リルケの『形象詩集』を読む(連載第2回)
この詩の題名は、ドイツ語で「Aus einem April」という題名であり、英語という言語に変形させると「Out of a certain April」又は「Out of an April」という意味になります。
普通の詩人は、このような名前のつけ方を、その詩に対してはしないものです。あなたが普通に目にする詩の題名は、ドイツ語ならば、In einem April、An einen April, Für einen April、即ち、In an April, On an April、For an April、即ち、四月の中で、四月に寄せて、四月のために、というものになる筈です。
しかし、リルケという詩人は、そうは歌わない。ある四月の内部から外部へと四月というこの月の何かを取り出して歌い、詩にするのだ、これはそういう詩だと言っているのです。その何かとは、四月という此の典型的な、わたしたちが冬の間に待ちに待った春である季節の其の最初の月の何かです。ヨーロッパの、ドイツの、或いはリルケの生まれたチェコのプラハのでも良いのですが、そのような季節感と春の到来を想像してみて下さい。
さて、そうだとして、この何かとは、平板な言い方をすれば、それは四月の本質とも言うべき何かでしょう。本質とは何かと言えば、それは前回一言で、安部公房の世界観を言い、世界は差異であるとお伝えしましたように、世界は差異の集合なのですから、またそもそもの安部公房の言語論は言語機能論であり、即ち言語とは差異である、意味とは差異であり、差異とは語と語の関係のことで、語には意味はなく、意味はその関係にこそあるのだという考えでありますから、この場合の本質という其の何かもまた、差異であるのです。
リルケという詩人は、この詩で何と何の差異を歌ったのでしょうか。そうして、19歳の安部公房は、その差異を「”物”と”実存”に関する対話のようなもの」として読んだわけですから、それはこの詩に於いては、どのように「”物”と”実存”に関する対話のようなもの」がなされていると解釈し、理解したのでしょうか。このことについて、わたしたちは考えることになります。
さて、リルケというドイツ語の詩人が、四月、それも単なる四月ではなく、不定冠詞のついていることからお分かりの通り、英語の世界と同様に此のドイツ語の世界にあっても、その四月は、昨年の四月ではなく、3年前の四月でもなく、また来年の四月でもなく、100年後の四月でもなく、そもそもそれらの時間的な意識や理解とは全く無関係な、或る四月なのです。
昔むかし或る所におじいさんとおばあさんがいました。おじいさんは山に柴苅りに、おばあさんは川へ洗濯に、と言って始まる神話の時間の始まりに使われる不定冠詞の「或る」です。
この不定冠詞に、そうしてリルケという、時間を捨象した純粋空間を歌った詩人であればこそ、尚一層、そのような時間の流れを無化して言語による空間を創造しようという意志が働いて、このような意味を持たせたのだと理解することができます。
つまり、四月という月の内部と外部を交換したのです。
そうして、内部が外部に出て行けば、外部は内部に入って来るのです。この主題と動機は、繰り返し、リルケは其の詩の中で、若いときのこのような詩から最晩年の最高傑作の二つの詩、即ち『ドゥイーノの悲歌』と『オルフェウスへのソネット』に至るまで、飽きることなく、リルケは歌っている、そのような主題の一つなのです。
多分、この『形象詩集』をこれから読んで行くと、またこの主題と動機が登場して、それも典型的に歌われる場合には、しかしそうではなくとも全く同じことを別の形象を使って、あなたが人間の体を持っていて、その体を以って呼吸をする、即ち息を吸い込み息を吐くというこの二つの出入りの交差点で、外部と内部の交換が行われると、いづれ歌われることになる筈です。
この主題は、十代の後半から若年の安部公房が読み耽った『マルテの手記』の中にも出てくる形象であり、この交換される交差点には、透明なるものが現れて、その力を借りて、この交換が行われると書かれています。安部公房の小説の最後にひとしなみに主人公が存在と化して見る其の透明感覚です。
或いはまた、この『Out of an April』の「Out of」という前置詞句の目的語であるApril(四月)の中にある何かが自動詞であるという場合には、その何かが四月から飛び出して来る、出て来るという意味になるでしょう。
わたしがこの冒頭から此の題名について解釈して来たことは、わたしがその歌われている四月の外、外部にいて、その四月を眺めたときに、私が或いはあなたという読者が、更にまたリルケという詩人が四月を歌って、内部から外部に四月の本質を抽出するという解釈でお伝えしましたが、しかし、外部にいる何かが四月の何かを抽出するのではなく、そもそも四月の内部にある何かが四月の外部に出てくるのだと考えることも、このように、全く正しいことです。
遅くとも『詩と詩人(意識と無意識)』を書き上げて、リルケの詩を読みながらリルケをその自分独自の思想の中に統合しよう、リルケを変形させて自分のものにしようと専心していた20歳の安部公房は、この論文で、この内部と外部の交換の問題を、「「世界内ー在者」の我(我は世界の中に存在する)と「世界ー内在者」としての自我(世界は自我の中に存在する)と捉えて、それぞれの、即ちこの『四月』という詩の場合であれば、四月という季節を表す言葉の意味の内部にいる者としての自己を「我」と呼び、その言葉の意味の外部にいて、その四月という季節を其の内部に持っている自己を「自我」と呼んで識別したのです(全集第1巻、116ページ上段。1944年、安部公房20歳)。
我と自我という言葉の文字をみてお判りの通り、一方の自己を我と呼び、他方の自己を自我と呼ぶ此の文字と命名に、わたしが随所で繰り替えし述べている、安部公房の自己再帰的な(自己は既に本来は贅語で不要の前綴です)人間としての姿が、あります。
この『詩と詩人(意識と無意識)』という詩・詩人論は、このような我と自我の関係の交換を論じた論文であり、この交換のうち、意識して日常に実践する交換を「次元展開」呼び、不意に、突然に、「急激に」、無意識に訪れる交換を「転身」と呼んでおります。それが、それぞれこの論文を構成している第一章の前者が第一部の、後者が第二部の主題となっています。そうして、第二章が余白という意味を表していて、全くの白紙(空白)になっており、この論文の読者がみづから筆を執って、読者が「無言の言葉」で書くことのできるようになっております。
この考え方は、そのまま三島由紀夫との対談『二十世紀の文学』で、「読者は自己の主体で、作者は客体化された自己なんだよ。」と三島由紀夫に語り、「僕は混沌がとてもいやなんだ。つまり、読者とかね。」「とっても混沌とは気味が悪いよ。」という三島由紀夫をなんとか説得しようという安部公房の言葉になって、時間を超えて、連続しております(全集第20巻、82ページ上段)。
