2012年6月30日土曜日

第28週:Wechseln Gesichter (顔を取り替える) by Cherbel Dagher (1950 - )



第28週:Wechseln Gesichter  (顔を取り替える) by Cherbel Dagher (1950 -  ) 

【原文】

Wechseln Gesichter

Ein Gesicht folgt einem Gesicht.
Es liest in einem verschleierten Gesicht.
Ein Gesicht ohne Spiegel
gelangt nicht ans Fenster,
hat nur eine Farbe
und ein sanftes Rauschen im Verborgenen des Wassers.
Ich habe ein Gesicht,
das in meiner Tasche versteckt ist
und dem ich nur im Geheimen näher komme.


【散文訳】

顔を取り替える

顔が、顔について行く。
顔は、包み隠された顔の中の意味を読む。
鏡の無い顔は
窓辺に行き着くことはなく、
ひとつの色を持つだけであり
そして、柔らかな潺湲たる音を、水の隠されたものの中に持つ。
わたしは顔を持っていて、
それはわたしのポケットの中に隠されていて
そして、わたしは秘密裏にのみ、その顔のもっと傍に近寄るのだ。


【解釈と鑑賞】

この詩人は、アラブの詩人です。

インタネットで検索して、Wikipediaはありませんでしたが、この詩人がEdward Saidのオリエンタリズムについてのインタービューを受けて答えた記事が載っていましたので、引用して、掲載します。ご興味のある方はお読み下さい。

次のURLアドレスです。

http://www.aljadid.com/content/rethinking-edward-saids-orientalism-interview-charbel-dagher

この記事からの引用ですが、次のような方です。

a professor at Balamand University, Lebanon, has been an active and prominent voice on the Arab cultural scene, mainly in the fields of poetry, Arabic language, and Arab and Islamic arts.


この詩の題名から言って、この詩は、ひとの顔は交換できるし、いつも交換されているということを歌っているのではないでしょうか。

それが、顔は顔につき従っているという一行目の意味。

鏡の無い顔は
窓辺に行き着くことはなく、

という行は、安部公房の10代の散文を思い出させます。

その個人が外の景色を眺め、知ることの交流の窓口が、文字通りに窓なのです。

しかし、どうやら、鏡があれば、窓辺に行き着くことができそうです。

鏡は、自分自身を知るためのもの、自分の顔をみるための道具です。

そのような鏡をその顔(そのひと)が持っていなければ、そのひとは自分の外を見る事ができないのでしょうか。

しかし、窓辺に行き着かないけれども、この顔は、

柔らかな潺湲たる音を、水の隠されたものの中に持つ。

とあるので、何か清冽なものを自分の内側に持っているようです。たとえ、それが単色であって、多彩な色を帯びていなくても。

Tascheという言葉を、わたしはポケットと今様に訳しましたが、懐中と、少し古めかしく訳したいところです。

懐中に自分の本当の顔があって、自分ですら秘密裏に、ということは人前であることは全然ない機会に、近寄ってみることができると言っています。

顔は、包み隠された顔の中の意味を読む。

という2行目の一行は、わたしたちの日常の行いを率直に歌った一行だと思います。

こうして、また詩の題名に戻ってみると、わたしたちの顔はどれも似ていて、交換可能であるということなのでしょう。他方、それぞれの顔は、この詩人の歌うような顔であるかも知れません。

そのような顔は、他人には知られる事がないと言っているのでしょう。

しかし、寂寥感のある詩ではなく、もっと乾いていて、その現実を受け入れ、生きているという感じのする詩です。

アラブの気候と風土のせいでしょうか。




0 件のコメント: