2015年7月31日金曜日

三島由紀夫の十代の詩を読み解く4:三島由紀夫の蔵書目録の語ること

三島由紀夫の十代の詩を読み解く4:三島由紀夫の蔵書目録の語ること


「三島由紀夫書誌」という瑤子夫人が編んだ三島由紀夫の蔵書目録から、以下の抜粋を卑見する機会を得たので、以下に其の抜粋を転記し、わたくしの感想を付して、読者にお届けします。

以下引用です:

ハイデッガー
「ハイデッガー選集」3ヘルダーリンの詩の解明 
手塚富雄・上田貞夫・斉藤信治・竹内豊治訳 理想社 S37・6・30(改訂版) 

「存在と時間 中」
桑木務訳(岩波文庫)岩波書店 S38・8・10重

ハイネ
「ハイネ・浪漫派」
石中象治訳(春陽堂世界文庫)春陽堂 S22・8・15

ヘルダーリン
「ヘルダーリン全集」全4巻
手塚富雄・生野幸吉訳 河出書房新社 S28・3・15~S44・2・20

「ヘルダーリン詩集」
吹田順助訳(集英社コンパクト・ブックス)」 集英社 S39・9・30

「ヒューペリオン」
吹田順助訳(独逸ロマンチック叢書) 青木書店 S18・3.10

リルケ
「神様の話」
谷友幸訳 白水社 S15・10・25

「神について」
大山定一訳 養徳社 S24・10・25

「旗手クリストフ・リルケの愛と死の歌」
塩谷太郎訳 昭森社 S16・4・30

「最後の人々」
高安国世訳 甲文社 S21/7/15

「ドイノの悲歌」
芳賀檀訳 ぐろりあ・そさえて S15・3・10

「薔薇ーリルケ詩集」
堀辰雄・富士川英郎・山崎栄治暇由紀夫訳 人文書院 S28・11・15

「マルテの手記」
大山定一訳 白水社 S15・2・10

「マルテの手記」
大山定一訳 養徳社 S25・4・5

「リルケ書簡集」
全5巻 矢内原伊作・高安国世・谷友幸・富士川英郎訳 養徳社 S24・12・30~S26・2・1

「若き詩人への手紙」
佐藤晃一訳 地平社 S21/3/25

トーマス・マン
「ベニスに死す」S24
「恋人ロッテ」S26
「トオマス・マン短編集」S25
「トニオ・クレーゲル」高橋義孝訳 S24
「非政治的人間の考察」 S43、44
「ブッデンブロオク一家」成瀬無極訳 S24
「魔の山」全3巻揃 S24
「ヨゼフとその兄弟たち」2若いヨゼフ S33

以上が、詩とドイツ語ドイツ文学に深く関係する三島由紀夫の蔵書です。

奥方が、このような目録を作成するということが、素晴らしい。安部公房の真知夫人はその時間なく、安部公房の死後6カ月後に、一緒に死ぬようにして死んでしまった。死因は癌とのことですが、わたしにはそれほど愛した夫であったと思います。

さて、教えて戴いた、蔵書目録は、実に多弁です。以下思うままに。

1。ハイネ
22歳のときに出たハイネの本を持っているということ。これは、やはりこの時期は、詩人から小説家に変身しようという時期ですから、やはり十代で読み、書き写して、自分で日本語の雅文に翻訳するほどに好きであったハイネの詩をもう一度、今度は外から眺めてみたかったのでありませう。即ち、他人の言葉で、散文的に。

2。ヘルダーリン
28歳から39歳までの間の発刊のものを持っているということ。これは古典主義の時代から、ぎりぎり晩年の初年にかかっています。いづれにせよ、このヘルダーリンの詩への欲求が強かったのです。貴重な事実です。

もっとも、書籍の発行年と、三島由紀夫が購入した歳とのづれはありませうが、しかし、この作家のエッセイを読みますと、刊行されたら、やはりすぐ買って読んだのではないかな。と、そう思います。

