2015年9月21日月曜日

三島由紀夫の十代の詩を読み解く16:イカロス感覚2:記号と意識(6):「《 》」(二重山括弧)


三島由紀夫の十代の詩を読み解く16:イカロス感覚2:記号と意識(6):「《 》」(二重山括弧)


話し方としては順不同で(2)ではなく(6)となりますが、三島由紀夫の記号と意識を表す説明の6番目のもの、すなわち「《 》」(二重山括弧)についてお話しをします。

思ふところがあつて、順序を飛ばして、この記号の説明を致します。この思ひつきが、後で生きますように。

「《 》」(二重山括弧)の記号を以って示す意味は、古謡や神話の世界の言葉を引用するといふ意識で引用を創造する場合に、三島由紀夫は、この「《 》」といふ記号を用ゐるのです。

1938年、13歳の詩に『桃葉珊瑚(あをき)《EPIC POEM》』といふ日付の入った日記体の叙事詩があります(『木葉角』、決定版37巻、206~214ページ)。

この三島十代詩論では、既に月日の日付の入ることが、三島由紀夫の叙事詩であることの特徴(刻印といつてもよいでせう)であり、このことと此の詩から『中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜粋』が生まれ、それがそのまま20歳以降の小説家の時代にあつても、小説に繋がつてゐるといふことは、既に『三島由紀夫の十代の詩を読み解く5:三島由紀夫の小説と戯曲の世界の誕生:三島由紀夫の人生の見取り図2』と『三島由紀夫の十代の詩を読み解く6:三島由紀夫の小説と戯曲の世界の誕生2:三島由紀夫の人生の見取り図3(一層詳細な見取り図)』で論じた通りです。

さて、この詩は、「《EPIC POEM》」とあつて、「EPIC POEM」といふ文字を《 》で囲ふてゐるのは、この叙事詩が、古代からの古謡であり、また神話の世界、神話の時代からの引用の創造であることを示してゐるのです。

この詩は、古謡の言い伝への、民謡に通ふやうな、また神話の時代からの言い伝への、民話のやうな、そのやうな叙事詩なのです。

同じ『木葉角』といふ詩集に、『眠れよや《CRADLE SONG》』といふ詩があります(決定版37巻、201~205ページ)。

この詩が、13歳で、同じ詩集で、『桃葉珊瑚(あをき)《EPIC POEM》』の直前にあつて、三島由紀夫が初めて此の記号《 》を使つた詩です。

これらのことを考へますと、この『木葉角』といふ詩集は、三島由紀夫の言語藝術家としての人生に於いて、大変重要な詩集であるといふことができます。

さて、この詩の中に、《 》で囲はれたCRADLE SONGが二つ出てきます。これは勿論、三島由紀夫の創作なわけですが、しかし、この詩の世界では、古く遠い大過去から連綿と歌はれて、(『文化防衛論』で憂ふるやうな)「断絃の時」の無い古謡の子守歌であるのです。

この詩には繰り返し「眠れよや、吾子よ。」といふ一行が歌はれてゐて、この繰り返し、この眠りの再帰性が、この詩の主調音となつてゐます。この繰り返しに挟まれてをかれてゐる二つある子守唄を続けてみて、この歌がどのやうな内容の歌かをご覧ください。

この歌は、この吾子と呼ばれる赤子が、少年となつたところから始まります。傍線筆者。

《汝は、少年となりぬ。
 其の顔(かばせ)は変らず、
 脹(ふく)よかなる頰なり。
 美しき唇なり。
 汝は、青葉の道を歩(あり)きぬ。
 青雲には
 番(つがひ)が鶴(たづ)の翔(か)けてあり。
 茅花(つばな)はそを覗きてありぬ。
 汝は、
 友垣と、腕組みて歩きぬ。
 長く連なる道は、
 黒く若き道なり。
 汝も若きなり。
 限りなく、若きなり
 されども、
 空の、にはかに曇りぬ。
 鳴神(なるかみ)の、なりはためき、
 大雨の降り注ぎぬ。
 汝は、
 其の、さなかに有りぬ。》

