2013年8月25日日曜日

Der Salad(サラダ):第36週 by Jan Wagner(1971 - )



Der Salad(サラダ):第36週 by Jan Wagner(1971 -   )



【原文】

Der Salad

nur essig, ol und salz, samyn, den rest
gibt die natur. du sagst, ich sei von sinnen,
weil mir nicht schmeckt, was anderswo verprasst
wird, ich im garten bleibe? mag schon sein.

lieber im kreise meiner kardinale,
der würdigen radicchios, ihrer bitter-
en lehre, der man kresse, pimpinelle
und schnittlauch beimischt, lieber dort die blatter

des löwenzahns, der sich durch eine kiste
aus lehm ins freie sagt, der chicorée
mit seinen weissen fackeln. mach nur, koste,
leg auch den lollo rosso in die karrre,

den nussigen rapunzel. nicht die letzten
sind mir die kopfsalate, hinterm knick
verborgen, wo sie ganz in sich zusammen-

gerollt sind, ihre bleichen herzen schützen
vor allzu grosser Helligkeit. genug:
nun lass uns kauen, dass es kracht, samyn.


【散文訳】

サラダ

ただ酢とオイルと塩とサミンと、それ以外のものを
自然は与えた。君は言う、自分は夢中になっていると、
何故ならば、他の場所で浪費されるものは、自分には美味しくないからだ、僕は庭に留まっているというのかい?そうしても勿論いいけれど。

むしろ、ぼくのリンゴの、威厳のあるチコリの、チコリの苦い
教えの、その教えにオランダ辛しを、ミツバグサを
そしてシロウマアサツキを混ぜて、そのチコリの苦い教えのサークルの中に、むしろ、そこに吹き出物が

タンポポの吹き出物、粘土で出来た箱を突き抜けて
自由な外に出ているタンポポが言うには、
白い松明(たいまつ)のチコリ。ただつくって、味わって
レタス(ロロロッソ)も手押し車の中に積みなさい、

堅果ののぢしゃ(ラプンツェル)を積みなさい。勿論、
ちしゃ(サラダ菜の一種)のサラダはいうまでもなく、生け垣の後ろに
隠れてはいられない。そこでは、ちしゃのサラダは全く身を縮めて

転がっているのだ、その青白い心臓を護っているのだ
全く大きな明るさから。もういい:
さて、噛もうではないか、音を立てるように、サミンを。



【解釈と鑑賞】


この詩人の紹介のページです。Wikipediaはありませんでした。


ドイツの若い詩人です。

この庭には、色々な野菜が植えてあり、育っているのでしょう。そんな情景を思い描いて、この詩を読むとよいのでしょう。

野菜を採取しながら、庭のことをしながら、このように思い、考えた詩です。何か、読んでいると、夏の暑さを覚えます。

誰かと一緒にその仕事をしているのかも知れず、また一人で独白をしながら、そのように思いながら、そうしているのかも知れません。

色々な野菜の名前が出て来ます。すべての写真を掲げることは、敢えてしませんでした。



【西東詩集47-12】 無題12



【西東詩集47-12】 無題12


【原文】

DAS Leben ist ein schlechter Spass,
Dem fehlst an Dies, dem fehlts an Das,
Der will nicht wenig, der zuviel,
Und Kann und Glück kommt auch ins Spiel.
Und hat sich's Unglück drein gelegt,
Jeder wie er nicht wollte trägt.
Bis endlich Erben mit Behagen
Herrn Kann nicht - Willnicht weiter tragen.

Das Leben ist ein Gänsespiel:
Je mehr man vorwärts gehet,
Je früher kommt man an das Ziel,
Wo niemand gerne steht.

Man sagt die Gaense waeren dumm,
O! glaubt mir nicht den Leuten:
Denn eine sieht einmal sich rum
Mich rückwärts zu bedeuten.

Ganz anders ists in dieser Welt
Wo alles vorwärts druecket,
Wenn einer stolpert oder fällt
Kein Seele rueckwaerts blicket.



