2015年9月5日土曜日

三島由紀夫の十代の詩を読み解く13:イカロス感覚4:塔と窗(まど)


三島由紀夫の十代の詩を読み解く13:イカロス感覚4:塔と窗(まど)


『イカロス感覚3:縁(ふち)と生まれた時の記憶』で示した『三島由紀夫の世界像』をご覧ください。



三島由紀夫といふ人は、安部公房とは全く正反対に、隠喩で表現した後に論理が従いて来きます。安部公房の場合には、論理の後に隠喩と形象が従いて来ます。

この図にありますやうに、詩人である三島由紀夫は、隠喩といふ時間のない積算の値の、安部公房ならば子供の頃下から見上げた奉天の窓、大人になつてからは存在と呼んだ其の垂直と水平の交差点の積算値を、最初のうちは窓と表記してをりましたが、この意識の意味が本人に明瞭になつたときに、窓の文字の使用を止め、窗(まど)といふ文字を使用し始めます。この文字が何を、三島由紀夫の詩の世界で意味するかは、後述します。

さて、この高みの窗(まど)は、当然に高いところにあることから、高いところに位置する部屋に嵌められてゐるわけです。さうして、このやうな部屋は、典型的には塔の、しかしまた塔に類似の高い建物(例えば、ホテル、や教会など)に存在し、この高みの部屋へ至るまでには、段差といふ差異のある階段が螺旋のやうに昇つてゐて、それも三島由紀夫のことですから、この段差を空間的な段差とは全く思はずに、時差として思ひ、一歩一歩の歩みの時差に快楽(けらく)愉楽を覚えながら、塔頂に至るのです。

十代の三島由紀夫は、この塔頂の窗のある部屋を、階段室と、または此の塔頂に至る階段のある、さうしてやはりその道々に窗があつて明かりのとられてゐる螺旋の上昇空間を階段室と呼んで、歌つてをります。

その詩の歌ひ方から言つて、三島由紀夫にとつては、塔頂の窗のある部屋と、窗があつて塔頂に至る螺旋階段のある上昇空間とは、ともに階段室の名のもとに、意識の上では互いに融け合つて同じものであるやうに、詩の読者には、見えます。

勿論、この窗という文字を使つて窗を歌へば、それは塔やホテルや教会やらの高い建物の頂点にある部屋の窗といはなくとも、その窗を歌ふ話者は、既に其の高みにゐるといふことを意味してゐます。仮令(たとへ)低地に、その窗があつたにしても。例へば、三島由紀夫の作品によく出てくる覗き窓といふやうな場合であつても同様です。

さうして、この窗は、見る見られるといふ関係を創造致しますから、最晩年43歳のときに書いた『文化防衛論』にある、国民文化の3つの分類、即ち再帰性、全体性、主体性の、最初の再帰性といふ言葉と其の概念にまで至つてをります。この3つの概念については、その前の章『日本文化の国民的特色』で、ひとつひとつ丁寧に述べられてをりますので、これをお読み下さい。

安部公房ならば、間違いなく、この再帰性を、窗に映る反照と言つたことでありませう。

さうして、この再帰性は、この『文化防衛論』の冒頭にある、先の戦争後に日本人の受け容れた「断絃の時」を否定するものであり、また「明治以来の近代文学史を古典文学史から遮断する文学史観に大きな疑問を抱」ゐて、この「断絃の時」とは、日本の文学史を詩歌の歴史と考へてゐることを示し、この言葉は其のまま、三島由紀夫が44歳で著した『日本文学小史』が詩歌だけの、従い詩文と和歌物語の文学史であることに繋がつてをります。

この『日本文学小史』が、第1章を「方法論」と題して始まつてゐることは、意義のあることなのです。何故ならば、やはり此の章の冒頭には、「われわれは文学作品を「見る」ことができるのであらうか。」と問ひ、この問ひにみづから答へて、その後の論の展開をしてをりますから。

三島由紀夫は、文学作品に何を「見る」といつてゐるのかと言ひますと、それは美なのですし、それは、永福門院の京極派風の叙景の歌を引いて伝へようとする、「ここにわれわれ日本人が感じるものは、思想でも感情でもない、論理でもない、いや、情緒ですらない、一連の日本語の「すがた」の美しさ」なのです。

