2009年11月3日火曜日

オルフェウスへのソネット(XI)

XI

SIEH den Himmel. Heißt kein Sternbild «Reiter»?
Denn dies ist uns seltsam eingeprägt:
dieser Stolz aus Erde. Und ein Zweiter,
der ihn treibt und hält und den er trägt.

Ist nicht so, gejagt und dann gebändigt,
diese sehnige Natur des Seins?
Weg und Wendung. Doch ein Druck verständigt.
Neue Weite. Und die zwei sind eins.

Aber sind sie's? Oder meinen beide
nicht den Weg, den sie zusammen tun?
Namenlos schon trennt sie Tisch und Weide.

Auch die sternische Verbindung trügt.
Doch uns freue eine Weile nun
der Figur zu glauben. Das genügt.

あるいは、リルケは、前のソネットの最後の文、人間の顔の中の時間ということから、このソネットを思ったかも知れません。表面上、字面の上では、直接、その前のソネットの言葉が引き継がれて出て来ません。

主題は、結びつけること、絆です。騎士と旅、あるいは騎士の旅で、それを表わしています。この旅もまた、オルフェウスの変身のごとく、無私の旅です。

【散文訳】

天を見よ。星座に「騎士」という名前の星座はないのだろうか。

何故なら、この星座は、わたしたちに刻印されること、そうして、

こころに残ることが、稀だからだ。

この、大地から生まれた名誉のこころよ。そして、二人目の騎士、

この名誉心を(乗る馬のように)駆け、そして維持し、飼い、名誉心が逆に

この騎士を担う、そのような騎士がいる。

この、(名誉心という)存在の憧憬の性質は、このように、(狩猟でのように)狩り立てられ、そして、(手綱で)制御され、抑えられているのではないか?

道と分岐点。しかし、そんなことはない、ある圧力が教え、解らせるのだ。そうして、新たなる先へと続く。こうして、ふたり(の騎士)は、ひとつになる。

しかし、ふたりは、本当にひとつになったのだろうか?あるいは、そうではなくて、ふたりが一緒に行っている道のことを、お互いに思ってはいないのではないだろうか。卓(テーブル)と慰安が、ふたりを既に無名という形で、分けているのだ。

たとえ星辰の絆、星辰の関係が(ふたりを)担っていても(そうであればなあ。そのような関係は稀だし、続かないのだが)。いやいや、しばしの間、こうして、その(ふたりの)姿を信じて思うことを、(ふたりの関係よ)、我らをして楽しましめよ。それで、充分だ。

【解釈】

地上、あるいは大地から生まれる名誉のこころを、話者は、第2連で、「この、存在の憧憬の性質」と呼んでいる。そのこころに乗って馬を駆るのがふたりの騎士。

しかし、その騎士ですら、同じ道を行くことが難しい。中世の騎士が旅をして、中世的な至高の価値を求めることを前提に、リルケは詩を書いている。

地上から生まれた筈の名誉心が、星辰的な紐帯、絆、関係と同じに歌われるのは、そのこころが、「存在の憧憬の性質」だと歌われていることからいって、自然に理解されるところです。その星座としての騎士座が、ないのだろうかと、話者は最初に問うている。

なぜ、「卓(テーブル)と慰安が、ふたりを既に無名という形で、分けているのだ」ろうか。この一行は、何を言っているのだろう。

中世の時代に騎士は旅をして、礼をとり、礼をとられて、お城に宿泊を許されることがあるわけだから、そこで食卓の宴に預かる。そういう場では、その場の常として、階級が截然としていて、自づと秩序もあるので、ふたりの騎士とはいえ、ふたりのそれぞれの騎士としての身分違いによって、既にその物理的な席、配置も、そこで味わうことのできる歓待の楽しみも、既に、分かれているといっているのではないだろうか。そのことは、ふたりを無名にする。この世の秩序や約束事は、永続はしないのに、いつもひとを無名になることを強いる。

これは、芸術家仲間同士のことを思って出てきたソネットであろうか。

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