2012年1月28日土曜日

第6週:Maerchen(お伽噺)by Elisabeth Borchers (1926- )


6週:Maerchen(お伽噺)by Elisabeth Borchers (1926-  )


【原文】

Maerchen

Auf der Suche
nach etwas Schönem wie Schnee
ging ich leer aus
bis es des Wegs zu schneien begann.


【散文訳】

お伽噺

何かを求めて
何か雪のように美しいものを求めて
わたしは外に出たが、虚しかった
求める途中で、雪が降り始めるまでは


【解釈と鑑賞】

この詩人、Elisabeth BorchersWikipediaです。

http://de.wikipedia.org/wiki/Elisabeth_Borchers

子供達のための文学的な選集に評判をとり、よい仕事を残している詩人とのことです。

このドイツ語の短い人生録を読んでも、20世紀の戦争と、戦争の合間の時期を、生きた、それだけでも掛けがいのない、尊い人生を生きた人だという思いがします。

その女性が、詩人であるということが素晴らしい。

写真で、その顔をみる事ができます。

http://www.google.co.jp/search?client=safari&rls=en&q=elisabeth+borchers&oe=UTF-8&redir_esc=&um=1&ie=UTF-8&hl=ja&tbm=isch&source=og&sa=N&tab=wi&ei=Fi0jT93kEuOaiQebpvHUBA&biw=1099&bih=883&sei=Gi0jT-GiA8eUiAe1oJTlBA

やはり、現実に鍛えられた女性という顔をしています。

Maerchen、メールヘェンという言葉を見るたびに、わたしは、ゲーテのウィルヘルムマイスターの修業時代という長編小説を思い出します。

DTV叢書のペーパーバックで読んだのですが、その中のあるページ、同じ1ページの中に、Maerchenという言葉が、噂というもともとの意味と、いわゆる(その後生まれた)童話という意味と、ふたつの意味で同じこのMaerchenという言葉が使われている箇所があったからです。

この詩を、一寸した噂話という意味にとるか、作られた話の最たる物、現実にはない話、即ち童話ととるか、両方あり得る解釈だと思います。

何しろ、Maerchenという言葉は一語なのですから。

また、ausgehen、外出する、外に出るという動詞の意味も、日常的に使うように、観劇やら演奏会やら映画やら、何か楽しみを求めて外に出るというように解釈してもよいし、論理的に内から外へ出るというように解釈して、もっと普遍的な世界を思ってみてもよいと思います。

というよりも、これは詩人の書いた詩なのですから、意味は重複しているととる方が、一番自然だと思います。






2012年1月22日日曜日

第5週:聖歌 by Paul Celan (1920-1970)


第5週:聖歌 by Paul Celan (1920-1970)

【原文】

Psalm

Niemand knetet uns wieder aus Erde und Lehm,
niemand bespricht unsern Staub.
Niemand.

Gelobt seist du, Niemand.
Dir zulieb wollen
wir bluehn.
Dir
entgegen.

Ein Nichts
waren wir, sind wir, werden
wir bleiben, blühend:
die Nichts-, die
Niemandsrose.

Mit
dem Griffel seelenhell,
dem Staubfaeden himmelswuest,
der Krone rot
vom Purpurrot, das wir sangen
ueber, o ueber
dem Dorn.


【散文訳】

聖歌

だれも、再び土と粘度から
わたしたちを捏(こ)ねてつくることはない。
だれも、わたしたちの塵に話かけない。
だれも。

だれでもない者よ、褒め称えられてあれ。
お前のために
わたしたちは花咲きたいのだ。
お前に
向かって。

無で
わたしたちはあった、わたしたちは無である、
わたしたちはこれからも無であり続ける、花咲きながら、即ち、
無の、
だれでもない者の薔薇として。

鉄筆を以て、こころ晴れやかに
塵の糸を以て、天国の荒廃の
冠、赤い色の
緋色の、その色を、わたしたちは歌った
幾度も、おお、幾度も
その棘(とげ)について

【解釈と鑑賞】

Paul Celanという詩人の日本語のWikipediaです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/パウル・ツェラン

英語のWikipediaは、こちらです。

http://en.wikipedia.org/wiki/Paul_Celan

第1連目の

だれも、わたしたちの塵に話かけない。

と訳した文に意味は、言葉を尽くすと、塵であるわたしたちには話しかけないという意味です。

この詩の主人公は、niemand、英語いうnobody、だれでもない者、無名の者です。

天国の荒廃の、と訳したhimmelswuestは、ツェランの造語です。

Himmelは、天、天国、空であり、wuestは荒廃という意味です。

しかし、このふたつの語を結びつけたところに、この詩人の強い意志と、また反対の絶望を感じます。

わたしたちは、無名子の薔薇として咲いている。

その薔薇を、緋色という最高位の位の色をした冠にも喩(たと)えています。

その冠の緋色を、わたしたちは歌った。

歌ったと過去形でありますから、嘗(かつ)ては歌ったのです。今は歌っていない。

このことを歌った最後の連だけは、主語も動詞もない、即ちひとつの文を主文として構成しておりません。

そのような破格の表現法を用いて、緋色の冠と、その赤、わたしたちがその色の棘について歌ったその赤だけが強調されています。

2012年1月14日土曜日

第4週:新しい家々 by Georg Heym (1897-1912)



第4週:新しい家々 by Georg Heym (1897-1912)

【原文】

Die neuen Haeuser

Im gruenen Himmel, der manchmal knallt
Vor Frost im rostigen Westen,
Wo noch ein Baum mit den Aesten
Schreit in den Abend, stehen sie ploetzlich, frierend und kalt,
Wie Piltze gewachsen, und strecken in ihren Gebresten
Ihre schwarzen und duennen Dachsparren himmelan,
Klappernd in ihrer Mauern schaebigem Kleid
Wie ein armes Volk, das vor Kaelte schreit.
Und die Diebe schleichen ueber die Treppen hinan,
Springen oben ueber die Boeden mit schlenkerndem Bein,
Und manchmal flackert heraus ihr Laternenschein.



