リルケの『形象詩集』を読む(連載第4回)
『ハンス・トマスの60歳の誕生日に際しての二つの詩』
Zwei Gedichte zu Hans Thomas Sechzigstem Geburtstage
『Ritter』
『騎士』
【原文】
Ritter
Reitet der Ritter in schwarzem Stahl
hinaus in die rauschende Welt.
Und draußen ist Alles: der Tag und das Tal
und der Freund und der Feind und das Mahl im Saal
und der Mai und die Maid und der Wald und der Gral,
und Gott ist selber vieltausendmal
an alle Straßen gestellt.
Doch in dem Panzer des Ritters drinnen,
hinter den finstersten Ringen,
hockt der Tod und muß sinnen und sinnen:
Wann wird die Klinge springen
über die Eisenhecke,
die fremde befreiende Klinge,
die mich aus meinem Verstecke
holt, drin ich so viele
gebückte Tage verbringe,-
daß ich mich endlich strecke
und spiele
und singe.
【散文訳】
騎士
騎士は、黒い鋼鉄の中にいて、馬に乗って
出て行く、さやさやと音立てる世界の中へと。
そして、外には全てがある:昼も谷も
友も敵も大広間の食事も
皐月(さつき)も早乙女も森も聖杯も
そして、神は自ら幾千回も
全ての表通りに立てられている。
しかし、騎士の甲冑の中、その中の
最も暗い闇の格闘の背後には
死神が蹲(うずくま)り、そして、死神は瞑想し、瞑想しなければならない:
何時(いつ)剣(つるぎ)は
鉄柵を超えて飛ぶことになるのだろうか、と
その、見知らぬ、解放する剣は
わたしを、わたしの隠れ場所の中から外へと
連れ出す剣は
隠れ場所の中では、わたしはかくもたくさんの
屈(かが)んだ日々を送り、そうしてー
わたしは遂に、背伸びをし
且つ遊び
且つ歌うたうことになる、その剣は。
【解釈と鑑賞】
この詩は、1899年7月に, Berlin-Schmargendorf(ベルリン-シュマルゲンドルフ)で書いた詩です。1899年とは、リルケ24歳です。
わたしたち日本人が、日本の国の中世の時代の武士という言葉、侍という言葉とその周囲に関連して様々な感情や論理や道徳を日常生活のなかに持っているのと同様に、ドイツ人は、そうしてヨーロッパの人たちは、ヨーロッパ大陸の中世の時代の此の騎士という言葉とその言葉に関連して様々な感情や論理や道徳を持っているのです。
このハンス・トマスという男は、リルケにとって、騎士として、また騎士を歌うに足る知人であり、友人であったのでありましょう。
最初の連の、
黒い鋼鉄の中で
と訳した一行は、日本語ではそうなりますが、本来のドイツ語から一見文学風に訳すれば、
黒い鋼鉄を身にまとって
となりましょうし、その方が言葉の上ではきれいに聞こえます。
しかし、ここでも、普通のドイツ語の語法に拠りながら、しかし同時に既にして内部と外部のことを歌い始めたリルケがいることは、この連載の読者には周知のことでありましょう。
この出で立ち(身なり)で、この甲冑の中にあって、騎士は「さやさやと音立てる世界の中へ」と騎行し、外部から内部へと、入って行くのです。
さやさやという音が、リルケのみならずドイツ人にとって、どのように神聖な響きと意味を有するかは、前回にお伝えした通りですが、再度ここに引いて、記憶を新たに致します。
