2013年3月31日日曜日

リルケ論「『ドィーノの悲歌』の天使像」を、アマゾンのキンドル本で出版しました。




リルケ論「『ドィーノの悲歌』の天使像」を、アマゾンのキンドル本で出版しました。御興味のある方は、お読み下さると、ありがたく存じます。


この本は、リルケの『ドィーノの悲歌』の天使像を論じたものです。『ドィーノの悲歌』の天使は、それまでリルケの歌った天使とは全く異なり、人間に畏怖の感情を起こさせる恐ろしい存在として歌われています。

その天使像を、悲歌1番の原文に忠実にテキストを読み解き、詳細に論じたのがこの作品です。リルケの天使に御興味のある方に、お読み戴ければ、幸いです。

特に、天使が地上では鏡に変身していて、世界中の天使が編隊を組んで、渦巻き状に天へと昇って行くというリルケの壮大なヴィジョンは、初めてわたしが読み解いたものです。これは、ドイツ人のドイツ文学者も誤読をしている箇所です。況や日本人の訳においておや。リルケのヴィジョンは素晴らしい、壮麗なものです。

このようなリルケの詩を読むと、一流の詩人とは、ヴィジョンの創造者だということが、実によく判ります。

また、悲歌第1連にある謎の一行を、悲歌の他の箇所の表現と比較対照しながら、また手塚富雄訳と古井由吉訳とその理解とは一線を画し、論理的にテキストに即して読み解いて、リルケの青春と謎一行の意味を読み解いています。

目次は、次の通りです。

0。はじめに
1。悲歌の原文
2。悲歌の天使
3。リルケの青春と謎の一行

2013年3月30日土曜日

【西東詩集39】 Ergebung(帰依)



【西東詩集39】 Ergebung(帰依)


【原文】

Ergebung

>>Du VERGEHST und bist so freundlich,
Verzehrst dich und singst so schön?<<



【散文訳】


帰依

”お前は移り行く、しかし、かくも親切だ
お前自身を喰い、そして、かくも美しく歌うのか?”



【解釈】

これは、詩と詩の間に挟まれた、ゲーテの独白のごとき二行でありましょうか。

ゲーテが、こころの中にいるもうひとりの自分、典型としての詩人に向かって言った言葉ではないかと思います。

Ein Paar muessige Zeilen(一組の怠惰な列):第15週 by Hans Magnus Enzensberger(1929 - )



Ein Paar muessige Zeilen(一組の怠惰な列):第15週 by Hans Magnus Enzensberger(1929 -  )


【原文】


Ein Paar muessige Zeilen

Nie haben wir weniger Schaden angerichtet als damals,
da wir uns an langen Nachmittagen langsam betranken,
und waren nie harmloser, es sei denn im Schlaf,
als an den Tagen, die wir mit wirren Palavern hinbrachten;
schon am Abend vergassen wir alles, was wir gesagt hatten.
Ja, das war sagenhaft, wie wir tagelang dasassen,
üppig und vor lauter Selbstlosigkeit faul, und sahen zu,
wie das, was uns gegeben war, verschwenderisch sanft verschwand.


【散文訳】


一組の怠惰な列

当時ほど、わたしたちは、害をなしたことはなかった
長い午後に、ゆっくりと、へべれけになり
そして、眠るとき以外には、無害でいることがなく
ましてや、狂ったお喋りで時間を潰した昼間においておや
既に夕方になると、話したことをすっかり忘れてしまった。
そう、わたしたちが、日がな一日、そうやって坐っていたかは、伝説的だ
贅沢に、そして全く自己喪失の余りに怠惰に、
わたしたちに与えられたものが、贅沢に蕩尽されて、柔かく消失してゆく様を眺めていたのだ。



【解釈と鑑賞】


この詩人のWikipediaです。



ドイツの有名な詩人です。


若い時の様子を歌った詩なのでしょう。若さの蕩尽とは、いつの時代でも、テーマとなるものです。

ドイツ語の原文を読むと、やはりリズムがあって、文意の流れ(意味)と形式(語の構成と接続)に、円滑な流れがあり、ある種の快感があります。






【Eichendorfの詩 29】Wegweiser (道標ーみちしるべ)


【Eichendorfの詩 29】Wegweiser (道標ーみちしるべ) 

【原文】

Wegweiser

>>Jetzt musst du rechts dich schlagen,
Schleicht dort und lausche hier,
Dann schnell drauflos im Jagen ―
So wird noch was aus dir.<<

Dank! doch durchs Weltgewimmel,
Sagt mir, ihr weisen Herrn,
Wo geht der Weg zum Himmel?
Das eine wuesst ich gern.


