2012年6月3日日曜日

2。The Bridgeについて



2。The Bridgeについて

2.1 The Bridgeという題名の意味
すでに、Black Tambourineの解釈でお伝えしましたように、Bridgeとは、男色者達が連なって数珠つなぎになる肛門性交の姿、その列そのものを言ってます。

2.2 The Bridgeという詩集の体裁(聖書の体裁のパロディーとしての)

そうして、誠に背徳的、涜神的なことに、Craneは、このThe Bridgeという題名の詩集の体裁を、キリスト教の伝統的な聖書の体裁に真似てつくっているのです。

即ち、聖書という神聖な書物の涜神的なパロディーとしているのです。

それゆえに、表紙のThe Bridgeという題名の下に、ヨブ記からの引用をして、エピグラムとしてもいるのです。

このエピグラムもまた、しかし、Craneらしいセンスで、ヨブ(Job)記という意味と、仕事(Job)の記という意味との掛言葉にもなっています。

エピグラムの「地下で行ったり来たり、そして地下で歩いて行ったり来たりすることから」とある「地下」という言葉は、既に説明しましたように、昼間の仕事の後、男色者達が夜な夜な集まる地下室、牢獄、地獄のことを指し示しています。

ですから、Book of Jobとは、昼間の酷使され、男色者の決まり事を否定する社会で仕事をして、疲労困憊した人間の記という意味でもあるのです。

そうして、男色者であるということで多分多いに差別されて、賃金も安い仕事につく以外にはなかなかなかった、そのような男色者の仕事の記という意味です。

話が戻りますが、The Bridgeという題名の他にも、涜神的な言葉の掛詞の遊びをCraneは、実によくやる詩人です。

例えば、Buddhaを複数形のBuddhasとして、仏陀のケツの穴としたり、crossという、十字架というキリスト教にとっては神聖な言葉を、そのcrossという言葉の意味から、男色者の性交(クロスする)という意味に使ったり、これらのことは、幾つも例がありますし、Craneの詩の中にはふんだんに出て参ります。

このような、性的な譬喩を使って、現実や、権威や、(男色を否定する)社会に抗い、茶化し、あてこする言葉遊びを、英語で、dallyと言います。

わたしの持っているThe Complete Poems of Hart Craneの序文を書いているHarold Bloomの言によれば、これはWhitemanもそういう言葉遊びをしているということなので、アメリカの文学史の上では、Whiteman以来の男色詩人のものの言い方、言葉の使い方だということができると思います。

(実際、Craneは、Chaplinesqueという詩の中では、dallyという言葉を詩の中に登場させて使ってもいます。第3連2行目。)

男色を強く否定する社会の中で、あるいは外で、生きるために男色者が必要とした言葉の技術なのだとおもいます。

そうやって、dallyすることで、我と我が身を社会から護ったのです。


[註釈]
Craneがエピグラムで引いている上の言葉は、旧約聖書の「ヨブ記」の冒頭の部分の有名な言葉です。

神(ヤハウェ)がサタンに尋ねます。「お前はどこから来たのか」、それに対するサタンの答えがこの言葉なのです。

ここから神はあの善良極まりないヨブを恐ろしい地獄のような試みの前に立たせることになるのです。このサタンが神にいいます。

あなたの善良な僕ヨブだって、あなたが守護してくれるからあなたを畏れるのだ、あなたの手をのばして彼の財産を奪ってみなさい、きっとヨブはあなたを呪うでしょう。

神はこのサタンに命じます「彼の持ち物をみなお前の手にまかせよう。ただ彼の身にお前の手を伸ばしてはいけない」、こうして過酷な試練がヨブに始まります。

そのJobに、男色者の我が身を譬えたわけです。


2.3 The Bridgeの構造(わたしの仮説)

このThe Bridgeという詩集の中におかれている詩も、white Buildingされているのではないだろうかというのが、わたしの仮説です。

その可能性は、十分にあって、まづ何よりもこれから話をする、Proemと題さて最初におかれたTo Brooklyn Bridgeがやはりwhite buildingした詩だからです。

従い、詩の後に続く8篇も、同じ構造で出来ているではないだろうかというのが、わたしの推理であり、仮説です。

即ち、例えば、

(1)I, VIII)(Ave Maria, Atlantis)
(2) (II, VII): (Powhantan's Dawn, The Tunnel)
(3) (III, VI): (Cutty Sark, Quaker Hill)
(4) (IV, V): (Cape Hatteras, Three Songs)

単に、ひとつひとつの詩をバラバラに読むのではなく、それぞれがそれぞれの階層で繋がりを以て製作されているので、その繋がりを読み取り、全体としての詩集の解釈が成立することになります。

これは、仮説として、ここに備忘として残しておくに今回は留めます。


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