2014年10月26日日曜日

Gesellschaftsregel(宴会の決まり):第45週 by Theognis von Megara(紀元前6世紀後半)


Gesellschaftsregel(宴会の決まり):第45週 by  Theognis von Megara(紀元前6世紀後半)





【原文】


Nötige nie beim Fest den Gast ungern zu
verweilen, Noch auch mahn ihn zu gehen, eh es 
ihm selber gefällt. Auch wenn einer der Zecher
vielleicht, vom Weine gepanzert, Sanft in den
Schlummer verfiel, wecke den Schläger nicht auf;
Noch verweise, bevor er es wünscht, aufs Lager
den Muntren; Denn im tiefesten Gemuet aergert uns
jeglicher Zwang. Aber dem Durstigen sei stets
nah mit dem Kruge der Mundschenk;
Nicht allnächtlich, wie heut, ist ihm
zu schwärmen vergönnt.



【散文訳】


宴席では、客を不承不承に留まらせるようなことをしてはならないし、
客が自分でそう思う前に、帰るように警告してはならない。たとえ
大酒飲みの一人が、ひょとしたら、酒の鎧を着て、そっと眠り込んでしまったとしても、この無作法者を起こしてはならない
ましてや、目覚めている者を、自分でそれを望まぬ前に、寝床へ行けと指し示してはならない。とういうのは、最も深い心地よさの中では
どんな衝動でも、わたしたちを怒らせるからである。しかし、喉の渇いている者には、常に、
酌人が、壺と一緒にその者のそばに控えさせるがよい
今日ではそうであるように、毎晩ではないが、喉の渇いている者には
幸いにも、夢見る機会が与えられるべきなのだ。


【解釈と鑑賞】


この詩人のWikipediaがあります。



紀元前6世紀後半に生きた古代ギリシャの詩人(男性)です。

ニーチェが、ポォルタの高校を卒業するときの卒業論文に、この詩人を論じていることが書かれております。

この古代ギリシャの詩人の詩も、社交の決まりを教える教訓詩ということなのでしょう。





【西東詩集92】 Hochbild(浮き彫り)



【西東詩集92】 Hochbild(浮き彫り)


【原文】


DIE SONNE, Helios der Griechen,
Fährt prächtig auf der Himmelsbahn,
Gewiss, das Weltall zu besiegen
Blickt er umher, hinab, hinan.

Er sieht die schönste Göttin weinen,
Die Wolkentochter, Himmelskind,
Ihr scheint er nur allein zu scheinen;
Fuer alle heitere Raeume blind

Versenkt er sich in Schmerz und Schauer,
Und häufiger quillt ihr Thraenenguss;
Er sendet Lust in ihre Trauer
Und jeder Perle Kuss auf Kuss.

Nun fühlt sie tief des Blicks Gewalten
Und unverwandt schaut sie hinauf,
Die Perlen wollen sich gestalten:
Denn jede nahm sein Bildnis auf.

Und so, umkränzt von Farbe’ und Bogen,
Erheitert leuchtet ihr Gesicht,
Entgegen kommt er ihr gezogen,
Doch er! doch ach! erreicht sie nicht.

So, nach des Schicksals hartem Lose,
Weichst du mir, Lieblichste, davon,
Und wer ich Helios der grosse
Was nützte mir der Wagenthron?



【散文訳】


太陽、即ちギリシャ人たちのヘリオスは
壮麗に、天の軌道を走る
そう、宇宙に勝利し、我がものとすることは、確かなことだ
ヘリオスは、周囲を眺めやり、下を眺めやり、上を眺めやる

ヘリオスは、最も美しい女神が泣いているのをみる
雲の娘、天国の子供である
女神には、ヘリオスは、ただ一人で輝いているようにみえる
すべての明朗なる数々の空間には盲(めし)いて

ヘリオスは、苦痛と畏怖の中に沈む
すると、もっと頻りに、女神の涙の鋳型から泉が湧きでる
ヘリオスは、陽気を、女神の悲しみの中へと送り込む
そして、真珠の接吻に接吻を次々に送り込む。

かくして今や、女神は深く、その視線の支配力を感じ
そして、振り向かぬままに、上を見る
数々の真珠が、姿をとって現れたいと云う
というのも、どの真珠も、ヘリオスの像を映しているからだ。

そして、かくも、色彩と虹の冠を載せて
明朗になって、女神の顔(かんばせ)は輝く
ヘリオスは女神に向かって引き寄せられて行く
しかし、ヘリオスのことだ!しかし、ああ!女神に到達しないのだ。