「さて、「さやけき音」と訳した此のドイツ語では、rauschen、ラオシェンと発音される言葉の説明を致します。何故ならば、この言葉と此の発声の音は、ドイツ人にとっては、大変神聖な尊い言葉であり音であるからなのです。
どの詩人の詩を読んでも、このrauschen、ラオシェンという言葉が出てくると、それだけで一つの世界が生まれるのです。この音は、ドイツの森の中で樹木の葉擦れの音であり、自然の中を流れる潺湲(せんかん)たる川の流れの音なのであり、何か神聖性を宿している事物の立てる音だと詩人が思えば、そこに其のような神聖なる事物として存在が現れるのです。勿論、詩のみならず、散文の世界でも同様です。ドイツ人は何かこう、自然の中で閑(かん)たる中にささやかに響く、何か神聖な感覚を、この言葉と其の響きに、持っているのです。
わたしたち日本人の世界の言葉で言えば、さやさや、さやけさ、皐月(さつき)の此の五月の月の「さ」、早乙女の「さ」に当たるような神聖なる音なのです。この「さ」の音を、そっとあなたの口から息とともに発声してみると、あなたは安部公房スタジオの一員になることができるでしょう。」(『リルケの『形象詩集』を読む(連載第3回)/ハンス・トマスの60歳の誕生日に際しての二つの詩』。もぐら通信第34号)
さやけき音を立てる世界へ入った後には、今度は、内部と外部が交換されて、天地がひっくり返って、
そして、外には全てがある:昼も谷も
ということになり、その外部には、即ち内部たるさやけき音立てる世界の中には、いやその外部には、もはや内部である外部、外部である内部には、
友も敵も大広間の食事も
皐月(さつき)も早乙女も森も聖杯も
あるのですし、実はドイツ語でこれらの、und(英語のand)で接続されて列挙されている名前を声に出してみると、韻律(リズム)があり、名前を列挙するだけで或る種の美感を醸(かも)し出していることがわかります。この韻律(リズム)は心地よい。
最後に聖杯が挙げられているのは、この詩の主人公が騎士であって、聖杯を求めて修業の旅に出ているからです。勿論、そこには死もある得るのです。リルケは、ドイツ人の、或いはヨーロッパ人の、中世の時代の神話の枠組みを借りて、この日常に会う友人トマスのための詩を、そのような友人の人生の道を思って、書いているのです。
一人の人生の60年、日本人ならば還暦といって、やはり人生が最初に戻ってきて赤子になり幼児になると私たちが古来考えて来たのに似て、リルケもまた其の発想と言葉の力を借りて、自分の大陸にある歴史的な時間の回帰を、騎士の姿を借りて此の友人の生誕に重ね合わせて祝い、歌っていることになります。
藝術家が素晴らしい作品を生み出すことは、一人の力ではできません。或いは一人の一生の時間では足りない。やはり、わたしは少なくとも三代の人生と、それぞれの代の人間の真摯な努力がなければ、ひとつの作品は生まれないと思います。唐の時代の唐三彩という陶器がありますが、わたしはこれが好きで、折に触れ写真を眺めることがあるのですが、このような馬や駱駝の美しさ、文字通りに陶然たる姿をみるにつけ、一人の人間の限界を思い、そのように思います。
あなたも、自分を中心に考えて前後三代、自分を起点だと考えて其の先の三代と思い定めて、考えることを、仕事を、勉学をなさっては如何でしょうか。
このように考えて参りますと、リルケが、歴史と伝統の力を借り、そうして全く無名無私の何者かとして言葉を発するという、このような営々孜孜(しし)たる精励は、やはり尊いものです。
先の戦争の後に生まれた、どんなに着飾っても私小説同然である「戦後詩」と呼ばれている私詩の世界の詩人たちの中には、このような理由で、即ち形象(イメージ)を私することが全くないという理由によって、リルケを非常に嫌うある種の詩人のいるのを、わたしは知っております。
安部公房の詩の評価規準は、リルケでありますから、そのような詩人の詩、即ち形象(イメージ)を私するような詩は徹底的に否定し、批判をしたのですから、[註1]そのような反応は当然と言えば、その通りです。安部公房は、反時代的な詩人でありました。
[註1]
『安部公房と共産主義』(もぐら通信第30号)より引用してお伝えします:
「そうして、安部公房の場合、とても大切なことは、安部公房という人間は、その形象(イメージ)を自分の所有するものとは決して一度も考えたことすらなかったということなのです。これは、詩人以上の詩人、或いは安部公房の筆法を借りれば、詩人以前の詩人の在り方であるというべきだと、わたしは思います。安部公房にとっては、形象(イメージ)の方こそ生命であったのです。そんな生き物を所有したり、制御したりすることなどできる筈はありません。安部公房は、そもそも形象(イメージ)を私的に所有するなどという、そんなことを考えることを一切しませんでしたし、そのような考えとは全く無縁でした。10代でリルケに、特に『マルテの手記』学んで既に至っていた「存在象徴」という言葉が、このことを意味しております。中埜肇宛書簡第10信(全集第1巻、269ページ)及び『終りし道の標べに』(全集第1巻、271ページ)をご覧ください。
このように考えてきますと、この安部公房が戦前リルケに10代で学んだ詩人のあり方は、大東亜戦争敗北後の戦後の言語空間の中で、日本語の詩人と詩作に焦点を合わせますと、三木卓が称揚しているような戦後の詩人の在り方に対する猛烈、痛烈な、徹底的な批判になっていることに気がつきます。それ故に、このことを知っていた安部公房は柾木恭介との対談『詩人には義務教育が必要である』の場で、「詩というジャンルはすでに破滅したジャンルだね。」と1958年の時点で断言しているのです。詩という藝術領域にある此の詩に対する安部公房の規準(基準ではない)は、徹頭徹尾リルケだからです。」
さて、リルケの詩の話です。
このように幾つもの物の名前を数え上げてから、次の詩句が続きます。
そして、神は自ら幾千回も
全ての通りに立てられている。
リルケの詩の中で、通り、それもドイツ語をもっと正確に訳せば、表通りや大通りという意味での通りとは、窓との関係では裏通りや小路とは全くことなった意味を持っていることは、これまでの詩の解釈で見てきた通りです。[註2]
[註2]
リルケの窓は如何なる窓であるかを、前回の連載から引用して再度お伝えします(もぐら通信第33号)。
「わたしの方法は、リルケの他の詩で窓を歌った詩を読み、その窓と此の窓を比較して、この窓を理解するという方法、言って見れば、そのような再帰的な方法です。言葉によって言葉を語らせるという再帰的な方法です。『形象詩集』の中には、窓の出てくる詩には、次のような詩があります。
1。『Die Braut』(『花嫁』)
2。『Martyrinnen』(『殉教者の女達』)
3。『Die Konfirmanden』(『堅信礼を受ける少年達』)
4。『Vorgefuehl』(『予感』)
5。『Die Heiligen Drei Könige Legende』(『聖なる3人の王の伝説』)
6。『Ein Gedichtkreis』のIIIとV(『詩の会』)
7。『Dem Andenken von Paula Becker-Modersohn』(『パウラ・ベッカー-モーダー
ゾーンの思い出に』)
8。『Die Aus dem Hause Colonna』(『コロンナ家から出る女』)
9。『 Der Lesende』(『読む者』)
10。『Der Schauende』(『観る者』)
11。『Die Blinde』(『盲目の女』)
これら11の詩に歌われているリルケの窓についても、これを論ずるだけで一冊の本ができることでしょう。今、ざっとこれらの詩の中の窓を打ち眺めて見ると、次のような特徴のある窓だということがわかります。それは何故そうなのかという問いは、今横においておくことにします。
1。表通りに面していること。(『Die Braut』(『花嫁』))
2。表通りには、並木道や家並みと言ったような、何か整然たるものが並んでいること
3。上記2の整然たるものは、古いものであること。(『Die Braut』(『花嫁』))
4。その古い整然たるものの中では、夕暮は目覚めることなく、やって来ることはなく、夕暮 れになることはない。(『Die Braut』(『花嫁』))
5。その窓辺には、女性であれば、処女(をとめ)が立っていること。(『Martyrinnen』(『殉教者の女達』))