【散文訳】

道標(みちしるべ)

それでは、左の道を行きなさい
あそこでは、こっそりと歩き、ここでは、隠れて聞き耳をたてなさい
そして、その後は、直ちに狩りに出発だ
そうすれば、まだ何かが、お前の中から生まれでる。

ありがとう、しかし、世間の雑踏の中をゆくよ
賢明なる諸君、教えてくれ
天国へと行く道はどこにあるのかね?
それを、わたしは知りたいものだ。


【解釈と鑑賞】

前半第1連は、直接話法の言葉。後半第2連が、その話者に対する言葉。

こうしてみると、道標とは、狩りのためのもので、ドイツの森の中には、あるものと見えます。

天国への道しるべ。だれもが知りたい標べでありましょう。

2013年3月19日火曜日

【西東詩集38】 Gruss(挨拶)



【西東詩集38】 Gruss(挨拶)


【原文】

Gruss

O wie wie selig ward mir!
Im Lande wandl ich
Wo Hudhud ueber den Weg laeuft.
Des alten Meeres Muscheln
Im Stein sucht ich die versteinten;
Hudhud lief einher
Die Krone entfaltend;
Stolzierte, neckischer Art,
Ueber das Tote scherzend
Der Lebendge.
Hudhud, sagt ich, fuerwahr!
Ein schöner Vogel bist du.
Eile doch, Wiedehopf!
Eile, der Geliebten
Zu verkünden dass ich ihr
Ewig angehoere.
Hast du doch auch
Zwischen Salomon
Und Sabas Koenigin
Ehmals den Kuppler gemacht!



【散文訳】

挨拶

おお、なんと、なんとお前達は神聖だったことか!
フドフドが道を走る
その国を、わたしは逍遥した。
古い海の貝殻を
石の中に、石と化したものたちを、わたしは探した
フドフドは、悠然と走って来た
冠をひろげながら
気取って歩いた、滑稽な様に
死者をからかいながら
その生きている鳥は

フドフドよ、とわたしは言った、なるほど本当に!
お前は美しい鳥だ。
ほら急げよ、もう一度飛ぶんだ!
急げよ、愛するひとに
わたしが永遠にそのひとのものだと告げるために。
お前は、また、なんといっても
ソロモンとサバスの女王との間にたって
嘗(かつ)て、縁結びをしたではないか!



【解釈】

Hudhudという鳥の写真を掲示します。雌と雄とで冠の色が違うようです。詩に歌われているのは雄なので、多分冠の赤い美しい方が雄なのでしょう。或いは、冠の色は、季節によるのかも知れません。



また、貝殻というものもまた、恋に関係があるのでしょうか。

歌われているのは、明らかに、死と恋と聖なる世界です。

しかし、この詩は少しも暗くありません。

フドフドという鳥に挨拶をしているゲーテの心は深いというべきでしょう。


Die Bäume(樹木):第14週 by Rose Auslaender(1901 - 1988)



Die Bäume(樹木):第14週 by Rose Auslaender(1901 - 1988)


【原文】

Die Bäume

Immer sind es Bäume
die mich verzaubern

Aus ihrem Wurzelwerk schöpfe ich
die Kraft für mein Lied

Ihr Laub flüstert mir
grüne Geschichten

Jeder Baum ein Gebet
das den Himmel beschwört

Grün die Farbe der Gnade
Grün die Farbe des Glücks



【散文訳】


樹木または木々

いつも、樹木だ
わたしに魔法をかけるのは

木々の根っこの組織から、わたしは
わたしの歌のための力を汲み取り、汲み出す

それらの葉叢(はむら)は、わたしに囁く
数々の青い物語を

どの樹木も、天国を(呪文で)呼び出す
ひとつの祈祷

青いのは、恩寵の色
青いのは、幸福の色


【解釈と鑑賞】


この詩人のWikipediaです。


この詩人は、去年のカレンダーにも登場しました。

このカレンダー詩の編者が好む詩人なのかも知れません。


夏に、木陰で樹木を眺めやっていると、この詩が生まれるかも知れません。







【Eichendorfの詩 28】Die Nacht (夜というもの) 

【原文】

Die Nacht

Wie schön, hier zu verträumen
Die Nacht im stillen Wald,
Wenn in den dunklen Baeumen
Das alte Maerchen hallt.

