2013年5月25日土曜日

【西東詩集45】 Fuenf Dinge(5つのもの)



【西東詩集45】 Fuenf Dinge(5つのもの)


【原文】

Fuenf Dinge

FUENF Dinge bringen fuenfe nicht hervor,
Du, dieser Lehre öffne du dein Ohr:
Der stolzen Brust wird Freundschaft nicht entsprossen;
Unhöflich sind der Niedrigkeit Genossen;
Ein Bösewicht gelangt zu keiner Größe;
Der Neidische erbarmt sich nicht der Blöße;
Der Luegner hofft vergeblich Treu und Glauben―
Das halte fest und niemand lass dies rauben.


【散文訳】

5つのもの

5つのものが、5つのものを生み出すというわけではない
いいかい、この教えに対して、お前はお前の耳を開きなさい
誇り高い胸からは、友情は生まれない
不躾なのは、下劣な仲間だ
悪人は、偉大さに到達することはない
妬む者は、貧困を憐(あわ)れに思うことがない
嘘つきは、誠実と信仰を願っても虚しいものだ
これは、確かなことで、そして誰もお前から奪い取らせることがない。

【解釈】

観察の巻の最初の詩としての詩です。

人間を観察して、5つのものについて歌っています。

この次の詩が、5つのその他のものという題名になっています。更にもう別の5つのものがあるのです。これは6ページにわたる長い詩となっています。

この詩も、この次の詩も、世の卑劣、愚劣に抗して、ゲーテが歌う歌なのだと思います。

Nächtliches Spiel(夜の遊び):第22週 by Brunhild Reichert(1934 - )


Nächtliches Spiel(夜の遊び):第22週 by Brunhild Reichert1934 - 




【原文】

Nächtliches Spiel

Habe mir aus dem Schlaf
ein Stückchen Traum herausgerissen
badete im gruenen Teich
mit Wasserlinsen
Froesche
klammerten sich
an mir fest
wollten mich begatten
sie
     trompeteten
               ihr Verlangen
in die Nacht hinein
Der Mond verschreckt
fiel in ein Boot
verschlief die Nacht
und liess die Welt im Dunkeln


【散文訳】

夜の遊び

その睡りの中から外へと
わたしの見た小さな夢を無理矢理ひき出して
緑の池の中で、水扁豆と一緒に
水浴びをさせた
蛙たちが
群がり集まって、わたしに固くつかまり
わたしと性交したがった
蛙たちは
   その欲求を
     夜の中へと
トランペットを吹いていた
月が驚いて
ひとつのボートの中へと落ちて
その夜を眠って過ごし
そして、世界を闇の中に置き去りにした



【解釈と鑑賞】


この詩人のWikipediaがありませんでした。写真も一寸不明です。

ドイツの女性の詩人です。

Wasserlinsenを、水扁豆と仮に訳しましたが、これは次のような水辺の植物です。



シュールレアリスティックな感じのする詩です。

【Eichendorfの詩 34-1】Wandersprueche (旅の箴言)


【Eichendorfの詩 34-1】Wandersprueche (旅の箴言) 

【原文】

Wandersprueche

       1

Es geht wohl anders, als du meinst:
Derweil du rot und fröhlich scheinst,
Ist Lenz und Sonnenschein verflogen,
Die liebe Gegend schwarz umzogen;
Und kaum hast du dich ausgeweint,
Lacht alles wieder, die Sonne scheint―
Es geht wohl anders, als man meint.


【散文訳】

        1

お前が思っているのとは違った風にきっと行くだろう
それというのも、お前は赤く、そして陽気に見えるからだ
春も太陽の光も飛去ってしまった
愛するこの土地は、黒い衣装に着替えた
そして、お前が泣きはらして胸が晴れると
総てが再び笑い、太陽が輝き
ひとが思うのとは違った風にきっと行くだろう。


【解釈と鑑賞】

この詩は、全部で7つの詩からなる詩篇の最初の詩です。

旅の箴言と訳しましたが、旅についての言葉、考えをうまく言い当てた詩を7つ並べたということでしょう。

旅する者と世の中の関係は、今までの詩にも出て参りましたが、いつも反対の関係にあります。最初の一行と最後の一行が、それを示しているのだと思います。

2013年5月18日土曜日

【西東詩集44】 Buch der Betrachtungenのエピグラムの詩



【西東詩集44】 Buch der Betrachtungenのエピグラムの詩



【原文】

HOERE den Rat den die Leier toent;
Doch er nutzet nur wenn du fähig bist.
Das glücklichste Wort es wird verhöhnt
Wenn der Hörer ein Schiefohr ist.

