2016年2月28日日曜日

第9週:Die Erfindung der Schere(鋏の発明)by Peter Horst Neumann(1936-2009 )


 第9週:Die Erfindung der Schere(鋏の発明)by Peter Horst Neumann(1936-2009 ) 






【原文】

Die Erfindung der Schere
Und wieder
Lag dein Messer
Über meinem,

Wir prüften
Ihre Schärfen
Haut an Haut,

Wir kreuzten
Sie zum aber-
letzten Mal,

Nicht scharf
Genug, zu schneiden
Was uns hält.



【散文訳】

そして、再び
お前のナイフが横たわつてゐた
私のナイフの上に、

私たちは吟味した
二つのナイフの切れ味の鋭さを
肌と肌を合わせて、

私たちは二つのナイフを
最後にもう一度
交差させて、十字形を作つたが、

十分に切れ味鋭くはない
私たちをとらへて持してゐるものを
切断するには。


【解釈と鑑賞】


この詩人は、ドイツの詩人です。



題は、鋏の発明としましたが、その意味は、鋏を発明するといふ意味であることが、詩を読むと判ります。

さて、どんな鋏を発明したのか。

この鋏のそれぞれが、私たちの譬喩だとして、それを交差させて、十字架の形をなすといふのも、また肌と肌を合わせてあるので、これはまたeroticな詩になつてゐます。

さうではなく、「肌と肌を合わせて」が譬喩ではないと考へると、やはりそれはそれで実際の話となり、私たちが肌をあわせることになります。どちらへ転んでもeroticだといふことになります。


しかし、最後の連の、


十分に切れ味鋭くはない
私たちをとらへて持してゐるものを
切断するには。


とあるこの3行は一体何を言つてゐるのでせうか。

ナイフ2本で鋏を構成しても、やはり何かに対してまだ弱いといつてゐる。

私たちをとらへて持してゐるもの」を、二つのナイフを重ねた交差にある鋏の留め金だと理解をしたとして、さうであれば、今度は、私たちの一本一本のナイフの組み合わせを保持してゐる其の留め金が自己矛盾だといふことになりませうか。

ここから先、どのやうに問題を解決するかは、読者に委ねられてをります。





2016年2月18日木曜日

第8週:Wintererzählung(冬物語)by Jacek Gutorow(1970~ )


 第8週:Wintererzählung(冬物語)by Jacek Gutorow(1970~ ) 








【原文】

Den ganzen Tag lang fiel ein dichter Schnee.
Er fiel und fiel. Verschneite die Gedanken.

In den Augen der Vorübergeheneden
fiel auch Schnee. So dicht,
daß kein Zweifel bestand:

Schließlich würden alle in der Sprache
des Schnees sprechen, kaum
hörbar, leise raschelnd eine ganze Nacht lang
und den ganzen nächsten Tag.



【散文訳】

終日、びつしりと、濃く厚い雪が降つった。
振りに降つた。雪は、数々の思考を閉ぢ籠めた。

通り過ぎて行く者たちの眼の中では
雪もまた降るのだつた。かくもびつしりと濃く厚く降るので
疑ふことが無いほどにまで。

遂には、すべての人々は、雪の
言語で話をするかも知れない、ほとんど
何も聞こぬ声で、一晩中微かにかさかさと音を立てながら
そして、翌日も終日さうであるかも知れない。


【解釈と鑑賞】


この詩人は、ポーランドの詩人です。



Googleで検索しても、日本語の解説の言葉が出て参りませんので、日本では無名の詩人です。

ひよつとしたら、本邦初訳であるかも知れません。

ポーランドの冬の日。確かに、雪が降れば、周囲の、外界の音は熄(や)み、この詩のやうな世界が生まれる。



2016年2月14日日曜日

第7週:1904(1904年)by Guillaume Apollinaire(1880-1918)


 第7週:1904(1904年)by Guillaume Apollinaire1880-1918  







【原文】

Nach Straßburg hat ich mich begeben
Zu Fastnacht 1904
Ein Opernsänger hockte neben
Mir vorm Kamin im Nachtquartier
Der sprach nur vom Theaterleben

                         Die Kellnerin ihr Haar war rot
             Trug auf dem Kopfe einen schönen
                   Zart rosa Hut ach Schöneres bot
               Nicht Hebe der die Götter frönen
                               O Karneval o Hut so rot!

Zu Nizza Rom und Köln im reichen
Konfettischwall und Blumenflor
Sah ich o Karneval dein Zeichen
Mein König reicher als zuvor
Ein Krösus Rothschild und dergleichen

                             Und Gänseleber ass ich dort
                       Und delikates Reh zum Abend
                                     Als Nachtisch Torte usf.
             Trank etwas Kirsch um mich zu laben

Nur dich gabs nicht an diesem Ort



【散文訳】

シュトラースブルクへと、私は赴いた
1904年の謝肉祭の時だ
オペラ歌手の男が、私の傍に蹲つてゐた
夜営の陣地の中での、暖炉の格子の前で
オペラ歌手は、ただ劇場生活のことだけを語つた

      給仕の女がゐて、その髪は赤毛だつた
   頭に、美しい
     柔らかい薔薇色の帽子を被り、ああ、もつと美しいものを与へてくれた
    神々が(その女の)奴隷であるやうな女を持ち上げるな
       おお、カーニヴァルよ、おお、帽子よ、そんなにも赤い!

