イカロス感覚5:蛇
『三島由紀夫の家』といふ写真集を見て、その書斎の机の上に、魚と蜥蜴の置物があるのをみて、蛇によく似てゐると思ひました。
蛇と魚、蛇と蜥蜴は別のものですが、しかし、特に後者の姿は蛇の姿、蛇と同様にとぐろの環を巻いてゐるやうに見えます。前者も、とぐろを巻いてゐるのです。
このとぐろを巻くという形象は、三島由紀夫の好む形象であつたのでありませう。しかも、ただ巻くのではなく、最初が最後を食み、最後が最初を食んでいなければならない。即ち、蛇は尻尾を食んでゐなければなりません。そのやうな円環をなしてゐることの形象が蛇の姿なのです。
時差に存在する美を求めて生きる三島由紀夫ですから、この円環の蛇には、永遠の時間を見たに違ひありません。
とこのやうに思つてゐたところ、ある友人より次の質問を受けました。この問ひに答へようとしながら、三島由紀夫の蛇について、お話しします。友人曰く、
「1970年9月3日スコットストークスが三島を食事に招いた(自決の二ヶ月半前)とき「食事の後、三島は再び暗い話を始めた。日本にはいろんな呪いがあり、歴史上に大きい役割を果たしてきたと言う。近衛家は、九代にわたって嗣子が夭折した云云。
今夜は様子が違う。延々とのろいの話。日本全体が呪いにかかっていると言い出す。日本人は金に目がくらんだ。精神的伝統は滅び、物質主義がはびこり、醜い日本になった・・・と言いかけて、奇妙な比喩を持ち出した。
『日本は緑色の蛇の呪いにかかっている』
これを言う前に、一瞬だが、躊躇したような気がした。さらにこう説明した。
『日本の胸には、緑色の蛇が喰いついている。この呪いから逃れる道はない』
ブランディを飲んでいたが、酔って言ったのではないことは確実だ。どう解釈すればいいのか。」
(ヘンリー・スコット・ストークス『三島由紀夫生と死』(清流出版、徳岡孝夫訳)と書いています。
この緑色の蛇はグリーンバグ、つまり米ドル紙幣と解釈されていますが如何?」
これはやはり、わたくしも米ドル紙幣であると思ひます。しかし、わたしの関心は、「これを言う前に、一瞬だが、躊躇した」のは、何故かといふことにあります。何故三島由紀夫は、米ドル紙幣を蛇に譬(たと)へ、この譬喩(ひゆ)を使うことに躊躇する一瞬の間を置いたのか。
「これを言う前に、一瞬だが、躊躇した」のは、この形象が、三島由紀夫の文学にとつて、十代の詩人のときからの本質的な形象のひとつであるからでありませう。
それゆえに、躊躇した。何故ならば、これを自分の大切な詩的形象と一緒に併せてドル紙幣のことをいへば、「日本全体が呪い」にかかつてゐることを、実に本当に、言葉の上で、といふことは実際にも、認めることになるからです。更に、何故ならば、蛇とは双極(頭と尾)を互いに含みこむ再帰的な形象であるからです。この再帰的な蛇が、詩人三島由紀夫にとつて一体何を意味するかは、後述します。
この一瞬の間を置いたことは、言葉の、自分の詩の世界から政治のことを語ることは、実に危険であるといふことでもあることを、三島由紀夫はよく知つてゐたことを示してゐます。つまり、譬喩、更に特定すれば隠喩(metaphor)を使って、政治のことを語るその危険性を三島由紀夫は知悉してゐたといふことなのです。それゆえに「これを言う前に、一瞬だが、躊躇した」のだと、わたしは思ひます。
この譬喩と言語藝術家の問題は、以前「トーマス・マンの闇」と題して、このブログ『詩文楽』に投稿したことがありますので、お読み下さると有難い。
言葉が、悪辣な政治に勝つことができるか?三島由紀夫は勿論、自分の言葉の無力を十二分に知ってゐた筈です。
蛇といふ再帰的な繰り返しの形象は、『暁の寺』の最後にジン・ジャンの腿を噛みますが、しかし、この登場人物は再帰しませんでした。永劫回帰をしなかつた。
それは何故でせうか?
