2015年9月21日月曜日

三島由紀夫の十代の詩を読み解く17:イカロス感覚2:記号と意識(7):「『 』」(二重鍵括弧)



三島由紀夫の十代の詩を読み解く17:イカロス感覚2:記号と意識(7):「『 』」(二重鍵括弧)


この記号の初出は、9歳のときの詩『朝の散歩』です(『初等科詩篇』、決定版第37巻、46~47ページ)。それは、次のやうな詩です。


朝の散歩

今朝お医者さまへ
行く前に
僕と、
弟と、
書生とで、
慶応病院の裏を、
散歩した。
電線を工夫が
工事してゐた。
そして工夫の持つてゐる
きかいから、
青い火がしゆつしゆつと出た。
弟が
 『あ、火が出てる』
と云つた。
僕も
 『さうね』
と云つてそれを見てゐた。
書生が
 『火はいつまで
  見てゐても
  火ですよ』
と云つて笑つた。


この詩から判ることは、次のことです。

1。会話であること。

それから、しかし、その会話は何がきっかけであるかといふと、「工夫の持つてゐる/きかいから」「青い火がしゆつしゆつと出た。」といふ其の青い火、即ち瞬間的な青い火であつたといふことです。

この火を見て、わたしは、芥川龍之介が同じ一瞬の火花の美しさを書いてゐる文章を思ひ出しました。それは、『或る阿呆の一生』の中にある次の章です。

八 火花

 彼は雨に濡れたまま、アスフアルトの上を踏んで行つた。雨は可也(かなり)
烈しかつた。彼は水沫(しぶき)の満ちた中にゴム引の外套の匂を感じた。
 すると目の前の架空線が一本、紫いろの火花を発してゐた。彼は妙に感動した。彼の上着のポケツトは彼等の同人雑誌へ発表する彼の原稿を隠してゐた。彼は雨の中を歩きながら、もう一度後ろの架空線を見上げた。
 架空線は不相変(あひかはらず)鋭い火花を放つてゐた。彼は人生を見渡しても、何も特に欲しいものはなかつた。が、この紫色の火花だけは、――凄
(すさ)まじい空中の火花だけは命と取り換へてもつかまへたかつた。

この9歳のときに三島由紀夫の見た火花は、この火花と同じ火花ではないでせうか。あるひはまた、同じ芥川龍之介の次のやうな『舞踏会』に書かれてゐる花火の火花を。

その時露台に集つてゐた人々の間には、又一しきり風のやうなざわめく音が起り出した。明子と海軍将校とは云ひ合せたやうに話をやめて、庭園の針葉樹を圧してゐる夜空の方へ眼をやつた。其処には丁度赤と青との花火が、蜘蛛手(くもで)に闇を弾(はじ)きながら、将(まさ)に消えようとする所であつた。明子には何故かその花火が、殆悲しい気を起させる程それ程美しく思はれた。
「私は花火の事を考へてゐたのです。我々の生(ヴイ)のやうな花火の事を。」
 暫くして仏蘭西の海軍将校は、優しく明子の顔を見下しながら、教へるやうな調子でかう云つた。

即ち、このやうに考へてみますと、

2。親しい者との会話の中の言葉であること。そして、それは、
3。一種夢のやうな、儚い、一瞬の美に関する夢想であること。


さうして、

「書生が
 『火はいつまで
  見てゐても
  火ですよ』
と云つて笑つた。」

とありますやうに、

4。それは、さう言葉で呼び、言ひ表す以外にはない、それ以上でも其れ以下でもない命であること。
5。その命の一瞬の美は、「いつまで/見てゐても」、名前の変はることなく不変であるといふこと。

このやうなときに、『 』を、三島由紀夫は使ふといふことになります。

『古城 夢想』といふ詩があります(『HEKIGA』、決定版第37巻、105ページ)。三島由紀夫12歳の詩です。

引用する『 』の前までの詩の次第は、「森の向かう」のことであり、そこには川が流れ、その川の向かうに畠が続き、この畠は更に向かうの荒野に続き、荒野を過ぎると灌木の茂みがあり、この話は「百幾十年の昔から、/一度も手をつけたことが/ないと云ふ、此の林」であり、この林は植物が永遠に生え揃ふ「古木が朽ちると、もうその傍に、/とげの生えた、/青い若木が生まれ、/林を、/永遠の所有物とさせた」そのやうな林であつて、この林は「やゝ高めな、小さい丘を、/守つてゐるの」です。