>>Was tönt denn die Leier?<< Sie tönet laut:
Die schönste das ist nicht die beste Braut;
Doch wenn wir dich unter uns zählen sollen,
So musst du das Schönste, das Beste wollen.


【散文訳】

竪琴の奏でる助言に耳傾けなさい
しかし、お前が耳傾けることのできる(能力のある)ときのみ、助言は役に立つ。
聞く者が、一個の曲がった耳であるならば
一番幸せな言葉というものは、軽蔑されるものだ。

「一体竪琴は何を奏でるのだ?」それは、大きな音色で、こう言うのである:
最も美しいもの、それは最も善い花嫁ではない
しかし、わたしたちが、お前を身内に数えなければならない定めならば、
お前は、最も美しいものを、最も善いものを求めなければならない、と。

【解釈】

さて、ここから、観察の巻に入ります。

この巻は、観察の巻と題されているように、ゲーテの観察による詩ということになるでしょう。

それが、ペルシャの世界との掛け合いの中に、歌われるのでしょう。

この詩は何を歌っているのでしょうか。

この最初のおかれた詩の深い意味も、この巻の詩を読むにつれ、深まるのだと思います。







【Eichendorfの詩 32-4】Liebe in der Fremde (異郷での恋)


【Eichendorfの詩 32-4】Liebe in der Fremde (異郷での恋) 

【原文】

Liebe in der Fremde

        4

Jetzt wandr ich erst gern!
Am Fenster nun lauschen
Die Maedchen,es rauschen
Die Brunnen von fern.
Aus schimmernden Bueschen
Ihr Plaudern, so lieb,
Erkenn ich dazwischen,
Ich höre mein Lieb!

Kind huet dich! bei Nacht
Pflegt Amor zu wandern,
Ruft leise die andern,
Da schreiten erwacht
Die Götter zur Halle
Ins Freie hinaus,
Es bringt sie dir alle
Der Dichter ins Haus.


【散文訳】

さあ、今やっと元気に歩くことができるぞ!
窓辺には、乙女達が、今、聞き耳を立てている
遠くの泉たちが、潺湲(せんかん)と音を立てている。
きらきらと輝く茂みの中から
お前達のお喋りが、かくも愛らしく聞こえて来る
わたしは、その中に恋人をみつけ
恋人の声を聞くのだ!

子供よ、お前自身を護りなさい!夜には
愛の神(エロス)が、歩くものだ
そっと、ほかの者たちを呼ぶものだ
すると、目覚めて、神々が
大広間を目指して、行進し
野外へと、やって来て
詩人は、家の中に
神々をみな、お前にもたらすのだ。


【解釈と鑑賞】

これも、アイヒェンドルフの世界という以外にはない世界です。

第2連のHalle、大広間は、今までの用例を見ると、森のことを指していると理解することができます。

しかし、勿論、森ではなく、本来の意味の大広間でも一向差し支えありません。

Genealogie(系図):第21週 by Hermann Wallmann(1948 - )




Genealogie(系図):第21週 by Hermann Wallmann(1948 -  )



【原文】

geneagolie

ohne den schatten
den ikarus wirft
könnten wir den nicht
nicht ertragen

                    fuer Jo


【散文訳】


系図

イカルスの投げかける
影なくしては
あいつには、決して
決して、堪えることができないだろう。

               Joのために



【解釈と鑑賞】


この詩人のWikipediaがありませんでしたので、代わりに、



ドイツの詩人です。

詩は短いのですが、随分と複雑な仕掛けのある詩です。

仕掛けは、ふたつあります。

ひとつは、あいつと訳したdenという代名詞。もうひとつは、否定の言葉を二度繰り返しているところです。

このあいつと訳した、彼をというこの彼が誰なのか?もし彼と訳したdenは、次の3つの場合があります。

1。彼、あいつ(この詩の外にいて呼ばれる男性)
2。イカルスの影
3。イカルス自身

そうして、この詩は、Joと呼ばれるひとのために献呈されています。

ということは、詩人とこのJoのふたりが知っているあの男、あいつ、なのでしょうか。

題名が系図であることを考慮に入れると、あいつ、彼とは、何か系統を継ぐ立ち場の人間なのでしょうか。

イカロスの投げかける影とは何をいっているのでしょうか。

イカロスについての、Wikipediaの記述です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/イカロス