【散文訳】

人生は悪い冗談だ
これも足りない、あれも足りない
冗談は少ないことを求めず、いつも多すぎることばかりを求める
そして、「出来る」氏と幸福氏が手を取って、実際遊ぶことになる。
そして、不幸がその中に割って入って
誰もが、求めないのに、不幸を担うのだ。
ついには、地上が、心地よさ故に
「出来る」氏をではなく、「したくない」氏を更に担って行くのだ。

人生は鵞鳥遊び(団体遊戯)に似ている:
前進すればするほど
一層早く目的に到達する。

鵞鳥は馬鹿だとひとはいうが
ああ!わたしは人々の方をこそ信じない:
何故なら、一羽の鵞鳥(馬鹿)が自分の周りを見廻すと
わたしに後退せよと命じるからだ。

この世は全くそうではない
そこでは、総てが無理にでも前進していて
だれかがつまづいたり、倒れたりすると
だれも後ろを振向いて見ないのだ。



【解釈】

これも、解釈不要の詩ではないかと思います。

ゲーテの苦い思い、世俗の人間の下劣な情に対する軽蔑を読み取ることができます。

この幾つかの人生に関する詩の連は、次回訳す次の詩に繋がっております。



【Eichendorfの詩 40】Rueckkehr (帰還)


【Eichendorfの詩 40】Rueckkehr (帰還) 

【原文】

Rueckkehr

Wer steht hier draussen? - Macht auf geschwind!
Schon funkelt das Feld wie geschliffen,
Es ist der lustige Morgenwind,
Der kommt durch den Wald gepfiffen.

Ein Wandervoeglein, die Wolken und ich,
Wir reisten um die Wette,
Und jedes dacht: nun spute dich,
Wir treffen sie noch im Bette!

Da sind wir nun, jetzt alle heraus,
Die drin noch Kuesse tauschen!
Wir brechen sonst mit der Tür ins Haus:
Klang, Duft und Waldesrauschen.

Ich komme aus Italien fern
Und will euch alles berichten,
Vom Berg Vesuv und Romans Stern
Die alten Wundergeschichten.

Da sing eine Fei auf blauem Meer,
Die Myrten trunken lauschen -
Mir aber gefällt doch nichts so sehr,
Als das deutsche Waldesrauschen!


【散文訳】

帰還

誰だ、この外に立っているのは?さっさと戸を開けろ!
もう既に野原は、磨かれたように火花を散らしている
陽気な朝の風だ
それが森を通って笛の音を立ててやって来る。

一羽の渡り鳥、雲たち、それにわたし
わたしたちは、旅に賭けをした
そして、だれもどれもがこう思った。さて、急がなければ
わたしたちはまだ寝床で賭けをしているぞ!

さて、わたしたちはこうしてここにいて、これからみな外に出るのだ
寝床の中でまだ接吻を交しているわたしたちは!
そうでなければ、戸を破って家の中に押し入るのだ:
物音の響き、匂い、そして森のさやさやという音

わたしは遥かにイタリアからやって来たのだ
そして、お前達にすべてを報告したいのだ
ヴェスヴィオス火山の、ローマの星の
古い奇蹟の物語を

そこでは、運命の女神が青い海の上で歌い
ミルテ(てんにん花)が酔っぱらって聞き耳を立てている
しかし、わたしには気に入らないのだ
ドイツの森のさらさら言う音の他には!


【解釈と鑑賞】

第3連の「そうでなければ、戸を破って家の中に押し入るのだ」という一行は、どのような意味なのか。

旅とは反対に、故郷、ドイツに帰還をし、家の中に押し入るのか。と、こう考え来ると、家の中へというこの言葉も、ドイツという故郷の中へと読むことができます。

そこには、懐かしい響き、匂い、そして森のさやけき音が聞こえる。


2013年8月18日日曜日

Wolkenkuhspiel(牛形の雲の遊び):第35週 by Alfred Margul-Sperber(1898 - 1967)




Wolkenkuhspiel(牛形の雲の遊び):第35週 by Alfred Margul-Sperber(1898 - 1967)



【原文】

Wolkenkuhspiel

Die Kuehe, die den Mond mit Bauernanmut tragen,
Sie lagern sich ins Gras und äsen Schlummerwind.
Sie ueberhuscht der Schein von sanften Sommertagen,
Von Wolken zeitenleicht, die ihre Seele sind.

Und oft im Spiel des Traums vertauschen sie die Stellen.
Du siehst die Kuehe fromm am Abendhimmel gluehn,
Und rote Wolken bluehn auf weissen Rinderfellen.
Und weisse Wolken dicht aus prallen Eutern spruehn.