「山もとの鳥の声より明けそめて
       花むらむら色ぞみえ行く」

今、かうして改めて此の歌を読みますと、やはり三島由紀夫の6歳の詩から連綿と其の生涯を通じて有り、三島由紀夫が美を招来するための其の時差を生むための言葉である繰り返し、即ち「むらむら」といふ言葉があることに気づきます。

鳥の声が繰り返し繰り返されて、さうして光が射し始め、明けそめて、清浄で神聖なる世界が美しいものとして「花むらむら色ぞみえ行く」のです。

こうして見ますと、三島由紀夫の理解では、「花むらむら色」の色もまた、時差の中で繰り返される色々であるのでありませう。

この『日本文学小史』で書かれる文学論で誠に興味ふかいこと、三島由紀夫らしいといふことは、文字で書かれた文学作品を読む行為、この行為によつて成り立つ文学といふ藝術を、時間藝術としてゐることです。

「文学史は言葉である。言葉だけである。」

この言葉こそが、上に引いた永福門院の歌の持つ美、「一連の日本語の「すがた」の美しさ」を表し、伝へるものだ、そして、このやうにある美のことを、『文化防衛論』では、再帰性と呼んでゐるのです。何故ならば、言葉の美とは「一つの形(フォルム)」であるからであり、この「一つの形(フォルム)」は、再帰性によつて生まれ、その姿を保証されてゐるのであり、その再帰性とは、「文化の再帰性とは、文化がただ「見られるもの」ではなく、「見る」者として見返してくる、という認識に他ならない。」からなのです。

ここで、三島由紀夫の読者であるあなたは、30歳の時の『ワットオの《シテエルへの船出》』で三島由紀夫の論じた「紅い色」をしたワットオの林檎についての林檎論中の「不可視の林檎」と、即ちこのワットオの林檎は不可視だという論を思ひ出し、さうして、13年を閲して43歳のときに再び林檎を論じた『太陽と鉄』の中での林檎論、即ち「林檎の内側は全く見えない筈だ。(略)事実確実な存在様態とは、存在し、且、見ることなのだ。しかしこの矛盾を解決する方法は一つしかない。外からナイフが深く入れられて、林檎が割(さ)かれ、芯が光りの中に、さらされることなのだ。その時、果たして、林檎は一個の林檎として存在しつづけることができるのだらうか。すでに切られた林檎の存在は断片に堕し、林檎の芯は、見るために存在を犠牲にしたのである。」と言はれる、三島由紀夫の切腹の理由を説明してゐる此の二つ目の林檎を思ひ出して下さい。

再帰性といふ繰り返しによつて生まれる「一つの形(フォルム)」、即ち美は、「文化がただ「見られるもの」ではなく、「見る」者として見返してくる、という認識に他ならない」のです。

そして、「「見る」者として見返してくる」ためには、林檎は「見るために存在を犠牲にし」なければならない。

さうして、そのやうな自己の「存在を犠牲にし」た者又は物は、もはやただ「見られるもの」ではなく、「見る」者として見返してくる、という認識」、これが国民文化を連綿と伝え、「断絃の時」を越えて、また修復して時間を連続させて再帰する、文化の再帰性、「一つの形(フォルム)」、即ち言葉の美、なのです。

かうしてみますと、1968年、43歳のときに同じ年に著した『日本文学小史』『太陽と鉄』『文化防衛論』は、一連の論考なのであり、一体のものとして読まれるべきであることが判ります。

これらの論の核心にある概念が、再帰性(繰り返し)であり、「一つの形(フォルム)」、即ち言葉の美であり、「文化の再帰性とは、文化がただ「見られるもの」ではなく、「見る」者として見返してくる、という認識に他ならない」のであり、先の戦争の後の時代には、ただ「見られるもの」であつた文化が「見返す」ためには、林檎論にある通りに「見るために存在を犠牲にしたのであ」り(三島由紀夫は既に此の時生きてゐながら過去形で書いてゐる)、存在を犠牲にすれば、その存在は「「見る」者として見返してくる」ことができるからには、日本文化の再帰性そのものとなり、「断絃の時」などなくなるのです。