ニッツァ、ローマ、そしてケルンでは、豊かな
(謝肉祭の時に投げ合ふ石膏の)小球や紙片の洪水と、花々の満開を
私は見た、おお、カーニヴァルよ、お前の印よ
私の王は以前よりも豊かになつてゐる
一人のクレーズス王、ロスチャイルド、といつた類々は

       そして、鵞鳥の肝を、私は其処で食べた
     そして、美味な野呂鹿の肉を、夕時に食べた
         食後のデザートには、トルテ等々を
   一寸キルシュ酒を飲んだ、元気恢復のために

お前だけが、この場にゐなかつた


【解釈と鑑賞】


この詩人は、言はずと知れたフランス語の詩人です。



日本語のWikiには、次のやうにあります。:

ギヨーム・アポリネールは、イタリア出身のポーランド人の詩人、小説家、美術批評家。本名ヴィルヘルム・アポリナリス・コストロヴィツキ。 印象派批判主義「キュビスム」の先導者の1人。主な作品に『ミラボー橋』がある。 "シュルレアリスム"という語は彼の作品から生まれた。

年齢を見ると38歳で亡くなつてをります。若い死です。しかし、その生きてゐる時間に何を成し遂げようとしたか、成し遂げたかといふことがいつも、私たちには大切な問ひなのではないでせうか。

第一連を見ると、これは軍務に服してゐた時の詩なのかも知れません。

原文は、コンマはなく、名詞が羅列されてゐますが、それは分けて訳しました。

最後の一行を書くために書いた詩ではないかと思ひます。







第6週:Decimas Lied I(1未満の男の歌 I)by William Butler Yeats(1865-1939)


 第6週:Decimas Lied I(1未満の男の歌 Iby William Butler Yeats1865-1939   








【原文】

Ach wäre ich ein alter Bettler
Und hätte keinen Freund,
Ein Diebischer und blöder Hund
Schon von Geburt an blind,
Oder irgendwer, nur nicht ein Mann,
Der allein sein Bett eindrückt
Und denkt an eine schöne Frau,
allein und ganz verrückt.


【散文訳】

ああ、私が年老いた乞食であって
そして、友達もなく
盗人のやうな、愚かな犬であって
既に、生まれつき盲(めくら)であるならばなあ、
あるひはまた、何処の誰か、つまり単に一人の男といふだけではなく
孤独に、自分の寝床(ベッド)を押し付け
そして、一人の美しい夫人のことを思ふ
孤独に、そして全く気が狂つて、その美しい夫人のことを思ふ
そのやうな何処の誰かであればなあ


【解釈と鑑賞】


この詩人は、言はずと知れたイギリスの詩人です。



日本語のWikiには、次のやうにあります。:

ウィリアム・バトラー・イェイツは、アイルランドの詩人、劇作家。イギリスの神秘主義秘密結社黄金の夜明け団のメンバーでもある。ダブリン郊外、サンディマウント出身。作風は幅広く、ロマン主義、神秘主義、モダニズムを吸収し、アイルランドの文芸復興を促した。日本の能の影響を受けたことでも知られる。


Decimal Liedとは、Decimaの歌といふ意味ですが、Decimaとは数字の整数と其の後の下何桁を表す時の小数点のことですから、この題名の解釈は次の二つです。

1。decimalな人間の歌といふことから、小数点そのものの人間の歌
2。deicimalな人間の歌といふことから、小数点以下の人間の歌

といふ二つの解釈です。

私は、後者をとりました。

さうして、敢えて、1未満の男とした次第です。

これは、もう同じノーベル文学賞を受賞したロシアの詩人、Josesph Brodskyと同じ発想の詩です。Brodskyの詩に、『Less Than One』と題したエッセイ集があります。訳すれば、『1未満』。

ノーベル賞を受賞こそしませんでしたが、何度も候補に挙がつた安部公房の傑作小説の題名であれば、『箱男』といふ小説の主人公に匹敵する事でせう。

更に、想を伸ばせば、この小説の原型ともいふべき同根の主人公、あのリルケの『マルテの手記』のマルテもまた、みづからを乞食ですらない、乞食未満の人間として思つてをりますから、マルテもまた、イェーツによれば、Decimaといふことになりませう。

Ach wäre ich」と、接続法II式で始まりますから、この男はこの世には存在しない人間なのです。たとへ、乞食であつたとしてさへも。