6。その処女は、声を立てずに、沈黙の言葉を話すこと。(『Martyrinnen』(『殉教者の女達』))
7。男であれば、それは少年であること。(安部公房ならば未分化の実存といったで
しょう)(『Martyrinnen』(『殉教者の女達』))
8。処女も少年も、その窓辺では、謂わば眠っていて、夢を見ているような状態にあること。(『Martyrinnen』(『殉教者の女達』))
9。この時には、窓は音を立てないこと。即ち、窓は安心して、静かにしていること。(『Martyrinnen』(『殉教者の女達』))
10。或いはまた逆に、社会の中で宗教的な神聖なる儀式が執り行われて、例えば少年の様に在る物(Ding=Thing)の存在が祝福される折には、窓は通りに面していて も、自づから開いて、輝くこと。(『Die Konfirmanden』(『堅信礼を受ける少年達』))
11。風が到来すれば、物が動くこと。その際には、窓も動き、震えること。それ以前には、塵(ちり)すらも、重たいこと。(『Vorgefuehl』(『予感』))
12。驚くべきことには、『Die Heiligen Drei Könige Legende』(『聖なる3人の王の伝説』)という詩には、『さまざまな父』に登場する父と「週一度の手伝い」に来る「《ケーキ屋のおねえ》」が歌われていることです。前者は呪詛を吐き、夜に通りを歩く父親であり、後者はその父親が窓辺に来て呪詛の言葉を吐くことを恐れる週一回勤務でやって来る女性(助産婦)です。そのような父親の通りすがる窓ということになります。この窓もやはり、上記1の窓です。
13。窓の向こうにではなく、窓そのものの中、内(内部)に居れば、記憶を喪うこと。何もかも忘れることができること。『Ein Gedichtkreis』のIII(『詩の会』))
14。窓は、多分夕暮という時間の隙間(差異)を通じて、やはり夜と密接に結びついていること。(『Ein Gedichtkreis』のIII(『詩の会』))
15。窓が高い所にある窓であれば、時間も輝いて在ること。(『Dem Andenken von
Paula Becker-Modersohn』(『パウラ・ベッカーーモーダーゾーンの思い出に』))
16。上記の1から15のような窓が開く際には、変形して、扉(ドア)の開くように、家の敷居までもの高さ(低さ)にまで開くこと。それは、実際に事実として、草原や道(共に複数形)を備えた公園であること。窓は、そのような公園である。この公園は、「問題下降に拠る肯定の批判」で18歳の安部公房が提唱した「遊歩場」という抽象的な上位接続の道を思わせます。この道は、やはり、こうしてみると、そのような道は、上記13にあるリルケの窓の内部、窓そのものの内にあったのです。
17。少年は、恰も窓辺に居るようであること。その窓辺は、貧救院のすべての窓の開く前の、四月の朝のように、少年の居る窓辺であること。
18。窓辺では垂直に立っているよりは、水平に横になる場所であること。(『Der Schauende』(『観る者』))
19。窓辺で、外に雨の降る時には、風の音も聞こえないので、例えば本も重たいこと。上記11を参照のこと。(『Der Schauende』(『観る者』))
20。窓の外で風が激しく吹けば吹くほど、例えばそれが木々を揺らすほどの嵐であれば、窓は不安を覚える窓であること。しかし、そうなればこそ、遥か遠くの物の言葉を聞くことができること。それは喜びであり、その遠い物の言葉は、姉や妹やそれに相当する親しく看護して呉れる女性と共に一緒にいて、愛することのできる遥かに遠い物であり、その言葉がやって来るのであること。(『Der Schauende』(『観る者』))
21。上記20の風は、嵐という強い風であれば、それは変形する者であること。森や時間の中を通り抜け、吹き抜けると、それらとそれらの中にある物をすべて変形して、時間のないものにしてしまうということ。(『Der Schauende』(『観る者』))
