2015年9月4日金曜日

三島由紀夫の十代の詩を読み解く12:イカロス感覚3:縁(ふち)と生まれた時の記憶:三島由紀夫の世界像


イカロス感覚3:縁(ふち)と生まれた時の記憶:三島由紀夫の世界像



縁(ふち)とは何でせうか。

安部公房の場合は、『奉天の窓の暗号を解読する』(もぐら通信第32号及び第33号)で詳細に論じましたやうに、奉天のあのバロック様式の建築群の整然たる窓の並びを見て、垂直線と水平線の交差する、その其処に生まれる十字形の交点といふ空間的な差異に更に生まれる何か、このセル(cell)、これを生涯、存在と呼んだのでした。[註1]

[註1]
(1)『奉天の窓の暗号を解読する』(前篇)
https://ja.scribd.com/doc/265476871/第32号-第三版-PDF
(2)『奉天の窓の暗号を解読する』(後篇)
https://ja.scribd.com/doc/267063607/第33号

安部公房の世界像については、上の『奉天の窓の暗号を解読する』(後篇)から引用して、示しますと、次のやうなものです。




このマトリクス(matrix)の十字形の交点の生まれる其のその積算(存在)の場所を求めて、そこで存在になるために、安部公房の主人公は旅をする。さうして、ここにある通りに、存在は幾つも幾つもある。

三島由紀夫の場合は、どうでせうか。上の安部公房についての一行は、三島由紀夫にそのまま通用するのでせうか。この場合、縁(ふち)とは、十字形の交点を意味するものであるか、その十字形の交点を産み出すもの、即ち垂直と水平の交差でなければなりません。何故ならば、その垂直と水平といふ縁こそが、その交差を産み出すものであり、また産み出された交差であるからです。即ち、

十字形の交点の生まれる其の積算(隠喩)の場所を求めて、そこで存在になるために、三島由紀夫の主人公は旅をする。

この一行は正しいでせうか?しかし、どうも『仮面の告白』の冒頭を読みますと、正しいのではないかと思はれます。:


 永いあひだ、私は自分が生れたときの光景を見たことがあると言ひ張つてゐた。それを言ひ出すたびに大人たちは笑ひ、しまひには自分がからかはれてゐるのかと思つて、この蒼ざめた子供らしくない子供の顔を、かるい憎しみの色さした目つきで眺めた。それがたまたま馴染の浅い客の前で言ひ出されたりすると、白痴と思はれかねないことを心配した祖母は険のある声でさへぎつて、むかうへ行つて遊んでおいでと言つた。

 (略)

 どう説き聞かされても、また、どう笑ひ去られても、私には自分の生まれた光景をみたといふ体験が信じられるばかりだつた。おそらくはその場に居合はせた人が私に話してきかせた記憶からか、私の勝手な空想からか、どちらかだつた。が、私には一箇所だけありありと自分の目でみたとしか思はれないところがあつた。産湯(うぶゆ)を使はされた盥(たらひ)のふちのところである。下ろしたての爽やかな木肌がまばゆく、黄金(きん)でできてゐるやうにみえた。ゆらゆらとそこまで水の舌先が舐めるかとみえて届かなかつた。しかしそのふちの下のところの水は、反射のためか、それともそこへも光りがさし入つてゐたのか、なごやかに照り映えて、小さな光る波同士がたえず鉢合わせをしてゐるやうにみえた。
 (略)
では電灯の光りだつたのか、さうからかはれても、私はいかに夜中だらうとその盥の一箇所にだけは日光が射してゐなかつたでもあるまいと考へる背理のうちへ、さしたる難儀もなく歩み入ることができた。そして盥のゆらめく光の縁は、何度となく、たしかに私の見た私自身の産湯の時のものとして、記憶のなかに揺曳した。


かうして今まで三島由紀夫の詩の世界をみて参りますと、上の小説の冒頭は、産湯を使つた木製の盥の縁(ふち)と、水と光の繰り返しによつて生まれる時差と、そこに覚えるなごやかな光の反照は、ひとつのものであることがわかります。

