2011年12月31日土曜日

無題(時間):第2週 by Giuseppe Ungaretti


無題(時間):第2週 by Giuseppe Ungaretti

【原文】

Unabloesbar vom Heute
die vergangenen Tage
und die andren, die kommen

Ueber Jahre und Jahhunderte hin
jeder Augenblick Ueberraschung,
dass wir noch da sind, Lebende,
dass das Leben immer weiterlaeuft,
unerwartet Geschenk und Qaual
im fortwaehrenden Wirbel
vergeblichen Wandels.

Folgend so unserm Geschick
geht meine Reise weiter,
im Handumdrehen
grab' ich die Zeit aus,
erfind' ich die Zeit aus,
erfind' ich sie neu von Anfang zu Ende,
ein Fluechtling wie die andern,
die waren, die sind und die kommen.

【散文訳】

今日という日から解き離すことができず
過去の日々があり、
そして、やって来るその次の日々もまた

幾歳月にも亘り、また幾世紀にも亘り
どの瞬間も驚きであり
わたしたち、生きている者達が、まだここにいるということが
生が相変わらず前進しているということが
予期せず、贈り物と苦悩があり
続いて行く渦巻きの中で
無駄な結果となる変化の渦巻きの中で

我ら人間のの能力にそのように従って
わたしの旅は更に続く
手首を廻すようにあっという間に簡単に
わたしは時間を掘り出し
わたしは時間を虚構し、発明し
わたしは時間を新たに最初から最後まで創造する
他のひとたちと同様の、一人の追放された者として
かつて居た、今居る、そしてやって来る他の人たちと同様の

【解釈と鑑賞】

この詩人は、イタリアの高名な詩人です。

この詩人のWikipediaがあります。

http://en.wikipedia.org/wiki/Giuseppe_Ungaretti

この冒頭の記述によれば、モダニストの詩人、ジャーナリスト、エッセイスト、批評家、そして学者とあります。

詩人としては、象徴詩の流れに連なるHermetic poetryの詩を書いた、20世紀のイタリアの代表的な詩人ということです。

Hermetic poetryは、平俗な理解では曖昧で難解な詩ということですが、何か神的な神聖な啓示を表す詩だと言われています。

このHermeticismという詩の思潮は、イタリアに始まったとありますので、この詩人はその思潮を代表する詩人ということなのです。

Hermeticismとは、 a magical and religious movement stemming from the teachings of Hermes Trismegistusであるとあります。

Hermes Trismegistusは、ギリシャ神話の神様Hermesとエジプトの女神Thothの間に生まれた息子です。

ふたりの親である神は、いづれもそれぞれの文明圏において、書く事と魔法を司る神だとWikipediaの記述にはあります。

このことから幾つもの連想と解釈が生まれ、ヨーロッパの社会での意義が受け継がれて来て、詩の世界にも、イタリアという言語圏において、それが20世紀に詩、poetryの本質を表す概念として使われたということなのだと思います。

この息子の神についての、そのような記述は、以下のWikipediaに詳しく述べられています。ご興味のある方はご覧あれかし。

http://en.wikipedia.org/wiki/Hermes_Trismegistus

この詩の特徴は、最初の2連では、動詞が主文にはなく、従属文にあるということ、即ち、名詞だけが配置されているということです。

そのことによって、ある種の情調を醸し出しています。

動詞は、第3連で、わたしの旅が更に続くという箇所のgehen(行く)と、虚構し、発明し、創造すると訳したerfinidenという二つがあるのみです。

第3連での、特に二つ目の動詞、erfindenには、詩人の思いが吐露されているほど強く読まれる(朗読される)べきものがあると思います。

そこでは、わたしの人生が旅だという思いと、自分がひとりのstrangerであるという思いが、ひとつになっています。

日本語では、うまく訳出できませんが、

grab' ich die Zeit aus,
erfind' ich die Zeit aus,

とあるgraben(掘る)とerfinden(発明する)に敢えてaus-(取り出す、外へ出す)という前綴を付けて、意味を強めたところに、この詩人の思いがあります。

それから、時間という言葉を2度繰り返したことにも、詩人の思いを感じることができるでしょう。

多分朗読するとしたら、このausは、本当に時間を掘り出し、時間を発明し、この世に生み出す気合いを籠めて発声されることでしょう。







2011年12月25日日曜日


無題(雪):第1週 by Yayu

【原文】

Neujahrstag ist heut!
Wer mir heut den Schnee zertritt,
soll willkommen sein!