【散文訳】

新しい家々

時折音を立てる紺碧の空の中で、
錆び付いた西の霜の前に
そこにはまだ、数々の枝を持った一本の木があって
夕べの中へと歩み入るのだが、紺碧の空の中で、新しい家々は凍えて寒くて突然立ち止まり
それはキノコが成長するように、そして自らの虚弱の中で
その黒く薄い屋根桁を天に向かって延ばしていて
家々の壁のみすぼらしい衣服の中でがたがたと音を立てながら
それは寒さの余り大股に歩いている貧しい民衆のようだ。
そうして、盗人が階段からこっそりと忍びより
ぶらぶらさせた片方の脚で床の上を飛び超えて
時折ランプの火の輝きが零(こぼ)れるのだ


【解釈と鑑賞】

Georg Heymという詩人のWikipediaです。

http://de.wikipedia.org/wiki/Georg_Heym

短命の詩人で25歳で亡くなっています。

初期表現主義の叙情詩人とあります。

初期という意味は、期せずして、その後文学史に現れる表現主義の先しょうであったという意味です。

屋根桁と訳した言葉は、Dachsparreですが、それがどのようなものかは、Goolgeの画像検索でご覧下さい。

http://goo.gl/aT1CB

次の詩を訳します。

今日の詩と、何か同じ情調があるのがおわかり戴けることでしょう。

RESIGNATION

Hoch ragt der Neubau in den Abendwind
Der sacht vom Flusse kommt gezogen.
Welle um Welle vertauschet sind,
In die Dämmerung fließen die Wogen.
Siehe, ein Feuerlein blinkt in die Nacht
Und es drängt sich von bleichen Gestalten
Von Fronden gehetzt, vor der Arbeit verwacht,
Sahst du, wie die Fäuste sich ballten.
Fern gen Süden die Schwäne sich reihn,
Wellen nach, Wogen nach sind sie verschwunden.
Sie fliegen zur Freiheit zum Sonnenschein.
Ach, uns sind ja die Hände gebunden.

【散文訳】

諦念

高く新建築が夕べの風の中に聳えていて
風は柔らかく河から引かれてやって来る。
波また波が入れ替わっている
夕暮れの中へと大波が流れ込んでいる。
見てご覧、小さな火が夜の中へと煌(きら)めいているよ
そして、その火は、蒼白な形象に、(フロンド党の)反乱に追い立てられて
犇(ひし)めき合っている
仕事のために管理されて
君は見ただろう、たくさんの拳骨(げんこつ)の膨れる様を
遠く南の方では、白鳥が整列していて
波の後、大波の後に、白鳥達の姿は消えてしまった。
自由へ、太陽の光へと飛んでいるのだ。
ああ、わたしたちの手は、実際縛られているのだ。



2012年1月7日土曜日


第3週:Alternative(次善の策)by Rudolf Peyer

【原文】
Mit ungeschriebenen Gedichten
das Gehoer schaerfen
fuer Lerchenlieder
im Winter.


【散文訳】
そもそも書きようもなく、書かれることのない数々の詩を以て
聴覚を研ぎすませ
雲雀(ひばり)の歌々を聞くために
冬にこそ

【解釈と鑑賞】

Rudolf PeyerのWikipediaです。

http://de.wikipedia.org/wiki/Rudolf_Peyer

この詩人は、スイスの詩人です。それに小説家であり、翻訳家でもあります。

パリで、1957年に、Paul Celanとの交遊が始まったとあります。

また、スカンジナヴィアの国々を訪れる機会があり、スエーデンの詩人、Nelly Sachsとも面識を得て、集中的に書簡を交わしているとあります。

その人生のうち、20年を外国で暮らした芸術家です。

珍しく、メキシコにいったり、北アフリカや南北アメリカにも住みました。

これらは、自らの職業を教師として務めることで得た地位が外国でドイツ語を教えるといった仕事につかせたもののようです。

この外国暮らしの間、幾多の著作をものしています。

この芸術家の特色は、その翻訳者としての能力にあるとのこと。

沢山の本が外国語に翻訳されたとあります。

スイスの文学賞も多数受賞とのことです。

このひとの最後の詩集は、アフォリスム(箴言)と詩の混交だとありますので、この詩集は読んでみたいものです。

さて、この詩の解釈は、無用であるかと思われます。

その通りで、それをどのようにあなたが解釈するかは、あなたの今の境涯、境遇、居場所によって異なるかも知れませんが、それでよいのではないでしょうか。

従い、この詩の鑑賞もまた、取り分け、あなた次第ということになります。

もし、わたしたちこの詩の読者が共通の理解を得ることができるとすれば、次の問いに答えることによって、できると思います。

それは、何故この詩人は、この簡素な詩に、次善の策という名前を与えたかという問いです。

冬という寒い、堪え難い、つらい季節にこそ、春の雲雀の歌声を聴け、その聴覚を研ぎ澄ませよ。

それが、その季節を甘受しているときにできる最善ではないが、次善の策であるという、そういうこころだと思います。

しかし、こう散文的に言ってみても、なかなか言い尽くしたことにはならないのが、詩というものなのだと思います。

簡素な詩ですが、余情があります。

上のWikipediaには、この詩人は叙情詩人だとありました。

この詩は、叙情詩なのだと思います。