Die Berg im Mondesschimmer
Wie in Gedanken stehen,
Und durch verworrne Trümmer
Die Quellen klagend gehen.

Denn mued ging auf den Matten
Die Schönheit nun zur Ruh,
Es deckt mit kuehlen Schatten
Die Nacht das Liebchen zu.

Das ist das irre Klagen
In stiller Waldespracht,
Die Nachtigallen schlagen
Von ihr die ganze Nacht.

Die Stern gehen auf und nieder -
Wann kommst du, Morgenwind,
Und hebst die Schatten wieder
Von dem vertraeumten Kind?

Schon rührt sich's in den Baeumen,
Die Lerche weckt sie bald―
So will ich treu vertraeumen
Die Nacht im stillen Wald.


【散文訳】

夜というもの

ここで夢見ることは、何と美しいことか
静かな森の中の夜の夢を
暗い木々の中に
古い昔話が響く度に

月の輝きの中にある山は
沈思黙考しているかのように立っている
そして、乱雑な瓦礫を通って
泉が嘆きながら流れて行く。

何故ならば、疲れて、敷物の上を
美しい人が、こうして憩いに行ったからだ
冷たい影を以て
夜が愛する人を覆い隠す。

それは、迷った嘆きだ
静かな、森の壮麗の中の。
夜啼き鶯たちが羽音を立てている
森の壮麗であることから、夜を徹して。

星々は、行ったり来たりしている
いつお前は来るのだ、朝の風よ
そして、いつお前は、影(の幕)を再び上げるのか
あの夢見られた子供の影(の幕)を

既に、木々の間に動きがある
雲雀が木々をじきに目覚めさせる
さて、わたしは誠実に夢を観たいものだ
静かな森の中の夜の夢を


【解釈と鑑賞】

何か、ポール•デルヴォーの絵画を観ているかの様な、シュールレアリスティックな感じのする詩です。或いは、言葉による絵画だと言っても良い。

こうしてみると、わたしがアイヒェンドルフの詩に惹かれる理由のひとつは、この絵画性にあるのでしょうし、それは装飾性にあるといっても同じです。

ただ美しいということ、目的性を欠いているということ、それ故の装飾性であり、装飾性故の装飾性であります。

装飾性とは、即ち、時間が無いこと。時間が欠落しているということ。

そして、夜。そして、廃墟の形象(イメージ)。これも、わたしの好きな形象なのです。


第3連の、美しい人と訳したdie Schoenheitは、美といってもよく、ここでは、擬人化を超えて、美という概念が生きているという以外にはありません。ドイツの中世の詩人の言葉の力と同じ力をアイヒェンドルフは18世紀に持っていたということになります。


2013年3月18日月曜日

【西東詩集38】 Dichter(詩人)



【西東詩集38】 Dichter(詩人)


【原文】

Dichter

Ich bin zufrieden dass Ichs habe!
Mir diene zur Entschuldigung:
Liebe ist freiwillige Gabe,
Schmeichelei Huldigung.



【散文訳】

詩人

わたしは、わたしがそれを持っているということに満足している!つまり、
わたしには、詫びるために、次の言葉が仕えてくれていることに:
愛は、自由意思の才能であり
お上手なくすぐる言葉も、帰服の心なのだ。


【解釈】

3層の構造になっている詩です。

まづ満足していると述べ、何に満足しているのかを次に述べ、最後に、恋する詩人が言い訳に使うことのできる(これこそが、幸せな事)、2行の言葉が歌われています。

最後の2行は、恋するこころで味わってはいかがでしょうか。

Auf die Sistinische Madonna(システィーナの聖母に):第13週 by Arthur Schopenhauer(1788 - 1860)



Auf die Sistinische Madonna(システィーナの聖母に):第13週 by Arthur Schopenhauer(1788 - 1860)


【原文】

Auf die Sistinische Madonna

Sie trägt zur Welt ihn: und er schaut entsetzt
in ihrer Graeu'l chaotische Verwirrung,
in ihres Tobend wilde Raserei,
in ihres Treibens nie geheilte Thorheit,
in ihrer Quaalen nie gestillten Schmerz, -
Entsetzt: doch strahlet Ruh' und Zuversicht
Und Siegesglanz sein Aug', verkuendigend
Schon der Erlösung ewige Gewissheit.