【散文訳】

新年の日こそ今日
今日雪を踏分け、雪を蹴散らして真っ直ぐに私に会いに来る者こそ
有り難きかな

【解釈と鑑賞】

Yayuという詩人の詩です。

このアルファベットの綴り、この原詩の短さからいって、Yayuとは、俳人横井也有のことであると思われます。

横井也有には、日本語と英語のWikipediaがそれぞれあります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/横井也有

http://en.wikipedia.org/wiki/Yokoi_Yayū

たとえドイツ語に翻訳されたという手間がひとつかかっていても、ドイツ語のNeujahrstag、新年の日、場合によっては元旦というこのドイツ語は、詩人の手にかかると誠に新鮮に響きます。

最初の一行は、倒置文で、新しい歳の日という日を強調しています。

そうして、今日がその日なのだという喜び。

その最初の日に、積雪をものともせず、雪を踏み分け、雪を蹴散らして、まっしぐらにやって来る友。

その友こそ有り難い。

わたしが「有り難い」と訳したドイツ語は、willkommen、英語のwelcomeです。

ようこそいらっしゃいましたというこころが、そこにはあります。

さあ、どうぞどうぞ、そのような友を待っていますよ、ということなのでしょう。

雪を踏み分け、雪を蹴散らしと訳したドイツ語は動詞のzertreten一語なのですが、その含意はひとことの日本語には移すことができません。

Zertreten = zer + treten

という構成の語なのですが、前綴のzerは、その後の動詞の動作によって破壊されるという意味を賦与しています。

即ち、treten、踏む事によって雪が破壊され(というと変ですが)、蹴散らされて、雪が雪の体をなすことなくなってしまうという意味です。

何か一心不乱にやってくるという印象がありますので、そのように訳しました。

また、文法的には、2行目にあるmir、わたしにという3格は、関口文法で「関心の3格」と言われている3格です。

なかなか味わい深い3格で、わたしはこういう3格をなかなか使えません。

Wer mir heut den Schnee zertritt

という語の配列を見ますと、mirという3格があることから、この雪は私の雪だ、私のものだ、会心の雪だという詩人のこころも読み取ることができると思います。

東京の新年は、さて、雪が降るやら、友の来るやら。

横井也有の原詩たる一句をご存じの方がいらしたら、お教え下さい。



2011年12月17日土曜日

埴谷雄高論2(虚体)


今日、あれこれといろんな事を思っていて想到したのであるが、埴谷雄高が「死霊」において、虚体という概念を最後に持ち出したということは、この藝術家が宇宙は機能の集合だということに想到したということを意味している。

即ち、「死霊」という作品は、異母兄弟のコミュニケーションのメディアの話であったのだということを、自分自身で知ったということである。

これほど自分自身を否定した作家は、日本文学史上にいないと思うけれども。

それは、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。

Stundenglas(砂時計):第53週


Stundenglas(砂時計):第53週

by Annette M. Baye (1926年生まれ)

【原文】

Was heute ist geht zu Ende
was morgen ist weiss Gott
aber wir wissen es auch
wir lachen und tanzen
da ist das Morgen
dreht im Gehn uns eine Nase
und Laesst mit unserm Lachen
uns im Gestern das vergeht.


【散文訳】

今日あるものは、終わりになる
明日あるものは、神のみぞ知る
しかし、わたしたちも知っている
わたしたちは、笑い、そして踊る
そうすれば、それが明日だ
過ぎ行きながら、わたしたちを愚弄して喜び
そして、わたしたちが笑えば
わたしたちを、過ぎ去って行く昨日の中に置いて行くのだ
 
 

【解釈】

この詩人は、セネガルの詩人です。

情報の量は僅(わず)かですが、この詩人のWikipediaです。

http://en.wikipedia.org/wiki/Annette_Mbaye_d'Erneville

原詩は、フランス語でかかれています。

この詩は何をいっているのでしょう。

明日は、いつも期待を裏切る。

昨日は、いつも裏切られた過去の事実だ。

しかし、わたしたち人間は、この今を笑って生きているのだ。

ということでしょうか?