【散文訳】

牛形の雲の遊び

牛達が、農民の愛嬌を以て、月を担(かつ)いでいる
牛達は草の中に野営をして、そしてまどろみの風を食(は)んでいる。
柔らかな夏の日々の輝きが、時間の軽い雲の輝きが、牛達の体を打っている
時間の軽い雲の輝き、それは牛達の魂である。

そして、しばしば夢の遊びの中で、牛達は場所を交換する。
君は、牛達が敬虔に夕べの空に輝いているのを見るだろう
そして、赤い雲達が、白い牛の皮の上に輝いているのを
そして、白い雲達が密に荘厳な乳房から飛び散るのを


【解釈と鑑賞】


この詩人のドイツ語のWikipediaです。ルーマニアの詩人です。


ルーマニア語のWikipediaは、こちら。


夏の空に浮かぶ雲を牛に見立てて詠んだ詩です。

時間の軽い雲という意味は、時間に容易に左右されて形が変わるのか、逆に左右されないで、いつまでも形が変わらないのか、両方の解釈が可能です。

【西東詩集47-11】 無題11



【西東詩集47-11】 無題11


【原文】

BEHANDELT die Frauen mit Nachsicht!
Aus krummer Rippe ward sie erschaffen,
Gott konnte sie nicht ganz grade machen.
Willst du sie biegen, sie bricht;
Lässt du sie ruhig, sie wird noch krümmer;
Du guter Adam, was ist denn schlimmer?―
Behandelt die Frauen mit Nachsicht:
Es ist nicht gut dass euch eine Rippe bricht.


【散文訳】

ご婦人方は、慎重に注意して取り扱いなさい
曲がった鎖骨から生まれたのだから
神も女性をすっかり真っ直ぐにはできなかったのだ。
女性を曲げたいと思えば、女性は直ぐに折れる
女性を静かにさせたいと思えば、一層曲がってしまう。
善良なるアダムよ、一体これ以上悪くなることがあろうか?
ご婦人方を慎重に注意して取扱なさい
君たちの鎖骨が一本折れることになったら、それはよいことではないからね。

【解釈】

解釈不要の詩ではないかと思います。


【Eichendorfの詩 39】Wanderlied der Prager Studenten (プラハの学生の旅の歌)


【Eichendorfの詩 39】Wanderlied der Prager Studenten (プラハの学生の旅の歌) 

【原文】

Wanderlied der Prager Studenten

Nach Süden nun sich lenken
Die Voeglein allzumal,
Viel Wandrer lustig schwenken
Die Huet im Morgenstrahl.
Das sind die Herrn Studenten,
Zum Tor hinaus es geht,
Auf ihren Instrumenten
Sie blasen zum Valet:
Ade in die Laeng und Breite
O Prag, wir ziehen in die Weite:
Et habeat bonam pacem,
Qui sedet post fornacem!

Nachts wir durchs Staedtlein schweifen,
Die Fenster schimmern weit,
Am Fenster drehn und schleifen
Viel schoen geputzte Leut.
Wir blasen vor den Tueren
Und haben durst genung,
Das kommt vom Musizieren,
Herr Wirt, einen frischen Trunk!
Und siehe über ein kleines
Mit einer Kanne Weines
Venit ex sua domo―
Beatus ille homo!

Nun weht schon durch die Wälder
Der kalte Boreas,
Wir streichen durch die Felder,
Von Schnee und Regen nass,
Der Mantel fliegt im Winde,
Zerrissen sind die Schuh,
Da blasen wir geschwinde
Und singen noch dazu:
Beatus ille homo
Qui sedet in sua domo
Et sedet post fornacem
Et habet bonam pacem!


【散文訳】

プラハの学生達の旅の歌

小鳥達は一緒に
さて、南へと舵をとる
たくさんの旅人が陽気に帽子を
朝の光の中で振っている。

それは学士の面々
門を出て行き
その楽器で別れを告げるために吹奏する
さようなら、四方八方の皆々様へ
ああ、プラハ、我等は彼方へ行くのだ
Et habeat bonam pacem,
Qui sedet post fornacem!

夜になれば、小さな町々をそっと通り抜ける
窓という窓はずっと向こうまで輝いている
窓辺には、廻転し、そして静々と歩む
多数の美しく化粧をした人たちが
我等は戸口戸口の前で吹奏する
そして、充分に喉が渇いて
それは演奏することから来たものだ
おい亭主、一杯の新鮮な飲み物を持って来い!
そして、見るがいい
小さな、缶に葡萄酒の
Venit ex sua domo―
Beatus ille homo!