この冒頭の引用でお分かりの通り、生まれる時の記憶は、繰り返しによつて語られてをります。即ち、「一箇所だけありありと自分の目でみたとしか思はれないところ」、縁(ふち)のところの「木肌がまばゆく、黄金(きん)でできてゐるやうにみえ」「ゆらゆらとそこまで水の舌先が舐めるかとみえて届かなかつた。」「小さな光る波同士がたえず鉢合わせをしてゐるやうにみえた。」(傍線筆者)

さうして、そこに、この繰り返しの、十字架の交点に三島由紀夫が浮かんでゐる。『イカロス感覚1:ダリの十字架(1)』で既に述べましたやうに、時間的な繰り返しは、空間的には十字形の形象であるからです。

再度、ダリの十字架についての三島由紀夫の評言を見てみませう(『三島由紀夫の十代の詩を読み解く9:イカロス感覚1:ダリの十字架(1)』:http://shibunraku.blogspot.jp/2015/08/blog-post_23.html)。『仮面の告白』の生まれた時の記憶に全く同じものを見ている三島由紀夫のゐることに気が付きます。傍線筆者。

「「磔刑の基督」は、刑架がキュビズムの手法で描かれてをり、キリストも刑架も完全に空中に浮遊して、そこに神聖な形而上学的空間といふべきものを作り出してゐる。左下のマリヤは完全にルネッサンス的手法で描かれ、この対比の見事さと、構図の緊張感は比類がない。又、下方にはおなじみの遠い地平線が描かれ、夜あけの青い光が仄かにさしそめてゐる。
(三島由紀夫「ダリ『磔刑の基督』」)




地平の円盤の縁(ふち)に、十字架から見ての「下方にはおなじみの遠い地平線が描かれ、夜あけの青い光が仄かにさしそめてゐる」その地平の円盤の上、その地平線の遠い縁に、そのやうな光が射し初めてゐる。さうして、自分は夜といふ黄金色の中にゆらゆらと浮かんでゐるが、その黄金色はついには其の縁には、届きさうで届かない。その黄金色の中に、三島由紀夫は、繰り返しの波、「小さな光る波同士がたえず鉢合わせをしてゐる」其の繰り返しの波の中に浮いてゐる、即ち十字架の交差点に浮かんでゐる。

縁とは、繰り返しを生み出す其のやうな縁である。さうして、その時、三島由紀夫は繰り返しの交差点にゐて宙に浮くことができる。

これが、三島由紀夫の詩人としての高みです。

三島由紀夫の積算による隠喩(metaphor)は、繰り返しの呪文、呪文といふ繰り返しの言葉があつて、そこで初めて、この高みで生まれるのです。(この積算と隠喩と時制と話法(mode)についての説明は、この連載の第一回の論考をご覧ください:http://shibunraku.blogspot.jp/2015/04/blog-post.html)

さうして、逆に、この繰り返しの言葉で詩を書くには、高みを必要と致します。

従い、生まれたときの記憶があるといふ事実と併せて、これらのことをまとめてみますと、三島由紀夫の世界像は、次のやうな図で示すことができます。



[註2]

この図は、三島由紀夫の世界像の一番簡素な形を示してをります。しかし、この図は、三島由紀夫の詩がどうやつて分岐して、あるものは小説に、あるものは戯曲になつたのかを説明してをりますし、また最晩年の『暁の寺』の終結が何故「実に実に実に不快だつた」のかの理由を、そのとき何が起きたのかを説明してをります。

場合を分けて、これから此の図に少しづつ書き加へて行つて、段々に、あなたの理解に供したいと思ひます。



さうして、この世界像を保証してくれる季節が、夏でありました。それも、真夏です。8歳のときの詩に、『夏のぶんげい』といふ詩があります。それは、次のやうな詩です(決定版第37巻、27~28ページ)。傍線筆者。:


夏のぶんげい

常夏!!!
お陽さまは只かんかんと照る。
でも此の常夏の、波は、風は、?
皆清い!!
なんとなくきよらかなのであります。
遠いかなたにかすんでみえるしまは。
只ひとつのしまは。
人げんの「きばう」であります。
くもゝうみも。
水平線には白ほがひとつ。あるいひは二つ。
きつと動いてをります
時。!
時。!!
此の常夏はぶんげいのときであります。
夜々。!
清らかな風と共にたのもしい虫のおん楽がきこえて参りま
 す。?
人々は、その音と共に夜の夢路に入つてゆきます。
今はしーんとしづまりかへつてをります。
闇の世界であります。
町の人道に外灯が只ぼんやりとつッたつて居るだけであり
 ます。
今は、ちやうど一時。
もう夜はふけてをります。
人々は何も知らずに眠つてをります。
人々にとッては此の「眠り」が一番好いときなのでありま
 せうか。……

    ×××××

しらない間に朝がきました
お陽さまは。
東のそらからでていらッしやいました。
にはとりは一せいに鳴き初めました。
「よく」のある人は寝てゐたときには、清い心をもつてゐ
  のに。
おきればよくはどんどんともえ、狂人の様になつて了ひま
 す。
お日さまはほがらかにほゝゑんで、人々の一生を見ていら
 つしやいます。
「人々の未来はどんなものか。」
之もおひさまは考へていらつしやいます。
夏!
夏!!
常夏!!!
一点の雲もない空に。
安らかなそしてほがらかな空。に。
一つのかはりもありません。
「くもり。」
くもりといふものはこの夏に一つもありません。
あゝ人々のきばうをあたへる時夏よ。!!!
この常夏は、人々の「しんばう。」であります。
人々は此の夏のあつさをがまんするやうでなくてはいけま
 せん!!
夏よ!
夏よ!!
あゝ吾が常夏よ!



この詩の読者は、真夏の、時間の、太陽の照り返しの、波の、風の、虫の音楽の、これらの繰り返しが、「きよらかなのであり」、神聖なものであり、「虫の音楽」といふ繰り返しとともに、真夏の「夜の夢路」が始まり、「闇の世界」がやつて来るといふ、繰り返しの生み出す時差によつて真夏の裏側に闇夜があるといふ此の世界を、上に掲げたダリの『磔刑の基督』の絵を思ひながら、理解しようとしてみて下さい。また逆に、ダリの『磔刑の基督』の絵を思ひながら、この詩をもう一度読んでみて下さい。三島由紀夫を理解するために。

この常夏の「遠いかなたにかすんでみえるしま」とは、30歳のときに書くことになるエッセイ『ワットオの《シテエルへの船出》』に描かれることになる、さうして三島由紀夫がいつも出発して至らうとする「「秩序と美、豪奢(おごり)、静けさ、はた快楽(けらく)」の他のもの」は一切存在しないシテエルへ島で、既にして、ありませう。

また、「 ×××××」の前までの最初の詩のまとまりの最後にある「……」といふ点線は、既に前回『イカロス感覚2:記号と意識(1):「………」(点線)』で説明しましたやうに、ここからは、三島由紀夫の意識は過去へ向いてゐて、追想と追憶の世界が始まつてゐるのです。

さうして、ふたつのまとまりある詩の間に置かれてゐる「×××××」は、昼と夜の間にある越えがたい、または説明し難い溝を、或ひは其のやうな時間の差異を示してゐるでありませう。何故ならば、それは「眠り」のうちに「しらない間に」やつて来るからです。「しらない間に」やつて来る昼とは、さうして、「よく」のある人が「寝てゐたときには、清い心をもつてゐ/たのに。/おきればよくはどんどんともえ、狂人の様になつて了」ふ昼なのです。

この「しらない間に」やつて来るといふ昼は、「しらない間に」であることから、8歳の三島由紀夫のこころに、恐れの感情を齎(もたら)したのではないかと、わたしは思います。

さて、この神聖で清浄なる真夏と太陽とを歌つた8歳の此の最初の詩は、そのまま最晩年44歳のエッセイ『太陽と鉄』の最後に三島由紀夫が配した、人生最後の詩『イカロス』へと一直線に繋がつてゐる世界です。:


〈イカロス〉

私はそもそも天に属するのか?
さうでなければ何故天は
かくも絶えざる青の注視を私へ投げ
私をいざなひ心もそらに
もつと高くもつと高く
人間的なものよりもはるか高みへ
たえず私をおびき寄せる?
均衡は厳密に考究され
飛翔は合理的に計算され
何一つ狂ほしいものはない筈なのに
何故かくも昇天の欲望は[註3]
それ自体が狂気に似てゐるのか?
私を満ち足らはせるものは何一つなく
地上のいかなる新も忽ち捲かれ
より高くより高くより不安定に
より太陽の光輝に近くおびき寄せられ
何故その理性の光源は私を灼き
何故その理性の光源は私を滅ぼす?
眼下はるか村落や川の迂回は
近くにあるよりもずつと耐えやすく
かくも遠くからならば
人間的なものを愛することもできようと
何故それは弁疏し是認し誘惑したのか?
その愛が目的であつた筈もないのに?
もしさうなれば私が
そもそも天に属する筈もない道理なのに?
鳥の自由はかつてねがはず
自然の安逸はかつて思はず
ただ上昇と接近への
不可解な胸苦しさにのみ駆られて来て
空の青のなかに身をひたすのが
有機的な喜びにかくも反し
優越のたのしみからもかくも遠いのに
もつと高くもつと高く
翼の眩暈(めまい)と灼熱におもねつたのか?
されば
そもそも私は地に属するのか?
さうでなければ何故地は
かくも急速に私の下降を促し
思考も感情もその暇を与へられず
何故かくもあの柔らかなものうい地は
鉄板の一打で私に応へたのか?
私の柔らかさを思ひ知らせるためにのみ
柔らかな大地は鉄と化したのか?
墜落は飛翔よりもはるかに自然で
あの不可解な情熱よりもはるかに自然だと
自然が私に思ひ知らせるために?
空の青は一つの仮想であり
すべてははじめから翼の蠟の
つかのまの灼熱の陶酔のために
私の属する地が仕組み
かつは天がひそかにその企図を助け
私に懲罰を下したのか?
私が私といふものを信ぜず
あるひは私が私といふものを信じすぎ
自分が何に属するかを性急に知りたがり
あるひはすべてを知つたと傲り
未知へ
あるひは既知へ[註4]
いづれも一点の青い表象へ
私が飛び翔たうとした罪の懲罰に?


[註3]

決定版第37巻に、『昇天』と題した次の詩がある(決定版第37巻、620ページ)。三島由紀夫15歳。:


「昇天

 花園の上で太陽(ひ)は噎(む)せる
 風を物憂げにくゆらしながら。
 花を植ゑ、甃(いしだたみ)の上で手を洗ふと
 ぬくい水道みづは冷えまさり、
 零(こぼ)れた水の円(まる)は
 そのまゝ太陽になつて、暫く胎動する。


 僕はその晩「昇天」を夢にみた。」


図式的な解釈は、わたしの好むところではありませんし、そのやうな理解は極力避けたいと思ひますが、しかしながら、この詩のやうに零(こぼ)れた水の円(まる)は/そのまゝ太陽になつて、暫く胎動するのでありますから、この二行の最初の行の「水の円(まる)」は、小さいながらも、上の図の下方の水盤の円盤を示すとすれば、さうして其の「水の円(まる)」が「そのまゝ太陽になつて、暫く胎動する」と歌ふのであれば、その希望と欲望は、そのまま夢となつて、話者たる一人称は上方に昇り行き、あの十字の交差点に存在することになつて、「その晩「昇天」を夢にみ」ることになりませう。それといひますのも、『イカロス』の詩にありますやうに、

「かくも絶えざる青の注視を私へ投げ
 私をいざなひ心もそらに
 もつと高くもつと高く
 人間的なものよりもはるか高みへ
 たえず私をおびき寄せる」

そのやうな理由によるのです。


[註4]


『中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜粋』に、海賊頭、即ち下方の水盤、更に即ち海の上を行き、その縁(ふち)を越えて行く者と主人公たる殺人者の間に、次のやうな会話がある。傍線筆者。:

「君は未知へ行くのだね!」と羨望の思ひをこめて殺人者は問ふのだつた。
「未知へ?君たちはさういふのか?俺たちの言葉ではそれはかういふ意味なのだ。一一一失はれた王国へ。……」(「一一一」は原文は実線)
 海賊は飛ぶのだ。海賊は翼を持つてゐる。俺たちには限界がない。俺たちには過程がないのだ。俺たちが不可能をもたぬといふことは可能をももたぬといふことである。
 君たちは発見したといふ。
 俺たちはただ見るといふ。
 海をこえて海賊はいつでもそこへ帰るのである。(原文傍点)俺たちは花咲きそめた島々をめぐると木、その島が黄金の焔(ほのほ)をかくしてゐるのをかぎつける。俺たちは無他だ。俺たちが海を越えて盗賊すると、財宝はいつも既に俺たちの地震のものであつた。生まれながらに普遍が俺たちに属してゐる。新たに穫られた美しい百人の女奴隷も、俺たちを見るや否やいつも俺たちのものであつたと感ずるのである。創造も発見も、「恒(つね)にあつた」にすぎないのだ。恒にあつた。
一一一さうして無遍在にそれはあるであらう。(「一一一」は原文は実線)
 未知とは失はれたといふことだ。俺たちは無他だから。

 (略)

 海であれ、殺人者よ。海は限界なき有限だ。玲瓏(れいろう)たる青海波(せいがいは)に宇宙が影を落とすとき、その影は既にあつたのだ。」


この一節を読みますと、三島由紀夫の意識の中では、海は時差の集合であり、さうしてそれは過去の時差の集合であり、「恒(つね)にあつた」無遍在であることが言はれてゐます。

通俗の言葉でいへば、三島由紀夫にとつて、この世とは、既に過去の時間(時差)の集合であるのです。さうして、この時間(時差)の集合の遥かかなたの縁(ふち)に光が射し初めてゐる。しかし他方、『仮面の告白』の冒頭部によれば、盥の内側にある「水の舌先」は「舐めるかとみえて」その射し初める光には「届かなか」いものを、この海賊頭は、その水面の届かぬ縁を越えて飛べといふのであり、それが海賊だ、それが「盗賊する」[註4-1]ことだといふのです。

以下、もう少し、縁(ふち)について論じます。

最晩年のエッセイ『太陽と鉄』の最後、『イカロスの詩』をその最後に配置したエッセイ、即ちF104ジェット戦闘機に搭乗した経験を書いた『エピロオグ---F104』に、次のやうに、三島由紀夫は縁を書いてゐる。:

「(略)精神は言ひ聞かせた。
 「肉体よ。お前は今日は私と一緒に、少しも動かずに、精神のもっとも高い縁(へり)まで行くのだよ。
 肉体は、しかし、傲岸にかう答へた。
 「いいえ、私も一緒に行く以上、どんなに高からうが、それも亦、肉体の縁(へり)に他なりません。書斎のあなたは一度も肉体を持つてゐなかつたから、  
 さういふことを言ふのです。」
 そんなことはどうでも良い。私たちは一緒に出発したのだ。少しも動かずに!」

F104は急上昇し、「四万一千フィート。四万二千フィート。四万三千フィート。」と天に向かつて昇つて行きます。そこでついに最高度に至つてある次の言葉を。

「私の内部で起こつてゐることと、私の外部と、私の精神の縁(へり)と肉体の縁(へり)とが、どんな風にして一つの汀に融け合うか、それを知る機会があもうすぐ来るだろう。」

この「私の内部で起こつてゐることと、私の外部」といふ言葉から、読者は三島由紀夫の林檎論を想起願ひたい(『イカロス感覚1:ダリの十字架(2):6歳の詩『ウンドウクヮイ』』参照http://shibunraku.blogspot.jp/2015/08/blog-post_26.html)。また、「私の精神の縁(へり)と肉体の縁(へり)とが、どんな風にして一つの汀に融け合うか」といふ言葉から、読者は三島由紀夫が、上の図の天と地の、また天と海の高さの距離を一挙に0にしたいと願つてゐることを考へてもらいたい。すると、何が一体起こるのか。