22。「わたしの鳥達は、裏通りではたはたと羽を打って飛ぶことになり、見知らぬ窓(複数形)に止まって傷つくのだ」という、鳥にとっては其のような窓であること。(『Die Blinde』(『盲目の女』))鳥は、高さの中を飛翔するが故に、そうして無心であることによって、存在となっている動物の一つなのであり、群れをなして飛んでいるにも拘わらず、また群れがものに当たって別れることがあっても、自然にまた一つの飛翔に還ることのできる、無時間の空間を生きる生き物なのでした。風もまた、リルケの世界では、鳥と同じ能力を有する存在なのでした。(『ドィーノの悲歌』『オルフェウスへのソネット』)
と、このように『形象詩集』の中の窓を一覧すれば、リルケの歌った窓がどのような窓であるかは、明らかです。」
二つ目の『或る四月の中から(外へ)』という詩でみたように、リルケの窓は、どの窓も、家の前面にあって、表通りに面しているがために、その外部の時間から逃れたいと思い、逃れるのでした。
表通りといえば、窓と密接な関係がありますから、リルケの窓のことを思いますと、それは同様に存在の鳥のやってくる、また存在の風の吹き寄せる存在の窓でありますから、そして窓がそうである訳は、窓が内部と外部の接続であり、その接続の場所に時間はありませんので、やはりそこには或る種の死が想像されるのはないでしょうか。そうしてみれば、
そして、神は自ら幾千回も
全ての表通りに立てられている。
この「神は自ら幾千回も/全ての表通りに立てられている」という二行の意味は深長です。
この「全ての通りに」の「に」と訳した「に」は、ドイツ語ではanという前置詞で、英語ならばonという前置詞に相当します。
ということは、何かに直に接して、そうしてその接した対象の全部ではなく一部に接触しているという意味が、その空間的な意味です。(時間的には、コツコツと何かを継続的に行い働きかけるその部分的な行為の、完成へと向かうことを意味する場合が、英語の場合と同様に、往々にしてあります。)
さて、そのように前置詞の意味を思い出したとして、そのような感じで「立てられている」或いは「立てかけられている」ということ、それから神(ドイツ語のGott, 英語の god)が、そのようであるということは一体何を意味するのでしょうか。
独英辞典をネット上で引きますと、英語の世界で相当する次のような言葉が列挙されています。
put, set so, place, lay, provide, position, regulate, supply, switch, just, turn oneself in, align oneself with, confront, face up to, pit, stand, manipulate, point challenge
キリスト教の神は全知全能唯一絶対の存在でありますから、これをこのように、このような言葉の意味の中に「神」を「自ら幾千回も/全ての表通りに立て」るということは、何か神であっても、それは恰も物のようである。
そうして、これはリルケが『ドィーノの悲歌』を書いたあとに、ある人に伝えた手紙によれば、リルケの詩の中の天使というドイツ語の文字はキリスト教の天使ではなく、むしろイスラム教の天使に近いということを次のように述べています。
天使は、平俗に言えば、神の使い、使者ですから、使者が異なれば、その上位者たる神もまた異なるということになります。以下、堀辰雄訳でお届けします。
「もし人びとが、死とか、来世とか、永遠などのカトリック的認識の上に立って「悲歌」を理解しようとするごとき誤を犯すならば、完全にそれらの結論から遠ざかってしまふでせう、そして、根本的にそれらが理解できなくなるやうなことにもなるでありませう。「悲歌」の天使は基督教的天國の天使とはなんの關係もありません。(むしろイスラム教の天使の形姿に近いと云へるかも知れません。)......「悲歌」の天使は、見えるものから見えないものへの變化(それこそ我々の仕事です)が既に實現せられてゐるやうに見えるところの被造物なのです。」