つまり、安部公房のリルケ理解は、
「世界内ー在者」の我と「世界ー内在者」としての自我がいるのだ
ということなのなのですが、そうであれば、その作者と読者の関係論においては、二つの読者と二つの作者がいて、
1。読者
(1)「世界内ー在者」の我である読者(世界の中にいる読者)と
(2)「世界ー内在者」としての自我である読者(読者の中に世界がある読者)
2。作者
(1)「世界内ー在者」の我である作者(世界の中にいる作者)と
(2)「世界ー内在者」の自我である作者(作者の中に世界がある作者)
このそれぞれ二種類の読者と作者のいることになります。
安部公房は、22年後の上の三島由紀夫との対談では、これに加えて、更に、[(作者、読者)、(主体、客体)]の関係を考えるのです。そうすると、これらの関係はどのようになるか。
自己[A(我、自我)、B(作者、読者)、C(主体、客体)]
という関係で、安部公房は、自己についてものを考えているということになります。
ということは、これらの組み合わせの数は、一番大きな意味の単位、A、B、Cで考えても、2のN乗マイナス1という計算式に則り7通り、その下の階層に降りて行ってそのすべての組み合わせを考えると、63通りの組み合わせで、安部公房はものを考えているということになります。
この複雑な安部公房の頭の中の関係(差異)を図示すると次のようになります。[註1]
[註1]
成城高校時代の親しき、哲学談義を交わした友、中埜肇が次のような安部公房の姿を書き残しております。
「たしか高校二年の夏休前のことではなかったろうか。彼の方からそれまで全く面識のなかった私に、話したいことがあると言って接触を求めてきた。時と所をきめて改めて会うや否や、彼はいきなり私に向かって「君は解釈学についてどう思う」と切り出した。(その時の彼の言葉だけは五十年以上経った今でも私の耳にはっきりと残っている。)当時既に日本でもハイデッガーの『存在と時間』の翻訳が出版され、わが国の哲学界や思想的ジャーナリズムにも「解釈学的現象学」という言葉が姿を見せていた。(中略)
当時の安部は「解釈学」という言葉をむしろデカルト的な懐疑の方法に近い意味に解していた。」(『安部公房・荒野の人』35ページ)
安部公房は、デカルトの『方法叙説』と解析幾何学の本を読んでいたのです。デカルトは、バロックの哲学者です。
安部公房が中埜肇に初めて会ったときに発した「君は解釈学についてどう思う」という問いは、18歳に成城高校の校友誌『城』に発表した『問題下降に拠る肯定の批判』の中で安部公房が、わたしは普通の社会の人間とは違って「座標」軸なしで物を考えるのだといい、「一体座標なくして判断は有り得ないものだろうか」と問い、この問いの答えが、この論文の副題「是こそ大いなる蟻の巣を輝らす光である」という言葉の由来である「これこそ雲間より洩れ来る一条の光なのである」といい、この一条の光こそが、この蟻の生きる閉鎖空間から脱出をするための唯一の方法であり、その方法とは、「遊歩場」という「道」、即ち時間も空間もない抽象的な上位の次元の位相幾何学的な場所の創造であり、その為の方法が「問題下降に拠る肯定の批判」だといっています。
また、中埜肇の言う「当時の安部は「解釈学」という言葉をむしろデカルト的な懐疑の方法に近い意味に解していた。」という正確な理解については、晩年安部公房自身が、デカルト的思考と自分独自の実存主義に関する理解と仮面についての次の発言がある(『安部公房氏と語る』全集第28巻、478ページ下段から479ページ上段)。ジュリー・ブロックとのインタビュー。1989年、安部公房65歳。傍線筆者。
「ブロック 先生は非常に西洋的であるという説があるけれども、その理由の一つはアイデンディティのことを問題になさるからでしょう。片一方は「他人」であり、もう片一方は「顔」である、というような。
フランス語でアイデンティティは「ジュ(私)」です。アイデンティティの問題を考えるとき、いつも「ジュ」が答えです。でも、先生の本を読んで、「ジュ」という答えがでてきませんでした。それで私は、数学のように方程式をつくれば、答えのXが現れると思いました。でも、そのような私の考え方すべてがちがうことに気づき、五年前から勉強を始めて、四年十ヶ月、「私」を探しつづけました。
安部 これは全然批評的な意見ではないんだけど、フランス人の場合、たとえば実存主義というような考え方をするのはわりに楽でしょう。そういう場合の原則というのは、「存在は本質に先行する」ということだけれども、実は「私」というのは本質なんですよ。そして、「仮面」が実存である。だから、常に実存が先行しなければ、それは観念論になってしまうということです。
ブロック それは、西洋的な考えにおいてですか。
安部 そうですね。だけど、これはどちらかというと、いわゆるカルテジアン(筆者註:「デカルト的な」の意味)の考え方に近いので、英米では蹴られる思考ですけどね。」
既に18歳の安部公房は、この晩年の発言にある認識に至っていたということがわかります。そうして、何故ジュリー・ブロックが「でも、先生の本を読んで、「ジュ」という答えがでて」来ないかという理由を、上の二つの表(マトリクス)は示しています。
ここには、「ジュ(私)」は有りません。何故ならば、それは、安部公房のいう通り、「実は「私」というのは本質」であるからです。何故ならば、本質とは、実体のあるものではなく、差異であり、関数だからです。
この、安部公房のいう「私」を、西洋の哲学用語で、subject(主観、主体、主辞、主語)と言うのです。
上に表にした、実体の無い、関係概念としての、安部公房のいう此のsubject(「ジュ(私)」)の概念を理解することは、安部公房の文学を理解するために大変大切です。「実は「私」というのは本質なんですよ。そして、「仮面」が実存である。だから、常に実存が先行しなければ、それは観念論になってしまうということです。」という安部公房の発言をよくお考え下さい。上の表は、次のところでダウンロードすることができます:https://ja.scribd.com/doc/266831849/安部公房の読者と作者-我と自我-主体と客体の関係-差異
これが、安部公房の作者・読者論であり、主体・客体論(主観・客観論)であり、我・自我論なのです。
当然のことながら、これはそのまま、安部公房の、存在・劇場論であり、存在・社会論であり、存在・人間論であり、存在・舞台論であり、舞台・戯曲家論であり、映画・シナリオ作家論であり、舞台・演出家論であり、演出家・俳優論であり、存在・俳優論であり、俳優・演技論であるのです。
こうして、わたしたちは、上の表を使って、20歳の安部公房になってリルケの詩を読むこともできれば、42歳以降最晩年までの安部公房になってリルケの詩を読むこともできます。
さて、以上のように考えた上で、この詩を読んでみましょう。
【原文】
AUS EINEM APRIL
Wieder duftet der Wald.