【散文訳】


システィーナの聖母に

聖母は彼を世界に対して抱いている。そして、彼は驚いてみている
彼女の戦慄の、混沌とした混乱の中で
彼女の荒れ狂う、野生の狂騒の中で
彼女の衝迫の、決して癒されない愚かさの中で
彼女の苦しみの、決して鎮まらない苦痛の中で
驚いている。しかし、平安と確信が輝いている
そして、勝利の輝きを、彼の眼が告げている
既に、救済の、永遠の確実を(告げている)


【解釈と鑑賞】


この詩人の、いや哲学者のWikipediaです。


わたしの大好きな哲学者の一人です。

また、システィーナの聖母のWikipediaです。


この写真で正しいのかどうか。ショーペンハウアーの詩は、もっと聖母に苦しみが多いように読めるけれども。



ショーペンハウアーの主著、意志と表象としての世界の叙述と同じ文体を具えた詩です。



【Eichendorfの詩 27】Der Abend (夕方というもの)


【Eichendorfの詩 27】Der Abend (夕方というもの) 

【原文】

Der Abend

Schweigt der Menschen laute Lust:
Rauscht die Erde wie in Traeumen
Wunderbar mit allen Baeumen,
Was dem Herzen kaum bewusst,
Alte Zeiten, linde Trauer,
Und es schweifen leise Schauer
Wetterleuchtend durch die Brust.


【散文訳】

夕方というもの

人間達の騒がしい快楽が沈黙している
大地が、夢の中にいるように
すべての樹木と一緒に素晴らしく、ささめいて
心臓(こころ)にはほとんど知られないもの、即ち
古い時代、穏(おだ)やかな悲しみを思い出させる
そして、微かな戦慄が
胸を貫いて、稲光りして、漂うている


【解釈と鑑賞】

何か、夏の夕べという感じがします。このような、懈怠に満ちているような雰囲気の夕べがあると思います。

ここにいることは、それほど幸せなことなのではないだろうか。こうやって、感じとって、生きているということが。

これは、勿論、最前のDer Morgen、朝というものと対比的に歌われていることでしょう。

2013年3月15日金曜日

Fruehlingsanfang(春の始まり):第12週 by Hans Bender(1919 - )




Fruehlingsanfang(春の始まり):第12週 by Hans Bender(1919 - )


【原文】

Fruehlingsanfang

Warum sind die Vögel im Garten
So gut gelaunt gewesen?
Haben auch sie in der Küche
das Kalenderblatt gelesen?



【散文訳】

春の始まり

何故、鳥達は、庭で
かくも上機嫌でいたのだろうか?
鳥達もまた、台所にある
あのカレンダーの一枚を読んだのだろうか?


【解釈と鑑賞】


この詩人のWikipediaです。

http://de.wikipedia.org/wiki/Hans_Bender_(Schriftsteller)

第二次世界大戦のドイツの敗北を、ロシアで迎え、収容所の生活をした詩人です。

註釈の必要のない、春の訪れを、こころ軽やかに、うきうきと表現した詩であると思います。

人間が知ることを、鳥に代弁させるところに、詩の妙味があり、奥深さがあります。


【西東詩集37】 Genuegsam(充分に満足して)



【西東詩集37】 Genuegsam(充分に満足して)


【原文】

Genuegsam

>>WIE irrig waehest du
Aus Liebe gehöre das Mädchen dir zu.
Das könnte mich nun gar nicht freuen,
Sie versteht sich auf Schmeicheleien.<<



【散文訳】

充分に満足して

「何と間違った妄想をお前は抱くものか
愛しているから、その娘はお前のものだなどと。
そうしてみると、それでは、わたしのこころを悦ばせることはできなかろう。
彼女は、諛(へつら)いを熟知しているのだから。」


【解釈】

題名が充分に満足してという題名であること。それから、詩行の全体が、括弧の中に入れられていること。これらのことから、これは一人の恋する男の妄想、空想であることが知られます。