太陽に近付いて飛ぶイカロスの影。熱さを避けることができるということが、イカロスの影の意味でしょうか。

随分とふくみの多い詩のようです。

そうしてみると、nichtを二回続けるというのも、何か強い感情を感じます。

2013年5月12日日曜日

【西東詩集43】 Geheimestes(一番の秘密)



【西東詩集43】 Geheimestes(一番の秘密)


【原文】

Geheimestes

>>WIR sind emsig nachzuspüren,
Wir, die Anekdotenjäger,
Wer dein Liebchen sei und ob du
Nicht auch habest viele Schwäger.

Denn, dass du verliebst bist, sehn wir,
Mögen dir es gerne gönnen;
Doch, dass Liebchen so dich liebe,
Werden wir nicht glauben können.<<

Ungehindert, liebe Herren,
Sucht sie auf, nur hört das eine:
Ihr erschrecket wenn sie dasteht!
Ist sie fort, ihr kos't dem Scheine.

Wisst ihr wie Schehab-eddin
Sich auf Arafat entmanntelt,
Niemand haltet ihr für toerig
Der in seinem Sinne handelt.

Wenn vor deines Kaisers Throne,
Oder vor der Vielgeliebten,
Je dein Name wird gesprochen,
Sei es dir zu höchstem Lohne.

Darum wars der hoechste Jammer
Als einst Medschnun sterbend wollte,
Dass vor Leila seinen Namen
Man forthin nicht nennen sollte.



【散文訳】

一番の秘密

「わたしたちは、熱心に探索されている
わたしたち、即ち逸話の狩人たちは
誰が、お前の恋人であるかと、そして、お前が
多くの義兄弟を持っていやしないかと。

というのも、お前が恋しているということを、いいかい、
お前に、そのことが恵まれてあれということを
しかし、恋人が、このようにお前を愛しているということを
わたしたちは、信ずることができないからなのだ。」

構わないから、紳士諸君、
彼女を探してご覧なさい、ただ一つのことのみを聞きなさい:
彼女がそこに立ったら、貴方達は、(彼女)驚かせるということを
彼女が去ったら、貴方達は、その輝きを失うということを。

シェハブ•エディンが、どのように
アラファト山の上で、自分自身のマントを脱いのかを知りなさい
その者の感覚と意識の中で行うものを
誰も、貴方達は、愚かだと思わないでしょう。

もし、お前の皇帝の玉座の前で
または、たくさん愛されている女性の前で
お前の名前が語られるのであれば
それは、お前にとっては、最高の報酬であろう。

それ故に、最高の苦しみであったのだ
かつて、メデゥシュヌンが、死にながら
ライラの前では、以後自分の名前を口にしてはならないと
望んだことが。



【解釈】

この詩が、愛の巻の最後の詩です。次の巻は、観察の巻です。

さて、この詩は、何を歌っているのでしょうか。

詩の構成としては、だい1連の逸話の狩人たちの直接話法による言葉に対して、第2連以下が答えるかたちで、書かれています。

ペルシャの偉人の名前とエピソードを知らなければ、うまく理解ができない詩です。

これが、このままゲーテの円熟した技巧であり、また半ば自分を韜晦して隠すという心のあらわれでもあるのではないでしょうか。

この詩は、エロスと権力の関係を表している詩であると理解することができます。死との関係では、そのふたつは、二律背反的な関係にある、エロスと権力です。

これが、一番の秘密というこの詩の題名の意味ではないでしょうか。








【Eichendorfの詩 32-3】Liebe in der Fremde (異郷での恋)


【Eichendorfの詩 32-3】Liebe in der Fremde (異郷での恋) 

【原文】

Liebe in der Fremde

        3

Ueber die beglaenzten Gipfel
Fernher kommt es wie ein Grüßen,
Flüsternd neigen sich die Wipfel
Als ob sie sich wollten küssen.