Es heben die schwebenden Lerchen
mit sich den Himmel empor, der unseren Schultern
schwer war;
zwar sah man noch durch die Äste den Tag, wie er
leer war, --
aber nach langen, regnenden Nachmittagen
kommen die goldübersonnten
neueren Stunden,
vor denen flüchtend an fernen Häuserfronten
alle die wunden
Fenster furchtsam mit Flügeln schlagen.
Dann wird es still. Sogar der Regen geht leiser
über der Steine ruhig dunkelnden Glanz.
Alle Geräusche ducken sich ganz
in die glänzenden Knospen der Reiser.
【散文訳】
或る四月の中から(外へ)
再び、森が匂い立つ
宙に浮遊している雲雀(ひばり)たちは
自分自身と一緒に(自己を以って)、わたしたちの肩には
重かった其の天を高く持ち上げている
なるほど、人は、未(いま)だ数々の大枝を通して、一日というものが如何に空虚であったのかを見たのであるが
しかし、長い、雨の降り続いている数々の午後の後に
黄金色(こがねいろ)に太陽の光の射し渡った
より新しい、数々の時間がやってくるのであり
それらの時間から逃れて、遥かな家々の前面に在る
総ての傷ついた
窓々は、びくびくしながら(臆病なことに)、両開きの窓(の両翼)を打ちたたいているのだ。
すると、静かになるのだ。おまけに、雨が、より微(かす)かな音を立てて通って行くのだ
数々の石畳の石の、静かに大人しく(少しづつ)暗くなって行く輝きの上を。
総ての小さな物音は、全く潜(もぐ)り込むのだ
沢山の若枝の、輝いている沢山の若芽の中へと。
【解釈と鑑賞】
この詩は、二つの連からなっています。
最初の連の前半では、季節が循環し再び春になって再び匂い立つ森があり、雲雀が空を飛び、(冬の曇った空の低い天ではなく)抜けあがるような高い天があり、春になって、人はそれまでの冬の一日を、枯れ枝の大枝を通してみることによって「如何に空虚であったのか」を知っているのですが、これに対して、同じ連の後半では、長い雨が午後に降り続き、そのような数々の午後の後に、「びくびくしながら(臆病なことに)、両開きの窓(の両翼)を打ちたたいている」「それらの時間から逃れて、遥かな家々の前面に在る/総ての傷ついた/窓々」が歌われております。
この連を色分けしてみましょう。
再び、森が匂い立つ
宙に浮遊している雲雀(ひばり)たちは
自分自身と一緒に(自己を以って)、わたしたちの肩には
重かった其の天を高く持ち上げている
なるほど、人は、数々の大枝を通して、一日というものが如何に空虚であったのかを
見たのであるが
しかし、長い、雨の降り続いている数々の午後の後に
黄金色(こがねいろ)に太陽の光の射し渡った
より新しい、数々の時間がやってくるのであり
それらの時間から逃れて、遥かな家々の前面に在る
総ての傷ついた
窓々は、びくびくしながら(臆病なことに)、両開きの窓(両翼)を打ちたたいているのだ。
リルケは繰り返し、循環を歌います。『孤独』という詩の雨の天地の間の循環(『詩人たちの論じた安部公房論(連載第4回):磯田光一『詩人としての安部公房』』もぐら通信第31号))、この『四月』という詩の季節の循環、この『四月』という詩の次の詩『ハンス・トマスの60歳の誕生日のための二つの詩』という詩の、人間の年齢の循環といったように。
何故循環を歌うのか。何故循環の始まりで、この詩が始まるのか。この疑問をこころの中においておいて、その次に進みましょう。循環とは一体何か。
「再び、森が匂い立つ」のですから、その年の最初の季節が来ている。しかし、リルケは、これを時間の循環とはせずに、次の三行を以て、前の詩『入口』でみたように、時間を無化して、空間化し、この最初の時間をいわば雲雀の力を借りて純粋空間に変じせしめるのです。「入口」で、わたしたちは、「お前の両眼」が「極くゆっくりと、一本の黒い木を持ち上げる/そして、その木を天の前に立てる:しなやかにほっそりとして、一人で。」という光景を眼にしました。同じことを、リルケはここで行います。
「宙に浮遊している雲雀(ひばり)たちは
自分自身と一緒に(自己を以って)、わたしたちの肩には
重かった其の天を高く持ち上げている」
これは、普通の人間の日常的な感覚ではありません。
万葉集の歌人、大伴家持の次の歌を、わたしたちは知っております。
「うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しもひとりし思へば」
これが普通のわたしたちの雲雀の飛び方の感覚ではないでしょうか。雲雀は垂直に天に上がって飛んで行く。
しかし、リルケの雲雀は、空の中を飛ぶのではない。雲雀の方が「天を高く持ち上げている」。
哲学用語を用いて説明をすれば、主体(主観)と客体(客観)が交換されて、天が雲雀を内部に飛翔させているのではなく、雲雀が外部から天を持ち上げて、天を動かしている。
これは大伴家持のような普通の感覚に由来する道徳的な私達の感情を傷つけるような、実に不遜な考えだということも言い得るでしょう。しかし、リルケは、そんなことにお構いなく、このように内部と外部を交換して、純粋空間を創造するのです。
そうして、その天を持ち上げる力の由来は、上の道徳的な、社会的な非難を全く受け付けることすらせずに済むように、といいますか、そもそもそんなことには無関係に、「自分自身と一緒に(自己を以って)」、小さな雲雀は、この大きな力技を行うのです。自己であることを以って、自分自身と一緒にそうするのですから、誰から非難される筋合いのあるものではありません。この再帰的な自己の在り方は、十代の安部公房のこころに、リルケの歌う孤独の循環の感情とともに、染み渡ったことでありましょう。
そうして、小さな雲雀が此の大技を行う当の天は、普通の日常の中では、低く雲のたれ込める冬の間、本当に重く、ヨーロッパの冬景色そのままに、わたしたちの肩の上にのしかかっていたのです。
そうして、冬の季節の中では、森の木々は末枯(すが)れておりますから、「なるほど、人は、未(いま)だ数々の大枝を通して、一日というものが如何に空虚であったのかを/見たので」す。一日という時間の単位をすら、木々の大枝を通して見ることによって空間に変えたいというリルケの意志を思って下さい。これが、安部公房が読み耽ったリルケの意志なのです。さて、
「しかし、長い、雨の降り続いている数々の午後の後に
黄金色(こがねいろ)に太陽の光の射し渡った
より新しい、数々の時間がやってくるのであり
それらの時間から逃れて、遥かな家々の前面に在る
総ての傷ついた
窓々は、びくびくしながら(臆病なことに)、両開きの窓(の両翼)を打ちたたい
ているのだ。」
とあるように、そうして『孤独』という詩で既に見たように、その孤独と同じように、雨もまた循環するものでした。[註2]
[註2]
『詩人たちの論じた安部公房論(連載第4回):磯田光一『詩人としての安部公房』』(もぐら通信第31号)から引用して、お伝えします。
「まづ、『孤独』という詩から見てみましょう。
【原文】
Einsamkeit
Die Einsamkeit ist wie ein Regen.
Sie steigt vom Meer den Abenden entgegen:
von Ebenen, die fern sind und entlegen,
geht sie zum Himmel, der sie immer hat.
Und erst vom Himmel fällt sie auf die Stadt.
Regnet hernieder in den Zwitterstunden,
wenn sich nach Morgen wenden alle Gassen
und wenn die Leiber, welche nichts gefunden,
enttäuscht und traurig von einander lassen;
und wenn die Menschen, die einander hassen,
in einem Bett zusammen schlafen müssen:
dann geht die Einsamkeit mit den Flüssen ...
【散文訳】
孤独
孤独は、雨のように存在する。
孤独は、海から上がって、数々の夕暮れに向かって登って行く:
遠く、そして遠く隔たり辺鄙なところに在る数々の地平から上がって
孤独をいつも抱えている天に向かって行く。
そして、やっと天から、孤独は都市(町)の上に落ちて来るのだ。
孤独は、綯(な)い交ぜの時間の中で降って来る
朝の後に、全ての小路が向きを変えるときにはいつでも
そして、何も見つけることのなかった体という体が
幻滅し、そして悲しんで、互いに無関係に放っておくときにはいつでも
そして、互いに憎しみ合っている人間たちが
一つの寝床で、一緒に眠らなければならないときにはいつでも
すると、そこで、孤独は、数ある川の流れと共に、行くのである...
【解釈と鑑賞】
この詩を読みますと、この詩が何を歌っているかを、わたしたちは知ることができます。
それは、孤独は雨のように天上と地上と海の間を循環するということです。
最晩年の傑作『オルフェウスへのソネット』にも、この生命の循環という思想が歌われています。この長編詩の中では、生命が地下から樹木を登り、果実に結実して、果実がまた地に落ちて、この循環をするものとして歌われております。そうして、その地下に棲んでいるのは、死者たちなのです。
この詩に死者は登場しません。その代わりに、循環するものとして、孤独というものが存在するのです。第1連の最初の一行が、この詩の全体の動機をあらわしています。
そして、この循環するもの(この場合は孤独)は、遥かに遠いものを、循環によって接続するのです。遠さということ、相手と遠い距離があること、即ち別れること、別離、これが10代の安部公房にとっては、大切な愛の証明であったことを思い出すことに致しましょう。この愛と別れと死については、『もぐら感覚21:緑色』(もぐら通信第25号、第26号)で詳細に論じましたので、これをお読み下さい。遠い距離というのは、リルケの動機(モチーフ)なのです。愛と別れと死とを示すのが、安部公房の場合には、緑色という色彩なのでした。
さて、この孤独の循環ということから、わたしが思い出すのは、安部公房が19歳のときに書いた次の文章です。
「 例えば今此の庭に立つ見事な二本の樹を見給え。見る見る内に生が僕の全身から流れ出して其の樹の葉むらに泳ぎ著く。何と云うゆらめきが拡がる事だろう。僕の心に繋ろうとする努力がありありと見えて来る。さあ、此処で僕達が若し最善を発揮しようとしたならば一体何うすべきなのだろうか。こんなに僕を感じさせる或るもの、そこにある秘密を見抜く可きであろうか。いやいやそんな事ではあるまい。それは限りある行為であり外面への固定に過ぎないのではあるまいか。」(『〈僕は今こうやって〉』、全集第1巻、89ページ)
こうしてこの文章を、リルケの詩のあとに読みますと、「こんなに僕を感じさせる或るもの、そこにある秘密を見抜く可きであろうか。いやいやそんな事ではあるまい。それは限りある行為であり外面への固定に過ぎないのではあるまいか。」とある安部公房の終生の考え方、即ち、自己の内部と自己の外部にある生命の在り方そのものを言語に変換することは決してしないという考え方、生命そのものを生きたものとして大切にして秘密にしておきたいという考え方を実現するための考え方が、循環という思想、即ち最初に出発した地点に最後に戻って来るという、安部公房の考え方であることが判ります。例え、この循環という思想が、安部公房の大好きな位相幾何学(Topology)に拠るものであるにせよ。
このような意味でも、安部公房はリルケを必要としたのです。」
「しかし、長い、雨の降り続いている数々の午後の後に
黄金色(こがねいろ)に太陽の光の射し渡った
より新しい、数々の時間がやってくるのであり
それらの時間から逃れて、遥かな家々の前面に在る
総ての傷ついた
窓々は、びくびくしながら(臆病なことに)、両開きの窓(の両翼)を打ちたたい
ているのだ。」
長い雨の午後(複数形)の後に、「より新しい」時間(複数形)がやって来ます。そうして、その時間には、「黄金色(こがねいろ)に太陽の光の射し渡っ」ていて、その時間は「より新しい」時間だというのです。
「より新しい」時間だという意味は、何と比較をして「より新しい」のかといえば、それは、ここまで読んで参りますと、二つの意味があることでしょう。
1。冬の後の春の四月という「より新しい」時間の単位
2。午前の後の午後という「より新しい」時間の単位
上記1についての理解は、容易にできることでしょう。しかし、上記2についてはどうでしょうか。リルケは、この詩では、午後を「黄金色(こがねいろ)に太陽の光の射し渡っ」ている「より新しい時間」と歌っておりますが、それでは、午前という時間は、リルケにとっては、どのような時間であるのでしょうか。
この詩集の74番目の詩に『読む人』(『Der Lesende』)という詩があります。この詩を読みますと、やはり午後に読書をする此の詩の歌い手、話者は、その雨降る午後に、窓辺で(安部公房の重大なる主題!)、その雨の音を聞きながら読書をするのですし、それは此のとき既に夕暮の到来が予期されております。この詩についてはまた後日の紹介と致しますが、しかし、リルケという詩人の連想が、循環ー孤独ー午後ー雨ー読書ー窓辺ー夕暮ー時間の停止という(概念の)連想の鎖を持っているということを、ここでは留意しておくことにいたしましょう。
この『形象詩集』にも、その次の、詩集の題名から云っても時間を歌っている筈であるべき『時祷詩集』にも、一切午前という言葉は出て参りません。後者に至っては、その詩集の題名を裏切って、午後という文字も全く出て来ない。
