2014年8月31日日曜日

【西東詩集83】 Maedchen(娘たち)


【西東詩集83】 Maedchen


【原文】

Maedchen

Merken wohl, du hast uns eine
Jener Huris vorgeheuchelt!
Mag schon sein! wenn es nur keine
Sich auf dieser Erde schmeichelt.


【散文訳】

娘たち

よおく覚えておおきなさい、お前さんはわたしたちに
(ズーライカのことを)天国にいる永遠の処女たちの一人だと偽ったのですよ!
いいでしょう、それも。もし、この地上では、どんな
永遠の処女も自らを慰めることが全くないならば。


【解釈と鑑賞】

詩の中に出て来るHuriは、回教の世界の天国にいる永遠の処女と辞書にはあります。

前のハーテムの歌で、それならば、ズーライカはこの地上にはいない、天国にいる永遠の処女ではないか、そんなものはいやしないのだと、娘たちは答えて歌っているのです。

こういうやりとりは、何か古典的な様式を思わせるだけではなく、何かこう人間の男女の本質的なやりとりだという気がします。


2014年8月30日土曜日

Fussnote zu Rom(ローマについての脚註):第35週 by Guenter Eich(1907ー1972)


Fussnote zu Rom(ローマについての脚註):第35週 by   Guenter Eich(1907ー1972)





【原文】

Fussnote zu Rom

Ich werfe keine Münzen in den Brunnen,
Ich will nicht wiederkommen.

Zuviel Abendland,
verdaechtig.

Zuviel Welt ausgespart.
Keine Möglichkeit
fuer Steingaerten.



【散文訳】


ローマについての脚註

わたしは、泉の中に小銭は投げ入れない
わたしは、二度と戻って来ることはない

余りに多くのヨーロッパ
怪しく、胡散臭い

余りに多くの世界が、省略されている
全く可能性がない
石庭にとっては



【解釈と鑑賞】


この詩人のことを書いたWikipediaです。



ドイツの詩人です。

第一行の泉は、ローマにある有名なトレビの泉のことでしょう。そこに小銭を投げ入れると、またローマに戻って来ることができるという言い伝えがあるのでしょう。

しかし、この詩人は、それは余りに過剰なヨーロッパであるといい、怪しく、胡散臭いというのです。旋毛(つむじ)曲がりの詩人です。

石庭と訳した庭は、アルプスの山を模してつくる岩山と植物の庭のことと辞書にはあり、その写真を掲げます。ヨーロッパの庭作りのひとつの形式なのでしょう。




やはり、この詩人も詩人であるのは、庭ということを言うからです。ここが詩人の棲む世界なのです。

母屋というprimaryな場所ではなく、その附属であるような庭というsecondaryな場所、これが言語で織物を編む人間の棲む場所なのです。

そのための場所がないと、素っ気なく歌っております。

その言葉を脚註としたのも、この詩人の庭に対する感覚(センス)に通じております。本文ではなく、意義は脚註にあり、と。


【Eichendorfの詩80】Spruch(金言)


Eichendorfの詩80Spruch(金言) 
  

【原文】

Bau nur auf Weltgunst recht
Und pass auf jeden Wink und Gruss,
Wirst dabei nimmer fröhlich werden!
Es hat’s kein Hund so schlecht,
Der hinter seinen Herren muss,
Nicht frei spazieren kann auf Erden.


【散文訳】

世間の好意の上にのみ、正しく、建てよ
そして、どの合図にも挨拶にも注意を払え
その際には、決して陽気になってはいけない!
自分の主人たちの後ろにいなければならないという
犬ほど
地上を自由に散歩できない犬ほど、
哀れなことはないからだ。


【解釈と鑑賞】

世間を渡るための世俗の智慧を皮肉った詩です。

その詩の題名に金言、箴言、格言とつけた詩人の胸中や如何に。

第1行目の建てよという命令形の目的語が敢えてないのは、そのこころを暗に示しているのではないでしょうか。

敢えて、その目的語を言うならば、詩人としての物事を、とか、或いは全く逆に、世俗の人間として生きるための物事をということもあり得ます。

いづれにせよ、決して陽気になってはいけない!という第三行目のものの言い方は、いつも陽気である詩人を歌うアイヒェンドルフのこころとは、全く逆の、それを否定する一行ですから、この一行からこの詩の皮肉を考えることができます。


2014年8月23日土曜日

【西東詩集82】 Hatem


【西東詩集82】 Hatem


【原文】

Hatem

Nun wer weiss was sie erfüllet!
Kennt ihr solcher Tiefe Grund?
Selbstgefühltes Lied entquillet,
Selbstgedichtetes dem Mund.

