2013年3月19日火曜日


【Eichendorfの詩 28】Die Nacht (夜というもの) 

【原文】

Die Nacht

Wie schön, hier zu verträumen
Die Nacht im stillen Wald,
Wenn in den dunklen Baeumen
Das alte Maerchen hallt.

Die Berg im Mondesschimmer
Wie in Gedanken stehen,
Und durch verworrne Trümmer
Die Quellen klagend gehen.

Denn mued ging auf den Matten
Die Schönheit nun zur Ruh,
Es deckt mit kuehlen Schatten
Die Nacht das Liebchen zu.

Das ist das irre Klagen
In stiller Waldespracht,
Die Nachtigallen schlagen
Von ihr die ganze Nacht.

Die Stern gehen auf und nieder -
Wann kommst du, Morgenwind,
Und hebst die Schatten wieder
Von dem vertraeumten Kind?

Schon rührt sich's in den Baeumen,
Die Lerche weckt sie bald―
So will ich treu vertraeumen
Die Nacht im stillen Wald.


【散文訳】

夜というもの

ここで夢見ることは、何と美しいことか
静かな森の中の夜の夢を
暗い木々の中に
古い昔話が響く度に

月の輝きの中にある山は
沈思黙考しているかのように立っている
そして、乱雑な瓦礫を通って
泉が嘆きながら流れて行く。

何故ならば、疲れて、敷物の上を
美しい人が、こうして憩いに行ったからだ
冷たい影を以て
夜が愛する人を覆い隠す。

それは、迷った嘆きだ
静かな、森の壮麗の中の。
夜啼き鶯たちが羽音を立てている
森の壮麗であることから、夜を徹して。

星々は、行ったり来たりしている
いつお前は来るのだ、朝の風よ
そして、いつお前は、影(の幕)を再び上げるのか
あの夢見られた子供の影(の幕)を

既に、木々の間に動きがある
雲雀が木々をじきに目覚めさせる
さて、わたしは誠実に夢を観たいものだ
静かな森の中の夜の夢を


【解釈と鑑賞】

何か、ポール•デルヴォーの絵画を観ているかの様な、シュールレアリスティックな感じのする詩です。或いは、言葉による絵画だと言っても良い。

こうしてみると、わたしがアイヒェンドルフの詩に惹かれる理由のひとつは、この絵画性にあるのでしょうし、それは装飾性にあるといっても同じです。

ただ美しいということ、目的性を欠いているということ、それ故の装飾性であり、装飾性故の装飾性であります。

装飾性とは、即ち、時間が無いこと。時間が欠落しているということ。

そして、夜。そして、廃墟の形象(イメージ)。これも、わたしの好きな形象なのです。


第3連の、美しい人と訳したdie Schoenheitは、美といってもよく、ここでは、擬人化を超えて、美という概念が生きているという以外にはありません。ドイツの中世の詩人の言葉の力と同じ力をアイヒェンドルフは18世紀に持っていたということになります。


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