これは異様なことではないでしょうか。
その異様を理解するために、上の連でリルケの歌う午後を、引っくり返して見ると、リルケの午前はどうなるかといえば、それは、「短い、日照りの続いている午前」であり、その前には「真っ暗で太陽の光の射さない、より古い時間」があるということになるでしょう。これは、そうしてみると、どうも夜という時間であるようです。午前は夜に続いている、しかし、午後は、次にあるように、時間の停止する、静かな夕暮に続いている。
「すると、静かになるのだ。おまけに、雨が、より微(かす)かな音を立てて通って
行くのだ
数々の石畳の石の、静かに大人しく(少しづつ)暗くなって行く輝きの上を。
総ての物音は、全く潜(もぐ)り込むのだ」
しかし、この夕暮の前に、わたしたちはリルケの窓について考えなければ、夕暮になりません。それは、次のような窓(複数形)です。
「それらの時間から逃れて、遥かな家々の前面に在る
総ての傷ついた
窓々は、びくびくしながら(臆病なことに)、両開きの窓(の両翼)を打ちたたい
ているのだ。」
「それらの時間」とは、その直前にある「より新しい、数々の時間」のことです。
しかし、リルケの窓は、どの窓も、家の前面にあるがために(と読むことができます)、表通りに面しているがために、その時間から逃れたいと思い、逃れるのです。しかし、全ての窓がそうなのではない。傷ついた全ての窓が、そうなのです。
一体これは何を言っているのでしょうか。
そう、文字通りに此の形象のままに、それを受け容れ、わたしたちは理解をすればよいのです。そうして、解釈をしようとすれば、何かと比較をすれば、よいのです。これは、この連載の第1回で、あなたにお伝えした通りです。
わたしの方法は、リルケの他の詩で窓を歌った詩を読み、その窓と此の窓を比較して、この窓を理解するという方法、言って見れば、そのような再帰的な方法です。言葉によって言葉を語らせるという再帰的な方法です。『形象詩集』の中には、窓の出てくる詩には、次のような詩があります。
1。『Die Braut』(『花嫁』)
2。『Martyrinnen』(『殉教者の女達』)
3。『Die Konfirmanden』(『堅信礼を受ける少年達』)
4。『Vorgefuehl』(『予感』)
5。『Die Heiligen Drei Könige Legende』(『聖なる3人の王の伝説』)
6。『Ein Gedichtkreis』のIIIとV(『詩の会』)
7。『Dem Andenken von Paula Becker-Modersohn』(『パウラ・ベッカー-モーダー
ゾーンの思い出に』)
8。『Die Aus dem Hause Colonna』(『コロンナ家から出る女』)
9。『 Der Lesende』(『読む者』)
10。『Der Schauende』(『観る者』)
11。『Die Blinde』(『盲目の女』)
これら11の詩に歌われているリルケの窓についても、これを論ずるだけで一冊の本ができることでしょう。今、ざっとこれらの詩の中の窓を打ち眺めて見ると、次のような特徴のある窓だということがわかります。それは何故そうなのかという問いは、今横においておくことにします。
1。表通りに面していること。(『Die Braut』(『花嫁』))
2。表通りには、並木道や家並みと言ったような、何か整然たるものが並んでいること
3。上記2の整然たるものは、古いものであること。(『Die Braut』(『花嫁』))4。その古い整然たるものの中では、夕暮は目覚めることなく、やって来ることはなく、夕暮れになることはない。(『Die Braut』(『花嫁』))
5。その窓辺には、女性であれば、処女(をとめ)が立っていること。(『Martyrinnen』(『殉教者の女達』))
6。その処女は、声を立てずに、沈黙の言葉を話すこと。(『Martyrinnen』(『殉教者の女達』))
7。男であれば、それは少年であること。(安部公房ならば未分化の実存といったでしょう)(『Martyrinnen』(『殉教者の女達』))
8。処女も少年も、その窓辺では、謂わば眠っていて、夢を見ているような状態にあること。(『Martyrinnen』(『殉教者の女達』))
9。この時には、窓は音を立てないこと。即ち、窓は安心して、静かにしていること。(『Martyrinnen』(『殉教者の女達』))
10。或いはまた逆に、社会の中で宗教的な神聖なる儀式が執り行われて、例えば少年の様に在る物(Ding=Thing)の存在が祝福される折には、窓は通りに面していても、自づから開いて、輝くこと。(『Die Konfirmanden』(『堅信礼を受ける少年達』))
11。風が到来すれば、物が動くこと。その際には、窓も動き、震えること。それ以前には、塵(ちり)すらも、重たいこと。(『Vorgefuehl』(『予感』))
12。驚くべきことには、『Die Heiligen Drei Könige Legende』(『聖なる3人の王の伝説』)という詩には、『さまざまな父』に登場する父と「週一度の手伝い」に来る「《ケーキ屋のおねえ》」が歌われていることです。前者は呪詛を吐き、夜に通りを歩く父親であり、後者はその父親が窓辺に来て呪詛の言葉を吐くことを恐れる週一回勤務でやって来る女性(助産婦)です。そのような父親の通りすがる窓ということになります。この窓もやはり、上記1の窓です。
13。窓の向こうにではなく、窓そのものの中、内(内部)に居れば、記憶を喪うこと。何もかも忘れることができること。『Ein Gedichtkreis』のIII(『詩の会』))
14。窓は、多分夕暮という時間の隙間(差異)を通じて、やはり夜と密接に結びついていること。(『Ein Gedichtkreis』のIII(『詩の会』))
15。窓が高い所にある窓であれば、時間も輝いて在ること。(『Dem Andenken von Paula Becker-Modersohn』(『パウラ・ベッカーーモーダーゾーンの思い出に』))
16。上記の1から15のような窓が開く際には、変形して、扉(ドア)の開くように、家の敷居までもの高さ(低さ)にまで開くこと。それは、実際に事実として、草原や道(共に複数形)を備えた公園であること。窓は、そのような公園である。この公園は、「問題下降に拠る肯定の批判」で18歳の安部公房が提唱した「遊歩場」という抽象的な上位接続の道を思わせます。この道は、やはり、こうしてみると、そのような道は、上記13にあるリルケの窓の内部、窓そのものの内にあったのです。