《汝は倒れざりき。
 逞(たくま)しき足踏まへて。
 大雨の、
 尚もつゞきぬ。
 鳴神の、
 久しく怒りぬ。
 併(しか)れども、止むときありき。
 雨後の虹を背に、
 汝の歩き来りぬ。
 我、果てしなく驚きぬ。
 汝は、疲れを知りたり。
 休みなき大雨を知りたり。
 又、それに打ち勝ちぬ。
 されど、
 人々よ、勝てる人を見よ歟(や)!
 その眼(まなこ)は、黒き真珠(まだま)を
 忘れぬ。
 その頰は、唇は、曾(かつ)ての日の、
 桜色を失ひぬ。
 こは、生ける遺骸(なきがら)なり。》

この二つ目の、後篇としての子守唄のすぐあとに、次の一連が続きます。

「眠れよや、吾子よ。
 汝よ、
 大人になりぬるは恐ろし。
 永遠(とは)に嬰児(みどりご)にありてよ。」

これらの言葉を読みますと、この詩の主題は、この嬰児(みどりご)が少年になつたときに、この若さ(幼さといふべきでありませう)で、鳴神の怒りの大雨にも抗して此れに堪えて勝利するものの、しかし、その様は「長く連なる」「黒く若き道」を友垣と行く少年ではもはやなく、「その眼(まなこ)は、黒き真珠(まだま)を/忘れ」、「その頰は、唇は、曾(かつ)ての日の、/桜色を失ひ」、「生ける遺骸(なきがら)」となつた者に変じてゐたのです。

三島由紀夫にとつて、この黒い色は、原初の、原始の、無垢の、嬰児の色であつたのです。

従ひ、その若き道も黒く、その眼も其の道行くときには、本来は「黒き真珠」の色をしてゐたのです。

これは、無垢なる生命そのものの真珠の黒でありませう。

これと同じ黒い色が、『枯樹群』といふ14歳の詩歌はれてをります。以下『三島由紀夫の十代の詩を読み解く15:イカロス感覚5:蛇』より引用して、再度お伝へします。

この詩には、蛇と蜥蜴が同類のものとして歌はれてをります。この少年にとつては、蛇と蜥蜴に共通点があるのです。

「それは、この詩の題名の示す通りに、この再帰的な力を有する動物に触れると、その対象が崩れてゆくのです。その詩の第7連を引用します(第37巻、370ページ)。

「蜥蜴や蛇を柱々にピンでとめたので、[註1]
 そのところから家はくづれ、
 洞穴めいた口をのこして
 その啞(おし)の口の上を風はとほ
 りすぎ風にはたかれてわたしは黒
 い染粉にそまつた、
 黒ん坊よ、
 原始的なやさしい目よ、[註2]

[註2]
この「原始的なやさしい目」は、そのまま最晩年の『文化防衛論』の天皇論と、見る見られる見返すといふ再帰性(日本の国の文化の特徴3つの分類のうちの最初のもの)に繋がってゐることがわかります。

三島由紀夫にとつて、黒い色とは、原始の色なのです。

また、この原始的なといふ形容詞も、文化概念としての天皇論に出てくる形容詞で、そこでは此の同じ概念は、「原初の天皇」の「原初」といはれ、先の戦後の時代の中で見られるものだけに留まって想像力の枯渇した、即ちこの論文の冒頭にあるやうに「華美な風俗だけが跋扈してゐ」て「近松も西鶴も芭蕉もいない昭和元禄」の時代に、わたしたち日本人を「見る」者として「見返す」すことをなさり、わたしたち国民に「「見返」されるといふ栄光を与え」る存在、また「みやび」によつて「万葉以来の文化共同体」を「統括」する」「その主宰者たる現天皇は、あたかも伊勢神宮の式年造営のやうに、今上であらせられると共に原初の天皇なので」あるとあるやうに、天皇の原初性のこととして論じてをります。「原初」であることは、近代国家の制度の外にゐましまし、憲法にも拘束されることなく、法律の外に当然のことながらゐましまし、まつりごとを執り行ふ、祭政一致に存在する天皇陛下のあり方です。