決定版第37巻の中の詩に『枯樹群』といふ14歳のときの詩があります。
この詩は、『凶ごと』といふ詩(決定版第37巻、400ページ)にあるやうに、やはり窓(窗ではなく)べにゐて、「偶然」がやつて来るといふ詩です。この詩は『凶ごと』の解説になる詩です。この詩を読みますと、凶ごととは、実は偶然のことであり、この『枯樹群』といふ詩によつて、凶ごとと来れば、それは、偶然と必然を歌つた詩であることがわかるのです。
これと同類の詩で、凶ごとといふ言葉の出てくる詩に、
『鎔鉱炉』(決定版第37巻、396ページ)
『古代の盗掘』(同巻、720ページ)
といふ二つがあります。
さて、『枯樹群』には、蛇と蜥蜴が同類のものとして歌はれてをります。この少年にとつては、蛇と蜥蜴に共通点があるのです。
それは、この詩の題名の示す通りに、この再帰的な力を有する動物に触れると、その対象が崩れてゆくのです。その詩の第7連を引用します(第37巻、370ページ)。
「蜥蜴や蛇を柱々にピンでとめたので、[註1]
そのところから家はくづれ、
洞穴めいた口をのこして
その啞(おし)の口の上を風はとほ
りすぎ風にはたかれてわたしは黒
い染粉にそまつた、
黒ん坊よ、
原始的なやさしい目よ、[註2]」
[註1]
この一行には、三島由紀夫の文字感覚が現れてをります。
晩年の娯楽小説『命売ります』は、『凶ごと』といふ詩や上で挙げた詩と同じやうに、窓辺の光景から小説が始まります。そして、その冒頭を少し行きますと、次の文章があります。それは、名前と文字と言葉の意味(概念)の再帰性の関係を表した文章です。傍線筆者。
「 そうだ。考えてみれば、あれが自殺の原因だった。
実に無精な格好で夕刊を読んでいたので、内側のページがズルズルとテーブルの下へ落ちてしまった。
あれを、何だか、怠惰な蛇が、自分の脱皮した皮がズリ落ちるのを眺めているように眺めていた気がする。そのうちに彼はそれを拾い上げる気になった。打捨てておいてもよかったのだが、社会的慣習として、拾い上げるほうがよかったから、そうしたのか、いや、もっと重大な、地上の秩序を回復するという大決意でそうしたのか、よくはわからない。
そにかく彼は、不安定な小さなテーブルの下へかがんで、手をのばした。
そのとき、とんでもないものを見てしまったのだ。
落ちた新聞の上で、ゴキブリがじっとしている。そして彼が手をのばすと同時に、そのつやつやしたマホガニー色の虫が、すごい勢いで逃げ出して、新聞の、活字の間に紛れ込んでしまったのだ。
彼はそれでもようよう新聞を拾い上げ、さっきから読んでいたページをテーブルに置いて、拾ったページへ目をとおした。すると読もうとする活字がみんなゴキブリになってしまう。読もうとすると、その活字が、いやにテラテラした赤黒い背中を見せて逃げてしまう。
『ああ、世の中はこんな仕組になってるんだな』
それが突然わかった。わかったら、むしょうに死にたくなってしまったのである。
(略)ただ、新聞の活字だってみんなゴキブリになってしまったのに生きていても仕方がない、と思ったら最後、その「死ぬ」という考えがスッポリはまってしまった。丁度、雪の日に赤いポストが雪の帽子をかぶっている、あんな具合に、死がすっかりその瞬間から、彼に似合ってしまったのだ。」
三島由紀夫には、文字が生き物であるといふ感覚があるのです。それは、単に書かれた印字なのではない。言葉と其の意味を体現する文字は、生きているのです。これが、イカロス感覚の一つです。
それを示すのが、14歳のときの詩『文化地獄』です(決定版第37巻、441ページ)。こうしてみますと、『命売ります』といふ最晩年の作品は、三島由紀夫による先の戦争の後の軽佻浮薄な戦後文化(もし戦後に文化があれば、ですが)への痛烈なる批判をした、日本の戦後の「文化」の「文化地獄」を書いた小説といふことになります。傍線筆者。
「文化地獄
それは潰えた怒号を立てゝ
疾走する列車であつた。
よろめく摩天楼の群像だつた。
冬風の色した塀の
限りないインクで刷つたごとくの
黒髪の人々さへ、「野性」と「知性」と発音する。
接吻さへも印刷だ。
幾何学図案そのものゝあの女、
胸のひゞきを知らすには
タイプライタァを御使用だ。
文明を盲信するものは
一つの迷信に盲従してゐるのです。
月はわたしたちを
動く活字とばかりおもつてゐました。」
「文明を盲信するものは/一つの迷信に盲従してゐるのです。」という二行にも、14歳の少年の痛烈なる批判がありますが、今これを論ずるのは後日として、この註の本題を続けます。
「豊饒の海」のある月からみれば、わたしたちは「動く活字」なのです。
野性は「野性」であり、知性は「知性」であり、蜥蜴や蛇は、「蜥蜴」や「蛇」であり、それ故に、蜥蜴や蛇は、「蜥蜴」や「蛇」として「柱々にピンでとめ」ることができるのです。
しかし、この「文化地獄」の文明に侵された世では、三島由紀夫の大切な「限りない繰り返し限りない連続」である「塀」もまた、「冬風の色」をしてゐる以外にはないのです。何故冬風なのかといへば、それは『木枯らし』や『凩』の詩と同様に、野蛮な西洋文明は、日本文化の、三島由紀夫の親しむ繰り返しを疎んじ破壊までする程の強風であり、凩であり木枯らしであり、従い其処には韻律を備へた繰り返しはなく、従い美は無く、「それは潰えた怒号を立てゝ/疾走する列車であつた」からです。
この、再帰的である繰り返しを否定する冬といふ季節の形象は、やはり此の『枯樹群』では、枯樹として歌はれてをり、この詩の第3連を読むとよく解りますが、三島由紀夫は、枯樹と枯樹の間にやはり時間の差異、即ち時差を見てゐるのです。何故そこに時差があるかといへば、枯樹とは冬の木の状態であり、樹木そのものが末枯れへ至る、或ひは至つた時間を持つてゐるからですし、この詩で歌はれる「わたし」は、その時差に、他の詩の場合と同様に(また、小説や戯曲の場合と同様に)、仮令それが空間的な形象であらうとも、時間的なものとして其の変化変差に、想像力の線を貼り渡して、「夜のアンテナをのば」して、音の聴取に耳傾けるのです。この詩の第3連を。傍線筆者。:
