2015年5月17日日曜日

【西東詩集118】HÖHERES UND HÖCHSTES(より高いものと最も高いもの)



【西東詩集118HÖHERES UND HÖCHSTES(より高いものと最も高いもの)  


【原文】

DASS wir solche Dinge lehren
Möge man uns nicht bestrafen:
Wie das alles zu erklären
Dürft ihr eurer Tiefstes fragen.

Und so werdet ihr vernehmen
Dass der Mensch, mit sich zufrieden,
Gern sein Ich getestet sähe,
So da droben wie hienieden.

Und mein liebes Ich bedürfte
Mancherlei Bequemlichkeiten,
Freuden wie ich hier sie schlürfte
Wünscht’ ich auch für ewge Zeiten.

So gefallen schöne Gärten,
Blum und Frucht und hübsche Kinder,
Die uns allen hier gefielen,
Auch verjüngtem Geist nicht minder.

Und so möchte ich alle Freunde,
Jung und alt, in Eins versammeln,
Gar zu gern in deutscher Sprache
Paradieses- Worte stammeln.

Doch man horcht nun Dialekten
Wie sich Mensch und Engel kosen,
Der Grammatik, der versteckten,
Deklinierend Mohn und Rosen.

Mag man ferner auch in Blicken
Sich rhetorisch gern ergehen,
Und zu himmlischem Entzücken
Ohne Klang und Ton erhöhen.

Ton und Klang jedoch entwindet
sich dem Worte selbstverständlich,
Und entschiedener empfindet
Der Verklärte sich unendlich.

Ist somit dem Fünf der Sinne
Vorgesehn im Paradiese,
Sicher ist es ich gewinne
Einen Sinn für alle diese.

Und nun dring ich aller Orten
Leichter durch die ewigen Kreise,
Die durchdrungen sind vom Worte
Gottes rein-lebendiger Weise.

Ungehemmt mit heissem Triebe
ßt sich da kein Ende finden,
Bis im Anschaun ewiger Liebe
Wir verschweben, wir verschwinden.
 

【散文訳】

このようなものを教えるといふことで
わたしたちを決して罰しませぬやうに、お願ひします、つまり、
このやうなもの総てをどのやうに説明するかといふことを
お前たちは、お前たちの最も深いものに問ふとよいのです。

さうして、さうなれば、お前たちが聞き知ることになるのは
人間とは、自らに満足し
喜んで、その人間の我を試験されるのを見るということなのです。
さう、あの上でも、この下でも、です。

さうして、わたしの愛する我が欲するのは
幾多の安楽であり
喜び、わたしが此処でそれらの安楽を啜りながら得る喜びであり
わたしは、永遠の数々の時間の間、また実際、これらを願ふのです。

このやうに、美しい数々の庭園は、実際気に入り
花も果実も美しい子供たちも
わたしたち皆の気に入つたのですし
若返った精神にとつても、さうであることは、勝るとも劣らぬほどです。

さうして、このやうに、わたしは総ての友達を
老いも若きも、集めて一つになしたいと思ひ
おまけに、全くだうしたつて、ドイツ語で
天国の言葉は、吃つてほしいものです。

とはいへ、人は今や色々なお国訛りに耳傾けてをり
それは、人間と天使がお互ひに愛撫し合ふやうに
文法のお国訛り、それを隠したのです
文法的に語を変化させて、罌粟(けし)と薔薇が。

更に遠くを、視線を遣つて、見廻すのがよいのです
修辞豊かに、よろこんで、散歩をして、あちこちと歩き廻り
そして、天国に魅了されることになるのです
響きも音もないのに、高まるがいいのです。

音と響きは、しかしながら、その身を
当然のことながら、言葉から引き離し
そして、一層はっきりと感ずるのです
その神々しく変容した者は、無限であると。

それ故に、感覚のうちの第五番目の感覚では
天国で、既に予見されてゐたのです
確かに、さう、間違いなく、わたしが得るのです
これら総ての感覚に対する唯一の或る感覚を。

さうして、今や、わたしは、総ての場所で
より軽快に、永遠の数々の環の中を通つて押し入り
それらの環には、言葉が沁み渡ります
神の純粋で生き生きとした方法の言葉が。

そもそも邪魔されることなく、熱い衝迫(こころ)を以ってすれば
そこには、終わりは見つけられることはなく
永遠の愛を直観するに至るまで
わたしたちは、止めどなく浮遊し、わたしたちは、姿を隠すのです。


【解釈と鑑賞】

やはり、この天国は、静寂で無音の、閑寂なる空間であると、わたしには思はれます。

これが、70歳を過ぎたゲーテの境地であると理解してよいのではないでせうか。

この詩は、この『西東詩集』の最後から三つめの詩です。

この終局に当たつて、やはり最初のHegire(ヘジラ)といふ詩を再読すると、このゲーテの目指した、この詩集での目的が、明らかになります。

天国、言語(言葉)、愛、意思疎通、古代の族長時代の透明な空気……

最初の詩を、最後に再読下さい。詩人がどのやうに詩集を編んだのかを。


ヘジラ

北も西も南も分裂し
玉座は割れ、諸王国は震える
逃げよう、純粋な東に
族長の空気を味わうために
愛、酒、歌を尽くせば
キーザーの泉が、お前を若返らせてくれる。

そこで、即ち、純粋であるものの中、正しいものの中で
わたしは、人類の
源泉の深みへと突き進みたい
そこでは、人類は、まだ神から
天の教えを、地上の言葉で感じていたし
そして、頭を悩ますことはなかった。

人類が、父祖達を高く敬っていて
異教の務めも禁じていた、そこでは
若さという限界も、わたしの心を歓ばせる
信仰は広く、思考は狭く
言葉が、そこでは、かくも大切であった通りに従って
何故ならば、言葉は、話される言葉であったからだ。

羊飼いたちの中に身を交えて
オアシスで、我が身を新しくして
キャラバンの隊商とともに旅をし、生活し
ショール、珈琲、そして麝香を商うならば
どの小道も踏破したいものだ
砂漠から町々までを

悪路の岩山道を登り、また下り
慰めよ、ハーフィスよ、お前の歌で
もし隊長が魅了されて
馬の高い背中から
星々を目覚めさせようと歌うならば
そして、盗賊どもを驚かせようと歌うならば

入浴しながら、また居酒屋にいながら
神聖なるハーフィスよ、お前を思うのだ
酒場の可愛い娘がそのヴェールに息を吹きかけて揺らす度に
首を振りながら、龍涎香の巻き毛の芳香を放つ度に
そう、詩人の愛の囁きは
天国の永遠の処女さへをも欲情させるがいいのだ

お前達は、ハーフィスがこうだからといって、それ羨むにせよ
あるいはまた、全く嫌がるにせよ
ただただ知るがよい
詩人の言葉は、天国の門の周りを
いつも微かに叩きながら漂っているということを
永遠の生命を切に願いながら


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