2010年6月4日金曜日

Hart Craneつれづれ草5




柴田宵曲のふたつの著作を読み終え、昨日今日とまたHart Crane論、「Hart Crane and the homosexual text New Thresholds, New Anatomies」(Thomas Yingling著)を読み始める。

今日は、第4章、男色者の叙情詩という章である。

Craneの手紙から、その叙情性のよってきたるところを、このひとは文芸理論、詩理論(日本語でいう詩論ではない、詩の理論である)をもとに歴史的な文脈と、それを否定したCraneの詩の叙情性を論じるのであるが、その論のいう、まことにわが膝を打つばかりの箇所をそのまま引用して読者諸賢の閲覧と理解に供せむと欲す。

同書108ページから:

But Moore was not the only literary authority Crane seemed unable to please; one of his famous prose statements (where he outlines his poetics as a "logic of metaphor") was written to Harret Monroe in an attempt to explain to her that his poetry was not non-sense, that it was in fact grounded in an explicable theory of language."

Mooreというひとは、Marianne Mooreという女性の編集者のことで、CraneのThe Wine Menagerieという詩に大幅に手を加えた編集者である。最初の連ふたつを削除し、その他文言を替えたのだという。Craneがなにもいえなかったのは貧しかったから、お金がなく、お金が欲しかったからである。と、そう書かれている。そうだろうと思う。それに、この編集者には男色者の詩のレトリック、修辞学は理解できなかっただろう。しかし、Craneの詩に魅力を感じていたこともまた事実であり、この詩人も世話になったことではあるのだ。

端的にいって、it (his poem) was in fact grounded in an explicable theory of languageということは、その通りだと思う。Craneの詩は、確かにin an explicable theory of languageに書かれている。わたしがこの詩人の詩を理解したのも、唯単純にウエブスターという辞書をひいて、この詩人の使う言葉ひとつひとつの概念に戻って考えたからである。

詩人はどんなに愚かであっても、嘘をつかない。

もうひとつは、同書109ページ:

Craneが、男色者としての自分の詩を自己検閲をしたということ、社会にその内容、意義と意味を知られることを極度に恐れたということである。

His letters from Ohio refer several times to the "Ulysses situtation" - "terrible to think on" (Letters, 72). "It is my opinion that some fanatic will kill Joyce sometime soon for the wonderful things said in Ulysses" (letters, 95).

Joyceのユリシーズの中の"the wonderful things"とは、男色のことについて書いてあることをいっているのだと思われる。

この引用の前後にある著者の文章とCraneの言葉の引用は、非常にこの詩人の社会に対する恐れを表していて、的確だと思う。その分、この詩人の詩は階層が深く、多重の掛け言葉に満ちていて、理解が難しい。

もうひとつ、ページが相前後するが、ページ106:

著者が論じていうには、Craneの詩の核心にあるのは、the textuality of subjectivityだといっていることである。これが、男色詩人の叙情詩の問題だといっている。

柿沼徹さん、またfiさんが論じていることに多いに関係あることなり、とそう思うのです。敢えて言えば、言語と主観の問題、主観の持つ言語との関係におけるその性質ということになりましょう。

(性質とわたしは言ったが、そうであれば、性質はまた言語なる関数の一要素なり。被演算の対象なり。)

わたしがHart Craneの詩に惹かれるのは、男色詩人であることではなく、それとは無関係に、結果としてこの詩人の有する表現の到達した一般性、普遍性、即ち主観と言語の関係のあらわれにあるのだな、そのあらわれ方の普遍性に。