【Eichendorfの詩 54-3】Wehmut(哀傷)
【原文】
3
Es waren zwei junge Grafen
Verliebt bis in den Tod,
Die konnten nicht ruhn, noch schlafen
Bis an den Morgen rot.
O trau den zwei Gesellen,
Mein Liebchen, nimmermehr,
Die gehen wie Wind und Wellen,
Gott weiss: wohin, woher.―
Wir grüßen Land und Sterne
Mit wunderbarem Klang
Und wer uns spürt von ferne,
Dem wird so wohl und bang.
Wir haben wohl hienieden
Kein Haus an keinem Ort,
Es reisen die Gedanken
Zur Heimat ewig fort.
Wie eines Stromes Dringen
Geht unser Lebenslauf,
Gesanges Macht und Ringen
Tut helle Augen auf.
Und Ufer, Wolkenfluegel,
Die Liebe hoch und mild―
Es wird in diesem Spiegel
Die ganze Welt zum Bild.
Dich rührt die frische Helle,
Das Rauschen heimlich kuehl,
Das lock dich zu der Welle,
Weil's draussen leer und schwül.
Doch wolle nie dir halten
Der Bilder Wunderfest,
Tot wird ihr freies Walten,
Haeltst du es weltlich fest.
Kein Bett darf er hier finden.
Wohl in den Taelern schoen
Siehst du sein Gold sich winden,
Dann plötzlich meerwärts drehn.
【散文訳】
ふたりの若い伯爵がいて
ふたりは死ぬほどに恋をしていた
ふたりは、こころも体も休まらず、また眠ることもできなかった
燭光の赤い光の朝の来る迄。
ああ、このふたりの仲間を信頼してはならぬ
わたしの愛する者(女性)よ、決してもはや二度とは。
ふたりは風と波のように往く
神は知っているのだ:どこへ往くのか、どこから来るのかを。
わたしたちは、国土と星々に挨拶をする
不思議な響きを以て
そして、わたしたちを遠くから感ずる者
その者には、かくも間違いないと思い、しかし同時に、不安になるのだ。
どこの場所にもどんな家も持たず
様々な考えだけが旅をして
故郷へと永遠に旅を続けて進むのだ。
流れ(河)の押し迫るように
わたしたちの人生の軌跡は往き
歌の力と格闘は
明るい両目を開かせる。
そして、岸辺、雲の翼、
愛が、高く、そして柔和に―
この鏡の中では
全世界が像を結び、像となっている。
お前に触れるのは、新鮮な明るさであり
さやけき音は、密かに冷たく
それがお前を波へと誘惑する
何故ならば、外は空虚であり、湿っぽいからだ。
しかし、お前のところには、決して
数々の像の不思議の宴はその宴を張ってはならぬ
それら(数々の像)の自由な宰領(支配)は死に
お前はそれ(自由な宰領)を世俗の世ではしっかりと捕まえて、自分のものとしているからだ。
どんな寝床も、彼はみつけてはならぬ。
きっと谷々の中では美しく
お前は彼の黄金が巻いて廻転しているのを見、
次に突然として、海の方角へと旋回するのを見るのだ。
【解釈と鑑賞】
同じ題名のもとでの3番目の詩です。
この詩は、不思議な詩で、普通に読んでも、幾つかの箇所は何を言っているのか、よくわからないところがあります。
ひとつひとつ見て参りましょう。
第1連は、ふたりの若者の恋を歌い、恋をすれば、その男を信じてはならぬという。
ふたりの若い伯爵という設定に、何かアイヒェンドルフの小説の世界に通う発想を覚えます。そこに何か物語りがありそうです。
しかし、それはそれ、風と波に直喩で譬えておりますので、頼りなく、移ろい易いという意味なのでしょう、そのような若者の恋というものは。
第3連で、
わたしたちは、国土と星々に挨拶をする
不思議な響きを以て
そして、わたしたちを遠くから感ずる者
その者には、かくも間違いないと思い、しかし同時に、不安になるのだ。
と歌う話者のいう「わたしたちは」とある「わたしたち」とは、国土と星々に挨拶をするというのですから、これは詩人であるわたしたちという意味でしょう。しかも尚、不思議な響きを以てするとあるからには尚さら。
第4連で歌われるわたしたちの旅は、これまで見て来た通りの詩人の旅です。故郷にも永遠に現実には直には辿り着かないことは自明です。
第5連をみると、詩人の人生行路は、何か眼に見えない自然の力の衝迫によるものだということがわかります。それに抗して、また従ってということでしょうか、歌う歌の力と格闘は、詩人の両の眼(まなこ)を明るく開かせる、或いは明るい眼を開くというのは、明るいという形容詞はアイヒェンドルフの愛用する形容詞ですから、詩人が物事や世界や世間をみるのに闊達な眼だということがわかります。
第6連で重要な言葉は、鏡です。アイヒェンドルフは、詩人は鏡の中の像を見ると考えていること、これがこの詩人の詩を理解する、いわば秘密の鍵です。この詩人は、自己の姿を世界に見ているのです。世界を写すのは、鏡である。鏡には自己の姿が映っている。それは、
岸辺、雲の翼、
愛が、高く、そして柔和に
あるさまである。
第7連で、
お前に触れるのは、新鮮な明るさであり
さやけき音は、密かに冷たく
それがお前を波へと誘惑する
何故ならば、外は空虚であり、湿っぽいからだ。
とあるのを読むと、詩人は、外は空虚で湿っぽいとありますので、内、詩人のこころの内は、逆に生命が充実していて、湿っぽくはない、或いは乾いていると考えていることがわかります。
世界を観るのは鏡の中とう前の連と、この連は呼応していることがわかります。世界もこころの内にあるのでしょう。そして、それは密かに冷たくとありますから、第1連の若者達の恋のような感情とは無縁の感情(それが感情ならば)です。それ故に、愛する娘には、ふたりの若き伯爵を信用してはならないと歌ってのでしょう。ということは、この密かに冷たい詩人の感情は、変わることがなく、永遠であるという含意があることでしょう。
第8連は、詩人と世間の関係を歌っている。様々な像(形象)を支配するのは、その世に、上のように一種倒錯した関係でいる詩人であるのだと歌っています。
最後の連では、
どんな寝床も、彼はみつけてはならぬ。
きっと谷々の中では美しく
お前は彼の黄金が巻いて廻転しているのを見、
次に突然として、海の方角へと旋回するのを見るのだ。
と歌い、詩人の手にする財貨をこのように歌っているのです。どんな寝床もないということから、旅を寝床とする詩人としてあるならば。
これは、このまま日本の詩人にも、勿論通用することでありましょう。
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