このやうに、しかし、三島由紀夫の『文化防衛論』の根底には、やはり繰り返しといふ人間の根源的な、神話の時代の古代からの神聖なる行為に基礎を置いた、言葉と自己との生理を決して離れることのない論理があるのです。十代からの。


この『眠れよや《CRADLE SONG》』といふ詩では、三島由紀夫は繰り返し「眠れよや、吾子よ。」と歌ひ、その黒い真珠の眼を持つ無垢の赤子を眠らせることをしてをりますが、しかし、上で引いた其の1年後の『枯樹群』といふ14歳の詩では、はや此の黒い眼は、眠ることなく、眼を開けて、腐食作用を持つ言葉の再帰性を歌ひ、話者の死と「生れ更(かは)」りを歌つて、既に最晩年の『文化防衛論』に論じる「原初の天皇」にみそなはす其の原初性の、見る見られる見返すといふことの、即ち自己の「存在を犠牲にし」た者は、もはやただ「見られるもの」ではなく、「見る」者として「見返してくる、という認識」によつて「断絃の時」を恢復するのだといふ14歳の少年の「みやび」の眼に、十分になつてをります。

『夏歌』といふ詩があります(『公威詩集 II』、決定版第37巻、421~422ページ)。

この詩には、「( )」(丸括弧)以外の、「―――」(実線)、「”  ”」(引用符)、「「 」」(一重鉤括弧)、「《 》」(二重山括弧)が登場して、実に三島由紀夫独自の意味を割り当てた記号のほとんどが使はれゐる面白い詩です。

この詩の解析は、一通り記号のお話をした後で、その詩の重層的な構造と共に、論じることに致します。

この詩で使用されてゐる《 》を含む連は、次の連です。

「-- 徒(いたづ)らに鳴神(なるかみ)の響きのみ……
  ----待つ人もなく。
 ”《色の盗人》よ来い。
 こゝにあるなべての色彩(あや)を、
 空の彼方(かなた)に運び去れ。
 かくてこゝは、
 冬の季節となるであらう。
 ものみな灰色に還り
 そこに己を見出すであらう。」

この連の第一行に「……」とありますので、話者の意識は過去へと向かい、過ぎ去つた時間を追想し追憶してゐます。

さて、その追想追憶の中での(話者の口にして発声する)直接話法の中で、「《色の盗人》よ来い。」と言ふのです。

三島由紀夫の意識では、この《色の盗人》は、古謡や神話の世界で人々の口の端にのぼる盗人であるのです。さうして、この盗人は、色彩を盗むのだといふのです。

この盗人がゐなければ、この世の人々は、眼も彩な色の数々に眼が眩み、自己を忘れ呆けてゐるものを、世の色々を、《色の盗人》が古謡や神話の世界からやつて来て、その絶対的な力を行使して盗んで「空の彼方に運び去れ」ば、自己を思ひ出すであらうといふのです。

次の連、即ち此の詩の最後の連を読みますと、「だがわし」だけは、さうではなく、己の好きな「狂ほしい臙脂のうちに/いつまでも足掻(あが)いてゐたい」と歌つてをります。

「だがわし」だけはと思ひ、さう書き出す此の連の一行目の次には、「……わしはこの万物夏の、」と続いて、「狂ほしい臙脂のうちに/いつまでも足掻(あが)いてゐたい」のです。この自己の臙脂色もまた従ひ、追想追憶の中にあり、三島由紀夫の自己と臙脂色とは、追想追憶の言葉の中で存在可能であるのです。