17。少年は、恰も窓辺に居るようであること。その窓辺は、貧救院のすべての窓の開く前の、四月の朝のように、少年の居る窓辺であること。
18。窓辺では垂直に立っているよりは、水平に横になる場所であること。(『Der Schauende』(『観る者』))
19。窓辺で、外に雨の降る時には、風の音も聞こえないので、例えば本も重たいこと。上記11を参照のこと。(『Der Schauende』(『観る者』))
20。窓の外で風が激しく吹けば吹くほど、例えばそれが木々を揺らすほどの嵐であれば、窓は不安を覚える窓であること。しかし、そうなればこそ、遥か遠くの物の言葉を聞くことができること。それは喜びであり、その遠い物の言葉は、姉や妹やそれに相当する親しく看護して呉れる女性と共に一緒にいて、愛することのできる遥かに遠い物であり、その言葉がやって来るのであること。(『Der Schauende』(『観る者』))
21。上記20の風は、嵐という強い風であれば、それは変形する者であること。森や時間の中を通り抜け、吹き抜けると、それらとそれらの中にある物をすべて変形して、時間のないものにしてしまうということ。(『Der Schauende』(『観る者』))
22。「わたしの鳥達は、裏通りではたはたと羽を打って飛ぶことになり、見知らぬ窓(複数形)に止まって傷つくのだ」という、鳥にとっては其のような窓であること。(『Die Blinde』(『盲目の女』))鳥は、高さの中を飛翔するが故に、そうして無心であることによって、存在となっている動物の一つなのであり、群れをなして飛んでいるにも拘わらず、また群れがものに当たって別れることがあっても、自然にまた一つの飛翔に還ることのできる、無時間の空間を生きる生き物なのでした。風もまた、リルケの世界では、鳥と同じ能力を有する存在なのでした。(『ドィーノの悲歌』『オルフェウスへのソネット』)
と、このように『形象詩集』の中の窓を一覧すれば、リルケの歌った窓がどのような窓であるかは、明らかです。
さて、以上の1から22を念頭において、再度、
「それらの時間から逃れて、遥かな家々の前面に在る
総ての傷ついた
窓々は、びくびくしながら(臆病なことに)、両開きの窓(の両翼)を打ちたたいて
いるのだ。」
という箇所を読んでみましょう。
しかし、リルケの窓は、どの窓も、家の前面にあって、表通りに面しているがために、その外部の時間から逃れたいと思い、逃れるのです。しかし、全ての窓がそうなのではない。傷ついた全ての窓が、そうなのです。何によって傷ついているのかと言えば、上記22のことで言えば、鳥の知っている窓であるからだということになるでしょう。
鳥とは存在になることのできている動物ですから、存在が知っている窓は、すべて傷ついているということになります。存在の知っている窓は、何によって傷つけられるのでしょうか。
それは、上の引用の直前にある次の行、
「しかし、長い、雨の降り続いている数々の午後の後に
黄金色(こがねいろ)に太陽の光の射し渡った
より新しい、数々の時間がやってくるのであり」
と謳われている其の午後の時間によって傷つけられるのです。
一体これは何を言っているのでしょうか。
ここで、この窓が「びくびくしながら(臆病なことに)、両開きの窓(の両翼)を打ちたたいているのだ。」と言われていることを思い出して下さい。
ここでは、雲雀という鳥ー飛翔ー窓の両翼ー打ちたたいて翼をばたばたさせること、という連想が働いているのです。ドイツ語では、観音開きの扉や窓のことを、窓の翼と呼んで、(鳥の)両翼と同じ言葉を以って言うのです。
こうしてみれば、ドイツ語の世界では、窓が観音開きの、両開きの窓であれば、それは玄関の扉(ドア)と全く同じ意味を持つということになります。上記16に書いたリルケの(ドイツの)窓の特性を思い出して下さい。安部公房は此の窓を理解したのです。安部公房の窓は観音開きの窓なのです。こうしてみますと、安部公房が奉天で見た窓は、日本国内の団地の窓は大いに異なり、団地の窓は安部公房の窓にはなり得ない窓であることがよく解ります。少年安部公房にとっての奉天の窓の意義と意味については、詳細は『安部公房の奉天の窓の暗号を解読する』(もぐら通信第32号と第33号)をお読み下さい。
ここで、上記22に書いた「わたしの鳥達は、裏通りではたはたと羽を打って飛ぶことになり、知らぬ窓(複数形)に止まって傷つくのだ」とあるように、リルケの詩の世界では、鳥は存在になる能力を有する生き物であり、存在になった鳥であり、存在である鳥にとっては、存在の窓ではない窓は、その窓に止まると、そのような傷つけられる窓であることを考えて下さい。
そうであれば、
「それらの時間から逃れて、遥かな家々の前面に在る
総ての傷ついた
窓々は、びくびくしながら(臆病なことに)、両開きの窓(の両翼)を打ちたたいて
いるのだ。」
という詩行の意味は、とてもよく理解されることでしょう。
長い冬のあと、循環されて春の到来があり、午後の「黄金色(こがねいろ)に太陽の光の射し渡ったより新しい、数々の時間」が到来しても、存在の窓にとっては、鳥のような存在を以外には、受け容れることが本来はできないのです。
それ故に、より新しい時間とはいへ、いや時間であるが故にこそ、窓は、その時間を受け容れることができず、それを恐れ、逃れることをするのです。
リルケは、このように詩を造形した。安部公房も、このように詩を造形した。しかし、後者はこの方法でそのまま小説も戯曲も写真も造形した。この苦闘が、1950年代のマルクス主義と日本共産党の超克の苦しみであったのだということが、リルケの詩をこのように読み解いて参りますと、よく解ります。
天を垂直に立てる雲雀という鳥は、存在でありますから、前の詩『入り口』の「お前の両眼」[註1]もまた、そのような、鳥のような、存在の眼であることは、自明でありましょう。
また、
「しかし、長い、雨の降り続いている数々の午後の後に
黄金色(こがねいろ)に太陽の光の射し渡った
より新しい、数々の時間がやってくるのであり
それらの時間から逃れて、遥かな家々の前面に在る
総ての傷ついた
窓々は、びくびくしながら(臆病なことに)、両開きの窓(の両翼)を打ちたたいて
いるのだ。」
という行では、わたしは「それらの時間から逃れて、遥かな家々の前面に在る/総ての傷ついた/窓々は、びくびくしながら(臆病なことに)、両開きの窓(の両翼)を打ちたたいているのだ。」と一つの主文であるように訳しましたが、しかしリルケのドイツ語では、この詩の主題、またリルケの此の終生の形象は、従属文という二次的な文の中に、そういう意味ではさりげなく、収まっていることに注意を払って、このことにご留意下さい。同じことは、これからも繰り返し出て来ることでしょう。このことにも、前回の詩『入り口』でお伝えしましたように、安部公房は十分に気づいているのです。