Ist er doch so schön und milde!
Stimmen gehen durch die Nacht,
Singen heimlich von dem Bilde ―
Ach, ich bin so froh verwacht!

Plaudert nicht so laut, ihr Quellen!
Wissen darf es nicht der Morgen!
In der Mondnacht linde Wellen
Senk ich still mein Glück und Sorgen.―


【散文訳】

光を浴びて輝いている山巓(さんてん)を超えて
遥か向こうから、ひとつの挨拶のように、それはやって来る
囁きながら、木々の梢(こずえ)が頷いている
恰もお互いに口づけしたいとでもいうように。

彼は、なんといっても、美しく、柔和だ!
声が、夜を通って行く
声が、密やかに、彼の像について歌っている
ああ、わたしはかくも喜んで、不寝番をしている。

そんなに大きな声で、お喋りをするんじゃない、お前、泉たちよ!
朝も、それを知ってはならないのだ!
月の煌々たる夜の、やわらかな波の中に
わたしは、静かに、わたしの幸福と心配を沈めるのだ。

【解釈と鑑賞】

第1連の、それ、も、第2連の、彼、も、それが具体的に何であり、誰であるのかは、謎です。

第3連は、典型的にアイヒェンドルフです。



Taube(鳩):第20週 by Giuseppe Ungaretti(1888 - 1970)




Taube(鳩):第20週 by Giuseppe Ungaretti(1888 -  1970)



【原文】

Taube

Aus anderen Sintfluten höre ich eine Taube.


【散文訳】



他の大洪水の中から、わたしは、一羽の鳩の音を聞く。


【解釈と鑑賞】


この詩人のWikipediaです。



イタリアの詩人です。

Wikipediaがイタリア語なので、他の日本語の記述をネットで検索すると、goo辞書に、次の記述がありました。

イタリアの詩人。エジプトの生まれ。純粋詩から出発。第一次大戦後に、エルメティズモの代表的詩人となる。作「埋もれた港」「喜び」「時の感覚」「約束の地」、全詩集「ある男の生涯」など。

純粋詩とは、はてなキーワードから以下に引用します。

la posie pure [仏] 基本的には詩から詩以外の要素を排除するという詩観で、マラルメの詩論『詩の危機』やポール・ヴァレリーがルシアンファーブル詩集『女神を知る』のために書いた序文で一般化した。1925年1月、歴史家でありまた批評家でもあるアンリ・ブレモンが純粋詩に関する講演を行い、いわゆる「純粋詩論争」が起こった。ブレモンはその論旨を、ポーの詩論や、ペイターの「あらゆる芸術はつねに音楽の状態に憧れる」という音楽説によりながら展開したが、ブレモンの反知性主義は批評家チボーデの反論を浴びた。ブレモンによって純粋詩の詩人とされたヴァレリーは、論争に直接参加はしなかったが、自分にも「いささかの責任のある」ことを認め、間接的に参加した。しかし、前記の『女神を知る』の序文や、彼の講演「純粋詩」によれば、詩は主知的な構成を第一とし、純粋詩はあくまでも詩の立場を守る絶対詩la posie absolueに置き換えらるべきもの、というのがヴァレリーの立場である。
また、韻律を廃した自由詩も純粋詩と呼ばれ、フアン・ラモン・ヒメネスによって確立された。

この一行も、純粋詩なのでしょうか。

その一行が何と呼ばれようと、含蓄のある一行だと思います。
原題は、単に一語の鳩ではなく、鳩の前に形容する言葉がふたつついているようですが、書体がねじくれていて、些かデザインに凝り過ぎたために、読むことができません。あるいは、ドイツ人ならば、読めるのでしょうか。