三島由紀夫は、この『文化防衛論』最後の章『文化概念としての天皇』を読みますと、以上の考へが其のまま日本の国の在り方(国体)と天皇といふ我が国史上の至高の存在(上の林檎論の存在に同義)として、即ち近代資本主義国家の日本の外側にそもそも存在してゐる、法律外の「文化概念としての天皇」が、従い其の「みやび」なることと其の由縁が語られてをります。

「みやび」とは、上に述べましたやうに、自己の「存在を犠牲にし」た者は、もはやただ「見られるもの」ではなく、「見る」者として見返してくる、という認識」であり、日本文化のこの認識の「主宰者」はいつもどの時代のでもの今上天皇であり、この恰も現存在(ダーザイン)としての天皇は連綿として、この民の文化的な在り方を統べる者であることによつて、絶えず「原初の天皇」(存在(ザイン)としての天皇)であるのであり、これが「「みやび」を以つて民衆詩を統括するといふ、万葉集以来の文化共同体の存在証明であり、独創は周辺へ追いやられ、月並みは核心に輝いてゐる」其の山頂の「みやび」なのであり、その裾野に連なる私たち民であるのです。和歌を歌ふ限りは。

『文化防衛論』は、稿を改めて論じることに致します。

三島由紀夫の再帰性ー同じ言葉の繰り返しーその時差に招来され存在する美、ということから、遠いところに来ました。話を戻します。

窗は、見る見られるといふ関係を創造するといふ話からでした。

明確に文字として此の意識を詩で歌はうとして、この窗の文字を使つた最初の詩が、昭和15年3月22日付で書いた『風の日(童謡)』と題する、次の詩です(決定版第37巻、476ページ)。三島由紀夫15歳。やはり暗合のやうに、十字架が出て参ります。いや、三島由紀夫の暗号といふべきでありませうか。:


爪でひつかきでもするやうに
硝子に枯木がさはります

あの教会の十字架は
風に黄色くさわいでゝ……

階段室の高窗の
光の下に牧師さん

(十五・三・二二)



この詩は、次のことを歌つてをります。

(1)硝子にさわる枯れ木の音
(2)木枯らしといふ風
(3)十字架
(4)十字架は、黄色い色をしてゐる
(5)階段室
(6)その高みにある窗の下に牧師といふ聖職の人間がゐるということ

以下、これらの形象と意味について論じ、三島由紀夫の詩の世界を逍遥致しませう。

(1)硝子にさわる枯れ木の音の形象と意味
これはやはり耳障りな音です。何故なら韻律がないから。即ち、繰り返しになつてゐないから、従ひ、そこには美しさはないからです。

三島由紀夫が韻律と歌の調子に敏感な子供であつたことの例証を、『オモチャノイタリー』(決定版第37巻、17~18ページ)と『年の市』(決定版第37巻、18~19ページ)といふ詩を引いて、示します。ともに、6歳のときの詩です。:


オモチャのイタリー

    一

〽︎オモチャのイタリー
    オモシロイ、
 キイロイ人ヤアヲイ人バカリ、
    キレイナキレイナ人バカリ
 オウチモ
   キレイダキレイダナ。
 
    二
 オモチャのイタリー
    カハイイナ、
 シカクナオウチヤ
    マルイウチ、
 オマドモ小サク
    カハイイナ。


この詩を読んでも、6歳の三島由紀夫が、最初に置いた記号の〽︎といひ、その後の言葉にある繰り返しの韻律と調子に如何に美と抒情を感じてゐるかがおわかりでせう。次は、『年の市』といふ詩です。