さて、この丘には、繰り返し同じ啼き声を啼く「梟や、/鴉の巣と共に、/古い、/崩れた城を頂いてゐ」て、それは小さいお城である。「併(しか)し、/人々は」、

「『幾百年か昔の、
 城である……』
 と思ひ、
 そして言伝へた。
 私は、その城が見え出すと、
 夢中で、
 小川の丸木橋を渡つた。
 畠には、
 細い道がついてゐたが、
 軟い土の上を、ぎしぎしと歩んだ。
 そして、荒野にさしかゝると、
 雑草や、
 遅い野苺や、
 あざみ等(とう)を
 踏みにじつて駆けた。
 (略)」

このお城には塔がありますし、この詩の主人公は其の塔の中の部屋に入るわけですし、またその部屋の「小さな窓」から、/美しい満月がのぞいてゐた」のですから、既に『三島由紀夫の十代の詩を読み解く13:イカロス感覚4:塔と窗(まど)』[http://shibunraku.blogspot.jp/2015/09/blog-post_5.html]で論じた世界なのですから、この詩を此の方面から考へることもできますが、今は『 』に焦点を当てて、この問題に留まることに致します。

『幾百年か昔の、
 城である……』

といふ此の二行と「……」を見れば、この『 』もまた追想と追憶に関係し、そのことを思ひ出し、また思ふときに『 』が使はれることが判ります。

この『 』の中で語られる言葉は、従い、

6。人のこころの中で知られてゐる、普段は意識しないが、何かがあればふと当たり前の、自明のことのやうに、人々の共通の記憶として意識に浮かび、思はれる、そのやうな場合の事実の言葉であること

このことを意味してゐるでありませう。さうして、それは、この詩の此処を読みますと、

7。やはり何か静かな思ひが歌はれてゐる

と、そのやうに見えます。更に、この詩の構造を踏まえて付け加えれば、

8。その主人公が、過去の真実を再度追体験し、同じ筋道を、誰かの追想と追憶の中で、辿るといふこと

となりませう。以下、纏めますと、

1。会話であること。
2。親しい者との会話の中の言葉であること。そして、それは、
3。一種夢のやうな、儚い、一瞬の美に関する夢想であること。
4。それは、さう言葉で呼び、言ひ表す以外にはない、それ以上でも其れ以下でもない命であること。
5。その命の一瞬の美は、「いつまで/見てゐても」、名前の変はることなく不変であるといふこと。
6。人のこころの中で知られてゐる、普段は意識しないが、何かがあればふと当たり前の、自明のことのやうに、人々の共通の記憶として意識に浮かび、思はれる、そのやうな場合の事実の言葉であること
7。やはり何か静かな思ひが歌はれてゐる
8。その主人公が、過去の真実を再度追体験し、同じ筋道を、誰かの追想と追憶の中で、辿るといふこと

このやうな8つの場合に、三島由紀夫は『 』を使ふといふことになります。

16歳の小説『花ざかりの森』に、男と女の間で交わされる次の会話があります。

この小説そのものが、その冒頭から追憶と追想によつて始まる、そのやうな小説であることは言ふまでもありません。

「 河上へさかのぼるにつれて、瀬の音はたかまつた。女はだんだん従順になつた。さきほどとは反対に男はきほひたち、女はしほたれて行つた。
『ああ、なんといふおそろしいあの音』
『いやいや、海はどうしてあんなものではない……』男はさうこたへるきりである。
 (略)
『海?海つてどんなものなのでせう。わたくし、うまれてよりそのやうなおそろしいものを見たことはありませぬ』
『海はただ海だけのことだ、さうではないか』さう云つて男は笑つた。」

男のこの科白は、上の4にある通りに、確かに海「は、さう言葉で呼び、言ひ表す以外にはない、それ以上でも其れ以下でもない命であること」を表してをりますし、おそらくそれは、上の3にある通りに「一種夢のやうな、儚い、一瞬の美に関する夢想であること」でありませう。

いちいち挙げることを致しませんが、その後の20歳以降に書かれた小説の中にも、数多くの回数、この『 』が、「 」とは明らかに識別され、区別されて使はれてをります。

例えば、1963年、三島由紀夫38歳のときの、従い古典主義の最後の歳の小説『午後の曳航』にも多用されてをり、その一つを今任意に選び出すと、次のやうな数行があります。

「……従つて、彼の情慾も、肉体的であればあるほどおそろしく抽象的に感じられ、一刻一刻の移るにつれて思ひ出に変る部分には、夏のはげしい日に照らされておもてに結晶する塩分のやうに、純粋な成分ばかりがきらめいてゐた。
『俺は又、今夜房子と寝るだらう。おそらく休暇のこの最後の一夜は、一睡もしないだらう。明日の夕方にはもう出帆だ。俺はこのとんでもない二夜(ふたよ)のために、思ひ出よりももつと早く、揮発してしまふだらう。』」