さて、こうして、運命の苛烈な籤(くじ)に従って
お前は、私から去って行くのだ、最も愛する者よ、ここから去って行くのだ
そして、仮にわたしが、ヘリオス、即ち偉大なる者であるとして
一体、その運行する玉座が、わたしにとって、何になろうか?(何にもなりはしない)



【解釈と鑑賞】

これは、詩の題名が浮き彫りとありますので、古代ギリシャのレリーフを見て着想した詩でありませう。

そのレリーフには、ヘリオスという古代ギリシャの太陽神、四頭立ての馬車に乗って天空を行くこの神の姿が描かれてあったのでせう。

この神さまについてのwikipediaがあります。:


ヘリオスは、そのように天の軌道を行くものですから、一所には留まることなく、愛する者とも別れなければならない。

その心情を、ゲーテが、この男神に託して歌った歌です。






【Eichendorfの詩89】Kriegslied(戦争の歌)


Eichendorfの詩89Kriegslied戦争の歌)  
  


【原文】

Nicht mehr in Waldesschauern
An jäher Kluefte Rand,
Wo dunkle Tannen trauern,
Siehst du die Brut mehr lauern
Auf wüster Felsenwand.

Die Greifen nicht mehr fliegen,
Lindwurm auf heissem Sand
Nicht  mehr mit Löwen kriegen,
Auf ihren Bäuchen liegen
Die Drachen im platten Land.

Doch wo das Leben schimmelt,
So weit man reisen kann,
Von Wuermern es noch wimmelt,
Und was auf Erden himmelt,
Sie hauchen’s giftig an. 

Noch halten sie in Schlingen
Die wunderschöne Braut,
Bei Nacht hört man ihr Singen
die stille Luft durchdringen
Mit tiefem Klagelaut.

Das ist die Brut der Natter,
Die immer neu entstand:
Philister und ihre Gevatter,
Die machen gross Geschnatter
Im deutschen Vaterland.

Sank Georg, du blanker Streiter,
Leg dein Lanze ein,
Und wo ein wackrer Reiter,
Dem noch das Herz wird weiter,
Der steche frisch mit drein!



【散文訳】

もはやこれ以上は、森のにわか雨の中で
険しく切り立った峡谷の縁で
暗い大森林が嘆き悲しむその場所では
お前は、生まれた毒蛇の子が潜み隠れているのをみることはない
荒涼たる岩壁の上に。

グリフィンは、もはや飛ぶことはない
リントヴルムを、熱い砂の上で
もはや、獅子と共に捕えることはない
グリフィンの腹の上に、龍たちが横たわる
平地の国で。

しかし、生命が輝いている場所では
かくも遠くへと旅することのできる限りは
虫けらどもが、まだうじゃうじゃしていて
そして、地上では、空中を飛び廻るものに
虫けらどもは、毒の息を掛ける。

おまけに、虫けらどもは
美しい花嫁を掻き抱いている
夜には、虫けらどもの歌う声が
静かな空気を突き通すのを聞く
深い嘆きの音を立てながら

これが、毒蛇の子供だ
いつも新しく生まれた来たその子供だ
俗物とその教父どもが
こいつらが、大きな声でがあがあと鳴いてゐる
ドイツ人の祖国の中で

聖ゲオルグよ、お前、輝ける戦士よ
お前の槍を脇に抱えよ
そして、勇敢なる騎士の
まだ心臓が膨らむ場所で
その騎士よ、新鮮に、(聖ゲオルグと)一緒に刺し込むのだ!



【解釈と鑑賞】

グリフィンという想像上の動物は、このような姿をしております。



また、その説明には、Wikipediaがあります。:


リントヴルムという生物は、ゲルマン民族の伝説上の龍で、このような姿をしております。クラーゲンフルト市のリントヴルム像が有名のようです。その写真です。




このゲルマン民族の龍についてのWikipediaがあります。:


これによれば、

1200年代からの別のドイツの物語。クラーゲンフルトの近くに住んでいたリントヴルムが川に沿って旅行者を襲い続けた。そして、河の主であるドラゴンの存在は脅威であった。 そこで、懸賞をつけたので街は大騒ぎとなり、何人かの青年が雄牛をチェーンに結んだと言って、リントヴルムが雄牛を飲み込んだ時に魚のように釣って殺したという。

とあります。

また、聖ゲオルゲという聖人は、このようなひとです。




この聖人についてのWikipediaがあります。:



この詩は、世俗の俗物どもと、その俗物どもの教父、名付け親にすらなっているその通俗的な擁護者に対する痛罵であり、悪罵であり、猛烈な批判です。

俗を批判するに、グリフィンやリントヴルムや龍やを持って来たところに、アイヒェンドルフの激しさがあります。何故ならば、これらの生き物は、この世のものではなく、想像の世界の、しかし確たる、生き物であるからです。










2014年10月18日土曜日

【西東詩集91】 Suleika


【西東詩集91】 Suleika


【原文】

WAS bedeutet die Bewegung?
Bringt der Ost mir frohe Kunde?
Seiner Schwingen frische Regung
Kühlt des Herzens tiefe Wunde.

