2009年11月28日土曜日

オルフェウスへのソネット(XXI)

XXI

FRÜHLING ist wiedergekommen. Die Erde
ist wie ein Kind, das Gedichte weiß;
viele, o viele.... Für die Beschwerde
langen Lernens bekommt sie den Preis.

Streng war ihr Lehrer. Wir mochten das Weiße
an dem Barte des alten Manns.
Nun, wie das Grüne, das Blaue heiße,
dürfen wir fragen: sie kanns, sie kanns!

Erde, die frei hat, du glückliche, spiele
nun mit den Kindern. Wir wollen dich fangen,
fröhliche Erde. Dem Frohsten gelingts.

O, was der Lehrer sie lehrte, das Viele,
und was gedruckt steht in Wurzeln und langen
schwierigen Stämmen: sie singts, sie singts !

前のソネットが、ロシアでの思い出だったので、ロシアということから、その厳寒の冬、そうして、歓喜の春を想起したのでしょうか。

【散文訳】

春がまたやって来た。大地は、

色々な詩を知っている子供のようだ。それというのも、

こんなにたくさん、ああ、こんなにたくさんの詩を知っているのだ….

長い間学んだことの、その労苦に対して、大地はご褒美を貰う。

大地の先生は厳しかった。わたしたちは、老人の髭(ひげ)にある

白いものが好きだった。

さて、こうしたわけで、今や、わたしたちは、緑のものの名前を、青いものの名前を

質問することができる(ゆるされる)。すなわち、大地は質問ができる、

大地は質問ができるよ。

自由を得た大地よ、お前、幸せな者よ、さて冬も過ぎたのだから、

子供たちと遊べよ。わたしたちは、お前を捕まえたいよ、歓びの大地よ。

最も歓ぶ者に、それがうまく行くよ。

ああ、あの先生が大地に教えたもの、すなわち、数多きもの、そして

根っこの中と、長い難しい幹の中に、捺染(なつせん)されてあるものを、

大地は、それを歌う、大地はそれを歌うよ。

【解釈】

春のよろこびを歌ったソネット。春と子供。これから大きくなる最初の季節ということで、似ているのでしょう。

長い冬が終わって、先生である白い髭の老人のもとでの修業も終わりを告げる。長い冬は厳しかった、先生は、厳しく寒かった。しかし、今や春である。

リルケは教えることと学ぶことに関心があたっと見える。それは、第1部ソネットVIII第3連第2行に学ぶことが、第2部ソネットXIV第2連第3行に教えることが出てくるので、そうと察せられる。前者は、泉の妖精(末娘)の話し。後者は、先生としてでてくる。もっとも、後者の先生は、これもやはり厳しい先生で、リルケは、先生というものにそのようなイメージを持っているのだと察せられる。

春と詩と子供。詩は、様々な色のものを歌うということが暗に言われている。最後の連を読むと、どうやら、先生、冬の教えるものも、数多くのものであるようだ。春はそれを開花させる。

長い冬に耐えて来た、木の根っこや幹の中にある色柄をも、大地は歌う。地上に出ている幹ばかりではなく、地下にあるものをも歌うことで、既に最後の連では、また死、すなわち冬を暗示しているのか。

しかし、全体の調子は、とても明るい。文字通りに、子供のような歓びの気持ちになるソネットだ。

リルケは、春が好きだなあと思われる。悲歌に歌われた春にも、そう思った。

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