最後にもうひとつだけ、《色の盗人》が「こゝにあるなべての色彩(あや)を、/空の彼方(かなた)に運び去」れと念じながら、しかし自己そのものである「狂ほしい臙脂のうちに/いつまでも足掻(あが)いてゐたい」と歌ふ其の臙脂色に連なるワットーの「不可視の林檎」を論じた『ワットオの《シテエルへの船出》』といふエッセイに言及しませう。

このエッセイの標題そのものが、既に《 》といふ記号を以つて、其の全体を示してゐることは、以上のところでお判り戴いたことでありませう。

《シテエルへの船出》とは、1954年、古典主義の時代にゐる30歳の三島由紀夫にとつても、依然として、それは古代の、古謡の、神話と伝説の船出であり、その出帆する先に見える「黄金の靄の彼方に横たはる」シテエル島もまた、この《 》の中に書かれてゐるからには、そのやうな存在の島であるのです。そのやうな島へと出帆する。

13歳の詩『眠れよや《CRADLE SONG》』で、初めて古謡と神話の時代の歌謡《CRADLE SONG》の創造を行つた平岡公威といふ少年と、この30歳の三島由紀夫といふ、ワットオの《シテエルへの船出》を論じる青年の間に、一体どれほどの径庭がありませうや。


[註]

『三島由紀夫の十代の詩を読み解く15:イカロス感覚5:蛇』[http://shibunraku.blogspot.jp/2015/09/blog-post_12.html]の[註4]で引用した『理髪師』にも、この《 》が使はれてをりますので、再掲します。:

理髪師

あまりにすべすべな皮膚のうちに白昼(まひる)の風の流れを見、呼
吸は漁(すなど)られた魚のやうにあさましく波打ち、遠く銀白の地
平を摩擦して行く空気の翼に似た音……
壺のなかにひろがる闇のひろさよ、零(こぼ)れ出てくる闇のおび
たゞしさよ。線は線に触れ、髪は夜の目のやうな暗い光に
濡れ……。
《真の幸福は神の餌にすぎない》
人間の幸福は求め得たものゝすべてであり、
(幸福がその日の呼吸なのだ)
と儂は言ふ。虚偽?......神様はよおく御承知だ(唾のなか
に幸福を吐き出し、汚なさうに投げ捨てる)
沙漠と鉱山の縦坑と、尾根と、尾根の抱く朝と、広いも
のは窒息させる、其処で、……蛇は空を自分の毒牙で量つ
てゐた。……理髪師がくる。彼は舌なめづりする。手足を
だらりとたらし乍ら、地上のありとあらゆる林、あらゆる
森、あらゆる尖塔を刈つてゆく。―――鐘の
うしろに夜が居る……わしは赤インキを顔にぶつかける、
そこで正午(まひる)が呆けた人形のやうにぶら下がる。

(決定版第37巻、685ページ)

この同じ主題を歌つた『理髪師の衒学的欲望とフットボールの食慾との相関関係』と題した詩がある(決定版第37巻、767ページ)。


《真の幸福は神の餌にすぎない》といふ言葉は、古謡であるか、神代以来の俗俚の諺であるか、また即ち古代からの人類の知恵であるのです。

そのほかに、次の詩に《 》が使はれてゐる。

1。『桃葉珊瑚(あをき)《EPIC POEM》』(『木葉角』、決定版37巻、206~214ページ)
2。『新養老 物語詩 二十七段』(『公威詩集 I』、決定版第37巻、334~337ページ)
3。『舞曲第六番』(『Bad Poems』、決定版第37巻、390ページ)
4。『孤独』(『鶴の秋』、決定版第37巻、582ページ)
5。『幸福と悔恨の旅』(『公威詩集 III』、決定版第37巻、633ページ)
6。『恋と嘆きの小さい島々』(『拾遺詩集』、決定版第37巻、743ページ)





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