Von euch Dichterinnen allen
Ist ihr eben keine gleich:
Denn sie singt mir zu gefallen,
Und ihr singt und liebt nur euch.


【散文訳】

ハーテム

さて、ズーライカが満たすのは何かを、誰が知ろうか!
お前達は、そのような深みの根底を知っているのか?
自分で感じている歌が湧出る
自分で創作した歌が、唇から湧出るのだ。

お前達、女性の詩人達みなの内には
丁度同じ女性は、いやしないのだ。
というのも、ズーライカは、わたしに気に入るように歌ってくれるが
しかし、お前達は、ただ自分たちのために歌い、愛するだけなのだから。


【解釈と鑑賞】

前の娘の歌に答えた歌ということになります。

このような遊びの歌が歌えるようになることが、人間の成熟というものなのだと思います。

苦しんでいるうちは、まだ足りない。と、そう思います。勿論、苦しみを歌うことも、大切であり、人間の業(わざ)ではありますけれども。

Sommermelancholie(夏の憂鬱):第34週 by Simon Borowiak


Sommermelancholie(夏の憂鬱):第34週 by   Simon Borowiak





【原文】

Sommermelancholie

Sanft richtet sich das Abendrot zugrunde,
kein Vogel tschilpt im Nest.
Der alte Fuchs dreht seine Runde
und wünscht dem Wienerwald die Pest.

Der Fliegenpilz behandelt seine Akne
und stäubt sich Puder unter die Lamellen.
Der alte Bock sitzt still auf seinem Bänkchen
und checkt von Weitem die Gazellen.

Auch ich geh jetzt von hinnen
im letzten Tagesscheine
dem Abendrot entrinnen.
Und du, o Leser, weine.



【散文訳】


夏の憂鬱

柔らかにそっと、夕暮れの紅が、没する
一羽の鳥も、巣の中で囀(さえず)らない
古狐は、ぐるぐると旋回し
そして、ウィーンの森に疫病(ペスト)が流行ればよいと願っている。

ベニテングダケは、自分の面皰(にきび)を処置していて
そして、菌褶(きんしゅう)の下に、髪粉を撒いている。
年の功を経た雄山羊は、静かに、自分の長椅子の上に腰を下ろしていて
そして、遠くから、羚羊(かもしか)の様子をチェックしている。

わたしもまた、これから、ここを発つのだ
最後の今日の陽(ひ)の輝きの中で
夕暮れの紅から逃れ出るために。
そして、お前よ、おお、この詩の読者よ、泣いてくれ。



【解釈と鑑賞】


この詩人のことを書いたWikipediaです。



ドイツの詩人です。

第2連にあるベニテングダケの写真を




ドイツ語でFliegenpilzとあるので、この毒キノコを食べると空を飛ぶ様な感覚になるのではないかと思います。Wikipediaには、毒があるが、弱い毒だとあります。

また、菌褶(きんしゅう)とは、茸の傘の裏面のことです。この詩は、随分と植物専門学的な語彙が出て来ます。



菌褶(きんしゅう)の下に、髪粉を撒いている」とは、この茸がお化粧をしているのでしょう。

題名が、夏の憂鬱というのですが、不思議な光景です。夏の日に見る幻でしょうか。あり得る景色に見えます。

一言でこの詩を言いますと、夏の日の夕暮れの光の色を歌った詩ということになるでしょう。

鳥も、古狐も、ベニテングダケも、雄山羊も、夕暮れから逃れるために何かをしている。それほど、この詩人にとって、夏の夕暮れは魅力があるのでしょう。

夏の過ぎ去ることを惜しむ、そのこころが最後の一行にあり、詩の読者への呼びかけとなっています。



【Eichendorfの詩79】Dichterlos(詩人無しで)


Eichendorfの詩79Dichterlos(詩人無しで) 
  

【原文】

Fuer alle muss vor Freuden
Mein treues Herze gluehn,
Für alle muss ich leiden,
Fuer alle muss ich bluehn,
Und wenn die Blüten Früchte haben,
Da haben sie mich längst begraben.