「わたしのゑがくイマジナシヨンは
線から線へ飛躍し
枯樹と枯樹のあひだに
ぴんと銀線をはりわたし、
夜のアンテナをのばしつゝ
家々の灯(ともし)をきいた、」
さて、この『文化地獄』と同じ動機(モチーフ)を其の詩の一部として歌つた詩に、次のやうな詩があります。
『ひとりぜりふ』(決定版第37巻、481ページ)
『文字のまどゐ』(決定版第37巻、498ページ)
『甃(いしだたみ)のむかうの家』(決定版第37巻、607ページ)
これらの詩を読みますと、三島由紀夫が、名前と文字と言葉の意味(概念)の再帰性の関係を一体どのやうに感覚してゐたか、またどのやうな論理で、現実との関係で考へてゐたかが解ります。文字の感覚については、『イカロス感覚:文字』と題して、稿を改めます。
さて、上の『命売ります』の引用は、他にも三島由紀夫らしさを含んでをります。
例えば、引用の最後の赤いポストの赤の意味、白い雪の白の意味を思つてみれば、前者は、7歳のときの詩『秋(「秋が来た……」)』に見た庭の熟柿の「あかい顔」の「あか」い色であり、三島由紀夫の好きだつたワットオの絵に見た林檎の紅の「あか」であり、ダリの『最後の晩餐』についても書いてゐる同じ赤葡萄酒の「紅の色」の煌めきの素晴らしさと、それの齎す官能と酔ひの実在の此の「快楽(ヴォリプテ)」の紅であり、44歳のときに『太陽と鉄』に書き、存在することと見ることとは相反すると考えて、前者を棄損してでも選んだ後者の林檎の「あか」でありませう。
また、雪の白は、『三島由紀夫の十代の詩を読み解く』の第1回で詳述した『凩』の詩に歌はれる清浄無垢の色、どんな汚れも穢れも清めてくれる白い雪の色でありませう。
[註2]
この「原始的なやさしい目」は、そのまま最晩年の『文化防衛論』の天皇論と、見る見られる見返すといふ再帰性(日本の国の文化の特徴3つの分類のうちの最初のもの)に繋がってゐることがわかります。
三島由紀夫にとつて、黒い色とは、原始の色なのです。
三島由紀夫にとつて、黒い色とは、原始の色なのです。
また、この原始的なといふ形容詞も、文化概念としての天皇論に出てくる形容詞で、そこでは此の同じ概念は、「原初の天皇」の「原初」といはれ、先の戦後の時代の中で見られるものだけに留まって想像力の枯渇した、即ちこの論文の冒頭にあるやうに「華美な風俗だけが跋扈してゐ」て「近松も西鶴も芭蕉もいない昭和元禄」の時代に、わたしたち日本人を「見る」者として「見返す」すことをなさり、わたしたち国民に「「見返」されるといふ栄光を与え」る存在、また「みやび」によつて「万葉以来の文化共同体」を「統括」する」「その主宰者たる現天皇は、あたかも伊勢神宮の式年造営のやうに、今上であらせられると共に原初の天皇なので」あるとあるやうに、天皇の原初性のこととして論じてをります。「原初」であることは、近代国家の制度の外にゐましまし、憲法にも拘束されることなく、法律の外に当然のことながらゐましまし、まつりごとを執り行ふ、祭政一致に存在する天皇陛下のあり方です。
このやうに、しかし、三島由紀夫の『文化防衛論』の根底には、やはり繰り返しといふ人間の根源的な、神話の時代の古代からの神聖なる行為に基礎を置いた、言葉と自己との生理を決して離れることのない論理があるのです。十代からの。
この蜥蜴と蛇の第7連のあとに、生まれ変わることが歌はれてゐる連が続きますので、蛇といふ形象はやはり、三島由紀夫にとつてはこのときから大切な再帰性の形象、永劫回帰の、転生輪廻の形象なのです。
「おまへの肌をもち
おまへの目をもつて
「知恵」の似合はぬ肌をもつて
わたしが生まれ更(かは)つたなら、
神さまはわたしを
「神」とおよびなさるだらう。」
ここにも名詞に「 」が付されてをりますから、名前と文字と言葉の意味(概念)の再帰性の関係が意識されてゐるといふことになりますし、また普通にまづ思ふやうに、この一重鉤括弧の意味は引用なのであつて、所謂(いはゆる)といふ意味だととつてもよいでせう。
ここで「おまへ」と呼びかけられてゐるのは、蜥蜴や蛇です。
さてしかし、この再帰性を帯びてゐる蜥蜴や蛇が、「蜥蜴や蛇を柱々にピンでとめたので、/そのところから家はくづれ」る。
蛇に話を絞りますと、再帰性といふ再生蘇生の力を備えた蛇といふ形象は、そのまま「ピンでとめ」られた対象を「くづれ」させてしまふ力も持つてゐる。
三島由紀夫44歳の『太陽と鉄』といふエッセイの冒頭に、全く同じことが、言葉と自分の関係のこととして、次のやうに語られてゐます。
「つらつら自分の幼時を思ひめぐらすと、私にとつては、言葉の記憶は肉体の記憶よりもはるかに遠くまで遡る。世の常の人にとつては、肉体が先に訪れ、それから言葉が訪れるのであらうに、私にとつては、まづ言葉が訪れて、づつとあとから、甚だ気の進まぬ様子で、そのときすでに観念的な姿をしてゐたところの肉体が訪れたが、その肉体は云ふまでもなく、すでに言葉に蝕まれてゐた。
まづ白木の柱があり、それから白蟻が来てこれを蝕む。しかるに私の場合は、まづ白蟻がをり、やがて半ば蝕まれた白木の柱が徐々に姿を現はしたのであつた。
私が自分の職業とする言葉を、白蟻などといふ名で呼ぶのを咎めないでもらひたい。言葉による藝術の本質は、エッチングにをける硝酸と同様に、腐食作用に基づいているのであつて、われわれは言葉が現実を蝕むその腐食作用を利用して作品を作るのであある。しかしこの比喩はなは正確ではなく、エッチングにおける銅と硝酸が、いづれも自然から抽出された同等の要素であるのに比して、言葉は、硝酸が銅に対応するやうに、現実に対応してゐるとは云へない。言葉は現実を抽象化してわれわれの悟性へつなぐ媒体であるから、[註3]それによる現実の腐食作用は、必然的に、言葉自体をも腐食してゆく危険を内包してゐる。むしろそれは、過剰な胃液が、胃自体を消化し腐食してゆく作用に譬へたはうが、適切かと思はれる。」