  年の市

   一
〽︎トーシノ市ガキータカラ、
    ニーギヤカダ、
 ドーコノオーミセモ、
    イーソガシイー、
 オミセハキレイダ、
    キィーレーイダナアー

    二
 
〽︎トーシノ市ガキータカラ、
    人ガデルデルアルケナイ、
 ドーコノオミーセモ、
    イッパイィーダ、
 フクビキヒイタリ、
    オモシロイ。
 

この『年の市』といふ詩でも、『オモチャのイタリー』と同様に、このまま節をつけて、三島由紀夫は声を出して歌つてゐるといふことが判ります。

これが、一番最初の、三島由紀夫の詩の形態なのです。それが、一体どのやうな小説と戯曲の科白に成長するものかは、既に『三島由紀夫の十代の詩を読み解く6:三島由紀夫の小説と戯曲の世界の誕生2:三島由紀夫の人生の見取り図3(一層詳細な見取り図)』[http://shibunraku.blogspot.jp/2015/08/blog-post.html]及び『三島由紀夫の十代の詩を読み解く6:三島由紀夫の小説と戯曲の世界の誕生2:三島由紀夫の人生の見取り図3(一層詳細な見取り図)』[http://shibunraku.blogspot.jp/2015/08/blog-post_12.html]で詳細に論じましたので、これらをお読み下さい。


(2)木枯らしといふ風の形象と意味

この木枯らしが何を意味するかについては、この連載第1回より引用してお伝えします。:

「夜の共有、これが、安部公房と三島由紀夫の二人に共通する最たることではないかと、わたしは思います。最初に見た11歳の『蛾』という詩が、三島由紀夫の側で、それを示しています。

この眼で見ると、『木枯らし』という詩も、恰も夜の詩であるように思われます。夜に、窓の外をみると、木枯らしが吹きすさんで、木々が木枯らしの強い風で揺れて揺れて狂っている。

11歳の三島由紀夫の眼には、「窓のふちに、蛾がとまつてゐて、ぶるぶると体を震わせてゐた。」とありますように、蛾もまた『木枯らし』の木々と同じようにふるえているのです。

三島由紀夫は震えるものに注目して、その原因が木枯らしのような強風であると、可哀想に思い、悲しみの情から、その対象を救ってやりたいと思い、意志を発動させて、行動に移すのです。

この眼で、再度『木枯らし』という冒頭に掲げた詩をお読み下さい。

「木枯らし

木が狂つてゐる。
ほら、あんなに体をくねらして。
自分の大事な髪の毛を、風に散らして。

まるで悪魔の手につかまれた、娘のやうに。
木が。そしてどの木も狂つてゐる。」

次に『凩』(木枯らし)という、やはり11歳の詩です。


4。二つ目の詩「凩」(木枯らし)を読む

「凩

凩よ、速く止まぬと、可愛さうな木々が眠れない。
毎日々々お前に体をもまれて、休む暇さへないのだ。
凩よ、お前は冬の気違ひ、私の家へばかり、は入つて来ないで、いつその事、雪を呼んでおいで。

最初の『木枯らし』という詩といい、この『凩』という文字は違ってもやはり、こがらしという題名のこの二つの詩は、強い風と揺れる木々と、それから風に強く吹かれ揺れて気の狂っている木々を歌っているということになります。

この場合、最初の『木枯らし』は、木枯らしによって木々の気が狂っているのですが、この『凩』では、「凩よ、冬の気違い」とありますので、木々の気を狂わせるのは、冬の木枯らしなのです。

この主題は、11歳の三島由紀夫にとって、何か非常に重要な主題であったのでありましょう。

この『凩』という詩でも、『蛾』という詩と同じで、詩の生まれる契機は、対象が「可愛さう」だという感情であり、「可哀さう」だという感情です。

そうしてみると、最初に引用した『木枯らし』という詩も、その根底にある感情は、かわいそうという感情であることになります。本居宣長であれば、もののあはれといったことでしょう。