(『「ドウイ悲歌」についての手紙』堀辰雄訳。この手紙は1925年11月13日付の消印にてポーランド語にリルケの作品を「飜譯したヴィトルト・フォン・フレヴィチのさまざまな質疑に答へて詩人が書き與へた返事のうちの「ドウイ悲歌」に關する部分」)
『ドゥイーノの悲歌』は、リルケ1922年、47歳のときに完成した、最晩年の最高傑作の作品二つのうちの一つです。この長編詩を、リルケは1912年、37歳のときから書き始めました。
しかし、今回のこの『騎士』の詩は、弱冠24歳のときの詩でありますから、そこまで詩想も思想も熟してはいなかったでありましょう。
従い、これを基督教の神と読むにせよ、回教、即ちイスラム教の神と読むにせよ、いづれにせよ、唯一絶対全知全能の神に違いないと読むとすると、神を物のように扱うという、これはまた実に大胆放埓なる、神をも恐れぬ所業である、という此の二行であると申せましょう。
そして、神は自ら幾千回も
全ての表通りに立てられている。
窓に関するリルケの概念を思い出せば、これはほとんど神を表通りという計画された公共空間の中に置いて、その外部にいて宇宙を創造する聖書の神ではなく、当人が(神が擬人化できるとしてですが)創造した其の宇宙の内部にいて、しかも「幾千回も」「自ら」の犠牲、即ち自己犠牲を歌った詩だということになるからです。
これは、「自ら」の犠牲、即ち自己犠牲を歌った詩だということになる以上、再帰的な神という存在を歌った詩だということになりますし、そう言うことができることに、気づきます。神は再帰的な存在である。そのような存在としての神を、ここでリルケは歌ったということになります。しかも肯定ではなく、否定で。
この意義(sense)において、リルケの詩は哲学的なのであり、同時にヨーロッパの古代のキリスト教の神学と其の宗教に基づいて生まれて文明文化の成熟した13世紀までの中世の時代の同じ神学とスコラ哲学の延長の上に更に、その後の17世紀のバロックの一連の哲学者達、その後に近代の時代に名を連ねる歴史的な名高い哲学者たちと同列に並んで在る、リルケという詩人はやはり大した詩人なのです。それ故に、私はその論は未見ですが、当然のことながら、ハイデッガーも論じたことでありましょう。ハイデッガーのリルケ論は、いづれ此の連載で取り上げることがあるのではないかと思います。
リルケの此の二行は神をも恐れぬ所業でありますから、リルケは命がけで此の二行を書いたということになります。命がけとは、つまり、自分の命と引き換えにして、これらの言葉を選んで書いたという意味です。詩人というのは其のような人種なのです。安部公房も然りというべきでありましょう。
さて、リルケは畏れ多くも唯一絶対全知全能の神の死を思ったと致しましょう、そうして、次の連は、従い、死が登場するのです。死というよりも、これは死神という、やはり中世の時代の死という言葉と同じように、現代人のような抽象的な掴み所の無い死ではなく、死神と言うべき具体的な形象を伴った死であると、わたしには思われる。その連の最初の三行を。
しかし、騎士の甲冑の中、その中の
最も暗い闇の格闘の背後には
死神が蹲(うずくま)り、そして、死神は瞑想し、瞑想しなければならない:
第1連では、「黒い鋼鉄」と呼ばれていたものが、第2連では「騎士の甲冑」と呼ばれて、その姿を現しております。
この甲冑の中で、そうしてその甲冑の中では格闘があって、その格闘は暗闇の格闘であり、昼間の格闘ではなく、その暗闇の格闘の其の後ろ、背後に、死神が蹲っているというのです。
この背後と訳した日本語もまた、わたしたち日本人とは意味の様相が異なっております。
普通、わたしたちは、背後とか後ろとかいうと、後ろを振り向いて、その向こうに見える景色を思うでありましょう。しかし、どうも色々なドイツ語のテキストを読んで参りますと、そうしてやはりフランス語の場合も何かの折に聞いた其の背後という言葉の使い方を知るとドイツ語と同様であると思われますが、この背後という言葉の意味には、後ろを振り返る自分自身の背中もまた含まれているのです。