[註3]
「言葉は現実を抽象化してわれわれの悟性へつなぐ媒体である」といふことを、三島由紀夫は、33歳の時、剣道を始めた年のエッセイ『裸体と衣裳』の「十一月二十五日(火)」で、次のやうに述べてをります。
「いづれにしても詩は精神が裸で歩くことのできる唯一の領域で、その裸形は、人が精神の名で想像するものとあまりにも似ていないから、われわれはともするとそれを官能と見誤る。抽象概念は精神の衣裳に過ぎないが、同時に精神の公明正大な伝達手段でもあるから、それに馴らされたわれわれは、衣裳と本体とを同一視するのである。」
三島由紀夫の此の言葉と詩の関係についての理解を読みますと、実は、三島由紀夫の散文の世界が、詩の精神に拠つて書かれてゐるといふことが判ります。詩作といふ抽象概念化の裸体に、誰にでも悟性で理解ができる散文的な言葉の衣裳を纏(まと)はせたと、さう言つてゐるのです。これが、三島由紀夫の小説であり、戯曲であるといふことになりませう。
三島由紀夫のすべての散文を、言葉の本質、即ち再帰性を備えた繰り返しといふ観点から、十代の詩群と比較をして論ずることは、やはり意義も意味もあることなのです。
上の同じ日の引用の直前には、次の言葉があつて、それ故の上の引用の「いづれにしても詩は」とつながるのですが、何故三島由紀夫が小説家にならうとしたことが、生きることであつたかといふ消息の明かされてゐる文章となつてゐます。これの実現が、18歳のときに書いた『中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜粋』であり、ここに極端に造形された、そしていつも対比されて描かれる海賊頭(行動家)の友人である、殺人者(藝術家)といふ主人公です。
「 かういふ連作は、ソネットのやうなつもりで読めばいいのであらう。私は海に関する昔ながらの夢想を、これらの歌によつて、再びさまされたが、十代の少年の詩想は、いつも海や死に結びつき、彼が生きようと決意するには、人並以上に残酷にならなければならないといふ消息が、春日井氏のその他の歌からも、私には手にとるやうにわかつた。」
春日井氏の歌のいくつかを選んでお目にかけると、次のやうのものです。
「テニヤンの孤島の兵の死をにくむ怒濤をかぶる岩肌に寝て
渦潮が罠のごとくに巻く海の不慮の死としてかたづけられき
潮ぐもる夕べのしろき飛込台のぼりつめ男の死を愛(いと)しめり」
この引用の最初の一行「私にとつては、言葉の記憶は肉体の記憶よりもはるかに遠くまで遡る」といふ言葉が、『仮面の告白』の最初の一行「永いあひだ、私は自分が生まれたときの光景を見たことがあると言ひ張つてゐた。」といふ一行と同じことを述べてゐることがお判りでせう。
「私は自分が生まれたときの光景を見たことがある」といふことは、言葉の問題を言つてゐるのです。何故ならば、言葉は記憶だからです。記憶とは繰り返し(再帰性)だからです。『文化防衛論』の冒頭で、三島由紀夫が「断絃の時」を恢復する手立てとしての、国民文化の再帰性といふ特徴を挙げたことは、全くこの普遍的な言語の本質論(関係論)に適つた主張なのです。(言語とは何かといふことについては、稿を改めます。)
上の引用のあとに、かう続いてゐます。
「このやうなことが、一人の人間の幼時にすでに起こつてゐたと云つても、信じられない人が多からう。
しかし私にとつては、たしかに我が身の上に起こつた劇であり、これが私の二つの相反する傾向を準備してゐた。一つは、言葉の腐食作用を忠実に押し進めて、それを自分の仕事としようとする決心であり、一つは、なんとか言葉の全く関与しない領域で現実に出会はうといふ欲求であつた。」
後者がボディビルであり剣道であることは、読者周知のことでありませう。
もう少し、蛇を主題とした詩を見てみませう。
『蛇の知性』と題する詩があります(決定版第37巻、350ページ)
この詩に、既に言葉の再帰性の白蟻の腐食性のことが歌はれてゐます。三島由紀夫、14歳の詩です。
「蛇が身をくねらす、
緑と銀の粉をふりまきつゝ。
その舌はいくたびか、
知性の焔のやうにひらめき、
あかるい白昼夢をも、
蛇はその知性の刺(とげ)で、
冷ややかに射さすのだ。
その目は横長に切れてゐる。
聡明な女たちが、
いつもさうであるやうに。
翼の生えた蛇は、
星の燃え隕(お)ちる地平から、
流星のごとく飛んでくる。
あるは又、青海原の、
冷たき理性の水から、
濡れ光りつゝ現はれる。
蛇はその知性によつて、
人間どもをいすくめる。
そしてその胸にしのびいり、
心臓をむさぼり喰ひはじめる。
おそろしいほど沈着だ。
常にあくなき凝視に耽り、
永遠の知性を、
そのまなこから、その銀鱗から、
光りと影とのやうに放散する。
その知性は、すべての人をむしばんでゆく。
光りと影に分かたれた人々をば、
蛇は熱帯の岩の上から、
冷たい嘲笑でみつめてゐる。」
この蛇は、
「翼の生えた蛇は、
星の燃え隕(お)ちる地平から、
流星のごとく飛んでくる。
あるは又、青海原の、
冷たき理性の水から、
濡れ光りつゝ現はれる。」
とあり、これらの行を読みながら、次の『三島由紀夫の世界像2』を眺めてみれば、この蛇は、地盤、水盤の時差の地上から、飛翔して、天に掛かる交差、安部公房ならば存在の十字路と呼んだ其の時間の無い空間へと往き復する能力を持つてゐることがわかります。
蛇は、これほどの知性と天地間の往復能力を有しながら、
「その知性は、すべての人をむしばんでゆく。