【散文訳】

すべての人々のために、数々の喜びの余り
わたしの忠実な心は輝かずにはいられない
すべての人々のために、わたしは苦しまずにはいられない
すべての人々のために、わたしは花咲かずにはいられない
そして、もし盛りのその花々が、果実をつけるのであれば
それこそ、花々が、わたしを長い事、埋葬し、隠して来たということなのだ。


【解釈と鑑賞】

最後の一行に、詩人の思いがあることでしょう。

この詩の題名を何故アイヒェンドルフは、dichterlos、詩人の居ない状態という題名を付けたのでしょうか。

この題名は、あるいは、この詩に歌われたように、詩人自身の逆説を思って名付けられたのではないかと思います。

つまり、詩人が花咲く、即ち優れた詩を書く為には、長い事地中に埋葬され、言わば死者の様に隠れていなければならないという逆説を。








2014年8月16日土曜日

【Eichendorfの詩78】Heimweh(郷愁)


Eichendorfの詩78Heimweh(郷愁) 
  

【原文】

Heimweh
                     An meinen Bruder

Du weisst’s, dort in den Bäumen
Schlummert ein Zauberbann,
Und nachts oft, wie in Träumen,
Fängt der Garten zu singen an.

Nachts durch die stille Runde
Weht’s manchmal bis zu mir,
Da ruf ich aus Herzensgrunde,
O Bruderherz, nach dir.

So fremde sind die andern,
Mir graut im fremden Land,
Wir wollen zusammen wandern,
Reich treulich mir die Hand!

Wir wollen zusammen ziehen,
Bis dass wir wandermued
Auf des Vaters Grabe knieen
Bei dem alten Zauberlied.


【散文訳】

郷愁
      わたしの兄へ

あなたはそれを知っている、あの木々の中で
ある魔法の禁忌がまどろんでいるのを
そして、夜な夜な、夢の中でのように
庭が歌い始めるのを。

夜な夜な、静かな周囲を通って
時折わたしの所まで、風が通って来る
すると、わたしは、こころの底から叫ぶのだ
おお、兄弟のこころと、あなたに向って。

かくも他の人々は見知らぬものたちである
わたしは、異国の土地で、恐ろしい気持ちがする
わたしたちは、一緒に旅をしたいものだ
わたしには豊かで誠実であるその手よ!

わたしたちは、一緒に旅をしたいものだ
わたしたちが旅に疲れて
父のお墓に膝まづくまで
あの古く懐かしい魔法の歌を聴きながら。


【解釈と鑑賞】

題名の横にあるわたしの兄とは、、2歳年長のWilhelm von Eichendorffのことです。

この兄とは、Wikipediaの記述を読みますと、いつも一緒にいて私的教育も公的教育も受けたことがわかります[http://de.wikipedia.org/wiki/Joseph_von_Eichendorff]。

この記述によると、アイヒェンドルフは、子供のころ、冒険物語や騎士物語、古代の伝説を好んで読んだとありますので、これらの話と感想を、その兄と共有したことでしょう。

ふたりの育ったのはSchloss Lubowitz、ルーボヴィッツ城です。その写真を掲げます。この城の庭は、さぞかし広大で、不思議な場所、恐ろしい場所がたくさんあったことでしょう。



この城の周囲には、魔法の禁忌も魔法の歌も確かにあったのだと思います。






【西東詩集81】 Maedchen(娘)


【西東詩集81】 Maedchen(娘)


【原文】

Maedchen

Dichter will so gerne Knecht sein,
Weil die Herrschaft draus entspringet;
Doch vor allem sollt’ ihm recht sein
Wenn das Liebchen selber singet.

Ist sie denn des Liedes mächtig
Wie’s auf unsern Lippen waltet?
Denn es macht sie gar verdächtig
Dass sie im Verborgnen schaltet.