確かに、人間は自分の背中を見ることはできない。これを見るには鏡を使わなければなりません。しかし、鏡に映る自分の背中はやはり背中そのままではなく、左右が引っくり返っている背中です。そのようにしか、わたしたちは自分の背中を見ることができません。勿論、正面から自分の姿を鏡でみたとしても、左右が引っくり返っているというのは、その通りではあります。
この背後という言葉にある意識は相当に普通に強いために、ヨーロッパ人は意識することなく、普段は忘れているのではないかと思います。
しかし、日本人として安部公房は、この自己の背中を含む背後という言葉を理解して、そうして常に意識することのできた人間ではないかと、わたしは思います。これが、一寸普通の日本の作家とは違った感覚を読者に与えている理由の一つであり、日本の読者に、安部公房の言葉が何か異質の感覚を覚えさせて、理解を難しくしている 理由の一つではないかと、私は思っております。安部公房が、今様に言う帰国子女であることを思い出して下さい。
処女作『終りし道の標べに』の始まりのところにある「背後」を引用します。そのようなことを思って、この冒頭をお読み下さい。傍線筆者。
「永い放浪……そう言った過去、最後の地……そう言った未来、それが此の村落の現存に保たれて《斯く在る》自我の象徴を創り上げているらしいのだが、私にはもう過去や未来が在ると言う事を理解出来ないのだ。星もみえない暗がりの中で、一切が影そのものであるのか、もしくは一切の影が消失したのかも分らぬ儘に、ふと背後にしのびよる大きな影に儚い愛情と希望を託する事があったとしても……。
それは畢竟儚い望みだ。既に認識の意味を理解出来なくなった私に、今更どんな故郷が残されているだろうか。」(全集第1巻、271ページ)
また、『〈様々な光を巡って〉』から:
「様々な光を巡って、その内部に、その背後に、その外部に、人間は永い歴史を生きて来た。絶えず脱皮し逃亡し、復た復帰しながら。それはVerlorene-Sohnによって示された、あのヨーロッパの嘆きであり、Damaに凝縮された東洋の秘蹟である。」(全集第1巻、202ページ)
さて、第3連に戻ります。
しかし、騎士の甲冑の中、その中の
最も暗い闇の格闘の背後には
死神が蹲(うずくま)り、そして、死神は瞑想し、瞑想しなければならない:
何時(いつ)剣(つるぎ)は
鉄柵を超えて飛ぶことになるのだろうか、と
奇妙な話ですが、甲冑の内部での格闘の背後、即ちその格闘のある甲冑の内部での背後で、死神は蹲り、瞑想し、瞑想しているというのです。
一体死神は、何についての瞑想を巡らすのでありましょうか。
それが、この連の最後の二行、
何時(いつ)剣(つるぎ)は
鉄柵を超えて飛ぶことになるのだろうか、と
と訳した、この二行なのです。
この二行は、ドイツ語の慣用句のもじりであって、その正歌たる慣用句は、直訳すると「誰かをして剣の上を向こうに跳躍させる」という言い方であり、その意は即ち、その人間を破滅させる、排除する、真っ逆さまに落とす、裏切る、犠牲にするという意味であり、その語源を辿れば、その人間を死刑に処する、殺すという、そのような慣用句であり、これをリルケは踏まえて詩にしているのです。[註3]
[註3]
「誰かをして剣の上を向こうに跳躍させる」という慣用句には、何か残酷なユーモアがある。昔は剣の上を越えて飛んだ者といえば、刎(は)ねられた当の首以外にはなかったのである。斬首刀を用いた中世の時代の処刑では、なるほど尚更のことに。[http://www.redensarten.net/Klinge+springen.html]
即ち、主体と客体をここでも交換されて、その関係をひっくり返して、日常的な言い廻しでは、死神が死ぬところを、剣の方が、何かを超えて飛んで、死に至ること、これを死神が繰り返し瞑想し、繰り返し沈思黙考するというのです。この復唱するような瞑想という動詞の繰り返しもまた、循環的であるということから、リルケらしい。
さて、さうだとして、鉄柵とは一体何を意味しているのでしょうか。そうして、それを超えるとは、どういうことなのでしょうか。
ドイツ語で鉄の柵といったときに、ドイツ人が思う現代の鉄柵は、このようなものです。
わかることは、これは剣のように危険なものではなく、安全に飛び越えることのできるものであるということでありましょう。