さて、こうして既に森も通り抜けて吹く
冷たい北風の神が
我等は野原を通り抜け
雪と雨で濡れたまま
外套は風に飛び
靴は千切れて
そこに、我等は迅速に吹奏する
そして、更に合わせてこう歌うのさ:
Beatus ille homo
Qui sedet in sua domo
Et sedet post fornacem
Et habet bonam pacem!



【解釈と鑑賞】

多分ラテン語だと思いますが、プラハの学生達の歌の意味が不明です。ご教示下さるとありがたい。

オーストリアの詩、そして今回はプラハの学生の詩と、ドイツから東欧に舞台が移って来ています。

詩に製作年が書かれていないので、いつの詩か判らないのが残念です。


2013年8月11日日曜日

【西東詩集47-10】 無題10




【西東詩集47-10】 無題10


【原文】

Es GEHT eins nach dem andern hin,
Und auch wohl vor dem andern;
Drum lasst uns rasch und brav und kühn
Die Lebenswege wandern.
Es hält dich auf, mit Seitenblick,
Der Blumen viel zu lesen;
Doch haelt nichts grimmiger zurueck
Als wenn du falsch gewesen.



【散文訳】

次から次と物事が起こり
そして、またきっと(次の後からではなく)次の前にも物事が起こるのだ
だから、急いで、且つ敢然と、且つ大胆に
人生の道を遍歴して歩こう。
横目で花々の多くからその意味を読むことが
お前の足を止めるのだし
しかし、お前が間違っていた場合以上に
酷く引き止めるものは、何もない。


【解釈】

生きていると次から次に何かが起きる。

だから、急ぎ、勇気を出して、且つ冒険的に人生を
遍歴する以外にはない。

寄り道とみえる、路端の花の意味を読み取るために
足をとめるもよし、

とはいへ、人生の過ちは、取り返しがつくわけでもない。

Das Ende der Kunst(芸術の終わり):第34週 by Reiner Kunze(1933 - )




Das Ende der Kunst(芸術の終わり):第34週 by Reiner Kunze(1933 -  )



【原文】

Das Ende der Kunst

Du darfst nicht, sagte die eule zum auerhahn,
du darfst nicht die sonne besingen
Die sonne ist nicht wichtig

Der auerhahn nahm
die sonne aus seinem gedicht

Du bist ein künstler,
sagte die eule zum auerhahn
Und es war schoen finster


【散文訳】

芸術の終わり

君はそうしちゃあいけない、とフクロウがライチョウに言った
君は太陽を歌ってはいけない
太陽は重要なものではないよ

ライチョウは
太陽を自分の詩の中からとった

君は芸術家だね
とフクロウはライチョウにいった
そして、美しい闇だった。


【解釈と鑑賞】


この詩人のWikipediaです。東ドイツの詩人です。


太陽を詩から省いたから闇になったのかどうか。因果関係ははっきりしておりませんが、寓意のある詩でもあるかと思います。

芸術家は闇に生きるものだということでしょうか。それは、それで正しいことだと思います。

しかし、題名は芸術の終焉です。太陽をとったら、闇になり、芸術は終わりになる、という反対の意味かも知れません。

【Eichendorfの詩 38】An der Grenze (国境にて)


【Eichendorfの詩 38】An der Grenze (国境にて) 

【原文】

An der Grenze

Die treuen Berg stehen auf der Wacht:
>>Wer streicht bei stiller Morgenzeit
Da aus der Fremde durch die Heid?<<
Ich aber mir die Berg betracht
Und lach in mich vor grosser Lust,
Und rufe recht aus frischer Brust
Parol und Feldgeschrei sogleich:
Vivat Oestreich!

Da kennt mich erst die ganze Runde,
Nun gruessen Bach und Voeglein zart
Und Wälder rings nach Landesart,
Die Donau blitzt aus tiefem Grund,
Der Stephansturm auch ganz von fern
Guckt übern Berg und saeh mich gern,
Und ist er's nicht, so kommt er doch gleich,
Vivat Oestreich!


【散文訳】

An der Grenze
境界にて

親しく誠実な山々が見張りに立っている
>>静かな朝の時間にこっそりと行く者は誰か?<<
わたしは、しかし、わが山々を見て
そして、大いなる喜びの余りに、我が内の中へと笑うのだ
そして、正に新鮮な胸の中から叫ぶのだ
合い言葉と閧(とき)の声を
オーストリア万歳!