詩の題名が砂時計とあるように、この詩の主題が時間であることは間違いありません。

わたしの考えでは、今という時間はいつも既に過去の事実です。

わたしたちは時差の中に生きている。

夜の星座を観ていることを思い出して下さい。あの光は既に過去の映像を運んでくる。それならば、あなたの隣にいて話をしているひととの間にも、実は時差があるのではないでしょうか。

そうしてその時差を伴った事実の現れは、未来の予兆を含んでいる。

さて、今日で2011年(平成23年)の、このカレンダーの詩53篇を訳し終え、訳された詩が過去の事実の現れとして今目の前にあります。

これが未来のどんな予兆であるのか、年末年始にまた来年のカレンダーの詩を眺めながら、ゆっくりと考えることに致しましょう。

この詩人によれば、踊り、笑いながら。



2011年12月11日日曜日

Die Eklipse by Eiya Iwata (1952 - )第52週



Die Eklipse by Eiya Iwata (1952 - )第52週

【原文】

Oh, die Dunkelzeit, die Finsternis, die Eklipse, heute Abend
Das Spiegel, das so dunkel sein darf und
das mich so verschluckt, gerade wo
wir eine Feier haben. Das Fest,
Das musikalisch gefeiert wird, gerade wenn
Ich Dir zuhöre, hier, wo
Du die Geige spielst.

Das Spiegel spiegelt sich ewig wieder
In der Dunkelheit, in mir, wo ich mich beruhen darf.

Im Spiegel spiegelt sich die Dunkelheit wieder
In der Ewigkeit klar.

Bin ich hier endlich gerettet?

【散文訳】

皆既月食

ああ、闇の時間よ、闇よ、皆既月食よ、今宵の
鏡よ、かくも暗くあることをゆるされていて、そして
我が身を飲み込む、丁度その場所
わたしたちが祝祭している場所で。祝祭よ、
楽の音が鳴り祝福される、丁度その時
わたしがお前に耳傾ける、ここ、
お前がヴァイオリンを演奏するここで。

鏡は永遠に鏡に映って映し合う
暗闇の中、即ち、わたしの中で
わたしが憩うことのゆるされる、わたしの中で。

鏡の中で、暗闇は、互いに鏡に映って映し合う
永遠の中で、清澄に。

わたしは遂にこの場所で救済されているのだろうか?

【解釈】

自分の詩を解釈することは、むつかしいものである。

追伸:
Facebookのドイツ語好きの友達の呼びかけに応じて、今日の皆既月食をテーマに、生まれて初めてドイツ語で詩を書きましたので、ご披露します。

いつもは他の詩人たちの詩ばかりですが、今日は自分で、原文、散文訳、解釈とつけてみませう。

2011年12月10日土曜日

Weihnachten(クリスマス):第52週


Weihnachten(クリスマス):第52週

by Joseph von Eichendorff (1788 - 1857)


【原文】

                                     Markt
                              Und Strassen
                            Stehn verlassen,
                      Still erleuchtet jedes Haus,
              Sinnend geh ich durch die Gassen,
                     Alles sieht so festlich aus.
                An den Fenstern haben Frauen
           Buntes Spielzeug fromm geschmueckt,
        Tausend Kindlein stehn und schauen,
    Sind so wunderstill beglueckt.
Und ich wandre aus den Mauern bis hinaus ins freie Feld,
Hehres Glaenzen, heiliges Schauern! Wie so weit und still die Welt!
 Sterne hoch die Kreise schlingen, Aus des Schnees Einsamkeit
         Steigt’s wie wunderbares Singen - O Du
                               Gnaden-
                               Reiche
                               Zeit!


