2015年9月25日金曜日

三島由紀夫の十代の詩を読み解く23:詩論としての『絹と明察』(6):ヘルダーリンの『追想』


三島由紀夫の十代の詩を読み解く23:詩論としての『絹と明察』(6):ヘルダーリンの『追想』


【原文】

Andenken
                             
Der Nordost wehet,
Der liebste unter den Winden
Mir, weil er feurigen Geist
Und gute Fahrt verheißet den Schiffern.
Geh aber nun und grüße
Die schöne Garonne,
Und die Gärten von Bourdeaux
Dort, wo am scharfen Ufer
Hingehet der Steg und in den Strom
Tief fällt der Bach, darüber aber
Hinschauet ein edel Paar
Von Eichen und Silberpappeln;

Noch denket das mir wohl und wie
Die breiten Gipfel neiget
Der Ulmwald, über die Mühl',
Im Hofe aber wächset ein Feigenbaum.
An Feiertagen gehn
Die braunen Frauen daselbst
Auf seidnen Boden,
Zur Märzenzeit,
Wenn gleich ist Nacht und Tag,
Und über langsamen Stegen,
Von goldenen Träumen schwer,
Einwiegende Lüfte ziehen.

Es reiche aber,
Des dunkeln Lichtes voll,
Mir einer den duftenden Becher,
Damit ich ruhen möge; denn süß
Wär' unter Schatten der Schlummer.
Nicht ist es gut,
Seellos von sterblichen
Gedanken zu sein. Doch gut
Ist ein Gespräch und zu sagen
Des Herzens Meinung, zu hören viel
Von Tagen der Lieb',
Und Taten, welche geschehen.

Wo aber sind die Freunde? Bellarmin
Mit dem Gefährten? Mancher
Trägt Scheue, an die Quelle zu gehn;
Es beginnet nämlich der Reichtum
Im Meere. Sie,
Wie Maler, bringen zusammen
Das Schöne der Erd' und verschmähn
Den geflügelten Krieg nicht, und
Zu wohnen einsam, jahrelang, unter
Dem entlaubten Mast, wo nicht die Nacht durchglänzen
Die Feiertage der Stadt,
Und Saitenspiel und eingeborener Tanz nicht.

Nun aber sind zu Indiern
Die Männer gegangen,
Dort an der luftigen Spitz'
An Traubenbergen, wo herab
Die Dordogne kommt,
Und zusammen mit der prächtigen
Garonne meerbreit
Ausgehet der Strom. Es nehmet aber
Und gibt Gedächtnis die See,
Und die Lieb' auch heftet fleißig die Augen,
Was bleibet aber, stiften die Dichter.


【散文訳】

追想
                             
北東の風が吹く
数々の風の中でも最も愛する風が、
わたしに吹く、何故ならば、この風は、歓びの精神を
そして、良き船旅を、船たちに約束するからだ。
さて、かうして(過去を振り返つて)みれば、しかし、行け、そして挨拶せよ
美しいガロンヌ河が
そしてボルドーの果樹園の数々が
あそこ、其処では、鋭い岸辺に
小道が先へと行き、そして、河の流れの中へと
深く、川が落ちて、その先を、しかし
高貴な一組の、
柏とぎんどろの木々が、見遣つてゐる。

もつと、これを考へてもらいたい、そうして、どのやうに
幅広い梢を傾けてゐるのかを
楡(にれ)の森が、水車小屋を超えて、その向かふに、
町の庭には、しかし、無花果(いちぢく)の木が成長してゐるのかを考へてもらひたいのだ。
祝祭の日々に行くのは
陽に焼けた女たちであり、其処でこそ
絹の大地(地盤)の上で、
春の時季に、
仮令(たとへ)、夜でも昼でも、
そして、ゆくり行く小道を通つて、
黄金の数々の夢で重くなつて、
物事を揺すり寝かしつける、鎮痛の、鎮静の風といふ風が吹くのだ。