光りと影に分かたれた人々をば、
蛇は熱帯の岩の上から、
冷たい嘲笑でみつめてゐる。」
この最後の連を読めば、蛇の知性は、光りと影に分かたれてゐないといふことが判ります。
また、他にも蛇の登場する詩に『理髪師』といふ16歳のときの詩があります(決定版第37巻、685ページ)。
これは題名通りに理髪師を歌つた詩ですが、しかし、それは、理髪師といふ名前の蛇なのです。逆にいひますと、蛇を理髪師に見立てて歌つた詩です。[註4]
[註4]
理髪師
あまりにすべすべな皮膚のうちに白昼(まひる)の風の流れを見、呼
吸は漁(すなど)られた魚のやうにあさましく波打ち、遠く銀白の地
平を摩擦して行く空気の翼に似た音……
壺のなかにひろがる闇のひろさよ、零(こぼ)れ出てくる闇のおび
たゞしさよ。線は線に触れ、髪は夜の目のやうな暗い光に
濡れ……。
《真の幸福は神の餌にすぎない》
人間の幸福は求め得たものゝすべてであり、
(幸福がその日の呼吸なのだ)
と儂は言ふ。虚偽?......神様はよおく御承知だ(唾のなか
に幸福を吐き出し、汚なさうに投げ捨てる)
沙漠と鉱山の縦坑と、尾根と、尾根の抱く朝と、広いも
のは窒息させる、其処で、……蛇は空を自分の毒牙で量つ
てゐた。……理髪師がくる。彼は舌なめづりする。手足を
だらりとたらし乍ら、地上のありとあらゆる林、あらゆる
森、あらゆる尖塔を刈つてゆく。―――鐘の
うしろに夜が居る……わしは赤インキを顔にぶつかける、
そこで正午(まひる)が呆けた人形のやうにぶら下がる。
(決定版第37巻、685ページ)
この同じ主題を歌つた『理髪師の衒学的欲望とフットボールの食慾との相関関係』と題した詩がある(決定版第37巻、767ページ)。
この理髪師の蛇は、手に其の剃刀を持つて、ありとあらゆるものを道すがら剃刀で切り、刈つてしまふのです。
この詩も論じると尽きませんが、今話を蛇がどのやうなものであるかに留めて論じますと、最初から蛇といふ名前は登場しないのです。それは、理髪師といふ名前の何かの振る舞ひが叙され、読者はこれは何だらうと不思議に思ひならが読み進めますと、次のところに至ります。随分と技巧を凝らした詩だといふことになります。
「沙漠と鉱山の縦坑と、尾根と、尾根の抱く朝と、広いも
のは窒息させる、其処で、……蛇は空を自分の毒牙で量つ
てゐた。……理髪師がくる。彼は舌なめづりする。手足を
だらりとたらし乍ら、地上のありとあらゆる林、あらゆる
森、あらゆる尖塔を刈つてゆく。」
この引用の最初の「……」までの前半は、上の『三島由紀夫の世界像2』の地上の水盤、地盤であることがお判りでせう。そこは広く、「広いものは」理髪師を「窒息させる」のです。さうして、「……」とは、既に『三島由紀夫の十代の詩を読み解く11: イカロス感覚2:記号と意識(1):「………」(点線)』でお話しましたやうに、三島由紀夫の意識が現在から見て過去へと追想し追憶することを示しますから、そのときに必ず例外なく三島由紀夫はこの「……」を使用しますから、「……」の後の後半の「理髪師がくる。彼は舌なめづりする。手足をだらりとたらし乍ら、地上のありとあらゆる林、あらゆる森、あらゆる尖塔を刈つてゆく。」といふ行がやつて来て、そこで初めて其れ以前の現実が反転して、「……」の後の現実が謂はば本当の、真実の現実になることができるのです。それ故に、理髪師は其の正体を現して、蛇といふ本来の名前で呼ばれ、「蛇は空を自分の毒牙で量」ることができるのです。
或ひは、「……蛇は空を自分の毒牙で量つ/てゐた。……」とあるやうに、「蛇は空を自分の毒牙で量つ/てゐた。」は「……」に挟まれてありますので、この蛇は空を自分の毒牙で量つ/てゐた」ことが、既に過去への追想追憶であるといふ解釈も可能です。
「蛇は空を自分の毒牙で量」ることのできる以上、この詩では天翔る姿は書かれてをりませんが、いづれは空を飛ぶのでありませう。
しかし、このやうに三島由紀夫の蛇の形象を見てきても、実に残酷な謂はば平然たる殺人者であり、「光りと影に分かたれた人々をば、/蛇は熱帯の岩の上から、/冷たい嘲笑でみつめてゐる。」といふ、そのやうな相反する矛盾と対立の中にゐる人間たちを「冷たい嘲笑でみつめてゐる」ものといふことになります。
上の『三島由紀夫の世界像2』に示される全体は、三島由紀夫の人生でありますから、この蛇は、さうしてこのやうな蛇の詩を読んで参りますと、やはり三島由紀夫自身の姿を歌つたものだと解するのがよいのではないでせうか。或ひはまた、その心象の論理と感情を蛇に形象化したといふことです。
これら14歳と16歳の蛇の詩を比較しますと、二つの詩に差異があり、後者には明らかに、[註3]に書きましたやうに、「十代の少年の詩想は、いつも海や死に結びつき、彼が生きようと決意するには、人並以上に残酷にならなければならないといふ消息」、春日井健氏の消息ではなく、三島由紀夫自身の消息が、わたくしたち読者には「手にとるやうにわか」ることに驚きます。
この詩『理髪師』といふ詩は、18歳の『中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜粋』に直接つながる詩だといふことが判ります。既に16歳の此の詩を書いたときには、三島由紀夫は「生きようと決意するには、人並以上に残酷にならなければならないといふ」その決意を固くしてゐたといふことになります。
とすれば、それは既に『花ざかりの森』を書きながら、そのやうな決心があつたといふことを意味してをります。この16歳の短編小説にも、18歳の『中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜粋』に登場する恰も海賊頭の口にするが如き言葉が出てきます。