「 何と強く私は、これを求め、何と熱烈にこの瞬間を待つたことだらう。私のうしろには既知だけがあり、私の前には未知だけがある、ごく薄い剃刀の刃のやうなこの瞬間。」

三島由紀夫は、あくまでも時間を限りなく無限に薄く切つて、それを瞬間にまでして、「さういふ瞬間が成就されることを」願つたのです。この成層圏の高みまで到達して、同時に此の瞬間に、「私のうしろには既知だけがあり、私の前には未知だけがある」そのやうな海の向かうの縁を越えて、海賊頭の命令に従つて、「未知とは失はれたといふことだ。俺たちは無他だから。」といふやうに、既にして失はれ「恒(つね)にあつた」無遍在へと飛翔するのです。さうして、「産湯(うぶゆ)を使はされた盥(たらひ)のふちのところである。下ろしたての爽やかな木肌がまばゆく、黄金(きん)でできてゐるやうにみえた。ゆらゆらとそこまで水の舌先が舐めるかとみえて届かなかつた。しかしそのふちの下のところの水は、反射のためか、それともそこへも光りがさし入つてゐたのか、なごやかに照り映えて、小さな光る波同士がたえず鉢合わせをしてゐるやうにみえ」、「ゆらゆらとそこまで水の舌先が舐めるかとみえて届かなかつた」その縁(ふち)の向かうへと越えてゆくのです。

これが、最後の三島由紀夫の出発、人生3度目の、最後の出発でした。三島由紀夫は、このやうに続けます。:

「 私は久しく出発といふ言葉を忘れてゐた。致命的な呪文を魔術師がわざと忘れようと努めるやうに、忘れてゐたのだ。」

われわれの生きてゐる時代の一等縁(へり)の、一等端(はし)の、一等外(はず)れの感覚が、宇宙旅行に必須な Gにつながつてゐることは、多分疑ひがない。われわれの時代の日常感覚の末端が、Gに溶け込んでゐることは、多分まちがひない。われわれがかつて心理と呼んでゐたものの究極が、Gに帰着するやうな時代にわれわれは生きてゐる。Gをかなたに予想していないやうな愛憎は無効なのだ。
  Gは神的なものの物理的な強制力であり、しかも陶酔の正反対に位する陶酔、知的極限の反対側に位置する知的極限なのにちがひない。」

ここでいふGとは、海の向かうのその縁を越えて存在す「神的な」力なのです。さうして、それは精神的なものの対極に位置する物理的な力の極みであり、陶酔である。他方、そのGの対極に存在する、精神による知的極限もまた、陶酔であるといふ。ここで、このエッセイの冒頭にあるやうに、三島由紀夫自身が、神的な力に強制されて、「地球を取り巻く巨きな蛇の環」になり、「すべての対極性を、われとわが尾を嚥みつづけることによつて鎮める蛇。すべての相反性に対する嘲笑をひびかせてゐる最終の巨大な蛇」の姿に、三島由紀夫の姿はなるのです。

この蛇になることに至つて、上の三島由紀夫の世界像は、一つになり、天地、天海一体となり、これが巨大な蛇の形象に変ずるのです。

さて、しかし、この志は、上述しましたやうに、またこの連載の第1回目で詳述しましたやうに、18歳の『中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜粋』に於いて、作者によつて決心せられたばかりではなく、この後も、同じ主題は、終戦の二ヶ月前に書かれた詩『もはやイロニイはやめよ』にも、次のやうに歌はれてをります。傍線筆者。:


 もはやイロニイはやめよ

 もはやイロニイはやめよ
 イロニイはうるさい
 巷には罹災者のむれ
 大学は休講つゞき
 大学生はやたらに煙草を吹かす
 湊の霧のなかで数しれぬ帆柱にまたたく
 檣灯のやうに
 来ぬ教授を待ちながら
 大学生は煙草を吹かす
 もはやイロニイはやめよ
 もはやイロニイは要らぬ 
 急げ今こそ汝の形成を
 汝の深部に於いてより
 汝の浅部に於いて
 ああ汝の末端に
 急げ汝の形成を
(決定版第37巻、749~750ページ)