【散文訳】




詩人は、かくも喜んで従臣でありたいと思うものです。
何故ならば、支配は、そこから飛び出して来るのですから。
しかし、何よりもまづ、詩人にとっては正当なこととなります
もし愛する者がみづから歌うのであれば、そのことは。

彼女は、一体、歌をしっかりと歌えるのでしょうか?
それが、わたしたちの唇にあってしっかりと治めているように。
というのは、歌は彼女をそれどころか疑わしいものとなすからなのです
彼女が隠されたるものの中で支配することは。


【解釈と鑑賞】

傍にいてハーテムとズーライカの相聞を聞いている娘達の歌です。

ズーライカに対する嫉妬も混じっているのでしょう。第2連には、そのような感情もあるように思います。


Die Verschmelzung(溶解):第33週 by Juan Ramon Jimenez(1881-1958)


Die Verschmelzung(溶解):第33週 by   Juan Ramon Jimenez(1881-1958)





【原文】


Die Verschmelzung

Zur Morgenstund
Küsst mich
Die Welt

O Weib, 
In deinem Mund.


【散文訳】

溶解

朝の時間に
わたしに接吻しておくれ
世界よ

おお、(世界という)女性よ
お前の唇のなかで



【解釈と鑑賞】


この詩人のことを書いたWikipediaです。



スペインの詩人です。

ドイツ語では、世界という名詞は女性名詞であり、また中世以来の伝統で世界婦人とも呼ぶような、単なる擬人化以上の本質的な言語の世界を、ドイツ人は有しております。

この同じ言語の世界の富を、この同じヨーロッパにあるスペイン語の世界も有していて、この詩人もこの富を使って、この詩を書く事ができたのです。

読めば一読、よくわかる詩であり、それこそ解説は野暮というものでしょう。


2014年8月2日土曜日

Uebung am Klavier(ピアノの練習):第32週 by Rainer Maria Rilke


Uebung am Klavier(ピアノの練習):第32週 by   Rainer Maria Rilke





【原文】


Uebung am Klavier

Der Sommer summt. Der Nachmittag macht müde;
Sie atmete verwirrt ihr frisches Kleid
Und legte in die triftige Etüde
Die Ungeduld nach einer Wirklichkeit,
Die kommen konnte: Morgen, heute abend-,
Die vielleicht da war, die man nur verbarg;
Und vor den Fenstern, hoch und alles habend,
Empfand sie plötzlich den verwöhnten Park.
Da brach sie ab; schaute hinaus, verschraenkte
Die Hände; wünschte sich ein langes Buch -
Und schob auf einmal den Jasmingeruch
Erzürnt zurück. Sie fand, dass er sie kränkte.


【散文訳】

ピアノの練習

夏がぶんぶんと言っている。午後はひとを疲れさせる。
彼女は、混乱して、自分の新鮮な着物(の匂い)を吸い込む
そして、その着物を、間違いのない練習曲(エチュード)の中に入れる
来る事のできた現実:朝、今晩
という現実の後の、忍耐できないいらいら
ひょっとしたらそこにあったのかも知れない現実、ひとがただ隠しただけの現実の後の。
そして、窓の前で、高く、そしてすべてを所有しながら
彼女は、突然、甘やかされて我がままになった公園を受け容れたのだ。
すると、そこで、彼女は中断した;(窓の)外を見、
両手を組み合わせた;一冊の長い書物が自分の所に来るように願った
そして、一気に、ジャスミンの香を
怒って、押し戻した。彼女は、ジャスミンの香が自分を病気にすることを
見つけたのだ。



【解釈と鑑賞】


この詩人のことを書いたWikipediaです。




ドイツの詩人です。


公園が甘やかされて、我がままなのは、夏の盛りに花々がそこで咲き誇っているからです。

そうして、そのような芳香を放つ花のひとつにジャスミンがあったのです。

一行目の、夏がぶんぶんいうというのは、全くその通りです。ドイツ語のsummenという動詞を使っていますが、これは蜂がぶんぶん音を立てることです。

全く、夏は、summenするのです。



【西東詩集80】 Hatem


【西東詩集80】 Hatem


【原文】

Hatem

Braeunchen, komm! es wird schon gehen;
Zöpfe, Kämme gross- und kleine
Zieren Koepfchens nette Reine
Wie die Kuppel ziert Moscheen.