これは、楽しい時間であることでしょう。

こういう下世話な、何と言うか通俗なゲーテもまた、よいものです。

【Eichendorfの詩 26】Mittagsruh (昼の憩い)


【Eichendorfの詩 26】Mittagsruh (昼の憩い) 

【原文】

Mittagsruh

Ueber Bergen, Fluss und Talen,
Stiller Lust und tiefen Qualen
Webet heimlich, schillert, Strahlen!
Sinnend ruht des Tags Gewuehle
In der dunkelblauen Schwuele,
Und die ewigen Gefuhele,
Was dir selber unbewusst,
Treten heimlich, gross und leise
Aus der Wirkung fester Gleise,
Aus der unbewachten Brust,
In die stillen, weiten Kreise.


【散文訳】

昼の憩い

山々の上に、川と谷の上に
静かな悦楽と深い苦しみの上に
密やかに織物を織れよ、玉虫色に光れよ、光線よ!
考え深く、昼の雑踏は憩っている
暗い青色の蒸し暑さの中で
そして、永遠の感情、即ち
お前自身に知られぬものが
密やかに、大きく、そして、微かに
確かな軌道の影響の中から
番人のいない胸の中から
静かな、遥かな円環の中へと、歩み入る。


【解釈と鑑賞】

自らに知られぬもの、それが永遠の感情であると歌う。この感情は誰もが、胸の中に抱いている感情なのでしょう。

確かな軌道の影響の中から
番人のいない胸の中から

とあるのは、前者の行の意味は、決まった生活の規則の影響の中からという意味であり、後者の意味は、気兼ねの無い、躊躇の無い、自由な思いという意味なのでしょう。前者は社会を、後者は個人を歌ったと読むことができます。

この詩でも、アイヒェンドルフは、言葉で言葉以上のもの、或いは言葉以前のものを歌い上げております。

2013年3月10日日曜日

【西東詩集36】 Schlechter Trost(拙劣な慰め)



【西東詩集36】 Schlechter Trost(拙劣な慰め)


【原文】

Schlechter Trost

MITTERNACHTS weint und schluchzt ich,
Weil ich dein entbehrte.
Da kamen Nachtgespenster
Und ich schäme mich.
Nachtgespenster, sagt ich,
Schluchzend und weinend
Findet ihr mich, dem ihr sonst
Schlafendem vorueberzogt.
Grosse Gueter vermiss ich.
Denkt nicht schlimmer von mir
Den ihr sonst weise nanntet,
Grosses Uebel betrifft ihn!−
Und die Nachtgespenster
Mit langen Gesichtern
Zogen vorbei,
Ob ich weise oder toerig
Voellig unbekuemmert.



【散文訳】

拙劣な慰め

夜中に、わたしは声をあげて泣き、そしてむせび泣いた
お前が無しにはいられなかったからだ。
そこへ、夜の亡霊どもがやってきて
そして、わたしは恥ずかしいと思う。
夜の亡霊どもよ、とわたしは言った
すすり泣きながら、声をあげて泣きながら
わたしを見つけよ、お前達が普通ならば
眠っている者としてあるわたしのそばを通り過ぎるものを
大きな財宝がないことを、わたしは嘆く
わたしのことを、これ以上悪く考えないでくれ
お前達が、いつもならば、賢明であると呼んだわたしのことを
大きな災いが、この男を襲ったのだ!
そして、夜の亡霊どもは
長い顔をして(不満げな顔をして)
通り過ぎていった
わたしが賢明であろうと、愚かであろうと
全く頓着することなしに



【解釈】

恋人を思って、夜泣き濡れる話者の歌です。

夜の亡霊という者たちが、出て来るということが、何か時代めいていると同時に、やはり今でもこの亡霊たちは夜に徘徊しているのではないかと思わせられます。

いつも夜にやってきて、眠る者を観てゆく亡霊達。そうであることを知っている、この詩の歌い手。

そうしてみると、この詩の内容もなにか、この世のことではないように思われます。

2013年3月9日土曜日



seitdem du da bist(お前がそこにいるようになってから):第11週 by Helga M. Novak(1935 - )