しかし、渡すがよい
暗い光に満ちて
誰かが其の香り立つ杯を私へと
さすれば、私は安らふことができようものを、といふのも、甘いだらうからだ
影たちの下の微睡(まどろ)みは。
良くはない、
魂も無いままに、死のことをあれこれと思ふのは。しかし勿論良いことは
会話であり、そして、真心(まごころ)の意見を云ひ、愛の日々のことを
たくさん聞くことであり、
さうして、起こり行く行為について、たくさん聞くことである。


しかし、どこに友垣はゐるのだ?あのお伴の者がいつも一緒であつた羨やましきベラルミンは?
大勢のものたちは
源泉へと向かひ、それに触れることを厭ふこころを持ち歩いてゐる。といふのも、
つまり、富といふものが始まるのは
海の中でだからだ。あなたは、
画家のやうに、集めるのだ
地上の美を、そして、辱めることはしないのだ
神聖なる(天使の)翼の生えた戦争を、さうして
孤独に住まひするのだ、何年も何年も、
落葉した帆柱の下に、其処では、夜を光で貫き輝かせることはない
町の祝祭の日々が、
そして、琴の弦の演奏も、血沸き肉踊る土地の踊りが、夜を光で貫き輝かせることはない。

さて、かうして(過去を振り返つて)みれば、しかし、インド人たちのところへと
男たちは行つてしまひ
あそこの、空に接した先端
葡萄の山々に接してゐる其処では、
ドルドーニュの土地が下(くだ)つて来て
さうして、壮麗なるガロンヌ河と
一緒になつて、海の幅のままに
大河は、外へと出て行く。海は、取りもするが、しかし、
そして、記憶を与へもし
そして、愛もまた、勤勉に両眼を捉へるのであるが、
変わらずに留まるものを、しかし、建立(こんりゆう)するのは、詩人たちなのである。



【解釈と鑑賞】

三島由紀夫が『絹と明察』で『追想』といふ訳語を採用してゐるので、追想といふ訳語を採用しました(第3章「駒沢善次郎の賞罰」)。

ドイツ語では、Andenken(アンデンケン)といひます。この言葉は中性名詞で、その意味は、手元においていつも御世話になる木村・相良の独和辞典によれば、追憶、回想、記憶、記念と類義語が並んでゐます。

現在に立つて単に過去を思ふといふ意味のみならず、記憶の憶、即ち憶えるといふこと、忘れないといふこと、記憶の記、即ち記するといふこと、即ち記(しる)すといふこと、記して残して記念とするといふこと、これらの日本語での種概念を総て統合して積算した類概念がAndenken(アンデンケン)なのです。日本語一語では、なかなか其の意の総てを尽くしません。これは、翻訳の宿命です。

ここに歌ふことは、記念碑を建てるが如くき追憶であり、追想なのだと、ヘルダーリンは言つてゐるのです。それは、記念碑のやうに、永く人々に記憶され、忘れられることがないほどに堅牢堅固なもの、即ち最後の連でいふやうに「変わらずに留まるものを、しかし、建立(こんりゆう)するのは、詩人たちなのである」からです。

さて、第1連のボルドーを流れるガロンヌ河の写真です。確かに美しい。[https://fr.wikipedia.org/wiki/Garonne



この河の流れは、スペインとフランスの境をなすピレネー山脈に源を発する河です。同じWikipediaより、その地図を以下に示します。地図の下方に青い筋のひかれてゐるのが、この河です。この流れを、ヘルダーリンは歌つてゐる。



また、柏の木と一組になつてゐるギンドロの木とは、次のやうな樹木です。



第2連には、「陽に焼けた」健康な、それもドイツ語でFrauen(フラオエン)と呼ばれる、従い乙女ではなく、既に婚姻をなした成熟した女たちが歌はれてをります。

この健康な生命の女たちは、「絹の大地(地盤)の上」を行くのであり、その女たちの生命の萌え初める「春の時季」にこそ、「ゆくり行く小道を通つて、/黄金の数々の夢で重くなつて、/物事を揺すり寝かしつける、鎮痛の、鎮静の風といふ風が吹く」のです。