すると、ようやく四囲がわたしを認めて
さて、川と小鳥が優しく挨拶をする
そして周りの森達が、その土地風に挨拶をし
ドナウ川は深い地底から閃(ひらめき)
シュテファン大聖堂の塔もまた全く遠くから
山を見渡して、そしてわたしを好んでみることだろう
そして、大聖堂の塔でないというならば、いややはり直ちに来るのだ
オーストリアが、オーストリア万歳!


【解釈と鑑賞】

第2連に、オーストリアのシュテファン大聖堂の塔が出て参ります。このような塔です。



また、この大聖堂の全容は、次の通りです。見晴らしのよい塔であることでしょう。


藤島秀憲の歌集『すずめ』を読む




藤島秀憲さんという方の歌集『すずめ』を読みました。

既にこの題名が示しているところですが、この方の和歌の特色は、

1。繰り返し
2。重複
3。韻
4。擬音語、擬態語

これらのことにあります。

これらのことは、根はひとつで、その現れが、そうだということです。

すずめという名前が、既にすの音の繰り返しであり、重複であり、韻律を踏んでいる。

と、そう思うほどに、この特色は徹底的な性格を備えており、また同時にこの歌集の骨格となっています。

以下、思うままに、この特色を備えた歌をすべて挙げて行きます。ご鑑賞下さい。


春はそこ猫はそこそこ色気づき学習机がとなりにとどく
かすみ草の種はいずこに蒔かんかなここ百日草ここ金魚草
くぬぎの木しいの木ならの木かしわの木春の茸を春子とぞ呼ぶ
黒板を斜め斜めに消してゆく佐佐木幸綱教授の肩幅
届きたるままの折り目に朝刊がゆうべの父のかたわらにあり
森深く父と迷えばチュピルルルいつまでツツツどこまでトトト
焦げているとなりの煮物春の夜の窓と窓とが細めにひらく
ゆるキャラのコバトンくんに戦(おのの)ける父よ 叩くな 中は人だぞ
青簾青柚青蔦青嵐あなた青芝朝顔の鉢
薬研掘とんとん七味とんがらし信女の母がいまでもうたう
さくらもち草餅かしわ餅ついに完売したる第2期の墓地
夏椿さらさらと咲きお父さんパンツを脱いだらパンツを履こう
けろけろと父は蛙の真似をしてわれは鳴かずに茂吉を読めり
父の匂い、わが家の匂い、分ちがたくて蝉しぐれ聞く
葉牡丹を時計に植えている人が季節をすんと早送りする
よく噛んで食べよもこもこ栗ごはん富士山頂にまだ雪はなし
二の酉を過ぎてしだいに狭くなる朝朝洗う顔の面積
口喧嘩するにはふたり以上要るまたに擂り鉢挟んで擂りぬ
凧の浮く空仰ぎつつ笑いつつ嘘のつじつま合わなくなりぬ
文字のまだなかりし頃のうたびとのようなはるにれ冬のはるにれ
降る雪の畑の無人販売所休みの札のなけれど休み
さいたまのたたみに散っている父の癇癪癖のたけのこごはん
父の皮それでもわれに温かいひっぱりひっぱりひげを剃りつつ
雪になる予報がはずれ雨のまま会う人はみな雨をよろこぶ
単1がなし水がなし妻梨の花は咲けども納豆がなし
西洋人ふたりだけいる仲見世の猿がしゃかしゃかシンバルを打つ
柿の木に若葉の季節しろがねの蛇口ひねれば水が出てくる
ふくふくと暖色系の雨が降る八重を一重を咲くやまぶきに
豆腐屋に絹の冷えつつ売られおり初のつばめがつーつーと飛ぶ
停電の夜を二時間叫びしが父は話さぬ父になりたり
黄色い線を一度またげばもう一度またぎてわれは夜を帰り来つ
収穫の終わりし梅の畑には今日ねぎらいの、ねぎらいの雨
五年ぶりに妻と寝しと川口の友は灯りのともらぬ夜を
早大文は裏からみても早大文向かいの窓に目標があり
明日こそ月曜こそはと一年の過ぎつ痛みのまだ残りおり
幸せだ 青葉若葉を通り抜け日差しが届くジャムを塗る手に
動詞より名詞を大事にする恋の伊東屋のびんせん鳩居堂のはがき