3。リルケ
意外であったのは、リルケをこれだけ所有し、読んでいたということです。これは、安部公房の側からみますと、三島由紀夫が安部公房と対等にリルケについての議論ができ、自説を主張できたという、実に有力な資料です。その議論も、わたしには想像することができるように思います。
これも、いづれ書くことにします。いや、さうなります。

4。トーマス・マン
高橋義孝訳の『トニオ・クレーゲル』がある。これをお読みになると、古典主義時代の三島由紀夫の考えがよくわかります。

これらの発行年をみますと、23歳から44歳までということであり、従い、やはり古典主義の時代、即ち詩人を脱して小説家になろう、散文家になろうという時期の始まりから、死の前年、前々年までの間、三島由紀夫はマンを読んだということになります。

ゾルレンの時代にマンを読み、森鴎外を読んで、これらの作家に倣った。いづれもドイツ文学の世界の文豪たちです。

これも、誠に偶然の一致(と、ここまでなると誠に必然であるかと思われますが)であることに、わたしは最近ドイツの本屋から『ヨゼフとその兄弟たち』の第1巻を引いた所です。全4巻なので、毎月1冊づつ買って行く楽しみとしているのです。一冊一冊は本当に小さい本ですが、長編小説です。これも何かの暗合かとおもはれる。

かうしてこれらの発行された年代をみますと、やはり三島由紀夫は、勿論十代でマンの名前は知っていたことは間違いがありませんが、実際に読むことを深くしたのが、古典主義の時代であること、しかも死の直前の歳まで続いていることが、大変興味深いのです。

何故ならば、『非政治的な人間の考察』とは、第一次世界大戦にあたって、その戦争を経験しながら、マンが言語の人間としてある其の世界の側から戦争と世界と人間を眺めて書いた長大なエッセイであるからです。思考記録といっても勿論構いません。
実は、この本も、上のヨゼフの本と一緒に、ドイツから買ったマンの本のもうひとつなのです。これも何かの暗合かとおもはれる。

マンも三島由紀夫と一緒で、静謐なるvisionを求め、静寂の空間を生涯求めた作家ですから、この考察の書は、三島由紀夫に言語による表現の世界の本質を(本人は既にして十代で知っていたものを)更に一層晩年の最後に知ることを得て、こころの支えとした作品であらうと、わたしには思はれます。

しかし同時に、このことは、その言語藝術家にある欠陥を露わにすることに成ります。わたしはこれを以前書いたことがあります。題して、『トーマス・マンの闇について』:



三島由紀夫は非政治的な人間であり、文化の人であった。マンも同様の考察をしている筈です。読んでから、またあなたにお話いたしませう。

三島由紀夫の『文化防衛論』に通ずる考察が、そこには展開されていることでせう。

『文化防衛論』の核心にある3つの鍵語(キーワード)、すなはち再帰性、全体性、主体性といふ分類は、マンらしいと思えばマンらしいのです。

もうひとつの対概念のキーワード、すなはち、見るものと見られるもの、これはもマンに通じています。

さて、それはそれとして、上記の蔵書目録のこれらのことを、三島由紀夫の3つの時代に合わせて並べて、年表を作成し、後日詩文楽に上梓します。これで、この作家の何かが、相当なことが伝わることでありませう。

わたしのできることは、かうして書いてまいりますと、次のことになりませう。

1。言語の本質論(言語機能論)の観点から、三島由紀夫の世界を論じること
2。安部公房の側からみた三島由紀夫の姿を語ること、また、
3。二人が共有したドイツ語とドイツ文学の世界を、三島由紀夫の読者に紹介し、解説すること

この3つのことでありませう。そのやうに思います。これらのことを念頭に置いて、この連載を続けます。

いや、更に、

4。先の戦争のあとの呆けた此の日本人の眼を覚まさせるために、痛棒を喰らわせ、あの禅道場の座禅の場の素人たちに、言語の警策でもって音立てて肩を打ち、生に対する覚悟をさせるという、そのやうな闇の人間の役割を演ずることだと思っております。

この警策の音は、三島由紀の辞世の歌の一つ目にある通りに、鞘走る凛乎たる音、時差を伝えて当人を覚醒させる音でありたいものです。三島由紀夫の文学のやうに。



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