。A dogとは、これも犬のような人間としての男色者と、自分を卑下し、自虐的に犬に喩えたのだ。しかし、この犬は主人が必要で、いや犬と主人はいつも対の言葉であるから、ここでの主人は、隠れたる太陽、すなわち男色者ふたりに対する命令者なのだ。太陽系の運行の中心人物、支配者である。
2. Craneは、言葉遊びを、勿論よくして、a god、すなわち人間の、その少年にとっての神をひっくり返してa dogと呼んだのだとぼくは思う。同じ言葉遊びを、Craneはよくする。同じWhite Buildingsの中の、以前未完で翻訳をそのままにしているBlack Tambourineの中の第2連は、Aesopで始まる。これはイソップ物語のイソップ。しかし、この詩人の場合は、最初の文字が大文字のAであることに意味がある。これはLoftのA。AssのA、尻を持ち上げた、男女を問わぬ人間の姿である。これを別な言い換えで、tentedとその状態をいっている。すなわち、テントを張るということは、三角形の形に尻を突き出すことを意味するのだ。
このAesopは、dogと同様にひっくり返すと、Pose Aとなる。Aの姿態をとるという、その姿勢の意味である。そうぼくは解釈する。
3. Straddlingは、Webster Onlineによれば、またしてもstrideであるので、これはTo Brooklyn Bridgeにあったように、太陽の性的モーションを指している。それに合わせて、queingしているその他の惑星、celestial bodiesは、side stepを踏み、円を描いて、周行するのだ。
4. Perennialは、同じ辞書によれば、ラテン語のper annus, throughout yearという意味であるから、annusとあるように、これは尻毎にという意味を裏に隠している。そうして、表向きには、一年を通じてといっているのだ。Craneの詩は、表も裏も縁語だらけだ。この1年の四季は永遠に回帰する。
5. 上記2にあるような同じ言葉遊びを、詩人はここでもしている。というよりは、これは当時の、そうして多分今も英語圏の男色者達のjargon、隠語なのだとぼくは思う。それが、valleyである。Vはここでは小文字であるが、これは、同じ詩集の中のEmblems of Conductの第1連の第2行目のThe uneven valley gravesとあるvalley。それから、Passageという詩の第4連第3行目のVine-stanchioned valleysとあるvalleyと同様に、そうChaplinesqueを思い出してもらいたい、そこの第5連にあるlonely alleyのalleyを。V-alleyは、Aを転倒させ倒錯させたalley、すなわちvalley、更にすなわち男色者の尻の谷間という意味なのだ。だから、こうしてChaplinesqueからいっても、更に第3の意味は、男色者達の集う街、男色街という意味が、このvalleyなのだ。
辞書に戻ると、an elongate depression of the earthユs surface usually between ranges of hills or mountains, an area drained by a river and its tributariesとある。Earthユs surfaceが既に、地球の役割を担う、太陽に直かに接し、月を後ろに従えた男色者の役割、またはその役割を演ずる男色者の異名である。
6. Lightも日常では平凡な意味に堕しているが、詩人という存在の素晴らしさは、その言葉を源に遡って考え、またこの世に戻って来るということなのだ。同じ辞書によれば、lightとは、something that makes vision possible, the sensation aroused by stimulation of the visual receptors、さらに同義語でDAWNとあり、DAYLIGHTとある。光とは、薄暮であり、薄明であり、真昼の光でもあるのだ。そうしてまた、TRUTH。
【語釈】
1. straddle
2. spontaneity
2.1 spontaneous
3. orbit
4. perennial
5. light
6. valley
7. live
8 : to have a life rich in experience
9 : COHABIT
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