さて、この詩では、雲雀という鳥は、羽をばたばたさせて垂直に飛び、そうであれば、窓もまた窓の両翼をばたばたさせて、垂直に対象を立てて、存在を造形しようとしているということになります。
そのようなことが起これば、一体何が起きるのか。
「すると、静かになるのだ。おまけに、雨が、より微(かす)かな音を立てて通って行
くのだ
数々の石畳の石の、静かに大人しく(少しづつ)暗くなって行く輝きの上を。
総ての物音は、全く潜(もぐ)り込むのだ
沢山の若枝の、輝いている沢山の若芽の中へと。」
窓という鳥が両の翼をはためかせて垂直の存在を招来すると、静かになり、沈黙が訪れるのです。
あの午後を運んできた雨でさへもが、「数々の石畳の石の、静かに大人しく(少しづつ)暗くなって行く輝きの上を」「より微(かす)かな音を立てて通って行」きます。
そうすると、いよいよ全ての音が、小さな音に至る音までもが、沈黙の中に沈みます。
「総ての小さな物音は、全く潜(もぐ)り込むのだ
沢山の若枝の、輝いている沢山の若芽の中へと。」
「総ての小さな物音」が「沢山の若枝の、輝いている沢山の若芽の中へと」入り込んで、つまり循環構造の中に、従い存在の中に「全く潜(もぐ)り込」んで、また来年の春に、この詩の題名の通りに、昔々或る所に『ある四月の中から』外へと、出て来ることになるのです。
そうしてみますと、この詩の題名と、最初の詩行は連続して読むことが出来ます。即ち、
「四月の中から/再び、森が匂い立つ」ということになります。
これが最初の一行の「再び」の意味なのです。
「総ての小さな物音は、全く潜(もぐ)り込むのだ」と訳した此の「潜り込む」という動詞は、それを見て、わたしが最初に連想するのは、家鴨(あひる)のような水鳥がさっと素早い動作で水面の中に潜る形象です。
このように、この詩と、この詩を読むとリルケの世界は、
循環ー孤独ー午後ー雨ー読書ー窓辺ー夕暮ー時間の停止という連鎖と
雲雀ー鳥ー飛翔ー天ー垂直に立てるー両開きの窓(両翼)ー存在ー水面に潜り込むー若芽ー若木ー四月
という二つの連鎖でできているということができます。
この言葉の連鎖を一つにすると、次のようになるでしょう。
循環ー孤独ー午後ー雨ー読書ー窓辺ー夕暮ー時間の停止ー雲雀ー鳥ー飛翔ー天ー垂直に立てるー両開きの窓(両翼)ー存在ー水面に潜り込むー若芽ー若木ー四月ー循環
誠に美事な、リルケの詩であり世界だという以外にはありません。
詩は、連想の藝術なのです。
追記:
以上のことを考えて、循環構造をリルケの詩から教わった安部公房が23歳のときに上梓した『無名詩集』の最初に置かれた詩『笑ひ』の冒頭が、次のように始まることは、何か異様な感じが致します(全集第1巻、222ページ)。即ち、これは否定されたリルケの循環構造であるからです。敗戦後の奉天であるか、奉天から内地に帰還する旅の中であるか、その後の内地での苦労の故であるのか、この最初の一行は、陰画の循環を歌っております。その冒頭です。
「笑ひ
じつと噛みしめて
もう二度と笑はなくなつた唇が
細々と語る悦びを私は愛した」
生きた人間であれば繰り返し循環的に笑う筈の笑いを、その唇はもはや笑はない。そうではなく、声を立てるのではなく、その唇は存在しない笑いを繰り返し「細々と語る」のであり、その存在しない笑いを繰り返すことのできる唇の「細々と語る悦び」を「私は愛した」というのです。
最後は、このようになっています。
「やがて世界が笑ふだらう
ささやかなその滅亡の丘にたつて
一切を忘れる笑ひが育つだらう」
最初の連にある自己ではなく、最後の連にある世界が、最初の連の自己に代わって笑ってくれるその笑いはきっと大声の笑いになるのでしょうか、それともやはり細々と語るように笑う笑いなのでしょうか。しかし、陰画の笑いであることは間違いのないことでしょう。
この「じつと噛みしめて/もう二度と笑はなくなつた唇が/細々と語る悦びを」「愛した」「私」とは、最初に掲げたあの表(Matrix)のどこにいる自己であるのでしょうか。
また、この最初の詩のこの笑いを見ただけでも、安部公房は「リルケ風の詩」を書いていたのでもなければ、「叙情的な詩」を書いていたのでもないことが明瞭です。安部公房の『無名詩集』に対する批評家や詩人たちの言は、周囲にいた友人たちも含めて、そのように言いたいままに言わせておいたのだということが判ります。安部公房は誤解を敢えて解こうとはしなかった。恐らくは、「じつと噛みしめて/もう二度と笑はなくなつた唇が/細々と語る悦びを」「愛した」自己は、リルケの今回の詩で言えば、最後の二行にあるように、存在の中に潜り込んだのです(安部公房のもぐら感覚!)。
しかし、回帰して生まれるのは「沢山の若枝の、輝いている沢山の若芽」の中からではなく、「ささやかなその滅亡の丘にたつて/一切を忘れる笑ひ」の中だったのであり、自己が「廃疾」となることを代償に「やがて世界が笑ふ」笑ひであるということになります。
この「やがて世界が笑ふ」笑ひを観る自己は、最初に掲げたあの表(matrix)のどこにいる自己であるのでしょうか。[註3]
[註3]
この問いに対する答えが、恐らくは哲学談義を親しく交わした友、中埜肇に宛てた手紙の中でいっている次の発言なのです。『安部公房と共産主義』(もぐら通信第29号)より抜粋します:
「詩については、『第一の手紙~第四の手紙』で「詩以前」を論じています(全集第1巻、191ページ下段)。この散文を書いた1947年、安部公房23歳の時には、既に詩人安部公房にとっての危機と転機の時期が訪れていたのです。前年1946年には満洲から引き揚げて来て、日本に帰国した翌年のことです。このときの危機は、詩人としての危機でした。
この危機をこのように『第一の手紙~第四の手紙』で存在論的に思考して考え抜いて乗り越えて同じ歳に出版したということが『無名詩集』の持つ、それまでの10代の「一応是迄の自分に解答を与へ、今後の問題を定立し得た様に思つて居ります」(『中埜肇宛書簡第9信』。全集第1巻、268ページ)と10代の哲学談義をした親しき友中埜肇に書いた『無名詩集』の持つ、安部公房の人生にとっての素晴らしい価値であり、安部公房の人生に持つ『無名詩集』の意義なのです。