Kosend spielt er mit dem Staube,
Jagt ihn auf in leichten Woelkchen,
Treibt zur sichern Rebenlaube
Der Insekten frohes Voelkchen.

Lindert sanft der Sonne Glühen,
Kühlt auch mir die heissen Wangen,
Küsst die Reben noch im Fliehen,
Die auf Feld und Hügel prangen.

Und mir bringt sein leises Flüstern
Von dem Freunde tausend Grüsse;
Eh noch diese Hügel düstern
Grüßen mich wohl tausend Küsse.

Und so kannst du weiter ziehen!
Diene Freunden und Betrübten.
Dort wo hohe Mauern glühen
Find’ ich bald den Vielgeliebten.

Ach! die wahre Herzenskunde,
Liebeshauch, erfrischtes Leben
Wird mir nur aus seinem Munde,
Kann mir nur sein Athem geben.



【散文訳】


この動きは何を意味するのか?
東風が、わたしに、喜ばしい知らせを持ってくるのだろうか?
その翼の新鮮な動きは
心臓の深い傷を冷たくする。


愛撫しながら、東風は、塵(ちり)と遊び
塵を狩って、追い立てる、軽い小さな雲の中で
安全な葡萄の蔓の葉叢(はむら)へと追い立てる
数々の虫の、喜びの群れを。

優しく、和らげるのは、太陽の輝きであり
それは、また、わたしの熱い頬を冷たくして
葡萄の蔓に、逃げながらも口づけして
野原と丘の上で、光り輝いている

そして、わたしには、その(東風の)微かな囁きは、運んで来る
その男の友(ハーテム)から、幾千もの挨拶を
まだこれらの丘が暗くなる前に
確かに、わたしに、幾千もの口づけが、挨拶する。

そして、このように、お前(東風)は、更に先へとお行きなさい!
友たちと、そして心の暗い者たちに尽くすがいいのです。
そこ、高い壁の輝くそこで
わたしは、直きに、たくさん愛されている者(ハーテム)を見つけるのです。

ああ!本当の真情の知らせ
愛の吐息、新たになった命
これらは、唯彼(たくさん愛されている者)の唇の中から生まれ
わたしには、唯彼の息だけが、これらを与えることができるのです。



【解釈と鑑賞】

この詩が、この『ズーライカの巻』での、ハーテムとズーライカの名前でやりとりされる一連の相聞歌の最後の歌です。

従い、この題名の意味するところは、ズーライカが歌うという意味です。

この詩の後、Suleikaという題名の詩がふたつありますが、これらは相聞歌ではなく、ハーテムが、ズーライカという名前の元に、その思いを歌う詩となっています。

Und so kannst du weiter ziehen!
Diene Freunden und Betrübten.
Dort wo hohe Mauern glühen
Find’ ich bald den Vielgeliebten.
そして、このように、お前(東風)は、更に先へとお行きなさい!
友たちと、そして心の暗い者たちに尽くすがいいのです。
そこ、高い壁の輝くそこで
わたしは、直きに、たくさん愛されている者(ハーテム)を見つけるのです。

とある第5連の意味は、この歌全体が東風に呼びかけられている体裁になっておりますから、その風が行き着くところまで行き着いて、普通に言うならば、地の果てまで行って、そこに至ったら、わが恋人、ハーテムがいるという意味でしょう。ズーライカの思いの広さ、果てのなさ、他方そうして、ハーテムの思いの広さ、強さ、果てのなさも示しているのです。





Ein Winterabend(冬の夕べ):第44週 by Georg Trakl(1887 ~ 1914)


Ein Winterabend(冬の夕べ):第44週 by  Georg Trakl(1887 ~ 1914)






【原文】

Wenn der Schnee ans Fenster fällt,
Lang die Abendglocke laeutet,
Vielen ist der Tisch bereitet
Und das Haus ist wohlbestellt.

Mancher auf der Wanderschaft
Kommt ans Tor auf dunklen Pfaden.
Golden blueht der Baum der Gnaden
Aus der Erde kühlem Saft.

Wanderer tritt still herein;
Schmerz versteinerte die Schwelle.
Da erglaenzt in reiner Helle
Auf dem Tisch Brot und Wein.