その風が、第一連に歌はれる北東の風である。

第3連のベラルミンといふ王者、君侯は、優れた友のものを連れて、源泉へと、富のある海へと向かつた者でありませう。この者は、『ヒューペリオン』という詩的散文で、話者たる主人公の追想の中に登場する人物です。

しかし、普通の者はさうではない。源泉へ、海へと向かふことを嫌い、厭ふのが人の常。しかし、お前は、「地上の美を」「画家のやうに、集める」、「神聖なる(天使の)翼の生えた戦争を」「辱めることはしないのだ」。


このやうな者は孤独であり、「町の祝祭の日々が」「夜を光で貫き輝かせることはな」く、「琴の弦の演奏も」「血沸き肉踊る土地の踊りが、夜を光で貫き輝かせることはない」。
この孤独の者は、「落葉した帆柱の下に」ゐて、その船の上で「何年も何年も」「孤独に住まひするのだ」。

最後の第5連の第一行で、何故「男たちは」「インド人たちのところへと行つてしま」つたといふかといへば、これは「絹の大地(地盤)の上」で商売をする男たちはみな、インドへ行つて、麝香や香辛料やらの珍奇高貴の諸物を商ひのために、商業的な富を得るためにみな出帆してしまつてゐるといふことなのです。

しかし、真の富は、陸にではなく、源泉たる海にあるといふのです。

ここにも、三島由紀夫が何故『絹と明察』と題したのかの、その絹の意味が明らかでありませう。駒沢善次郎は、「絹の大地(地盤)の上」で商売をする男たちの一人です。

この第5連で、ヘルダーリンは、第1連で使つた、「さて、かうして(過去を振り返つて)みれば」といふ意識を表すドイツ語の副詞nun(ヌーン)を再度使つて、読者の意識もまた過去を追想するやうに誘つてをります。

一言で云へば、文法的にみても、この詩は、nunで始まり、nunで終わる、即ち追想で始まり、追想で終わる詩だといふことができます。それ故に、この詩の題名は、Andenken(アンデンケン)、追想といふのです。

かうしてみますと、最後の二行、即ち、

「そして、愛もまた、勤勉に両眼を捉へるのであるが、
変わらずに留まるものを、しかし、建立(こんりゆう)するのは、詩人たちなのである。」

とは、愛もまた、そのやうな詩人と同じやうに、移り変わり流れる河のやうな時間の中の現実をよく捉えて、よく両目でみるのであるが、しかし、愛だけでは、記念碑は立たないのだ、記念碑、即ち「変わらずに留まるものを、しかし、建立(こんりゆう)するのは、詩人たちなの」だ、といふ意味でありませう。

この詩の様式を眺めれば、他の詩と同様に、ヘルダーリンの様式の感覚が、恰も隠れた美であるかのやうに、隠れてをります。

この様式の美しさは、『帰郷』といふ詩で、

「最良のもの、神聖なる平安の穹窿(きゆうりゆう)の下にある掘り出し物、
これが、老いにも若きにも貯えられてある。」

と歌はれてゐる、この「神聖なる平安の穹窿(きゆうりゆう)の下にある掘り出し物」でありませう。この「掘り出し物」を、三島由紀夫は岡野にハイデッガーの言葉を引用して、次のやうに言はせてをります。

「岡野はハイデッガーがあの「帰郷」に註して、「宝、故郷のもつとも固有なもの、『ドイツ的なもの』は、貯へられてゐるのである。……詩人が、貯へられたものを宝(発見物)と呼ぶのは、それが通常の悟性にとつて近づき難いものであることを知つてゐるからだ」と書いたときに、見かけは清澄な言葉で語りながら、実はもつとも不気味なものに行き当たつたのではないかと疑つた。」

この近づき難さは、この『帰郷』の詩が、その第4連で言つてゐる難しさでありませう。即ち「絹の大地(地盤)の上」を離れ、出帆して、海にすべてを委ね、奪はれるものを総て奪はれ、与へられる記憶を与へられることを受け容れられるか、一個の人間として孤独に、といふ近づき難さでありませう。

