2012年6月23日土曜日

【西東詩集2】Hegire(ヘジラ)


【西東詩集2】Hegire(ヘジラ)

【原文】

Hegire

Nord und West und Sued zersplittern,
Throne bersten, Reiche zittern,
Fluechte du, im reinen Osten
Patriarchenluft zu kosten;
Unter Lieben, Trinken, Singen
Soll dich Chisers Quell verjuengen.

Dort, im Reinen und im Rechten,
Will ich menschlichen Geschlechten
In des Ursprungs Tiefe dringen,
Wo sie noch von Gott empfingen
Himmelslehr in Erdesprachen,
Und sich nicht den Kopf zerbrachen.

Wo sie Vaeter hoch verehreten,
Jeden fremden Dienst verwehreten;
Will mich freun der Jugendschranke:
Glaube weit, eng der Gedanke,
Wie das Wort so wichtig dort war,
Weil es ein gesprchen Wort war.

Will mich unter Hirten mischen,
An Oasen mich erfrischen,
Wenn mit Karawanen wandle,
Shawl, Kaffee und Moschus handle;
Jeden Pfad will ich betreten
Von der Wueste zu den Staedten.

Boesen Felsweg auf und nieder
Troesten, Hafis, deine Lieder,
Wenn der Fuehrer mit Entzuecken
Von des Maultiers hohem Ruecken
Singt, die Sterne zu erwecken
Und die Raueber zu erschrecken.

Will in Baedern und in Schenken,
Heiliger Hafis, dein gedenken;
Wenn den Schleier Liebschen lueftet,
Schuettelnd Ambrolocken dueftet.
Ja des Dichters Liebefluestern
Mache selbst die Huris luestern.

Wolltet ihr ihm dies beneiden,
Oder etwa gar verleiden,
Wisset nur, dass Dichterworte
Um des Paradieses Pforte
Immer leise klopfend schweben,
Sich erbitternd ewges Leben.



【散文訳】

ヘジラ

北も西も南も分裂し
玉座は割れ、諸王国は震える
逃げよう、純粋な東に
族長の空気を味わうために
愛、酒、歌を尽くせば
キーザーの泉が、お前を若返らせてくれる。

そこで、即ち、純粋であるものの中、正しいものの中で
わたしは、人類の
源泉の深みへと突き進みたい
そこでは、人類は、まだ神から
天の教えを、地上の言葉で感じていたし
そして、頭を悩ますことはなかった。

人類が、父祖達を高く敬っていて
異教の務めも禁じていた、そこでは
若さという限界も、わたしの心を歓ばせる
信仰は広く、思考は狭く
言葉が、そこでは、かくも大切であった通りに従って
何故ならば、言葉は、話される言葉であったからだ。

羊飼いたちの中に身を交えて
オアシスで、我が身を新しくして
キャラバンの隊商とともに旅をし、生活し
ショール、珈琲、そして麝香を商うならば
どの小道も踏破したいものだ
砂漠から町々までを

悪路の岩山道を登り、また下り
慰めよ、ハーフィスよ、お前の歌で
もし隊長が魅了されて
馬の高い背中から
星々を目覚めさせようと歌うならば
そして、盗賊どもを驚かせようと歌うならば

入浴しながら、また居酒屋にいながら
神聖なるハーフィスよ、お前を思うのだ
酒場の可愛い娘がそのヴェールに息を吹きかけて揺らす度に
首を振りながら、龍涎香の巻き毛の芳香を放つ度に
そう、詩人の愛の囁きは
天国の永遠の処女さへをも欲情させるがいいのだ

お前達は、ハーフィスがこうだからといって、それ羨むにせよ
あるいはまた、全く嫌がるにせよ
ただただ知るがよい
詩人の言葉は、天国の門の周りを
いつも微かに叩きながら漂っているということを
永遠の生命を切に願いながら



【解釈】

ヘジラとは、イスラム教の始祖ムハンマドとその信者達が、メッカでの布教を迫害により一時諦めて、難を逃れて、メディナという町へ逃れたことを言う名前です。

ゲーテも、秩序の崩壊し、混乱した世の中を逃れて、懐かしい世界に行く事が歌われています。

手元にある詩集の註釈によれば、ゲーテのこの時代は、ナポレオンが退位し、ウィーン会議が開かれている時代です。

しかし、詩を読むということは、詩の生まれた実証的な時代考証を知ることだけに留まるものではありません。あるいは、そのような知識だけでは、詩を理解することができない。

わたしたちは読者として、自由にこの詩を読むことができます。

大切なことは、このようにヘジラという題名の詩を最初において、自分自身を救うために、ペルシャの世界を、ハーフィスという詩人の姿を借りて仮構したということだと思います。これが、芸術の世界、詩の世界の素晴らしさだと思います。

そうして、そうなると、もはや詩人の自分ひとりの人生の問題ではなくなる。それは、その民族、その言語の財産となり、歴史と文化の継承を担い、国民の財産になることでしょう。

そうして、ゲーテの詩作品は、実際にそのようになっている。

今の日本に、古典の力を借りて、本歌取りをし、あるいはパロディーをして、このように高度に仮構した詩作をする詩人がいるでしょうか。いることを願います。

私は何故かこの詩集を読んだ最初から、この冒頭の詩がとても好きでした。それは、若さ、青春の抱える不安、その最たるものは自分の人生の未来に対する不安に違いありませんが、その不安を実に心豊かに全く異なる世界とその形象に転換し、展開して、愉快な気持ちにさせてくれる詩であるからだと思います。

そうか、世界は崩壊し得るのだ、社会も崩壊し得るのだ、それでも尚生きることの勇気を賦与してくれる詩であったのだと思います。これは、言葉と形象、イメージの力の齎すものです。このような詩を書きたいものです。

人類の古代へ帰るのだ。古代の族長の時代に戻るのだ。言葉が単純であって、話すことで意味の通じたあの時代へ戻るのだ。このような言葉は、その後繰り返し、社会に出た後には一層尚、わたしの胸を去来した詩句です。

第1連のキーザーの泉のキーザーとは、原意が緑の、あるいは青いという意味ですが、これはそのような語源をその名前としたキーザーという預言者の名前です。この預言者は、生命の泉を発見したという伝説があるそうです。この泉では、人のみならず、動物も植物もまた若返ることができるとのことです。

青いという色はまた青春の色、若さということですから、その意味もまた生命の泉の掛言葉にしてゲーテは歌っているわけですし、ペルシャの人々もそのようにしてこの預言者を大切にして来たのでしょう。

旅をし、商うキャラバンの形象も素晴らしい。これは、人生そのもの形象と思えます。
歌を歌うときは、苦しいときだ。しかし、ハーフィスの歌が隊商を率いる長を慰める。今ならリーダーというところでしょう。

最後から2連目、第6連も、実にエロティックでいい連です。ゲーテの本領が発揮されていると思います。酒場に酌婦がいたのでしょう。わたしも70歳のときに、このような詩句を書ける人間でありたい。

最後の連は、註釈が不要かと思います。

この詩で、ゲーテは、理想の詩人像を歌っています。言葉は、やはりその言葉を発した年齢が10代の終わりであるが故にやはり青臭い匂いがこうしてゲーテと比べてみるとしますが、藤原定家の言った言葉、紅旗征戎はわが事にあらずと言う言葉に大いに脈絡の通じるものがあります。

これらの言葉は、詩の本質、詩人の本質、要諦に触れていると、わたしは思います。



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