2010年3月27日土曜日

18歳の安部公房

1942年12月に、18歳の安部公房は、「問題下降に依る肯定の批判ー是こそは大いなる蟻の巣を輝らす光である―」というエッセイを書いている。全集で5ページと少しの分量。

このエッセイは、一言でいうと、人間としての個人の判断の根拠を問うものだ。その問いを問題といっている。問題下降とは、その解答を現実の今ここに見つける努力のことをいっている。当時の友人のひとり、中の肇宛ての1943年10月26日付の書簡では、「概念より生への没落」と表現している。この友人宛てのその他の書簡も読むと、この成城高等学校時代に読んだのは、ニーチェとリルケ(その形象詩集)である。Untergangとドイツ語を使っている手紙もある。いづれにせよ、この没落はツァラツゥストラの没落に比されている。

さて、冒頭の題の意味は、このような問題下降により、この私のこのように今ある現実を肯定することで時代と社会を批判するという事をいっている。批判するためには、「動かなくてはならない。そして動かさなくてはならない。手を、指を、そして目と鼻を。」といっている。このような行為を、安部公房は、座標なき判断と呼んでいる。これを真の反省といい、自覚的な努力といい、「自覚の最初の自覚的発生」といい、「基底となる可きもの―例えば人間存在ーに迄立ち戻る」ことと言っている。この座標なき判断は、当の個人が行う「総ての判断は指で触れ,目で見た上で為されねばなら」ない。そうして「其処に始めて最も小さな最初の肯定が生れる」といい、 このような肯定を「否定的問題下降の絶対的肯定」と、18歳の安部公房は、呼んでいる。これが冒頭の題の前半、主題部分の意味である。

また、座標なき判断は、宇宙のすべてを知る事ができない天文学に喩えて、この批判の方法は、同時に「全体的な学の形式を取る事が要求される」といっている。後年は,あるイメージの周りに、それまでのあれこれの断片が結晶するのだといっていることと同じことが言われている。ひとことでいえば、この批判の方法とそれによって生れる作品は、体系的でなければならないということ、構造的でなければならないということである。

さて、その批判の対象となるものは何かというと、その対象となるものについていっているのが、題の後半、副題部分の「大いなる蟻の巣」である。人間のつくっている社会の全体を蟻の巣に擬している。大いなるとは、文中では偉大なると言い替えられていて、この形容詞は勿論Ironie, アイロニーである。安部公房のHumor、ユーモアを感じる。人間は偉大なる蟻であり、その構成する社会は、偉大なる蟻の巣である。「実を云えば現代社会はそれ自体一つの偉大なる蟻の社会に過ぎないのだ。無限に循環して居る巨大な蟻の巣。而も不思議に出口が殆ど無いのだ。」

と、ここまでエッセイの文を引用してみると、殆どその後の安部公房の小説や作劇の世界の要約であるかのように思われる。遅くとも、この18歳のときには、既にして、後年の安部公房の発想の型は、その比喩も含めて出来上がっているように思われる。このとき、ユ―プケッチャという虫も生まれていたに違いない。従って、箱舟さくら丸も。

さて、その蟻の社会の出口を求める座標なき判断が、「出口を求める」行為であり、「大いなる蟻の巣を輝らす光である」、その方法なのだ。その方法によって自覚的に生れる場所を、安部公房は「遊歩場」と呼んでいる。安部公房の諸作品の主人公達が求めた、これは、場所ではなかろうか。


この場所は、「一定の巾とか、長さ等があってはいけないのだ。それは、具体的な形を持つと同時に或る混沌たる抽象概念でなければならぬ。」(概念から生―混沌―へ、生から概念へという思考のプロセスと、そうやって生れる作品のイメージと構造)

この場所は、始めにあったものではなく、「二次的に結果として生じたもの」(晩年のクレオール論を読んでいるような気がする)であって、その理由によって都市の中から直接その外、郊外に接続しているものであり、「範囲的」に郊外地区を通ってゆくものであってはならない。それは、何故かというと、市外にある「森や湖の畔に住う人々が、遊歩場を訪れる事があるからだ。遊歩場は、都会に住む人々の休息所になると同時に、或種の交易場ともなるのだ。」(ここのところの原文は、後年の安部公房の小説を読んでいるような感に捕われる。)

当時安部公房の接して居た直かの社会、すなわち高等学校は、かくあらねばならない場所だと主張している。勿論、現実はそうではないといっている。


「それに、現代はそれ以上の事に関しては、私に沈黙を要求する。結局要は問題下降の唯一無条件的肯定のみになるのである。」当時の「現代」とは戦時下であり、対外的、社会的な批判は赦されていなかっただろうから、こうして、かくあることを体系的に考える(本当は思弁といいたいけれども)ことしか、できなかったといってるのだ。

このエッセイの中で、同じ試みをした先人の名前として、ニーチェとドストエフスキーの名前が挙げられている。

このエッセイをまとめると以上のようになるだろうか。



思考のメモ:交易、交換とはエロティックな行為である。なぜなら、それは互いを未分化の状態におくことになるからだ。

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