「『海?海つてどんなものなのでせう。わたくし、うまれてよりそのやうなおそろしいものを見たことはありませぬ。』
『海はただ海だけのことだ、さうではないか。』さう云つて男は笑はつた。」
『花ざかりの森』の主人公は、まだ殺人者にはなつてゐない。しかし、同じ16歳に書いた『理髪師』といふ詩では、三島由紀夫は蛇を歌つて既に殺人者になつてゐる。
三島由紀夫が十代で詩人から小説家に変貌する姿は、この詩人の詩の変遷の跡を辿つて、『三島由紀夫の十代の詩を読み解く5:三島由紀夫の人生の見取り図2』[http://shibunraku.blogspot.jp/2015/08/blog-post.html]と『三島由紀夫の十代の詩を読み解く6:三島由紀夫の小説と戯曲の世界の誕生2:三島由紀夫の人生の見取り図3(一層詳細な見取り図)』[http://shibunraku.blogspot.jp/2015/08/blog-post_12.html]で詳述しましたが、これらに加へて、更に今回の知見を付加すれば、三島由紀夫の十代の詩と小説の関係は、さうしてみますと、
(1)12歳で詩人としての本格的な自覚が生じて、その自覚のもとに『HEKIGA』といふ詩集を編み、しかし他方同時に、
(2)13歳の『桃葉珊瑚(あをき)《EPIC POEM》』といふ詩の後と、その翌年からは、その意識は既に戯曲と小説の科白に向ひ、
(3)15歳で『少年期をわる』と題した詩を歌つて、「なじまぬ思ひ出にしたしみ、/ぼくらの歌はすがれた。/にせものの悲嘆のかなたに/愛の林はまだうつくしく茂つてゐる。」(昭和15年10月18日)と、現在からそれまでの過去を追想、追憶して、それまでの自分の歌った叙情を「にせものの悲嘆」と呼び、一旦それまでの過去を割り切つてから更に、
(4)15歳の『少年期をわる』といふ詩の後から、それ以前には詩の中の一部としてあつた戯曲と小説の科白の感覚が全体を備えたものとして、表に出てきて表はされ、
(5)16歳で『花ざかりの森』といふ小説を書き、ここに『中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜粋』の海賊頭の原型を描き、そして殺人者は登場せず、従い此のときには未だ「生きようと決意するには、人並以上に残酷にならなければならないといふ」その決意は表には現れず、しかし、
(6)同じ16歳の詩『理髪師』で初めて、殺人者が誕生して、その後の小説の方向が定まつたといふことになり、
(7)18歳で『中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜粋』を書き、ここで初めて、殺人者と海賊頭が揃ひ、
(6)同じ16歳の詩『理髪師』で初めて、殺人者が誕生して、その後の小説の方向が定まつたといふことになり、
(7)18歳で『中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜粋』を書き、ここで初めて、殺人者と海賊頭が揃ひ、
(8)20歳までの間は、詩文散文並存の時期が続き、その後も、
(9)20歳以降の小説と戯曲は、そのまま小説(散文)と戯曲(詩文)といふ併存が、生涯の最後の『豊饒の海』(小説、散文)と『癩王のテラス』(戯曲、詩文)まで続いた
といふことになります。
さうしますと、『三島由紀夫の人生の見取り図も』versionを3とversion upして、次のやうになります。
1. 1925年~1930年:0歳~5歳:幼年時代:6年間
2. 1931年~1949年:6歳~24歳:遍歴時代:19年間
2.1 1931年~1945年:6歳~20歳: 抒情詩人の時代(ザインの時代:夜と月の時代):15年間
(1)1931年~1937年:6歳~12歳: 少年期1:7年
①1937年:12歳:『HEKIGA』:詩人になると自覚して書いた最初の詩集 ②1938年:13歳:『桃葉珊瑚(あをき)《EPIC POEM》』といふ日付の入った日記体の叙事詩(『木葉角鴟』206~214ページ)
(2) 1938年~1940年:13歳~15歳:少年期2:3年
① 1939年:14歳:『日本的薄暮』(『Bad Poems』387~388ページ) といふ戯曲的科白のある典型的な詩
② 1940年:15歳:『少年期をわる』といふ詩(『公威詩集 III』630~631ページ)[註3]
(3) 1941年~1945年:16歳~20歳:詩文散文併存期:5年
①1941年:16歳:『花ざかり森』(「リルケ風な小説」):『海賊頭』の最初の創造。
②1941年:16歳:『理髪師』といふ詩:蛇といふ「殺人者」の最初の創造。
③1943年:18歳:『中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜粋』(「短い散文詩風の」小説):殺人者と海賊頭の二人ながら登場する小説の最初のもの。
2. 2 1946年~1949年:21歳~24歳:詩人から散文家(ザインからゾルレンの言語藝術家)へと変身する時代:4年
この時期に安部公房に初めて会ふ。
(1)1947年:22歳:エッセイ『重症者の凶器』
(2)1948年:23歳:小説『盗賊』
(3)1949年:24歳:小説『仮面の告白』、最初の戯曲『火宅』
3. 1950年~1963年:古典主義の時代(ゾルレンの時代:太陽と鉄の時代):25歳~38歳:14年間
4. 1964年~1970年:晩年の時代(ダーザインの時代:ハイムケール(帰郷)の時代:10代の抒情詩の世界へと回帰する時代):39歳~45歳:7年間
さて、「十代の少年の詩想は、いつも海や死に結びつ」くと三島由紀夫は言つてをりますが、この16歳の『蛇の知性といふ詩には海は出てこなかつたでせうか。と、さうしてみますと、第3連に、
「あるは又、青海原の、