『木枯らし』と『蛾』と『凩』いう三つの詩から抽出できる、子供時代の三島由紀夫の詩の世界は、次のようになるのではないでしょうか。


5。三島由紀夫の詩のこころと、その詩の世界の構成要素

(1)夜である。そして、恰も夜である。
(2)木枯らしという強風が吹きすさぶ
(3)それが原因で、木々が狂っている
(4)冬の木枯らしは気違いである
(5)蛾である、夜に生きる命あるものもふるえている
(6)そのふるえるものを助けたい、窓を開けて、解き放してやりたい、自由にしてやりたいという思い
(7)その思いの本(もと)は、「可哀さうな」感情を持ったからであること
(8)そうして、上記の酷い状態を解決するのが雪であって、例え木枯らしが冬の気違いであって、強く吹いていても、雪を呼んでくれば、救われるということ。何故ならば、雪の白は、夜の黒とは違って、清浄であり、そのような酷い狂気を浄化して救ってくれるからでありましょう。


このような、十代の三島由紀夫の詩のこころであるということになります。

この可哀想という感情は、間違いなく『花ざかりの森』に書かれた「追憶と隠遁の感情」の発展形であり、「死そのものではなく、「「死」にとなりあわせ」なのであり、「生(いのち)がきわまって独楽の澄むような静謐、いわば死に似た静謐ととなりあわせに。」とある其のような追憶であり、感情なのです。

上記の1から8までの、三島由紀夫の詩の要素と其の根底にある感情は、『花ざかりの森』と併せて読みますと、過去への「追憶と隠遁の感情」に発するものであることになります。

それは取りも直さず、現在と過去との差異を知ることから生まれる感情です。これを、三島由紀夫は源泉の感情と呼びました。」


(3)十字架の形象と意味

『三島由紀夫の十代の詩を読み解く9:イカロス感覚1:ダリの十字架(1):三島由紀夫の3つの出発』[http://shibunraku.blogspot.jp/2015/08/blog-post_23.html]及び「三島由紀夫の十代の詩を読み解く10:イカロス感覚1:ダリの十字架(2):6歳の詩『ウンドウクヮイ』[http://shibunraku.blogspot.jp/2015/08/blog-post_26.html]で詳細に論じた通りです。今、その本質を説いた一部を、まづ前者より引用します。

「三島由紀夫は平岡公威といふ名前の6歳の少年であつたとき、やはり既にして十字形を歌つた詩を歌つてをります。それは、学習院初等科の最初の歳に経験した運動会を歌つた詩です。この連載の第8回『三島由紀夫の十代の詩を読み解く8:三島由紀夫の『文化防衛論』と安部公房』にて引用した次の詩です。


「ウンドウクヮイ

(一)
 一バンアトカラ二バンメノ十ジツナヒキ
 オモシロイカツトフウセンフハリフハリフハリ

(二)
 一バンアトカラ二バンメノ十ジツナヒキ
 オモシロイムカデノヤウニゴロゴロゴロ」

次に後者より。:




「磔刑の基督」は、刑架がキュビズムの手法で描かれてをり、キリストも刑架も完全に空中に浮遊して、そこに神聖な形而上学的空間といふべきものを作り出してゐる。左下のマリヤは完全にルネッサンス的手法で描かれ、この対比の見事さと、構図の緊張感は比類がない。又、下方にはおなじみの遠い地平線が描かれ、夜あけの青い光が仄かにさしそめてゐる。
(三島由紀夫「ダリ『磔刑の基督』」)

対比的な様式と其の緊張感の均衡によつて生まれ、存在する此の只今の交点、交差点といふ、時差の交差点といふ意味です。

この交差点を、即ちザイン(存在、Sein)と呼んでもよいでせう。

この交点、交差点の生まれたときに、三島由紀夫は「比類がない」といふのです。この同じ「比類がない」といふことを、既に、学習院初等科に入学した6歳の平岡公威は、「面白い」といふ言葉を使つて、このダリの絵と同じ「比類がない」「対比の見事さと、構図の緊張感」の交差点を、初めて経験した小学校の運動会のこととして、次のやうに歌つてをります。

(略)

ここで、上のダリの十字架と同じ評言にある、詩の構成要素をあげてみると、次のやうになるでせう。

(1)繰り返しによる様式の対比による対称性と対照性の効果を既に知っており、そのことに美と抒情と快感を覚えていること。この場合、
(2)様式との対比による対称性と対照性とは、風船と百足の対比によつて、次の対称性と対照性を表現してをります。