まっすぐに光射しくる一本(ひともと)に生きて鳴く死んで鳴く蝉
被爆アオギリ2世が映り揺るる葉の裏を這う蟻ついでに映る
ゆうがおの咲きても暮れぬ濹東に加茂茄子田楽あつあつが来る
含羞草(おじぎそう)おじぎをすれど車椅子デビューの父は下向くばかり
放光院の一人息子の竹馬が木(こ)の暗(く)れ茂(しげ)をかくかく進む
わけありの女男(めお)をひとりで演じれば腰に這う手と払いのける手
つっこみの兄をなくしし弟の汗は垂りつつぼけてもひとり
鉄板にラードは溶けてほのぼのと秋の六区に団扇を使う
文学館の秋の日ざしのさしこまぬ窓辺にひらく稿本の甲
餌を食う命と餌になる命ラッコの食事時間はたのし
佐佐木家と訊けば谷中の駐在さん秋のおわりの公孫樹を指さす
網棚の生八つ橋がしずやかに夜の深谷を過ぎてゆくらん
亀十の前に逢いつつ別れつつ五度目の冬をわたしは癒えて
湯気の立つごはんがあって父がいてあなたにたまに逢えて 生きてる
予報では今日は午後から野ぼたんの鉢を庇の下に移しぬ
野の菊は倒れつつ咲きどっぺりと雨雲低く一葉の町
さざんかの散って本郷本郷は坂のかたちに風の吹く町
パステルで淡く描いているような雨の晩秋ばんしゅうのあめ
みみずくの啼いて啼きやみ啼くまでの市民の森をわれは横切る
魚偏に雪の魚のほろほろと身のほぐれつつ三月よ来い
梅の香に百日百夜(ももかももよ)とあそびたる家をうつつを父去らんとす
待つ父のもうおらざるに味噌汁で流し込みつつ食う むせて食う
母が逝き父が逝き二十四時間がわれに戻り来たまものとして
立春を過ぎたる梅に二羽四羽めじろの来るは去年のごとし
母を出て五十一年経つわれがひとりでひとり分を食いおり
足の指きりきり冷えて目覚めたり父を捜しに行きし町より
窓辺から窓辺にうつすシクラメン緊急連絡網をつなげて
辛夷咲く空を見上げるわが命いろいろあった冬いとおしむ
みぞれふる菊坂われに肉親と呼べるひとりもなくみぞれふる
ことさらに大島桜におう春罪の数だけ罪に苦しむ
ああ、その手、その手がわれを拒みしに 父にぞ祈る手を今は見る
膝の上の本にさわさわ揺れやまぬいまだ青き葉すでに紅き葉
学歴にも職歴にも書けぬ十九年の介護「つまりは無職ですね」(笑)
藤島家最後のわれは弱冷房車両に乗りぬたまたまでなく
朝に書きヒルには消してしまう歌悲しきことを悲しく詠みぬ
成就することが罪なる恋をして枯れたら枯れたでいい梅もどき
焼け焦げる匂いすなわち労働の匂いと工事現場をよぎる
舗装路を穿つ男の揺るがざる体を見たり恥じつつわれは
ちちははの運び出されし路地をわれ一人死ぬため歩いて出ずる
越してゆく町はふたたび三丁目金魚の鉢を細かく割りぬ
「引っ越しの夢」を三三(さんざ)で聴いた夜あなたは軽く咳きこんでいた
数々の短歌をわれに詠ましめし父よ雀よ路地よ さようなら
肉親の介護終えたる男にて喜怒哀楽の淡き日が過ぐ
落としたる青きりんごを追わぬまま坂ある町に暮らしはじめる


2013年8月4日日曜日

【西東詩集47-9】 無題9



【西東詩集47-9】 無題9


【原文】

WOHER ich kam? Es ist noch eine Frage,
Mein Weg hierher, der ist mir kaum bewusst;
Heut nun und hier am himmelhohen Tage
Begegnen sich, wie Freunde, Schmerz und Lust.
O süßes Glück, wenn beide sich vereinen!
Einsam, wer möchte lachen, möchte weinen?



