2009年11月28日土曜日

オルフェウスへのソネット(XXV)

XXV

Dich aber will ich nun, Dich, die ich kannte
wie eine Blume, von der ich den Namen nicht weiß,
noch ein Mal erinnern und ihnen zeigen, Entwandte,
schöne Gespielin des unüberwindlichen Schrei's.

Tänzerin erst, die plötzlich, den Körper voll Zögern,
anhielt, als goß man ihr Jungsein in Erz;
trauernd und lauschend —. Da, von den hohen Vermögern
fiel ihr Musik in das veränderte Herz.

Nah war die Krankheit. Schon von den Schatten bemächtigt,
drängte verdunkelt das Blut, doch, wie flüchtig verdächtigt,
trieb es in seinen natürlichen Frühling hervor.

Wieder und wieder, von Dunkel und Sturz unterbrochen,
glänzte es irdisch. Bis es nach schrecklichem Pochen
trat in das trostlos offene Tor.

【散文訳】

お前に、しかし、わたしは、今こうして、お前に、わたしが知った、名前を知らない花のようなお前に、もう一度だけ、思い出させて、そうして、彼らに示してやりたい、盗まれた者、克服できない、克服とは無関係の叫びの美しい遊び友達よ。

まづ最初に踊り子、突然、全身を震わせている体を、恰もその若いという存在を鉱石の中に注ぎ込むかの如くに、そのままの状態で止めている踊り子。嘆き悲しみながら、聞き耳を立てながら。ほら、そこで、高い、高貴な能力のあるものたちから、彼女の音楽が、その変えられた心臓の中へと落ちた。

病気がそばにいたのだ。既に影によって領されていて、暗くなって、血が、押し寄せたが、しかし、束の間疑わしく思われたかのように、血は、その自然の春の中へと表に押し進んで出てきたのだ。

何度も何度も、闇と墜落によって中断されながら、その血は、地上で輝いた。驚愕の心音の後、その血が、慰め無く開かれた門の中へと歩み入るまで。

【解釈】

リルケ自身の註釈によれば、このソネットは、Weraという女性、若くして亡くなった、友人の娘、若い踊り子に捧げられています。

リルケは、若い女性をいつも花に譬える。そうして、例外なく、その心理上の原因によって、名詞句をつくる。女性や花に、重層的に、そういう意味では花びらのように、花そのもののように、従属文を幾つも掛けて、動詞の無い、名詞句を構成するのだ。この顕著な傾向は、第2部のソネットで、女性と花を歌ったソネットにも、もっと見ることができる。

冒頭の「お前に」に、関係文がかかり、比喩である花という言葉にまた、関係文がかかっている。リルケは、そうしないと、女性と花について書くこと、歌うことができないのだ。

それが、何故なのかについては、「リルケの青春と謎の一行」(2009年7月18日)(http://shibunraku.blogspot.com/2009/07/blog-post_18.html)で、悲歌でも同様の現象が典型的に、意図的に現れているので、そこで論じましたので、ご興味のある方は、お読み戴けると、うれしく存じます。

「お前に」という言葉が重くなっていて、その谷間に一人称が埋もれてしまいそうな感じがします。性愛を意識すると、リルケは、止めどなく我を喪うのだろう。そうして、文を書くことができなくなる。

第2連の最初の行も、踊り子という名詞だけで、それに関係文が掛かっているという、同じ構造をとっています。

第2連のErz、エルツ、鉱石は、豊かな、しかし沈黙と一緒に出てきたのではないか。そこから何か生産的な、しかし静かなものが生まれるものとして。今そう思う箇所を見つけることができないので、この段落は備忘に留まる。

第2連の「その変えられた心臓」とは、普通の状態ではない心臓のことなのでしょう。

第3連を読むと、一時病状は恢復に向かったように見えたことがあったのでしょう。しかし、やはりいけなかった。

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