「……」といふ追憶と追想の中にあつて、「結晶する塩分のやうに、純粋な成分ばかりがきらめいてゐた」その「一刻一刻の移るにつれて思ひ出に変る」「情慾」の「部分」、即ち過去の時間の時差に、さうして此の世にはない「純粋な成分ばかりのきらめ」きの時差の中に、一瞬のこととして「思ひ出よりももつと早く、揮発してしまふ」といふ、あの9歳のときに三島由紀夫の見た火花のやうに、「最後の一夜は」過ぎるのです。

今、わたしの手元にある新潮文庫版のあとがきをお書きになつてゐる田中美代子さんが其の冒頭で、「「首領」は、「世界は単純な記号と決定で出来上がつてゐる」といふ。その「単純な記号と決定」とは何を意味するのだろうか。」とお書きになつています。

この『イカロス感覚2:記号と意識』で論じて来た記号、十代の詩人時代以来の記号が、その首領のいふ「単純な記号」の一つであることは間違ひがないでありませう。

さうして、もうひとつの「単純な決定」とは、1958年、三島由紀夫33歳の、その古典主義の時代の始まりのときに、『薔薇と海賊』といふ戯曲の自筆のあとがき『『薔薇と海賊』について』で書いてゐるやうに、

「 世界は虚妄だ、といふのは一つの観点であつて、世界は薔薇だ、と言ひ直すことだつてできる。しかしこんな言ひ直しはなかなか通じない。目に見える薔薇といふ花があり、それがどこの庭にも咲き、誰もよく見てゐるのに、それでも「世界は薔薇だ」といへば、キチガイだと思はれ、「世界は虚妄だ」といへば、すらすらと受け入れられて、あまつさへ哲学者としての尊敬をすら受ける。こいつは全く不合理だ。虚妄なんて花はどこにも咲いてやしない。」

といふ言葉にありますやうに、この「世界は薔薇だ」といふ単純な、主語と述語の隠喩(metaphor)の一行を創造すること、これが其の首領のいふ単純な決定でありませう。

この「単純な記号と決定」は、最後まで終生変はることがありませんでした。

その最後の小説『天人五衰』の最後の場面、本多繁邦は、高みにある月修寺の急坂をよろぼひながらも登りゆき、

「四つ目の木蔭が、すでに車のあたりからは窺はれない曲り目に在つて、静かに誘つてゐた。そこまで来ると崩折れるやうに、路傍の栗の根方に腰を下ろした。
『劫初から、今日このとき、私はこの一樹の蔭に憩ふことに決まつてゐたのだ』
 本多は極度の現實感を以つてさう考へた。」

この、三島由紀夫最後の「単純な記号と決定」は、上でまとめたところによれば、9歳の朝に見た美しい火花のときと同様に、「8。その主人公が、過去の真実を再度追体験し、同じ筋道を、誰かの追想と追憶の中で、辿るといふこと」を意味してをります。

勿論、これ以外にも、

6。人のこころの中で知られてゐる、普段は意識しないが、何かがあればふと当たり前の、自明のことのやうに、人々の共通の記憶として意識に浮かび、思はれる、そのやうな場合の事実の言葉であること
7。やはり何か静かな思ひが歌はれてゐる

といふことは、そのままその通りでありませう。

さうして、この小説の終りの有名なる 「……」を含む最後の一行に至る四行を。ここでもやはり繰り返しの時差を歌ふて鳴き止まぬ、十代の詩に歌つた蟬の声があります。

三島由紀夫よ、永遠なれ。

「 これと云つて奇巧のない、閑雅な、明るくひらいた御庭であ 
 る。數珠を繰るやうな蟬の聲がここを領してゐる。
  そのほかには何一つ音とてなく、寂寞を極めてゐる。この庭に
 は何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てし
 まつたと本多は思つた。
  庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしてゐる……」

さうして、ふたたび、この「……」といふ「単純な記号」の後に、重層的な、追憶と追想が、始まるのです。

永遠の時差の、その沈黙の一瞬の中に。繰り返し。



追記:
この二重鉤括弧を最初に使つた詩は、『夕ぐれ』といふ次の9歳の詩です。


お寺のかねがかんとなる
『みんなかへろおよお家の方へ。』
お寺のかねがチンとなる

皆かへつた家の中


この『みんなかへろおよお家の方へ。』といふ二重鉤括弧の使ひ方は、明らかにある共同体のみなが普段共有してゐて口にして、その起源は知らないが、繰り返し言はれる俚言のやうな、さうしてある調子を持つた俗謡のやうな、定型的な言葉です。


上の本文による6番目の言葉といふ事でありませう。




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