小説については、この『猛獣の心に計算機の手を』で、「読者の存在」(全集第4巻、497ページ)と呼んでいます。「小説の存在」とは言わなかったのは、小説は読者あっての小説だという考えであるからです。ここで「読者の存在様式こそ、小説の表現(認識の構造)の様式を決定する」と書いておりますので、小説以前の存在を読者の存在として論じていることがわかります。この読者とは何を意味するかについては、上記本文で、また[註20]で論じた通りです。このときの危機は、小説家としての危機でした。そうして、シナリオ(drama、劇)を執筆する戯曲家たる安部公房が、小説家たる安部公房のこころを救済したのです。
戯曲と舞台についても、安部公房は同じ思考の順序を踏んでいて、1970年代の安部公房スタジオの俳優たちには、「戯曲以前」にまづ「言葉による存在」になること、俳優以前にまづ「言葉によって存在」することを要求しています。[註24]この言葉を読むと、安部公房が、この安部スタジオをどのような思いで立ち上げたのかが、よく判ります。これも、詩や小説の場合と同様に、10代の安部公房の詩の世界、即ち、時間の無い、自己が存在になることのできるリルケの純粋空間への回帰なのです。このときの危機は、戯曲家としての危機でした。
その淵源を求めて時間を遡れば、最初にこの何々以前という考え方が文字になっているのは、やはり20歳のときに書いた『詩と詩人(意識と無意識)』です。この詩論・詩人論では、「価値以前」と存在が呼ばれて、この存在を更に夜と言い換えて論じられております(全集第1巻、112ページ上段)。この『詩と詩人(意識と無意識)』は、『中埜肇宛書簡第1信』によれば、遅くとも此の書簡を書いた1943年10月14日、安部公房19歳の秋には、「新價値論とも云ふ可きものの体系」として考えられております(全集第1巻、68ページ下段)。」
即ち、『没我の地平』という詩集と『無名詩集』という詩集の間にはある径庭(距離)があるのです。他方、勿論、前者から後者に移された形象もあり、詩もあります。そうして、安部公房がその移行で、その差異の間で何を考えたのか、これは後日の『無名詩集』論の論題の一つと致します。
こうしてリルケの詩を読みながら考えて参りますと、この『無名詩集』論は、
1。リルケの『形象詩集』
2。リルケの『マルテの手記』
3。『詩と詩人(知識と無意識)』
4。『没我の地平』
5。『第一の手紙~第四の手紙』
これらの作品を読んで、「『無名詩集』の持つ、それまでの十代の「一応是迄の自分に解答を与へ、今後の問題を定立し得た」ことを読み解くことになりましょう。
そうであれば、「是迄の自分」とは『没我の地平』までの自分である其のような安部公房の自己と、それから、自己「以前」の自己、即ち存在が「定立し得た」「今後の問題」を『無名詩集』に読み解くことになります。
しかし、既に『安部公房の奉天の窓の暗号を解読する~安部公房の数学的能力について~』を書き終えた私は、その答えを得ております。それは、空間的には「予(あらかじ)め喪われたもの」が、時間的には「予(あらかじ)め喪われた時間」が、このとき安部公房にはあったということです。
それは、『無名詩集』の『笑ひ』という詩が最初に何故措(お)かれているのかという理由でもあります。リルケの『形象詩集』の最初に『入口』と題した詩が措かれるべくして措かれているように、『無名詩集』の『笑ひ』という詩も措かれるべくして措かれているのです。
この『笑ひ』という詩にある喪失は、安部公房が奉天で経験した、間違いなく、次の五つの喪失です。
1。満洲国という安部公房にとっての祖国の喪失
2。奉天という圧倒的に幾何学的な町、即ち安部公房の古里の喪失
3。父親の喪失
4。安部家の喪失
5。自己の喪失
この経験は、当時、哲学談義を交わした親しき友、中埜肇宛に書いた安部公房の手紙には、次のように書かれております。1946年、安部公房23歳。敗戦の翌年です。傍線は筆者。
「(略)
僕の現在の状態、勿論君が幾分なりとも興味を持たれるのは僕の精神的、乃至は心的な状態でせう。だが、先づ外的な事-----一番お話しし易いので-----から申しますと、第一に財政的困窮です。父を失ふと同時に全財産を失つて、僕は今、先づその日の糧から心配して行かなければならぬ立場です。若し高谷が居て呉れなかつたら、僕は東京に出て一週間と暮らす事は出来なかつたでせう。(略)
詩人、若くは作家として生きる事は、やはり僕には宿命的なものです。ペンを捨てて生きると言ふ事は、恐らく僕を無意味な狂人に了らせはしまいかと思ひます。勿論、僕自身としては、どんな生き方をしても、完全な存在自体-----愚かな表現ですけれど-----であれば良いのですが。唯その為に、僕としては、仕事として制作と言ふ事が必要なのです。これが僕の仕事であり労働です。(略)」(『中埜肇宛第8信』全集第1巻、188~189ページ)
安部公房は「完全な存在自体」になる為に、詩を書き、写真を撮り、小説を書き、戯曲を書いたのです。
この存在の概念は、相対概念であり、関係概念、関数であって、この関数は、奉天の窓の数ほど存在しているということは、『安部公房の奉天の窓の暗号を解読する~安部公房の数学的能力について~』(後篇)で詳細に論じた通りです。安部公房の存在概念を理解するために、この論考をお読み下さると有り難く思います。
さて、そうしてみれば、この最初におかれた『笑ひ』という詩の笑ひは、その笑ひを笑ふという唇の二つに分かれた形態から言っても、差異なのであり、その差異が笑ひを笑へば、それは存在の笑ひだということになるでしょう。そうして、この理解は正しいのです。
何故ならば、その「世界が笑ふだらう」笑ひ、「ささやかな滅亡の丘に立つて」「育つだらう」笑ひは、「一切を忘れる笑ひ」であり、忘却の笑ひであるからです。
この存在の忘却の笑ひを招来する為に、いつも安部公房がそうするように、やはりその直前に呪文を、この古代的な呪(まじない)の言葉をおいて其の場所を祓い清めて、その存在の、古典的な言葉で言えば、結界の中に、入って行くのです。(安部公房の此の呪文についても『安部公房の奉天の窓の暗号を解読する~安部公房の数学的能力について~』(後篇)の「18。安部公房が奉天で書いた詩を読み解く」で詳細に論じた通りです。)
それは、次の呪文です。
「情熱は絶え 憧れは葬られる」
呪文とは同時に祈願文でもありますから、「情熱は絶え」と「憧れは葬られる」の間に一文字分の空白を措いたの此の一行が書ける限り、安部公房は「完全な存在自体」となることができているのです。
この後は、『安部公房の奉天の窓の暗号を解読する~安部公房の数学的能力について~』(後篇)を、特に、しかし、「18。安部公房が奉天で書いた詩を読み解く」(もぐら通信第33号)をお読み下さい。一層深く、安部公房という人間を理解することができる筈です。:https://ja.scribd.com/doc/267063607/第33号