   1天と地(地面)
   2上昇と下降
   3軽さと重さ
   4勝ちと負け
   5始めと終わり((一)と(二)といふ配列によって意識される)

(3)交差点のある十字形に興味と関心を持っていること。
(4)現実の出来事に対して、面白いと(いふ言葉を使って)思ひ、表現していること。ダリの十字架に対する「比類がない」ことに相当する賛嘆の言葉であること。
(5)独特の数の数え方、即ち、最後から数えて、その最後の数を勘定に入れて、下る(降順の)数を数えること。即ち、数を勘定するときに、一番最後から引き算をして勘定するといふこと。[註1]更に、このことから即ち、
(6)最初に最後を考えた事

[註1]
『研究』といふ15歳の詩の最後の一行は、「老博士」が「時間と数がずれるのを、耳にされるのである。」(決定版第37巻、564ページ)とあり、同時に此の博士は生きながらに「御自身の顱頂骨(ろちやうこつ)から蹠(あなうら)へ、一本の鉄の焙棒(あぶりぼう)をつきさして」ゐる死者として歌はれてをり、また同様の主題で『美神』という短編小説にも、やはり「R博士」が、自分しか知らぬ数字の秘密の差異が、時間の中で意味を持つてゐると密かに思つてゐたにもかかはらず、話の最後に其れが否定されることによつて悶死するといふ話である。

また『近代能楽集』の中の『道成寺』にも、衣裳戸棚の競(せ)りの値段が、時間の中で時間とともに終局(最後)に向かつて数字が列挙されてゆくといふ比較的長い科白のやりとりがある。

決定版第37巻の詩群には、これらの他にも、雪の降り積む丈の数字を挙げてあるとか、その他数字と時差といふ主題と動機は幾つも歌われてゐる。三島由紀夫は、数字を列挙してゆくときに、その数字と数字の(時間の中での)差異に美と叙情を覚えるのです。


以下に、決定版第37巻に十字、十字形、十字架、交差点など、総てこれらを両極端の切り結ぶ差異と云ふならば、明瞭に表立つてまた一見隠れてしかし露わに此の差異の形象の出てくる詩を、思ひつくままに列挙して、後日此の形象を、また此の形象との関係で別の三島由紀夫の主題と動機を、詳細に論じるための備忘と致します。

十字の交差点の形象の他にも、繰り返しそのものは、三島由紀夫の詩には、無数に無数に出て参ります。いや、十字の交差点は、上のやうに繰り返しの交点であると考へれば、ダリの十字架もまた静寂の時間の無い空間の中の繰り返しの形象であるのです。その他にある無数の、繰り返しによつて生まれる交差点の言葉が、さうであるやうに。

安部公房ならば、ザイン(存在、Sein)の十字路に立つてゐると、間違いなく言ふところです。

以下ページ数は、その形象の出てくる決定版第37巻のページ数です。細かく拾いますと、まだ他にもあることは間違いありません。

1。『ウンドウクヮイ』:17ページ:6歳
2。『高庇塚塋歌(かうひちようえいのうた)(長編叙事詩)』:135ページ:12歳
3。『桃葉珊瑚(あをき)《EPIC POEM》』:207ページ:13歳
4。『三 十字路の吐息』:286ページ:13歳
5。『独白 廃屋の中の少女』:296ページ:14歳
6。『誕生日の朝』:328ページ:14歳
7。『風と私』:330ページ:14歳
8。『美の五つの二行詩』:338ページ:14歳
9。『轢死 《モンタアジュ型式》』:472ページ:15歳
10。『風の日 〈童謡〉』:475ページ:15歳
11。『さびれた愛へ』:503ページ:15歳
12。『研究』:564ページ:15歳
13。『石切場』:566ページ:15歳
14。『美神 古典の形を借りて』:588ページ:15歳
15。『馬』:691ページ:16歳」


(4)黄色い色をしてゐることの形象と意味

黄色い色を歌つた次の15歳の『太陽の含羞(はぢらひ)』といふ詩があります(決定版第37巻、500ページ)。この詩を見ますと、十代の三島由紀夫が、この色に何を思つたかがよくわかります。