【原文】


seitdem du da bist

seitdem du da bist
gehen die Stühle aus dem Leim
das Bett hängt durch das Sofa
unter mir biegen sich alle Balken
so schwer
hab ich mich fallenlassen

wenn du weg bist
steht alles wieder an seinem Ort
das Ausgebeulte wird sich glätten
die Möbel richten sich auf
und mir
werden die Haare zu Berge stehen


【散文訳】


お前がそこにいるようになってから

お前がそこにいるようになってから
椅子が(膠(にかわ)がとれて)バラバラになり
ベッドはソファを突き抜けてぶらさがり
わたしの下では、すべての梁(はり)が
こんなに重くなってしまって
わたしは自分が落ちるにまかせたほどだ

もしお前がいなくなれば
全てのものは再び所を得て
殴られて凹んだところも、平になり
家具も直立して
そして、わたしの
髪は、(恐怖や憤怒の感情から)山になって逆立つのだ


【解釈と鑑賞】


この詩人のWikipediaです。


東ドイツに生まれた詩人です。


個人的な人生に触れることは、わたしの好むところではありませんが、これを読むと、生みの親の顔を知らず、養い親に育てられたとあります。

10代から、自分の意思の強い、主張をはっきりする子供だったようです。その分、不安と苦しみも多かったことでしょう。


ライプツィッヒ大学でジャーナリズムと哲学を学んだとありますので、これらふたつの領域の学問は、上の苦しみと関係があることでしょう。


東ドイツの共産党を批判する文章を書いた理由で、市民権を剥奪されています。まあ、もっとも共産党の全体主義国家に市民権なるものが本当にあればの話ではありますが。

1967年に西ドイツに移住。以後、ベルリン、ユーゴスラビア、フランクフルト(西側の)に住みます。アイスランドの国籍を有しています。

何か、変わったところのある詩人です。

この詩も、風変わりです。

お前と訳しましたが、これを優しく、あなたと言っても良いし、また発話者が女性でも男性でも、いづれでも読み方ができて、それぞれに多様な解釈をゆるすでしょう。

また、お前を、共産党ととっても、またそれはそれで解釈が可能です。


【Eichendorfの詩 25】Der Morgen (朝というもの)


【Eichendorfの詩 25】Der Morgen (朝というもの) 

【原文】

Der Morgen

Fliegt der erste Morgenstrahl
Durch das stille Nebeltal,
Rauscht erwachend Wald und Hügel:
Wer da fliegen kann, nimmt Flügel!

Und sein Huetlein in die Luft
Wirft der Mensch vor Lust und ruft:
Hat Gesang doch auch noch Schwingen,
Nun, so will ich fröhlich singen!

hinaus, o Mensch, weit in die Welt,
Bangt dir das Herz in krankem Mut;
Nichts ist so trüb in Nacht gestellt,
Der Morgen leicht macht's wieder gut.



【散文訳】

朝というもの

最初の、朝の光が飛ぶ
静かな霧の谷を通って
さわさわと目覚めるのは、森と丘
そうやって飛べる者は、翼をとるのだ!

そして、帽子を空気の中へと
その者は、悦びの気持ちから投げ入れて、そして、叫ぶのだ
歌が実際もっと生命に溢れて振れるのならば
さて、そうなれば、わたしは陽気に歌うことにしよう!

外へ、おお、何と言うことだ、遥かに世界の中へ
お前の心臓は、病的な勇気で不安になっている
何ものも、それほど曇らされて、夜におかれているものは無い
朝というものは、簡単に、またそれをよきものに変じるのだ。

【解釈と鑑賞】

朝の持つ力を歌った詩です。

しかし、このように歌ってはいても、やはり、夜の力にも魅力を感じるアイヒェンドルフである筈だと、わたしは思います。


2013年3月3日日曜日

【西東詩集35】 Bedenklich(躊躇して)



【西東詩集35】 Bedenklich(躊躇して)


【原文】

Bedenklich

Soll ich von Smaragden reden,
die dein Finger niedlich zeigt?
Manchmal ist ein Wort vonnöten,
Oft ists besser dass man schweigt.

Also sag' ich: dass die Farbe
Grün und augerquicklich sei!
Sage nicht dass Schmerz und Narbe
Zu befürchten nah dabei.