【散文訳】


もし雪が窓辺に落ちて
長いこと、夕方の鐘の音が鳴って
多くの人々のもとで、食事の支度が出来て
そして、家というものが、これでよしということになる。

幾多の人が、旅をしていて
暗い小道を歩いて、門(かど)に来て
黄金色に、恩寵の木が花咲く
地上の冷たい樹液の中から

旅人は、静かにこちらに入ってくる
苦しみが、敷居を石にする
すると、純粋な明るさの中に輝く
食卓の上に、パンと葡萄酒が



【解釈と鑑賞】


この詩人のWikipediaがあります。



オーストリアの詩人です。短命で、27歳で亡くなっております。

この詩人は、色彩を詩の中に歌い込みますが、それが深い意味を持っているのです。




【Eichendorfの詩88】Frisch auf!(しゃきっとせよ!)


【Eichendorfの詩88】Frisch auf!(しゃきっとせよ!)  
  

【原文】

Ich sass am Schreibtisch bleich und krumm,
Es war mir in meinem Kopf ganz dumm
Vor Dichten, wie ich alle die Sachen
Sollte aufs allerbeste machen.
Da guckt am Fenster im Morgenlicht
Durchs Weinlaub ein wunderschönes Gesicht,
Guckt und lacht, kommt ganz herein
Und kramt mir unter den Blättern mein.
Ich, ganz verwundert:》ich sollt dich kennen《-
Sie aber, statt ihren Namen zu nennen:
》Pfui, in dem Schlafrock siehst ja aus
Wie ein verfallenes Schilderhaus!
Willst du denn hier in der Tinte sitzen!
Schau, wie die Felder da draussen blitzen!《
Mir tat’s um die schöne Zeit nur leid.
Drunten aber unter den Bäumen
Stand ein Ross mit funkelnden Zaeumen.
Sie schwang sich lustig mit mir hinauf,
Die Sonne draussen ging eben auf,
Und eh ich mich konnte bedenken und fassen,
Ritten wir rasch durch die stillen Gassen,
Und als wir kamen vor die Stadt,
Das Ross auf einmal zwei Flügel hat,
Mir schauerte es recht durch alle Glieder:
》Mein Gott, ist’s denn schon Frühling wieder?《-
Sie aber wies mir, wie wir so zogen,
Die Länder, die unten vorüberflogen,
Und hoch über dem allerschönsten Wald
Machte sie lächelnd auf einmal halt.
Da sah ich erschrocken zwischen den Bäumen
Meine Heimat unten, wie in Träumen,
Das Schloss, den Garten und die stille Luft,
Die blauen Berge dahinter im Duft,
Und alle die schöne alte Zeit
In der wundersamen Einsamkeit.
Und als ich mich wandte, war ich allein,
Das Ross nur wiehert’ in den Morgen hinein,
Mir aber war’s, als wär ich wieder jung,
Und wusste der Lieder noch genug!


【散文訳】

わたしは、机に座っていた、青ざめて、そして背を屈(かが)めて
わたしの頭は、全く馬鹿になっていて廻らなかった
詩作のことで、わたしが総ての事を最善ものにしなければならないときにはいつもそうであるように
すると、窓辺に、朝の光の中に
葡萄の葉叢(はむら)を通して、ひとつの美しい顔が覗く
覗いて、そして笑い、家の中に遠慮無くずいーっと入ってくる
そして、わたしの書いている用紙の下を掻き廻して探すのは、わたしの顔だ。
わたしは、全く訝しく思って、こう言う:》わたしはお前を知る運命にあったのだ。《
あなたは、しかし、あなたの名前を言う代わりに、こう言うのだ:
》ぷふい、その夜着を着ていると、お前さんは、全く
荒廃した番兵小屋のように見えるぜ!
一体このインク壺の中に座っていたいと思っているとは!
見ろ、野原という野原が、ほら、どんな風に外で煌(きら)めいているのかを!《
わたしには、その素晴らしい時代は、唯々哀しみだった。
あの下には、しかし、木々の下には
一頭の馬が立っていて、火花散る手綱が載っていた
この雌馬は、わたしを乗せて、陽気に上へと飛び上がった
太陽は外にあって、まさに昇っているところだった
そして、わたしが思案し、気を落ち着けることができる前に
わたしたちは、急いで、静かな数々の小路を通って騎行して
そして、町の前にやってきたときに
馬は、突然に、二つの翼を持っていて
わたしは、正(まさ)しくぞっとして、恐怖が四肢を貫いた:
》何ということだ、一体もう、また春が来たというのだろうか?《
馬は、しかし、わたしたちがこのように行くがままに
国々を示し、国々は下方で飛び過ぎて行き、
そして、高く、一番美しい森の上で
馬は、微笑みながら、突然に止まった。
と、わたしは、驚いて、木々の間を見た
わたしの故郷が、下にあって、それは数々の夢の中でのように
城が、庭が、そして静かな空気が
その後ろには、芳香の中の青い山々を
そして、すべての美しい、古く懐かしい時代が
不思議な孤独の中にあるのを見た。
そして、わたしが振り向いたとき、わたしは一人であった
馬は、朝の中へ、唯ひひんと鳴いただけであった
わたしには、しかし、恰もわたしが再び若くなっており
そして、まだ十分に数々の歌を覚えているかの如くに思われた。