「太陽の含羞(はぢらひ)

太陽はお納戸と鉄の青だ
  ああ輪廓は静寂そして若さ激しさ


長くみつめると太陽は
  黄色フィルタァを我が目に据ゑる


雲のさなかに黄色い丸
  青空にきいろい丸
  日の含羞(はぢらひ)のしるしでせうか


太陽の色は


お納戸と鉄の青だ

(十五・四・十五)」


この詩からわかるとこは、黄色いフィルターとは、フィルターといふ言葉の意味する通り、直接にではなく、間接的に何かが通つてさうなる色だといふことです。

この詩の場合には、太陽の光を直視できないので、それが「黄色フィルタァを我が目に据ゑる」と言つてゐるのですし、そのことを、そのやうに人間(少年である三島由紀夫)に対しては、「日の含羞(はぢらひ)のしるし」だと歌つてゐるのです。

従い、次の『明石』といふ詩のIV章では、その間接性を、もつと直截に「黄色く汚れた」と言つてゐます(決定版第37巻、590ページ)。その章の最後の二行を。

「いつかタバコをもんでゐて
 ひらいてみれば手の脈は、ああ汚い黄いろ。」


かうしてみますと、

「あの教会の十字架は
 風に黄色くさわいでゝ……」

といふ二行の意味は、あの神聖である筈の教会の十字架ですら黄色く汚れてゐるのだ、何故ならば、それは教会そのものが媒介となつてゐて、天に、また神(God)に直接触れることを妨げてをり、直接に無媒介のものとして存在するものではなく、例えば、詩の言葉の隠喩(metaphor)のやうな無媒介のなにものかを生み出す色ではないのだ。それは、雪の白ではないし、夜の黒ではない。曖昧な色である、といふ此のやうな意味になるでせう。

その韻律のない、繰り返しのない、従い美を欠いた風に、「あの教会の十字架は」「黄色くさわいで」ゐる。

さうして、しかし、この詩の話者がどこにゐるのかといへば、それは、下記の(6)で述べますやうに、そのやうな、世俗にあつて神聖である教会の頂上にある十字架よりも、更に其の上にあるのです。

何故ならば、

「階段室の高窗(たかまど)の
 光りの下に牧師さん」

そのやうに、牧師さんがゐるからです。

美は、そのやうな世俗の黄色く騒ぐ風にある教会の十字架よりも上にあるのです。

次の(5)のことを考へてみますと、この階段室とは、やはり階段を昇つて遂にある一番上の室であるといふことがわかります。


(5)階段室の形象と意味
階段室が、高みを意味してゐることはいふまでもありません。

しかし、一体階段室とは、何でありませうか。三島由紀夫は、この階段室といふ言葉のあるもう一つの詩を書いてをります。それは、『つれづれの散漫歌 改作』と題した詩です(決定版第37巻、630ページ)。15歳。その第3連を示します。

「かくてよろめきつゝのぼる階段の
 小窗近くでみいでたのは
 葉裏にしがみついた小さな風であり。」

この詩を見ますと、階段室とは、やはり階段を登つて遂にある一番上の室であることになります。

この詩の第3連の形象は、『豊饒の海』の第4巻『天人五衰』の最後に、本多繁邦が「よろめきつゝ」登って行く姿と、さうして、月修寺といふ高みの場所にあるお寺への道と、そのお寺が何故そのやうに高みに在るのかといふことの、ほとんど十五歳の三島由紀夫による解説になつてをります。

さうして、そのお寺には、記憶の喪失と、静寂の庭が存在するのです。それは、永遠の現在の中に存在してゐる。さうして、かくある現在(ダーザイン)は、第1巻の『春の雪』の冒頭の一行に永劫回帰して、この全4巻の物語は永遠に循環し、従ひ、その物語の主人公たちもまた死ぬことなく、この世界に永劫回帰を繰り返すのです。