Du Blondinen bist so zierlich,
Aller Weis’ und Weg’ so nette,
Man gedenkt nicht ungebührlich
Alsogleich der Minarette.

Du dahinten hast der Augen
Zweierlei, du kannst die beiden
Einzeln nach Belieben brauchen;
Doch ich sollte dich vermeiden.

Leicht gedrückt der Augenlider
Eines, die den Stern bewhelmen,
Deutet auf den Schelm der Schelmen,
Doch das andre schaut so bieder.

Dies, wenn jens verwundend angelt,
Heilend, nährend wird sichs weisen.
Niemand kann ich glücklich preisen
Der des Doppelblicks ermangelt.

Und so könnt ich alle loben,
Und so könnt ich alle lieben:
Denn so wie ich euch erhoben
War die Herrin mit beschrieben.



【散文訳】

ハーテム

花嫁よ、こちらへ来るがいい!もう事は定まったのだ
編んだ髪の房、大きい小さい櫛が
可愛らしい頭の、愛らしい清純を飾っている
丁度丸屋根が苔を飾るように

お前、ブロンド髪の可愛らしいお前は、かくも飾って愛らしく
すべての方法と道において、かくも愛らしいく
ひとが、直ちに、回教の寺院のミナレッテ(尖塔)を思い出しても
おかしいことではない。

お前は、その後ろに、ふたつの眼を持ち
お前は、ふたつの眼のそれぞれを、好きなように用いることができる
しかし、わたしはお前を避けずにはいられないだろう。

軽く、星を覆って天蓋となる目蓋のひとつが押されて
その目蓋は、いたづら者のうちの一番のいたづら者を指し示す
しかし、もうひとつの目蓋が、かくも正直に、誠実にものを見るのだ。

これなのだ、これが、もし、誰かを傷つけながら釣りをするならば
その傷を直しながら、滋養分を与えながら、これが自づと示されることになる。
二重の視線を欠いている者の
誰をも、わたしは幸福に賞賛することはできない。

そして、このように、わたしはすべてのひとたちを誉め称えることができるかも知れず
そして、このように、わたしはすべてのひとたちを愛することができるかもしれない
何故ならば、わたしがお前達を称揚したそのように
この女主人が、一緒に描かれたからである。



【解釈と鑑賞】

第2連で、ズーライカをイスラム教の寺院の高い尖塔に譬えているのは、この尖塔からコーランの朗唱が聞こえて来て、ひとびとがその尖塔に向ってお祈りをするからです。それほどに、ズーライカの魅力は、ひとびとに愛されるというのです。

第3連と第4連に歌ったことが、ゲーテの第5連でいう二重の視線の意味です。ズーライカは、ハーテムたるゲーテに対して、このような相反する二重の意味をもたらすのです。

この二重の意味で、世俗のひとたちを詩人は称揚する。そうしてそれは、ズーライカがわたしにすることと同じ二重の意味を持つ。世俗のひとたちを二重の視線で見る事は、そのままズーライカから受けた視線をそのまま返すことであり、その視線の在り方そのものの中に、既にズーライカが在るのだという、これが、最後の連の意味でありましょう。

第5連のjensの意味が不明です。

【Eichendorfの詩77】Treue(忠実)


Eichendorfの詩77Treue(忠実) 
  

【原文】

Treue

Frisch auf, mein Herz! wie heiss auch das Gedränge,
Bewahr ich doch mir kühl und frei die Brust!
Schickt Wald und Flur doch noch die alten Klänge,
Erschütternd mich mit wunderbarer Lust.
Und ob die Woge feindlich mit mir ränge:
So frömmer nur sing ich aus treuer Brust;
Da bleicht das Wetter, Himmelblau scheint helle,
Das Meer wird still und zum Delphin die Welle.