【解釈と鑑賞】

このFrisch auf!という題名は、アイヒェンドルフの詩の題名としては、一寸異色である。

しゃきっとしろ!と、まづは訳しましたが、他には、場合によっては、気合を入れて!とか、しっかりせい!とか、気をとり直して!とか、新しい気持ちで!とか、初心に帰ろ!とか、色々な訳が可能でしょう。

この題名が異色であるということと、この詩が、これまでの詩とは異なり、全く連の無い、一息で書いたひとつの長い詩だということが、やはり違っております。

このとき、アイヒェンドルフには何かが起きていたのでしょう。

と、そのように思って、最後まで詩に目を通してみますと、やはり、それはその通りで、子供の頃から親しんで居住したその城のことを歌っているのです。

そして最後の二行は、接続法II式を使っておりますから、この詩を書いた時の現実の詩人は、若くはなく、歌を歌う能力もないということなのです。

このことが、この詩の、これまでの詩とは異なる、特徴となっております。








2014年10月15日水曜日

Amal Al-Jubouri(死のヴェール):第43週 by Amal Al-Jubouri(1967 ~ )


Amal Al-Jubouri(死のヴェール):第43週 by  Amal Al-Jubouri(1967 ~ )




【原文】

Oh Tod,
du bist eine Wolke,
die nicht regnen will
und die schwanger mit dem Jenseits ist.



【散文訳】

おお、死よ
お前は、一つの雲だ
雨を降らさぬつもりの
そして、彼岸(あの世)を孕んでいる雲だ



【解釈と鑑賞】


この詩人の専門のウエッブサイトがあります。



イラクの女流詩人です。

わたしは最初男かと思っておりました。しかし、女性だということが判れば、最後の一行の意味も切実に、実感を以て、理解することができます。

原詩のアラビア語では、ペルシャの言葉では、きっと美しい韻を踏んでいるのではないかと思います。

この詩の題名は、死のヴェールという題名ですが、これは普通の人間の感覚とは全く逆の、倒置された感覚です。

普通の人間ならば、生のヴェールということでしょう。そして、生は、此岸(この世)を孕んでいるのだというでしょう。

しかし、この世を歌わず、生も直接には歌わずに、死とそのヴェールを歌うのです。

この世では、この詩人の論理と感覚によれば、雨が降っているのでしょう。



雲がそのようなものであれば、さて、この生、この此岸、この世を、この詩人は何に譬(たと)えたものでしょう。




2014年10月13日月曜日

詩人の立っている位置



詩人の立っている位置

最近、安部公房の好きだったリルケの詩のひとつ『涙の壷』について考えていて、この詩人が『ドゥイーノの悲歌』の最初の詩行を霊感によって授かった場所が、やはり海に望む断崖絶壁であり、更に加えて、そこに城が立っていて、その城の庭の中で、そのことが起こったということに、実は深い意味があるのではないかと思った。



2014年10月11日土曜日

【西東詩集89】 Suleika



【西東詩集89】 Suleika


【原文】

Suleika

War Hatem lange doch entfernt,
Das Mädchen hatte was gelernt,
Von ihm war sie so schone gelobt,
Da hat die Trennung sich erprobt.
Wohl!dass sie dir nicht fremde scheinen:
Sie sind Suleikas, sind die deinen.

Behramgur, sagt man, hat den Reim erfunden,
Er sprach entzückt aus reiner Seele Drang;
Dilaram schnell, die Freundin seiner Stunden,
Erwiderte mit gleichem Wort und Klang.

Und so, Geliebte! warst du mir beschieden
Des Reims zu finden holden Lustgebrauch,
Dass auch Behramgur ich, den Sassaniden,
Nicht mehr beneiden darf: mir ward es auch.

Hast mir dies Buch geweckt, du hasts gegeben;
Denn was ich froh, aus vollem Herzen sprach,
Das klang zurück aus deinem holden Leben,
Wie Blick dem Blick, so Reim dem Reime nach.

Nun tön es fort zu dir, auch aus der Ferne;
Das Wort erreicht, und schwände Ton und Schall.
Ists nicht der Mantel noch gesäter Sterne?
Ists nicht der Liebe hochverklärtes All?