冷たき理性の水から、
濡れ光りつつ現れる。」
とあつて、蛇は、三島由紀夫が空の青と共に大好きな、海の青の色の中から「濡れ光りつつ」現れてをります。
そして、
「そしてその胸にしのびいり、
心臓をむさぼり喰ひはじめる。」
この、蛇が「その胸にしのびいり、/心臓をむさぼり喰ひはじめる」ことが、また、この論考の冒頭でヘンリー・ストークスが逸話として語つてゐる「日本は緑色の蛇の呪いにかかっている」と発言する直前の三島由紀夫の一瞬の躊躇の理由なのです。
この蛇は、言葉に生きる三島由紀夫の姿だとしたら、それはそのまま言葉の再帰性、即ち自分の美の源泉である筈の言葉と永遠の繰り返しを備える美に其の「心臓をむさぼり喰」はれる自分自身の姿でもあるからです。しかし、それを逃れるために、三島由紀夫は肉体を鍛へた。[註4]
[註4]
『太陽と鉄』に次の言葉があります。
「しかも、私は、一方、言葉の腐食作用が、同時に、造型的作用を営むものであるなら、その造型の規範は、このやうな「あるべき肉体」の造型美に他ならず、言葉の藝術の理想はこのやうな造型美の模作に尽き、……つまり、絶対に腐食されないやうな現実の探究にあると考えた。」
ここに「……」の後に追想追憶されてゐるのが、三島由紀夫の現実なのです。確かにさう書いてゐるやうに。即ち、「絶対に腐食されないやうな現実」を。
『太陽と鉄』という43歳のエッセイ集の最後に『エピロオグ------F104』という題の、F104という自衛隊のジェット戦闘機に搭乗した搭乗記があります。
この冒頭にも、蛇が出てきます。これは、三島由紀夫の持つ言葉の力によって、そのまま有りのままの、蛇の姿をしていると思はれます。
今この最後に置かれた文章を読むと、その題が『エピロオグ------F104』となつてゐることが、改めてわたしの注意を惹くのです。
「エピロオグ」という言葉は、かうしてみると、この『太陽と鉄』に書いて来た、太陽と鉄の関係の終わりであるという意味であり、それがF104というジェット戦闘機についての話であるといふのです。
「私には地球を取り巻く巨きな蛇の環が見えはじめた。すべての対極性を、われとわが尾を嚥みつづけることによつて鎮める蛇。すべての相反性に対する嘲笑をひびかせている最終の巨大な蛇。私にはその姿が見えはじめた。
相反するものはその極地において似通い、お互いにもっとも遠く隔たったものは、ますます遠ざかることによって相近づく。蛇の環はこの秘儀を説いていた。肉体と精神、感覚的なものと知的なもの、外側と内側とは、どこかで、この地球からやや離れ、白い雲の蛇の環が地球をめぐってつながる、それよりもさらに高方においてつながるだろう。」
このF104に搭乗して垂直に急上昇する三島由紀夫は明らかに十代の詩人に戻ってをります。何故ならば、三島由紀夫の詩が生まれるには、いつもある決定的な高みを必要としたからです。『花ざかりの森』の冒頭の最初の、過去時間への追憶と追想の段落にある高み、『近代能楽集』の例えば「卒塔婆小町」の詩人の塔のやうなベンチに立って歌う言葉の生まれる高み、例えば『天人五衰』の冒頭から延々と始まつて止まない灯台から眺められる海の景色を生み出す高み等々。
この『エピロオグ------F104』に書かれたイカロスと蛇とは、恰も三島由紀夫の生涯を通じて、合わせ鏡のやうである。天地の間を飛翔する翼を肉体に蠟で着けたイカロスと、本来は地を這ふ筈の蛇が天翔る。
恐らくは、前者は、三島由紀夫の止むに止まれぬ、水盤地番に在る時差から生まれる源泉の感情を、後者は、三島由紀夫の冷徹な、ワットオの紅の不可視の林檎の芯を見抜き透視した其の自己認識(見ることの徹底)を表してゐうのでありませう。これらの形象は、同じ硬貨の裏表の、或いはアンドロギュノスの男女の、分かち難い関係なのです。
『癩王のテラス』といふ、三島由紀夫最晩年44歳の戯曲があります。
ここにも蛇が出てきます。
その「すべての対極性を、われとわが尾を嚥みつづけることによつて鎮める蛇。すべての相反性に対する嘲笑をひびかせている最終の巨大な蛇」は、バイヨンといふ塔の寺院の「最上階の神殿」に棲んであり、この神殿は「蛇神の塔」と呼ばれてをります。三島由紀夫の詩の世界で塔が何を意味するかは、既に『三島由紀夫の十代の詩を読み解く13:イカロス感覚4:塔と窗(まど)』でお伝へした通りです。[http://shibunraku.blogspot.jp/2015/09/blog-post_5.html]
この癩病に罹つて、自分の美貌と若さを喪失と死と引き換えに、永遠の彫像ともいふべきバイヨンの寺院を建立し、その生命が永遠であることを巡つて、この戯曲の最後に、精神と肉体が対話を致します。いや、その対話の極まり方からいつて、対論といふべきでありませう。
今、ここでは、その対論の詳細には立ち入りませんが、何故精神と肉体といふ両極が、ここで対論することが出来るのかといふ理由は、「蛇神の塔」を頂いてゐる此のバイヨンの寺院が、次のやうな十字形の交差点に、相反するもの同士の交差した十字路に建てられてゐるからなのです。
安部公房ならば、間違いなく、存在の十字路といつて、1970年の三島由紀の死後に立ち上げた安部公房スタジオの若い俳優たちに教えた演技概念『ニュートラル』として人間の存在する其処、時間と空間と、またその他の両極端の交差する其の抽象的な概念の交差点をさう呼んだ、そこと同じだと言つたことでありませう。
さて、これで、相当に、三島由紀夫の蛇といふ形象については、理解が行きました。
さうして、最初のところにある問ひに、蛇と同様に回帰致しませう。
蛇といふ再帰的な繰り返しの形象は、『暁の寺』の最後にジン・ジャンの腿を噛みますが、しかし、この登場人物は再帰しませんでした。永劫回帰をしなかつた。
それは何故でせうか?