》Was wollt ihr doch mit Eurem Liederspasse!
Des Wuerd’gern beut die grosse Zeit so viel!《
So schallt’s hoffärtig nun auf jeder Gasse,
Und jeder steckt sich dreist sein glänzend Ziel.
Die Lieder, die ich stammelnd hören lasse,
Ew’ger Gefuehle schwaches Widerspiel―
Sie sind es wahrlich auch nicht, was ich meine,
Denn ewig unerreichbar ist das Eine.

Doch lieben oft, der Sehnsucht Glut zu mildern,
Gefangene wohl, das ferne Vaterland
An ihres Kerkers Mauern abzuschilfern.
Ein Himmelsstrahl fällt schweifend auf die Wand,
Da ruehrt’s lebendig sich in allen Bildern.―
Dem Auge scheint’s ein lieblich bunter Tand―
Doch wer der lichten Heimat recht zu eigen,
Dem wird der Bilder ernster Geist sich zeigen.

So wachse denn und treibe fröhlich Blüte,
Du kräftig grüner, deutscher Sangesbaum!
Rausch nur erfrischend fort mir ins Gemüte
Aus deiner Wipfel klarem Himmelsraum!
Du aber, wunderbare, ew’ge Guete,
Die mir den Himmel wies im schönen Traum,
Erhalt auf Erden rüstig mir die Seele,
Dass ich, wo’s immer ehrlich gilt, nicht fehle!



【散文訳】

忠実

元の姿に還って新らしくなるのだ、わたしのこころよ!群衆がなんと命令しようと、
わたしは、なんといっても、冷静に、また自由に、わたしの胸(の思い)を持するのだ!
森と平野が、まだ、古い、懐かしい響きを送て来ると
わたしを、不思議な気持ちにさせて、揺すぶり、感動させる。
そして、大波が、敵対的に、わたしと戦うとなれば
そうであれば、このようにより敬虔に、わたしは、忠実な胸の中から、歌うだけだ
すると、天候は青ざめ、天の青は、明朗に輝き
海は静かになり、波は海豚(いるか)になる。

》お前達は、歌の喜びを以て、何をしようというのか!
偉大な時代は、真価を認めるものたちの多くのものを略奪するのだ!《
このように、今や、どの小路にも、虚栄の音が鳴っている
そして、誰もが、厚かましくも、自分の光り輝く目標を立てている。
わたしが吃りながら聞こえさせる歌の数々
永遠の感情の弱々しい反対
これらは、本当には、実際、わたしの思っていることではないのだ
何故ならば、その一つであるものは、永遠に捕まえられないものだから。

しかし、しばしば、憧れの灼熱を弱めることを愛することだ
捕われたる者達よ、よく、遠い祖国を
お前たちの牢獄の壁に写し取ることを愛することだ
一条の天の光が、漂いながら、壁の上に落ちて来る
すると、それは、活き活きと、すべての像(絵)の中で、動く
眼には、愛らしく多彩な瓦落多と見えるが
しかし、明るい故郷をまさしく我がものとする者には
これらの像の真剣な精神が、姿を現すのだ。

ならば、このように成長せよ、そして、陽気に花の盛りをもり立てよ
お前、力強い緑の、ドイツの歌の樹木よ!
わたしのこころの中に、ただただ新鮮にさやさやとした音を立てて、いつまでも入って来い
お前の梢の清澄な天の空間の中からやって来て!
お前、しかし、不思議の、永遠の慈悲よ
美しい夢の中で、わたしに天を示す慈悲よ
地上で、わたしの魂を強壮に守ってあれ
わたしが、どこであろうと本当に通用する場所で、決して不足がないようにと!


【解釈と鑑賞】

アイヒェンドルフのこころをそのまま歌った歌です。

註釈の自明なほどに明瞭な歌です。

ドイツ語の歌の樹木という譬喩は、素晴らしい。そうであれば、日本語の歌の樹木ということができるでしょう。

世間に対して、詩人はどのようにあるかを、そのままに示してくれている、これも素晴らしい詩であると思います。

この詩がいいと思ったら、あなたにも詩心があるということなのです。

詩の題名は忠実、忠誠という題名ですが、その忠誠を誓う対象は、第2連の最後の一行にdas Eine、ひとつであるものと言われています。