DEINEM Blick mich zu bequemen,
Deinem Munde, deiner Brust,
Deine Stimme zu vernehmen
War die letzt- und erste Lust.

Gestern, ach! war sie die letzte,
Dann verlosch mir Leucht und Feuer,
Jeder Scherz der mich ergetzte
Wird nun schuldenschwer und teuer.

Eh es Allah nicht gefällt
Uns aufs neue zu vereinen,
Gibt mir Sonne, Mond und Welt
Nur Gelegenheit zum Weinen.



【散文訳】

ハーテムが、長い事、遠く居なくなったものだから
この生娘も、何かを学んだのです
娘は、ハーテムに、かくもよく褒められました
だから、別れが自らを試したのです
そう、きっと、かく在る二人が、あなたには常ならぬものには見えないということ、即ち
ふたりは、ズーライカのものであり、ふたりは、あなたのものなのだということを、試したのです。

ベハラムグーアは、とひとは言うのだけれど、韻律を発明したのだと
彼は、純粋な魂の衝動の中から、有頂天になって話をした
ディララムは、素早く、彼の授業の時間の女友達に
同じ言葉と響きを以て、その質問に答えた

そして、そう、愛する者よ!お前は、わたしには
韻律の、優美な悦楽の使用を発見するよう定められていたのだ
ベハラムグーアがわたしだとしても、ササン朝ペルシャの人たちを
もはやこれ以上羨むことはゆるされない。つまり、わたしにも、それと同じことが起こったのだ。

この巻は、わたしを目覚めさせたのだ、お前がこの巻を呉れたのだ、
というもは、わたしが、満腔の悦びを以て話したことは
お前の優美な生の中から、響き返して来たのだから
眼差しが、眼差しに倣(なら)ひ、韻律が韻律に倣ふやうに。

さて、かうなったことであるから、この巻は、お前の所へと進み往き、鳴り響くがよい、また遠くからであらうと、鳴り響くがよい。というのも、
言葉は実際に到達する、そうすれば、音と響きが消え失せようから。
この巻は、もっと播種された星々の外套ではないのか?
この巻は、愛の、高々と神々しく輝く万有ではないのか?

お前の眼差しが、わたしを安楽にするということ
お前の唇(くちびる)が、お前の胸が、わたしを安楽にするということ
お前の声を聞き取るということ
これらのことは、最後で最初の悦びだ。

昨日は、ああ!その悦びは、最後の悦びであった
すると、灯りと炎が、わたしから消え失せ
わたしを悦ばせたどの戯れ言も
今や、負債の重さとなり、また高いものについくことになる。

わたしたちを、新たにひとつに結びつけることが
アッラーのお気に召さぬことになる前に
わたしに太陽と月と世界を呉れ
泣くための機会を呉れ



【解釈と鑑賞】

このズーライカという題名である筈のこの詩は、詩の題名と歌われている内容との関係が、非常に複雑微妙な関係にある詩です。

もし今迄のように、その詩の題名が示す名前が、その詩を歌っている者だという理解であると単純で判りやすいのですが、この詩の題がズーライカであるから、この詩を歌っているのがズーライカかというと、ズーライカであったり、ハーテム(ゲーテ)であったりするのです。

話者が、巧みに入れ替わります。

ですから、この詩の題名のズーライカは、ハーテムが呼びかけてズーライカと呼んだそのズーライカという意味にもとることができます。

ふたりの恋人が混然一体となっています。それほどに、この詩は、一連のこの巻の中の詩のうちでも、とりわけ重要な詩なのです。

第2連のベハラムグーアとは、ササン朝ペルシャの王様で、5世紀のひと。音楽と詩を愛し、これらの藝術を支援したと、註釈にあります。

また、ディララムという人物は、この王様の奴隷の名前です。註釈に、Herzensruheと、この奴隷のことを言っておりますから、ベハラムグーアという王様は、この奴隷といると、こころが安らかになったのでしょう。そういう間柄のふたりの名前です。

Dilaram schnell, die Freundin seiner Stunden,
Erwiderte mit gleichem Wort und Klang.

