2009年11月28日土曜日

オルフェウスへのソネット(XXIV)

XXIV

SOLLEN wir unsere uralte Freundschaft, die großen
niemals werbenden Götter, weil sie der harte
Stahl, den wir streng erzogen, nicht kennt, verstoßen
oder sie plötzlich suchen auf einer Karte?

Diese gewaltigen Freunde, die uns die Toten
nehmen, rühren nirgends an unsere Räder.
Unsere Gastmähler haben wir weit —, unsere Bäder,
fortgerückt, und ihre uns lang schon zu langsamen Boten

überholen wir immer. Einsamer nun auf einander
ganz angewiesen, ohne einander zu kennen,
führen wir nicht mehr die Pfade als schöne Mäander,

sondern als Grade. Nur noch in Dampfkesseln brennen
die einstigen Feuer und heben die Hämmer, die immer
größern. Wir aber nehmen an Kraft ab, wie Schwimmer.

【散文訳】

偉大なる、決して求めることのない神々よ、わたしたちは、わたしたちの太古からの友情を、わたしたちが厳しく育てた鉄鋼がその友情を知らないからという理由で、斥(しりぞ)けてよいものでしょうか、それとも、わたしたちは、その友情を、突然に、何の脈絡もなく、地図の上に探せばよいものなのでしょうか。

わたしたちから死者たちを奪い取る、この権力ある、強力なる友人たちは、わたしたちの運命の車輪には、どこにも触れないのです。わたしたちの饗宴を、わたしたちは遥かなところで開きます。わたしたちの沐浴もまた、わたしたちは、先へと押しやられて、遥かなところで沐浴をします。そして、われわれの友人の、わたしたちにとっては既にゆっくりとし過ぎている使いの使者たちを、わたしたちは、いつも追い越すのです。こうして、お互いを知らないのに、より孤独に、お互いにまったく頼り切って、わたしたちは、もはや美しいつづら折りの道を行くのではなく、

階級、位階の道を行くのです。かろうじて、ボイラーには、昔の、また将来の火が燃えているし、いつも大きくするハンマーは、引き上げ、起こしている。わたしたちは、しかし、スイマー、泳ぐ者のように、段々と力を失って行く。

【解釈】

19世紀末、20世紀初頭の現代文明と、人間が太古から大切にしてきた神々との友情の関係を、最初の連で問うている。20世紀にも神々との関係はあるべきだし、あると、リルケは言っている。

2連目で、その神々との関係を歌っている。

2連目の「美しいつづら折りの道」と訳したところは、小アジアのメアンダーというな名前の、そのような様子をした河の名前が挙げられていて、リルケのいう神々も、キリスト教徒の世界からみれば、異教的であると言えましょう。詩人の想像力の世界です。

神々の使者たちよりも、わたしたちの方が急いでいて、いつも追い抜いていると言っている。それが現代の社会のわたしたちだといっているのでしょう。そうして、神々の使者たちよりも先にいってしまっていて、人間同士を頼りにする以外にはなくなり、さらに、社会の階級にとらわれてしまって、リルケが思い描いているような、自由な社会と人間の関係ではなくなってしまっている。神々の使者たちは、遅く、まだ、わたしたちのその時間、その場所に到達していないのです。そうやって、生きていかねばならない。わたしたちの生活は、それほど急(せ)わしない。

ここは、第1部XIの騎士ふたりのソネットと関係があることでしょう。騎士たちも、修業のために同じ道を旅しているのに、そのこころが離れ離れであるか、その危険があるのでした。そうして、どこかの城で、日本流にいうならば、草鞋を脱ぐたびに、饗宴の場所で差別され、区別されて、namenlos、ナーメンロース、無名に、ふたりは、なるのでした。食卓は社会の秩序の象徴なのです。リルケは、この無名であることに意義を認めていますので、それは、人間が過酷な現実に堪える姿と理解することができるでしょう。

人間の人智を超えたものとの関係を考えることなく、ただ与えられた階級の形式の力を頼りに、その分だけ一層孤独になって、物理的な距離としては寄り合って、何かをなしていると思っている現代人たちの姿。

第3連の火は、人間が求める根源の火であるかどうか。わたしたちは、力を失うのですから、わたしたちとは無関係の力、わたしたちを益することのない、あるいは逆の力だといっているのでしょう。

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