この詩は、このままに、わたしの作成した三島由紀夫の人生の看取り図の、

2. 2 1946年~1949年:21歳~24歳:詩人から散文家(ザインからゾルレンの言語藝術家)へと変身する時代:4年
この時期に安部公房に初めて会ふ。
(1)1947年:22歳:エッセイ『重症者の凶器』
(2)1948年:23歳:小説『盗賊』
(3)1949年:24歳:小説『仮面の告白』、最初の戯曲『火宅』

とある、この時期に、三島由紀夫がどこかで、この時期の当初に「わたしは生きようと思つた」と率直に書いてゐました。さうして、同時に小説家にならうとしたとも書いてをります。この時、やはり、この生きようと思ふといふことが、

「急げ今こそ汝の形成を
 汝の深部に於いてより
 汝の浅部に於いて
 ああ汝の末端に
 急げ汝の形成を」

といふことであつたのです。

としてみれば、この「ああ汝の末端に/急げ汝の形成を」とあることを見れば、これは『中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜粋』の方向で、この延長で小説を書かうと考えたことを意味しています。また他方、十代の詩群は、『花ざかりの森』を経由して、そのまま三島由紀夫の戯曲群に連なつてをります。[註4−2]

さて、上の詩の「浅部」と「末端」の其のことを、『エピロオグ----F104』の第二段落で、

「 私は肉体の縁(へり)と精神の縁(へり)、肉体の辺境と精神の辺境だけに、いつも興味を寄せてきた人間だ。深淵には興味がなかつた。深淵は他人に委せよう。なぜなら深淵は浅薄だからだ。深淵は凡庸だからだ。
  縁(へり)の縁(へり)、そこには何があるのか。虚無へ向かつて垂れた縁飾りがあるだけなのか。」

と書き、その「虚無へ向かつて垂れた縁飾り」が、上で引用した「すべての対極性を、われとわが尾を嚥みつづけることによつて鎮める蛇。すべての相反性に対する嘲笑をひびかせてゐる最終の巨大な蛇」だつたのです。

しかし、この巨大な蛇を、三島由紀夫は、15歳の少年平岡公威として、既に詩『太陽の含羞(はぢらひ)』と題して最晩年の『太陽と鉄』を歌つてをります(決定版第37巻、500ページ)。:


太陽の含羞(はぢらひ)

太陽はお納戸と鉄の青だ
  ああ輪廓は静寂そして若さ激しさ


長くみつめると太陽は
  黄色フィルタァを我が目に据ゑる


雲のさなかに黄色い丸
  青空にきいろい丸
  日の含羞(はぢらひ)のしるしでせうか


太陽の色は


お納戸と鉄の青だ

(十五・四・十五)」


この詩で歌はれてゐますのは、F104に搭乗して大空に上昇して行き到達する、其のジェット戦闘機の座席の「小部屋」といふ「お納戸」に存在する「静寂」の空間であり、そしてまた同時に其処に至らしめることを可能にした、後年の三島由紀夫の上述の筋肉からなる肉体が三島由紀夫に授ける「若さ激しさ」でありませう。

さて、この15歳の詩で歌つた「黄色い丸」は、死を間近にした最晩年に於いては、「それは死よりも大きな環、かつて気密室で私がほのかに匂ひをかいだ死よりももつと芳香に充ちた蛇、それこそはかがやく天空の彼方にあつて、われわれを瞰下してゐる統一原理としての蛇だつた」其のやうな黄色い蛇に変じるのです。いや、黄色い蛇が、それであつたといふべきでありませう。三島由紀夫一生の、これは、探究であります。


[註4-1]

『仮面の告白』(1949年)の前に、『盗賊』(1947~1948年)といふ小説がある。


[註4-2]


三島由紀夫は、『花ざかりの森・憂国』(新潮文庫)の同じ上の自筆のあとがきで、20歳以降の小説と戯曲の関係と展開について、次のやうにいつています。

「そして少年時代に、詩と短編小説に専念して、そこに籠めていた私の哀歓は、年を経るにつれて、前者は戯曲へ、後者は長編小説へ、流れ入つたものと思われる。」


この率直な言葉を活かして考へますと、20歳以降の小説と戯曲は、そのまま小説(散文)と戯曲(詩文)といふ併存が、生涯の最後の『豊饒の海』(小説、散文)と『癩王のテラス』(戯曲、詩文)まで続いたといふことになります。