とありますので、この奴隷は、やはり学識も豊かな、また美しい言葉とその響きで、何かを教えることを、親しい友人たちにしていたのだと思われます。

第5連もまた、複雑な連です。

Nun tön es fort zu dir, auch aus der Ferne;
Das Wort erreicht, und schwände Ton und Schall.
Ists nicht der Mantel noch gesäter Sterne?
Ists nicht der Liebe hochverklärtes All?
さて、かうなったことであるから、この巻は、お前の所へと進み往き、鳴り響くがよい、また遠くからであらうと、鳴り響くがよい。というのも、
言葉は実際に到達する、そうすれば、音と響きが消え失せやうから。

一行目の tönは、接続法I式、二行目のerreichtは、現実のことの話法、即ち現在形、同じ行のschwände は、接続法II式。schwände が単数なのは、Ton und Schallを一つのまとまり、一式と見ているからでしょう。

schwände Ton und Schallとあるので、実際には、そうではなく、音と響きは残って、いつまでも鳴り響いているのです。それを、敢えて接続法II式で表したというそのこころは、やはり、それほどにこの音と響きは、ズーライカとのこの恋の中で生まれたものである以上、現実を遥かに離れて、誠に尊く、得難いものであるからでありませう。

三行目の、

この巻は、もっと播種された星々の外套ではないのか?

とある一行の意味は、星々は、種を播かれたように宇宙に散在していて、実際に芽を出し成長するものであり、そのような星々が、外套にすっぽりと包まれている、その外套が、このズーライカの巻という相聞歌集であるというのです。

シュールレアリスムの詩を読むような一行です。

最後の連で、呼びかけている相手は、勿論、ズーライカです。







【Eichendorfの詩86】Sommerschwüle 2 (夏の蒸し暑さ)


Eichendorfの詩86Sommerschwüle 2 (夏の蒸し暑さ) 
  

【原文】

Die Nachtigall schweigt, sie hat ihr Nest gefunden,
Träg ziehen die Quellen, die so kühle sprangen,
Von trüber Schwüle liegt die Welt umfangen,
So hat den Lenz der Sommer überwunden.

Noch nie hat es die Brust so tief empfunden,
Es ist, als ob viel Stimmen heimlich sangen:
》Auch dein Lenz, froher Sänger, ist vergangen,
An Weib und Kind ist nun der Sinn gebunden!《

O komm, Geliebte, komm zu mir zurücke!
Kann ich nur deine hellen Augen schauen,
Fröhlich Gestirn in dem verworrnen Treiben:

Wölbt hoch sich wieder des Gesanges Brücke,
Und kühn darf ich der alten Lust vertrauen,
Denn ew’ger Frühling will bei Liebe bleiben.


【散文訳】

夜啼き鴬が沈黙している、その巣、塒(ねぐら)を見つけたのだ
泉たちは、怠惰に、緩慢に往く、かくも冷たく湧き出でて
曇った蒸し暑さに、世界は囲まれ、捕われている
かくも、夏は、春に打ち勝ったのだ

今だ一度も、胸が、かくも深く感じたことはない
それは、恰も数多くの声が、密かに、こう歌うかの如くである
》お前の春もまた、陽気な歌い手よ、過ぎ去ってしまった
女と子供に、さて、こうしてみると、この感覚は結ばれている!《

おお、来るがいい、愛する者よ、わたしの所に戻って来い!
わたしは、お前の明るい両眼だけをみることができる
陽気に星辰をみることができるのだ、混乱した衝迫の中で

高く、再び、歌の橋が穹窿(きゅうりゅう)状に掛かり
そして、勇敢に、わたしは、古い悦楽に信頼を措く事を
ゆるされる
というのは、永遠の春が、愛の許に留まるからだ


【解釈と鑑賞】

第2連の、

》お前の春もまた、陽気な歌い手よ、過ぎ去ってしまった
女と子供に、さて、こうしてみると、この感覚は結ばれている!《

とあるのは、春とは違い、夏の感覚は、女と子供の感覚だからでしょう。

第3連の、

わたしは、お前の明るい両眼だけをみることができる
陽気に星辰をみることができるのだ、混乱した衝迫の中で

とあるのは、恋人の女性のその両目を星に譬えているのです。しかも、混乱した衝迫とあるので、やはり恋心に惑乱した状態を歌っています。

最後の連を読むと、やはり、この詩人は、夏よりは春が好きなことが判ります。そして、その理由も、また。





Schlaf krankes Kind(眠れよ、病気の子供よ):第42週 by Yvan Goll(1851 ~1950)


Schlaf krankes Kind(眠れよ、病気の子供よ):第42週 by  Yvan Goll(1851 ~1950)






【原文】

Schlaf krankes Kind:
Ich will die Drehung der Erde aufhalten
Des Mondes Zahnräder oelen
Die rostig sind von deinen Tränen
Ich will den asthmatischen Wind erwürgen
Der ganz Europa aufweckt …
Damit du schlafen kannst
Will ich die Trambahnschienen wattieren
Den Regen in Schnee verwandeln
Und jeden Morgen die Amseln morden
Deren Gesang dein Rehherz ritzen könnte:
Damit du schlafen kannst