2013年5月4日土曜日

ドナルド•キーン先生にお会いする



ドナルド•キーン先生にお会いする

昨日、5月3日(金曜日)、池袋リブロ、池袋コミュニティ•カレッジにて、16:00より、ドナルド•キーン先生の講演会があり、行って参りました。

この会は、先生の著作集の刊行を機に催されたものです。事前に出席者より質問票を集め、新潮社の先生ご担当の編集者の方が、質問を整理して、先生に問い、先生が答えるという体裁で、およそ45分の時間が、あっという間に過ぎました。

日本文学と日本語を愛する気持ちが率直に伝わる、よいお話でありました。

話の終わったあと、著作集第2巻の『百代の過客』を入口のところで買い求め、サインの列に並びました。

もぐら通信のお言葉を戴いたことと、毎号お送りしてご負担にならないかを案じておりますと申し上げ、お読み下さっていることにお礼の言葉を申し上げました。毎号読んでいますと言われて、本当にうれしい心地がしました。有難いことです。

キーン先生の隣りで、落款を押す役割を演じていた宮西さんにもご挨拶をし、日頃のお礼を申し上げることができて、本当に、よい1時間でありました。

キーン先生から名刺を頂き、また握手もして戴いて、幸せなことでした。

一緒に行った詩人水島英己さんのFacebookの記事から、怠惰にもそのまま引用して、先生のご発言の一端をお伝え致します。


【春の宵 想はぬ人を想ひけり  荷風】
 
 ドナルド・キーン先生の話を聴きに出かけた。池袋のリブロで、「荷風句集」(岩波文庫・加藤郁乎編・2013年4月16日 第1刷発行)を買った。この上の8階でキーン先生の話がある。岩田さんと同じフロアーの喫茶店で会う。二人で聴きに行こうと約束していたのだ。

 新潮社の著作集担当者の方の司会。キーン先生が参加者から、あらかじめ出されている質問に答えていくというスタイルで50分ほどだったが素晴らしい話を聴くことができた。nhkのキーン先生特集のテレビ番組でも聴いたことがあるが、直接に先生の姿を目の前にして、同じような話でも聴くことができているというのは格別の思いがした。

 中央公論の嶋中鵬二社長と永井荷風宅を訪ねたときの話をされた。これは、「一番好きな日本語何ですか」という質問から派生していった話だったと思う。「荷風さんの家に入ったときは、その汚さに喫驚した。しかし、荷風の日本語の美しさ、リズムあるそれに陶然とした。そして荷風のような日本語ができたら死んでもいい!と思った」というようなこと。2年間の日本での勉強を終えて、当時住んでいたイギリス(多分ケンブリッジ?先生はどこで教えていたなどと言う話は一切されない人だ)に帰るとき、たまたま空港で買った荷風の「すみだ川」を飛行機の中で読んで、感動して泣いたという話など。

 この国の芸能から、古典文学、中世のそれ、近世のそれ、近代、戦後(安部公房・三島由紀夫なども含めて)文学のすべてに通暁している偉大な人間。しかし、もっとも小さな人々の哀歓にこそ、すべての文学の基本があるということを誰よりも深く考えている人間(日記の研究を見よ)。

 僕のようなものが、いくら讃辞を重ねてもと思うけれど、でも、こんな人、日本人で見たことがないよ。
 
 キーン先生と握手した。その手は柔らかだった。先生、ご自愛下さい。啄木伝はゆっくりと書いて下さい、などと心で呟いたのだった。
 
 キーン先生の一番好きな日本語の(音)の連なりは「徒然草」の文のそれ。
キーン先生の一番好きな源氏物語の女性は「六条御息所」。
 キーン先生の一番好きな「能」の曲目は「松風」と「野宮」。

「日本人」であるということだけで、それだから、「美しい国」などと、一体だれが言えるのか?キーン先生の少年のような笑顔が問いかけてくる。

【Eichendorfの詩 32-2】Liebe in der Fremde (異郷での恋)


【Eichendorfの詩 32-2】Liebe in der Fremde (異郷での恋) 

【原文】

Liebe in der Fremde

        2

Wie kühl schweift sich's bei naecht'ger Stunde,
Die Zither treulich in der Hand!
Vom Huegel gruess ich in die Runde
Den Himmel und das stille Land.

Wie ist da alles so verwandelt,
Wo ich so fröhlich war, im Tal.
Im Wald wie still! der Mond nur wandelt
Nun durch den hohen Buchensaal.