かうして参りますと、その理由は、蛇が生まれ、そこから天に一気に天翔るだけの時差の創造を、この月光姫では、できなかつたからだといふことになります。この姫君は、十字路に立つて、両極端の体現者であり、三島由紀夫の反面である冷徹なる認識の所有者としてはいかなる意味に於いても、ならなかつた。
それでは、感情の問題としては、どうでしょうか。
三島由紀夫の止むに止まれぬ、水盤、地番に在る此の世の時差から生まれる源泉の感情を、この登場人物は持つてゐたでせうか?
第四十五章の最後に、火事が起こつた後に、登場人物たちは、
「ほかに落着くところとてなかつたので、皆はおのづから涼亭に集まつた。そこで出た話は、ジン・ジャンがたどたどしく、さつき火をのがれてここへ来たとき、芝生から一匹の蛇があらわれて、その茶色の鱗に遠い火の照りを油のやうに泛ばせながら、非常な速さで逃げて行つた、と語つたことである。話をきけば、わけても女たには一入(ひとしほ)冷気が肌にしみた。
そのとき、赤い瓦のやうな色の暁の富士が、頂上ちかい一刷毛(はけ)の雪ばかりをきらめかせて、涼亭の人たちの目に映つた。こんな場合にも、ほとんど無意識の習慣で、本多は赤富士を見つめた目を、すぐかたわらの朝空へ移した。すると截然と的皪(てきれき)たる冬の富士が泛んで来た。」
この引用の最初の段落の最後の一行「話をきけば、わけても女たちには一入(ひとしほ)冷気が肌にしみた」のは、何故でせうか。
蛇は、庭にあつて、ジン・ジャンに近づいて、癩王の場合とは異なり、その身を巻きつけて交接することなく、むしろ逃げて行つた。
その後に、三島由紀夫は作家として、上の段落の二つめに、三島由紀夫にとつては、6歳の『秋(「秋が来た……」)』以来の、高みにあつて神聖を意味する静寂、快楽(けらく)の赤い色の瓦の連なり、即ち瓦として繰り返しである「赤い瓦のやうな色の暁の」その富士山を持つて来て、前の段落との均衡を図らうとしても、また清浄なる色である白い富士山の「頂上ちかい一刷毛(はけ)の雪ばかりをきらめかせて」救はうとしても、ジン・ジャンは生きなかつたのです。仮に、第四十一章の初めに書かれてゐるやうに、「……それならばそもそもジン・ジャンは、死なのではないか。」と、さう、「……」の後に本多繁邦が思つてゐたとしても。或ひは、さう思つてゐた通りに。
もうこの第四十一章を書き始めたときに、三島由紀夫には、既に「嵐のやうに終結部が襲つて来て」ゐたのでありませう、或ひは、完結しないことを期待した結末が、意に反して完結する予感があつたことでせう。
「侍女の話では、ジン・ジャンは一人で庭へ出てゐた。真紅に煙る花をつけた鳳凰木の樹下にゐた。誰も庭にはゐなかつた筈なのに、そのあたりから、ジン・ジャンの笑ふ声がきこえた。遠くこれを聴いた侍女は、姫が一人で笑つてゐるのをおかしく思つた。それは澄んだ幼ならしい笑ひ声で、青い日ざかりの空の下に弾けた。笑ひが止んで、やや間があつて、鋭い悲鳴に変つた。侍女が駆けつけたとき、ジン・ジャンはコブラに腿を咬まれて倒れてゐた。」
蛇とではなく、コブラと書いたときに、この小説は特殊個別のものとして、永劫回帰はないことを決定的にして終わつたのです。
蛇とではなく、コブラと書いたときに、この小説は特殊個別のものとして、永劫回帰はないことを決定的にして終わつたのです。
「真紅に煙る花をつけた鳳凰木の樹下に」ジン・ジャンを置いても、蘇らなかつた。或ひは、もはやこの終局に至ると、この姫の死は、作者には確定してゐたことでありませうから、この真紅の色は、既に彼岸に渡つたジン・ジャンのための弔ひの紅でありませう。そして、幾ら鳳凰といふ天を駆ける鳳(おおとり)の名前の木の下に置いても、ジン・ジャンは、『春の雪』の松枝清顕や『奔馬』の飯沼勲のやうには、この世の水盤、地盤の時間の差異の中に永遠の美を求めて、そこを飛び立ち、静寂の空間目掛けて上昇することがなかつたし、海を目掛けて歩み、恋人とであれ、また一人であれ、いづれにせよ恋の果てに、其の突端まで行き、その縁(ふち)を越えて、海へと、海の縁を更に越えて其の先の海へと出帆することを思はなかつた。
やはり、さうしてみると、ジン・ジャンが同性愛者であるといふ設定に無理があつたのかも知れません。
それでは、恋愛も生まれず、男と女といふ両極端を一つにする恋愛といふ蛇の姿、その相矛盾する蛇の生まれる感情を統御し、宰領して、「「光りと影に分かたれた人々をば、/蛇は熱帯の岩の上から、/冷たい嘲笑でみつめてゐる」其のやうな相反する矛盾と対立の中にゐる人間」といふ認識を有する、十代からの詩の世界に存在した再帰的な蛇の姿にみづからが変身して言葉を紡ぐことを、書斎の高みにゐる筈なのに、三島由紀夫はできなかつたからです。
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