さて、かうして、この人生最後の『イカロス』といふ詩を読みますと、「もつと高くもつと高く」は、天への上昇のときのみに歌はれてをりますから、上の図の通りに、やはり時差から上昇して天の静謐の空間に至るときに、6歳のときの詩『ウンドウクヮイ』からの此の繰り返しは歌はれるのです。[註5]

[註5]

三島由紀夫の15歳の『一週間詩集』に『故苑』と題した、上の世界像の図の下方の平面に時間(時差)の遍在を歌ふ詩があります。それは、次のやうな詩です(決定版第37巻、534~546ページ)。傍線筆者。:


「故苑

わたしの心のなかで
風景は顔をそむけてゐた

山脈(やまなみ)をこえ
呆(ぼ)けた煙が見え隠れする
薄野(すすきの)の峠を下りた
山の間の村には
昼すぎまでも夜明けの光が漾(ただよ)うてゐた。
花櫚(くわりん)のみのる庭つゞき、
よごれた枳殻(からたち)......

空の色は萱屋根(かややね)にむなしくにじみ……
空の色は寒々といぢけてゐた。

わたし自身をさがしに来たのに
それすら故里にはゐないらしい。
どこにもゐるのは時間だが……

干われた柱にかゝつて
振子の硝子(がらす)が燻(いぶ)されて
錆び真鍮の刻むまゝに
よどんだ時がながれてゐる。

たんぽゝの絮(わた)を吹きながら
子供たちが野原からかへつてくる季節に
もういちどわたしは故里を訪づれてみようと思ふ。」



この故苑の世界は、上の図の、下にある産湯を使つた木製の盥の水盤の、繰り返しのある時差の存在する平面の世界のことを歌つてゐるのです。

「わたしの心のなかで/風景は顔をそむけてゐた」のは、この話者が既に時間の存在しない高みに、即ち上の交差点の小さな空間に浮遊してゐるからであり、従ひ、ダリの十字架を語る後年の三島由紀夫の言葉、即ち「下方にはおなじみの遠い地平線が描かれ、夜あけの青い光が仄かにさしそめてゐる。」と評言するのと同じやうに、「山の間の村には/昼すぎまでも夜明けの光が漾(ただよ)うてゐた」のです。この場合、「遠い地平線」を「山脈(やまなみ)」が形作つてゐます。

第4連で「どこにもゐるのは時間だが……」とあるやうに、この地には、時間(時差)はどこにもある。しかし、「……」の意味するところに従つて、そこから過去を追想し追憶してみても、この故苑では、季節は薄野の秋であるので、あの素晴らしい夏の青空の青はもはや無く、「空の色は萱屋根(かややね)にむなしくにじみ……」、時間を快活明快に刻む筈の柱時計は「よどんだ時」を刻んでゐる。「たんぽゝの絮(わた)を吹きながら/子供たちが野原からかへつてくる季節」とは、秋のあとの冬を越えた、新しい歳の始まる春か初夏に至る季節でありませう。




「そもそも私は地に属するのか?」で始まるまとまりに歌はれる「翼の蠟」とは、自分自身、即ち虚構と現実の間に立つて両方を宰領しようとした三島由紀夫自身のことでありませう。虚構とは隠喩の天、現実とは時差の地と言い換へてもよいでせう。

『暁の寺』を書いた其の終盤の終わり方は、静謐の空間である書斎の高みの中にあつて、その執筆してゐるといふ現実の時間(時差)の中で虚構と現実を交差させて隠喩を創造するのではなく、虚構と現実が勝手に交差してしまひ、自分が二つを宰領できなかつたので、「実に実に実に不快であつた」のです。

次回は、この三島由紀夫の世界像にあつて、空中に浮いた交差点、即ち静謐な空間である「お納戸」「小部屋」「気密室」、即ち三島由紀夫の書斎の、その静謐な庭といふべき場所の存在を保証してくれる(窓ではなく)窗(まど)と、その窗のある場所に至るための階段と、その階段のある塔のことを、「イカロス感覚4:塔」として論じます。





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