Der Winzer Jauchzen ist verklungen
Und all der bunte Lebenslauf,
Die Ströme nur, im Tal geschlungen,
Sie blicken manchmal silbern auf.

Und Nachtigallen wie aus Träumen
Erwachen oft mit suessem Schall,
Erinnernd rührt sich in den Baeumen
Ein heimich Fluestern ueberall.

Die Freude kann nicht gleich verklingen,
Und von des Tages Glanz und Lust
Ist so auch mir ein heimlich Singen
Geblieben in der tiefsten Brust.

Und fröhlich greif ich in die Saiten,
O Mädchen, jenseits überm Fluss,
Du lauschest wohl und hörst's von weitem
Und kennst den Saenger an dem Gruss!


【散文訳】

夜の時間に、なんとまあ冷たく漂うものだろうか
手の中に忠実にあるツィターよ!
岡から、わたしは一座の中に挨拶をする
天に、そして、静かな土地にも

こういったことはみなすべて、どのように変身していることだろう
わたしはどこでかくも陽気だったのだろう、谷で
森で、月がただ静かに!逍遥するかのように
かくて、高い山毛欅(ぶな)の広間を通って。

葡萄摘みのヤッホーという掛け声が響き、消えて行く
そして、すべての多彩な生命の履歴が
流れのみが、谷の中をうねり流れて
流れは、幾度も、銀色に輝く

そして、夜啼き鶯が、夢の中からのように
しばしば、甘い響きに目覚めて
木々の中では、密かな囁きが、いたるところで
思い出させるように、動いている。

歓びは、直ちには、消えることはできない
そして、一日の輝きと喜びについては
わたしにとっては、密かな歌いとなって
最も深い胸の中に、留まっている。

そして、喜んで、わたしは弦をつかむ
おお、娘よ、河の向こうで
おまえは、きっと待ち伏せていて、そして、遥かから聞く
そして、おまえは挨拶で歌い手だと知るのだ。


【解釈と鑑賞】

註釈のしようのない詩であり、その通りを味わえば、よいのではないでしょうか。


Wiedersehen mit Berlin(ベルリンとの再会):第19週 by Hans Sahl(1902 - 1993)


Wiedersehen mit Berlin(ベルリンとの再会):第19週 by Hans Sahl(1902 -  1993)



【原文】

Wiedersehen mit Berlin

War ich je hier? Ich war es immer
und sah Berlin in vielen Träumen brennen.
(Das Nahe ist nie nah, nur das Entfernte.)
Ich gehe durch die Stadt, die ich verlernte,
Ich werde wieder Strasse, Nacht und Regen
und gehe mit den Toten in der Menge.
Die Kinderschrift, in der ich deinen Namen malte,
ist ausgelöscht und viele Narben bluten.
Du liebe Zeit, man kann sie kaum noch zählen.
Du liebe Stadt, wen hat es mehr getroffen,
dich oder mich? Du musst mir viel erzählen,
wenn wir bei Tagesanbruch uns besehen.


【散文訳】


ベルリンとの再会

わたしは、いつかここにいたのだったろうか?わたしはいつもそうだった
そして、ベルリンが、数多くの夢の中で、燃えるのをみた。
わたしは、学んでも忘れるこの町を通り往き
わたしは、通り、夜、そして雨になり
そして、死者たちと一緒に、群衆の中を行くのだ。
わたしがおまえの名前を描いた、子供の手(文字)は
消されてしまっていて、そして、傷あとが出血している。
おまえ、愛する時よ、時間をほとんどまだだれも数えることができない。
おまえ、愛する町よ、おまえかわたし以外の誰に出逢ったというのだ?わたしたちが、日の登るときに、お互いをみるならば、おまえはわたしに沢山のことを物語らねばならないのだ。



【解釈と鑑賞】


この詩人のWikipediaです。



ドイツの詩人です。ベルリン生まれのベルリン育ち。

出だしの一行で、ベルリンを離れていた話者が、久し振りでベルリンを訪ねて書いた詩だと判ります。

これは、叙情詩というべきでしょう。

あなたも、ふるさとに帰ったときに、詩をものしてみては、いかがでしょうか。