この記憶こそ、「建立(こんりゆう)」された「追想」であり、Andenken(アンデンケン)なのです。

この「神聖なる平安の穹窿(きゆうりゆう)の下にある掘り出し物」は、

1。陸(おか)と海
2。陸と風
3。海と風
4。祝祭日の、健康な、生命の、成熟した女たちと同じ絹の大地で働く男たち
6。商業(経済)の男たちと詩人たち
7。祝祭の昼と帆柱の夜:昼と夜
8。商業の富と隠れたる富
9。経済の戦争と「神聖なる(天使の)翼の生えた戦争」
10。町の門の外に育つ楡の木と町の中の庭に育つ無花果の木
11。山と川
12。川と河(大河)
13。果樹園と川
14。「落葉した帆柱」:陸の(動かぬ)樹木と海の(動く)帆柱
15。奪ふことと与へること
16。記憶と忘却(記憶の喪失)
17。愛の変と詩人の不変

この言葉による対比的な様式は、三島由紀夫を魅了しました。何故ならば、この様式が美を生むからです。

これらの対比対照を列挙してみれば、三島由紀夫が6歳のときに書いた『ウンドウクヮイ』が、既に此の対比対照の様式美を備へてゐることに驚くでありませう(決定版第37巻、17ページ)。『三島由紀夫の十代の詩を読み解く10:イカロス感覚1:ダリの十字架(2):6歳の詩『ウンドウクヮイ』』より引用します。[http://shibunraku.blogspot.jp/2015/08/blog-post_26.html

「この交点、交差点の生まれたときに、三島由紀夫は「比類がない」といふのです。この同じ「比類がない」といふことを、既に、学習院初等科に入学した6歳の平岡公威は、「面白い」といふ言葉を使つて、このダリの絵と同じ「比類がない」「対比の見事さと、構図の緊張感」の交差点を、初めて経験した小学校の運動会のこととして、次のやうに歌つてをります。


「ウンドウクヮイ

(一)
 一バンアトカラ二バンメノ十ジツナヒキ
 オモシロイカツトフウセンフハリフハリフハリ

(二)
 一バンアトカラ二バンメノ十ジツナヒキ
 オモシロイムカデノヤウニゴロゴロゴロ」


この詩を片仮名からひらがなに直して、もう少し文字として視覚的に分かりやすく変形させてみてから、考察に入ります。


「運動会

(一)
 一番後から二番目の十字綱引き
 面白い勝つと風船ふはりふはりふはり

(二)
 一番後から二番目の十字綱引き
 面白い百足のやうにゴロゴロゴロ」


この十字綱引きは、今でも運動会で行はれてゐます。その写真を掲げます。





ここで、上のダリの十字架と同じ評言にある、詩の構成要素をあげてみると、次のやうになるでせう。

(1)繰り返しによる様式の対比による対称性と対照性の効果を既に知っており、そのことに美と抒情と快感を覚えていること。この場合、
(2)様式との対比による対称性と対照性とは、風船と百足の対比によつて、次の対称性と対照性を表現してをります。

   1天と地(地面)
   2上昇と下降
   3軽さと重さ
   4勝ちと負け
   5始めと終わり((一)と(二)といふ配列によって意識される)

(3)交差点のある十字形に興味と関心を持っていること。
(4)現実の出来事に対して、面白いと(いふ言葉を使って)思ひ、表現していること。ダリの十字架に対する「比類がない」ことに相当する賛嘆の言葉であること。
(5)独特の数の数え方、即ち、最後から数えて、その最後の数を勘定に入れて、下る(降順の)数を数えること。即ち、数を勘定するときに、一番最後から引き算をして勘定するといふこと。[註1]更に、このことから即ち、
(6)最初に最後を考えた事」

最後の(6)は、ヘルダーリンが此の詩で最初と最後に配した副詞、nunに相当するでありませう。

かうしてみますと、三島由紀夫は本当にヘルダーリンが、我が事のやうに、我が事として、好きだつたのです。

この一連の考察の最後に、三島由紀夫に『絹と明察』を書かせ、『豊饒の海』全四巻を書かしめる力を授けたドイツの詩人、ヘルダーリンの写真を掲げます。1779年の、まだ狂気に陥る前の詩人です。





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