【散文訳】

どこから、わたしは来たのか?それが相変わらずの問いだ
これまでのわたしの道、それがわたしにはほんとんど知られていないのだ
今日、こうして、そしてここで、天高き日に
友達のようにして、苦痛と喜びが出逢う。
ああ、甘い幸福よ、もしふたつが一緒になることがあるならば!
孤独に、誰が笑いたいと思い、泣きたいと思うだろうか?


【解釈】

苦痛と喜びが一緒になることはないでしょう。

それ故の、最後の2行なのだと思います。

このように考えてから、また最初の2行に戻って、これを読むと、ゲーテの人生は苦労が多かったのだと知られます。

大切な事は、3行目にあるように、この天高き日に、このようなことを思うということ、そういう自分がいるということなのでしょう。


Drama(ドラマ):第33週 by Gerhard Falkner(1951 - )


2013/08/04



Drama(ドラマ):第33週 by Gerhard Falkner(1951 -  )



【原文】

Drama

krasser Abend
     die Tiefen leuchten
Schritte ueber die
     steinreich - gestaffelte
             Hochebene
verebben im Richtgraben
                     grollend erhebt sich
die offene Wolke
dann schwirren wie Wurfmesser
                 hellrot die Blitze



【散文訳】

ドラマ

とんでもない夕べだ
  深さが照らした
歩みを
  石ばかりでー段々とした
    高原を通る歩みを
排水溝の中で、深さの潮がひいて行く
       鳴りながら立ち上がる
開いた雲たちが
次に投げナイフのように、ひゅうと鳴るのだ
      明るい赤い色をして、閃光が




【解釈と鑑賞】


この詩人のWikipediaです。日本語です。日本にこの詩人の読者がいるのでしょう。


ドイツの詩人です。

変わった詩です。行変えも、独特です。

Richtgrabenの意味が正確にはわかりませんでした。ご存知の方がいらしたら、お教え下さい。

【Eichendorfの詩 37】Heimweh (郷愁)


【Eichendorfの詩 37】Heimweh (郷愁) 

【原文】

Heimweh

Wer in die Fremde will wandern,
Der muss mit der Liebsten gehen,
Es jubeln und lassen die andrn
Den Fremden alleine stehn.

Was wisset ihr, dunkele Wipfel,
Von der alten, schönen Zeit?
Ach, die Heimat hinter den Gipfeln,
Wie liegt sie von hier so weit!

Am liebsten betracht ich die Sterne,
Die schienen, wie ich ging zu ihr,
Die Nachtigall hör ich so gerne,
Sie sang vor der Liebsten Tuer.

Der Morgen, das ist meine Freude!
Da steig ich in stiller Stund
Auf den höchsten Berg in die Weite,
Grüß dich, Deutschland, aus Herzensgrund!


【散文訳】

郷愁

異郷に旅して、遍歴する者は
愛する者と一緒に行かねばならぬ
他の者達が歓声を挙げ
旅人を一人にさせておく

お前達は、暗い梢(こずえ)よ
古い、美しい時代を知っているのか?
ああ、山巓(さんてん)の背後の故郷よ
それは、ここからどれだけ遠いところにあることか!

わたしは星々を眺めるのが一番好きだ
星々は輝いていた、わたしが彼女のところへと向かうにつれて
夜啼き鶯の声を、わたしは聞くのが好きだ
それは、愛するひとの戸口で歌うのだ

朝、それはわたしの歓びだ!
朝が来ると、静かな時間に、山に登る
一番高い山の上を目指して、遥か彼方へと
お前に、ドイツよ、挨拶をするだ、心の底から!


【解釈と鑑賞】


Es jubeln und lassen die andrn
Den Fremden alleine stehn.
他の者達が歓声を挙げ
旅人を一人にさせておく

という2行の意味は、異国を旅する旅人は、その地にあってもstrangerであって、根本的にはひとと交わることがないということを言っているのでしょう。

しかし、その地の人々は、旅人を歓迎するのです。

第3連を見ますと、どうも旅人は、異国の地で、恋人を求め、探すようです。そう思って、第1連の最初の2行を読む事にしましょう。

旅人と恋人はつきものであるが、しかし、後者を前者は異国の地で求めるだという、アイヒェンドルフの考えです。

そうしてまた、第3連でわかることは、旅人は異国の地にあって、星々や夜啼き鶯といった自然の景物に愛するものだということです。

第4連は、そのような旅人として、自然豊かな異郷と見える我が国ドイツを大切に思うということなのでしょう。