そのような安全に飛び越えられる鉄の柵を飛び越えて、死神が剣の死ぬことを考え考えるとは、一体何を言っているのでしょうか。
このことを、次の連との関係でみますと、次の連では、
その、見知らぬ、解放する剣は
わたしを、わたしの隠れ場所の中から外へと
連れ出す剣は
隠れ場所の中では、わたしはかくもたくさんの
屈(かが)んだ日々を送り、そうしてー
わたしは遂に、背伸びをし
且つ遊び
且つ歌うたう、その剣は。
と歌われておりますから、この連の前半で、この私である死神は、鉄柵のこちら側、鉄柵の内側にいて囲われ、言わば其のような「隠れ場所」にいるわけなのでしょう。勿論、この「隠れ場所」とは、騎士の甲冑のことです。
そうして、その柵を飛び越えて、「隠れ場所」の外へと出ることは、非常に危険なこと、死神の(変な言い方ですが)死に関わることなのでありましょう。しかし、死神が死ぬことはなく、反対に、剣が死ぬというのです。剣が死ぬとどうなるのか。
しかし、他方この連の最後の五行の後半は、
隠れ場所の中では、わたしはかくもたくさんの
屈(かが)んだ日々を送り、そうしてー
わたしは遂に、背伸びをし
且つ遊び
且つ歌うたう、その剣は。
とありますから、その危ない柵越えと引き換えにして、また「隠れ場所」たる甲冑から外部へと飛び出すことによって、それまでの日々、狭い甲冑の闇の中で格闘し、その「隠れ場所の中では」「屈(かが)んだ日々を送」っていた私たる死神は、「遂に、背伸びをし/且つ遊び/且つ歌うたう」という自由を謳歌することができるというのです。
しかし、このように考えて来て、一体其の騎士の甲冑の闇の中で蹲っていた死神が、自分の死滅の危険と引き換えに、外に出て自由を得るということと、その死神の棲む甲冑を被っている騎士が「馬に乗って」清浄神聖なる「さやさやと音立てる世界の中へと」「出て行く」ということと、そうやって出て行った其の外部には「昼も谷も/友も敵も大広間の食事も/皐月(さつき)も早乙女も森も聖杯も」があるということと、それから、そのような時間と場所と物事の中にあって「神は自ら幾千回も/全ての表通りに立てられてい」て、恰も物のような自己を犠牲にして何かを行うということは、一体どういう関係があるのでしょうか。
この問いに答えようとして、もう一度、この最後に詩の全体を眺めわたしますと、やはり最後の連の最後の三行、即ち、
わたしは遂に、背伸びをし
且つ遊び
且つ歌うたう、その剣は。
とあるように、死神たる私が、遊び、歌うたうというこのことに至るために、騎士は神聖なる世界に旅に出て、修業をして自己を養い、死のこともまた思い、「神は自ら幾千回も/全ての表通りに立てられてい」る其の神の自己犠牲によって(恐らくキリスト教であるならば)神の恩寵というべきものの恵みを享けて、死神が甲冑の中から其の外部に飛び出す。すると、騎士は、どうなるのでしょうか。
ハンス・トマスという騎士の甲冑から死神が飛び出せば、ハンス・トマスには死はやって来ることなく、その長寿を寿(ことほ)ぐことができるのではないでしょうか。
これは、日本人に引きつけた解釈に過ぎるでしょうか。しかし、洋の東西を問わず、長寿は寿がれるべきものではないでしょうか。
還暦のお祝いの、その人間の生を寿ぐべき詩に、死神を歌い、死の宿る騎士のことを歌うというのは、何かリルケという詩人らしく思われます。
ドイツの小説などを読みますと、ドイツの詩人は、(といっても、日本の詩人とはまた異なって、ドイツやヨーロッパでの詩人の社会的な地位は非常に高いものがありますので)、このような祝いの場と機会に詩を歌うとすれば、その町にあって、やはり文字通りの率直なる其の人間の人生と其の家族や一族の繁栄を祈るお祝いの歌を歌いますから、これは、全知全能唯一絶対の神の幾千回もの自己犠牲(敢えてーニーチェのようにはー神の死とはいうますまい)と、純粋に生と死の対比と、内部と外部の交換という考えから歌った、リルケ独特の歌だということが言えるとおもいます。
次回は、『Mädchenmelancholie』(『乙女の憂鬱』)です。
0 件のコメント:
コメントを投稿