【散文訳】

市場も
通りも
ひとひとりいない
どの家も、静かに明りがついている
すべては、かくも祝祭日らしくみえる。
窓辺では、婦人たちが
色とりどりの玩具を、敬虔に、飾り付けた
たくさんの子供たちが、立って、そして、みている
みな、かくも静かに祝福されている。
そして、わたしは、町の城壁から外に出て、野外、野原の中へと歩き出る
高貴な輝き、神聖な戦慄!世界は、かくも広々と、静かなのだ!
星辰は高く、星々の軌道はうねっている、雪の孤独から
素晴らしい歌声が立ち上がるーおお、お前
恵み
豊かな
時間よ!


【解釈】

この詩人は、ドイツ文学史に名のある詩人です。

ドイツ語のWikipediaです。

http://de.wikipedia.org/wiki/Joseph_von_Eichendorff

わたしは20代の初めに、この詩人のTaugenichtsについての、Taugenichtsの書いた文章を作品とした作品を一部読んだことがあります。

このひとは、ドイツ文学史の上ではロマン主義の思潮に分類されている詩人です。

しかし、このことの当否は問わず、Taugenichts、即ち役立たず、馬鹿、愚者というモチーフは、今に至るまでわたしの人生の主調低音となっております。

そこには、どんなに豊かな世界が広がっているか。

この歳になって、Eichendorffにに惹かれる自分自身を発見するとは、驚きでした。

このクリスマスの詩は、このカレンダー53編のうちで、わたしが一番好きな詩です。

味わって下さると、誠にありがたく思います。

追伸:
詩の文字で象っているのは、カレンダーの通りに、クリスマスツリーです。

2011年12月3日土曜日

Ich dachte ich sterbe so fror ich(死ぬと思った、それほど、身も心も凍えた):第51週


Ich dachte ich sterbe so fror ich(死ぬと思った、それほど、身も心も凍えた):第51週

by Sarah Kirsch (1935年生まれ)


【原文】

Weh mein schneeweisser Traber
Mit den Steinkohlenaugen
Der perlendurchflochtenen Maehne
Den sehr weichen Nustern
Den schoengewaltigen Schatten
Ging durch! Lief
Drei Abende weiter war nicht zu bewegen
Heimzukeren. Nahm das Heu nicht
Wahllos frass er die Spreu

Ich dachte ich sterbe so fror ich.


【散文訳】

可哀想に
わたしの雪の白さの真っ白な馬
石炭の黒さの真っ黒な目をして
真珠で編まれたたてがみをして
とても柔らかい鼻翼をして
美しいほどに力強い影をしていた
走り抜けた!走った
3日3晩 動かなかった
戻って来なかった。干草を食べなかった
仕方なく、藁くずを食べた

わたしが死ぬと思った、それほど、身も心も凍えた


【解釈】
これは、自分の愛馬が死ぬことを悲しんだ詩です。

わたしが死ぬと思った、それほど、身も心も凍えた

という最後の一行は、馬が死んで行くことを我が身のこととして感じたこころを表しています。

それほど好きな馬だった。

その思いがひしひしと伝わって来る詩だと思います。

この詩人のWikipediaです。

http://de.wikipedia.org/wiki/Sarah_Kirsch

このWikipediaを読むと、この詩人は(日本語でいうならば)東ドイツの文芸家協会の理事をつとめましたが、Wolf Biermannを東ドイツから追放したことに抗議した声明を発表したことから、その地位を追われ、その他わたしも実際に見聞きした抑圧を受けました。

今抑圧と書きましたが、その意味は、盗聴、恫喝、恐喝、検閲等々であったことでしょう。

1977年に一人息子と一緒に西ベルリンへ脱出しております。

脱出の中身がどのようなものであったかは記述がありません。

共産党の一党独裁という語るも愚かな政治制度(これをしも制度とはいはむや?制度とは人間の為にー再度言う、為にーあるものだ)の中で書かれたこのような叙情詩の価値を、一層わたしは思うものです。

詩人はそうしているだけで詩人であり、どこにいても、どのような状況下にあっても、それだけで価値ある存在です。