この、世界の永劫回帰を、三島由紀夫は、この『つれづれの散漫歌 改作』の最初の連で、次のやうに鏡のこととして歌つてをります。

「壁は切なく光つてゐた
 鏡の真似するつもりだが
 ひゞきれの手の汚れに似て。」

この鏡もまた、三島由紀夫にとつて本質的な言葉であり、形象であると思はれます。何故なら、鏡の有する特性は、やはり繰り返しであり、再帰性であるからです。このことは、全く安部公房と共有をしてをります。二人は、再帰的な人間なのです。言語藝術家として。


(6)その高みにある窗の下に牧師といふ聖職の人間がゐるということの形象と意味

最後の第3連をみますと、

「階段室の高窗の
 光の下に牧師さん」

とありますから、光は最初から、この高みの窗から下方に射してゐるといふことになります。

その窗の下に、窗からの光を受けて、本来人の命と生活を救ふことが使命である牧師といふ神聖な職業の人間が立つてゐる。

それほどに、この高みの窗のある部屋は、詩人にとつては命を安全にし保障してくれる、隠喩を生み出す積算の場所であるのです。(隠喩が、数学的な論理の問題としては、積算の積といふ結果であるといふことについては、この連載の第1回をお読み下さい。:http://shibunraku.blogspot.jp/2015/04/blog-post.html

このやうな神聖なるもの以上のものの在る更に上方に、詩人のこの高みは存在してゐる。

『つれづれの散漫歌 改作』と題した詩の第3連、

「かくてよろめきつゝのぼる階段の
 小窗近くでみいでたのは
 葉裏にしがみついた小さな風であり。」

といふ此の連を読みますと、何か塔のやうな階段を登つて高みの部屋へと行く其の塔の壁に幾つも明かり取りのために在る窓を窗といふ文字で、ここでは、階段室との関係では、表してゐることが判ります。

階段を登る此の塔頂への過程であるこの段差といふ物理的な差異にも、三島由紀夫は歩みの時差を感じてゐるのです。それ故に、塔の階段の其の時差に存在する窗が次第に上へと上昇して行き、最後には静謐の空間にたどり着くのでありませう。

この階段は、そのまま、長じて後、小説家として成功してから建てた三島由紀夫邸の正面にあるあの階段なのであり、これが、何故三島邸の玄関に至るために、あの階段を三島由紀夫は設けたのかとふ理由なのです。

この階段の一段一段を上りながら、三島由紀夫は、その歩一歩一歩の時差に美と抒情を感ずるがままに上り、家の中に入り、その階上にある窗を備えた高みの書斎、即ち静謐の時間のない時差から立ち昇つた空間へと歩み入つて、幾多の傑作を著すのです。

さて、最後に申し上げれば、詩人から小説家にならうとした20歳から24歳の時期に、この窗の文字はどうなつたのか。

18歳で『中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の断片』といふ小説を書いて、その静謐の高みから、殺人者になつて下界の水盤、地盤の上に、現実に降り立つことを決心してから、それを現実の生活となし、小説家として身を立てようとした20歳以降の三島由紀夫の作品からは、三島由紀夫にとつて極めて大切な此の文字は、消えることはなかつたものの、隠れてしまつたのではないでせうか。

このことを思考要素に入れて、それらを付け加はへ、『三島由紀夫の世界像2』を思ひ描けば、次のやうになるでせう。

この窗の文字の隠れたときに、三島由紀夫は小説家として世俗で成功を収めたのです。他と距離のある、差異に生きる殺人者として。さうして、永遠に無他である海賊頭の海への、海の縁(へり)を超えて「盗賊する」人生、「失はれた王国」に憧れながら。何故ならば、その王国は既に「恒に在つた」ものであるから。





このやうな三島由紀夫の人生を追憶し、追想しながら、もう一度、最初に窗の文字を使つた『風の日(童謡)』と題する、三島由紀夫15歳の詩を読み直し、この論考の時間の掉尾として「一つの形(フォルム)」、即ち言葉の美を味はうことに致しませう……。


爪でひつかきでもするやうに
硝子に枯木がさはります

あの教会の十字架は
風に黄色くさわいでゝ……

階段室の高窗の
光の下に牧師さん


次回は、再度「塔と窗」を、安部公房の塔と窓と比較をして、論じます。


(この稿続く)

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