第2章の世界内在に移る。
上述した如く、自己の内面と外面の間に窓がある。「正しくは此の窓は吾等の心の反照たる鏡なのではないだろうか。」と安部公房は問い、そうだという。そうして、この窓もまた、人間の在り方なのだというのである。この内面と外面の境域、無意識と意識、夜と昼の間に人間は生存し、また詩人であれば、存在者として、そこにいる。さて、そうして、その窓に映ったものは、窓が人間の在り方という体験的解釈を通じてのものである以上、「<<かく見ゆる>>」外界も、そのような窓に制約された性格を付加されているものである。したがい、また外界は、この窓に「かく見ゆる」が如く帰属しているのだ。これが安部公房の主張である。
さて、外界の形象が窓に帰属するとして、その形象は、何を意味するのかを、次に問うている。この問いを立てるとき、「心の部屋」(内面。無意識の世界)にいる人間は何を思い、どうするのか。それを転身という一言でいっている。その転身という言葉の後に続く文章は、実際に安部公房が少年時代を通じて体験をしてきた事実を言葉で書いているとしかいいようがないものである。いいかえがきかない。あるいは、既に創作になっているとしかいいようがない。安部公房の詩や小説の比喩に典型的な文体のように。あるいは、ひとことでいえというならば、それは詩、である。すこし長いが(それでもこのような文章の3分の1である)引いて見よう。
「これを深く見つめた時、実は吾等の魂に、あの心の部屋に、云う可からざる急激な転身が突如として始まるのだ。ふと気付いて見れば、常に形象に伴ってのみ現れるものと思われていた彼の意味・内容が、何時か一人形象を離れて無限の空間の中に漂っている。それはもう自分達の手の届かない遠くの空へ、星の中に混じって混沌の中へ沈んでいる。それに気がついて吾等はまるで悪夢から醒めた時のように肌をすくめて暗いあたりのひろごりを眺めまわすのだ。そうすると急に闇が恐ろしくなる。始終その暗いひろごりが深さを増して、一刻一刻重くなり、今にも自分を圧しつぶしてしまいそうに思われて来るのだ。きっとあかりをつければ落ち着くに異いない、そう思って業々起きだして灯をともす。」
ここで詩的表現以外には書きようがなかったことは、前節までに得た結論、すなわち、「世界内ム在」と「世界―内在」は、動態的な入れ籠構造(次元変換)になっていて、詩人は、この構造の境界域を、外面を削りながら、消しゴムで消しながら、内面、できるだけ無意識に迫ったその境界面に達する努力を行い、それによってまた、この入れ籠構造は永遠に循環するということなのだ。「こうして世界内―在者としての我は、世界―内在者としての自我までひろがったのだ。」このような生に対する方法を学んだものとして、安部公房は、このような引用の後に、R.M. Rilkeの名前を出して、Herbst(秋)という詩を念頭に於いて、その形象を書いている。
この人間の在り方は、安部公房は、限り無く続くと次のように書いている。
「しかし、より高次の人間の在り方である展開は自ら次元を上へ上へと乗り越えて、限り無き円を回転し続けるのだ。世界内―在にも世界―内在にも留まる事無しに、交互に素速く点滅する光の中を無言の儘に行きすぎるのだ。」「夜も世界も、展開に於いて次元から次元へと転身する行為に於いて、その行為者のみが触れ得るものなのである。静止するものは一つとて無い。総ては巡る。そして其の回転自体も固定した観念としては消滅する。総ての流れは不連続な点の列である。」「そして、夜が、一瞬に於いてその体験的現存在の直覚として捉えられたとき、その一瞬に於いてこそ、彼の果てしなく繰り返して止まなかった世界内=在と世界=内在とは、止揚されて、人間の在り方としての純粋な世界内在となるのだ。」
ここまで読んで来、書き来ると、最後はこのように20歳の安部公房の言葉を引用するだけで、その意図するところを理解するには、もはや十分だとわたしには思われる。
この世界内在を、安部公房は、RilkeのDinge(事物)の持つ永遠の客観性といっている。これは、また、そのまま安部公房のリルケの理解といってもよいだろう。
「世界内在とは一瞬に於ける夜の具体的直覚である。」この次元転換に当たる夜の、従って無意識の、具体的な直覚が、外面を削られ、消しゴムで言語化された、安部公房の独特のイメージと比喩であり、その文体(スタイル)を創造するということなのだろう。
別のいい方をすれば、この「夜の具体的直覚」とは、何を直覚しているのかというと、次のことである:「即ち、現存在は、無数の異なれる次元の断層である。そして直覚とはその幾枚もの透明な硝子板を上からすかし見ることである。その光無き全体こそ正しく夜なのである。」
このような「かく在り」、「かく見る」現存在(das Dasein)は、このように宇宙の全体とむすびついている、連絡しているのだと、安部公房はいっているのだ。このイメージと、このようなイメージを喚起する比喩、そして同時にそのような作品の構造が、安部公房の真骨頂なのである。それゆえ,安部公房の作品は、その細部も含めて,多様な解釈を可能にしている。
以上の安部公房の詩と詩人に対する理論篇の理解を得た訳で有るが、これを以て、その後の安部公房の作品や発言をより良く理解することができることと思う。実際に、全集の第1巻の483ページにある1948年5月3日付のMEMORANDUM 1948と題したメモ中の、夜の会にての花田清輝と野間宏との議論についても、このふたりが何をいい、安部公房がどう考え、答えていたか、相当抽象的な、難解なメモであるが、これとてもよく解るのである。1948年辺りから、他の作家達との交流が始まり、安部公房は詩から小説へと活動を移すけれども、安部公房が無名詩集を生涯大切にしたことを思えば、やはり生涯詩への関心を失うことなく、散文の場合にも(特にその独創的な比喩において)、その道筋は終始,首尾一貫している筈だとわたしは思う。
さて、18歳から20歳の安部公房、詩作をしていた時代の安部公房の作品を読解して得た、安部公房の詩と詩人に対する考え方(この場合、詩人を人間と置き換えても同義である)をもとにして、できることは何であろうか。無名詩集の解釈、安部公房独特の比喩の分析と文体、モチーフと作品の構造を論ずることなど、まだまだ色々とありそうである。
さて、以上理論篇を終わったので、次は、実践篇として、安部公房の詩を読解してみたいと思う。あるいは、鑑賞してみたいと思う。
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