Immerhin! du magst es lesen!
Warum übst du solche Macht!
>>So gefährlich ist dein Wesen
Als erquicklich der Smaragd.<<

Liebchen, ach! im starren Bande
Zwängen sich die freien Lieder,
Die im reinen Himmelslande
Munter flogen hin und wider.
Allem ist die Zeit verderblich,
Sie erhalten sich allein!
Jede Zeile soll unsterblich,
Ewig wie die Liebe sein.



【散文訳】

躊躇して

わたしは、エメラルドのことについて語るべきだろうか
お前の指が上品に示しているそのエメラルドを?
よく、ひとつの言葉が必要とされるもののだ
それは、沈黙している方が、時には、よいものだ、という言葉である。

そういうわけで、わたしは言うのだ:色彩が
緑であり、眼を奪うようだ!と。
そうすると苦痛になり、傷跡のあばたになるからといって
恐れてはならないのだと、わたしは言わないのだ。

それはそうだ!何しろ、お前は、それを読みとってくれ!
何故、お前はその力を行使するのだ!
>>かくも危険なのだ、お前という存在は
エメラルドが眼を奪うほどに<<

愛する者よ、ああ!、凝固した紐帯の中で
自由な歌達が無理に押し通るのだ
純粋な天国の地にあって
陽気に行ったり来たりして飛んでいた歌が
総てにとって、時間というものは、腐ってゆくものなのだ
その歌々は、自らを一人に持してあれ!
どの行も、不滅であり
愛のように永遠であれよかし。


【解釈】

繊細な、恋愛感情と言葉による表現についての、ゲーテの詩です。

否定的にではなく、肯定的に相手の女性の美を歌う、自由な振る舞いをゲーテは願って、この詩を書いております。

「純粋な天国の地」という言葉の「純粋な」という言葉から、この西東詩集の冒頭の詩、ヘジラの中で、


そこで、即ち、純粋であるものの中、正しいものの中で
わたしは、人類の
源泉の深みへと突き進みたい


と歌ったゲーテの心情を、ここで思い出すことに致しましょう。

純粋なという感情(と敢えて申し上げますが)は、ここにも響いて、続いているのです。

歌を歌い、歌い続けるとは、このようなこころを維持することの努力の継続ではないでしょうか。


Die rote Schubkarre(手押し車):第10週 by William Carlos Williams(1883 - 1963)




Die rote Schubkarre(手押し車):第10週 by William Carlos Williams(1883 - 1963)




【原文】


Die rote Schubkarre

so viel hängt ab 
von 
einer roten Schub-
karre
glaenzend von Regen-
wasser
bei den weissen
Huehnern




【散文訳】

赤い手押し車

かくもたくさんのものが
ひとつの手押し車
から
垂れ下がっている
雨の
水のために、輝いて
白い雌鶏たちの傍で


【解釈と鑑賞】


この詩人のWikipediaです。


アメリカの詩の歴史に名を残した詩人です。


Shubkarre、手押し車と訳しましたが、これは日本語の世界では、ネコと動物の名前で呼ばれているものです。一輪車で、土方仕事に使うものです。




何故わたしがそんな特殊な呼称を知っているかというと、学生のときに土方のアルバイトをしたことがあるからです。

ネコの赤い色、雨の水の透明な色、そして、雌鶏の白い色、これらの色彩が、この短い詩の中で、美しい色の配色になっています。それも、雨の後の。


【Eichendorfの詩 24】Wann der Hahn kraeht (雄鶏の鳴く時)


【Eichendorfの詩 24】Wann der Hahn kraeht (雄鶏の鳴く時) 

【原文】

Wann der Hahn kraeht

Wann der Hahn kräht auf dem Dache,
Putzt der Mond die Lampe aus,
Und die Stern ziehen von der Wache,
Gott behüte Land und Haus!


【散文訳】

雄鶏の鳴くとき

雄鶏が屋根の上で鳴く時
月はもランプの芯を切って消して、
そして星々は、歩哨を解く、
神よ、国土と家を護り給え!

【解釈と鑑賞】

雄鶏が屋根の上で鳴くとは、朝が来たと時を告げるのでしょう。

そうすると、月もランプの芯を切って消し、星々も歩哨を解く。

最後の一行は、歌い手の、この詩の真情です。

詩とは、このようなものだという、そうして別に長くある必要はなく、そのような詩に思われます。