【散文訳】

眠れよ、病気の子供よ
わたしは、地球の廻転を止めたい
月の歯車から油を絞りとりたい
お前の涙で赤錆たその歯車から
わたしは、喘息の風の首を絞めて殺したい
全欧州を起こし、目覚めさせるその風の首を
そうすれば、お前は眠ることが出来る
わたしは、路面電車の軌道に綿を詰めたい
雨を雪に変形させたい
そして、毎朝、黒歌鳥を殺したい
その歌が、お前の鹿の心臓に裂け目をつくるかも知れないその黒歌鳥を
そうすれば、お前は眠ることができる


【解釈と鑑賞】


この詩人のことを書いたウエッブ頁です。



アルザス生まれのフランスの詩人です。しかし、この土地の歴史から、ドイツ語も理解し、ドイツ語とフランス語の両方の言語で詩を書いた詩人です。

ドイツの表現主義とフランスのシュールレアリスムと親密な関係があると、上のWikipediaには書かれています。


「月の歯車」とは、時の運行であり、その前の行の「地球の廻転を止めたい」からわかるように、その時間を止めたいと、この詩人は考えている。

従い、「月の歯車から油を絞りとりたい」とは、時間の中にある物事の本質を抽出して、言葉にしたいということなのです。

各行の末尾はみな、殺したいという言葉で終っていますが、しかし、穏やかな詩であると思います。品のある詩、抑制と節度のある詩です。この詩人の人柄が偲ばれます。


黒歌鳥(くろうたどり)という、ドイツ語でAmselという名前の鳥は、このような鳥です。英語では、blackbird。






この鳥の鳴き声は、YouTubeで聞く事ができます。









2014年10月4日土曜日

【西東詩集89】 Hatem


【西東詩集89】 Hatem


【原文】

Hatem

Ach Suleika, soll ichs sagen?
Statt zu loben moecht ich klagen!
Sängest sonst nur meine Lieder,
Immer neu und immer wieder.

Sollte wohl auch diese loben,
Doch sie sind nur eingeschoben;
Nicht von Hafis, nicht Nisami,
Nicht Saadi, nicht von Dschami.

Kenn ich doch der Väter menge,
Sil’ um Silbe, Klang um Klaenge,
Im Gedaechtnis unverloren;
Diese da sind neu geboren.

Gestern wurden sie gedichtet.
Sag’ ! hast du dich neu verpflichtet?
Hauchest du so froh-verwegen
Fremden Atem mir entgegen,

Der dich eben so belebet,
Eben so in Liebe schwebet,
Lockend, ladend zum Vereine
So harmonisch als der meine?



【散文訳】

ハーテム

ああ、ズーライカよ、わたしにそれを言えというのか?
誉め称える代わりに、わたしは嘆きたいのだ!
さもなければ、お前は、ただわたしの歌のみを歌うだろうから
いつも新しく、何度も何度も

もしこれらのわたしの歌が誉め称える歌であるというのであれば
それらの歌は、合間にこっそりとただ挿入されただけなのだ
ハーフィスによってではなく、ニサミによってではなく、
サーディによってではなく、ヂャーミーによってではなく。

わたしは、しかし、父祖達の一群を知っている
ひとつひとつの音節を、ひとつひとつの響きを
記憶の中で喪われることなく
其処で、これらのわたしの音節や響きは、新しく生まれたのだ。

昨日、これらの音節や響きは詩作された。
言ってくれ!お前は、わたしに新しく義務を課したのか?
お前は、かくも歓びに満ち向こう見ずに
わたしに向って、今迄にない、わたしの知らない息を吹きかけて来るのか?

その息は、お前をまさにそのように活き活きとさせ
まさにそのように、愛の中に浮かび
誘惑しながら、一つになるように誘いながら
わたしの息と同じように、そのように調和しながら?



【解釈と鑑賞】

第1連の

ああ、ズーライカよ、わたしにそれを言えというのか?

という言葉は、前の詩のSuleikaの言葉、

あなたが、静かに、ご自分の中へと還っていらした
何が窮屈にしたのでしょう?そして、何が圧迫し、邪魔したのでしょうか?

という行を承けている。

第3連の父祖達の一群とは、第2連で歌われたハーフィスであり、ニサミであり、サーディであれい、ヂャーミーのことです。

第2連で否定的に、これらの詩人の名前を列挙して、そうしてこれらの詩人たちによってではなく、わたし、ゲーテ、ハーテムによって密かに差し入れられたという表現に、詩人としてのゲーテの自負もあり、またこれらの詩人に対する敬意の表明を見る事ができます。これは、詩人としての本望でありましょう。

第4連、第5連は、詩作と性愛を歌う、艶冶な感じの歌になっております。