2014年2月14日金曜日

【西東詩集57-10】 Vesir(Vesir)


【西東詩集57-10】 Vesir(Vesir)


【原文】

Der gute Mann hat wenig begehrt,
Und hatte ichs ihm sogleich gewährt
Er auf der Stelle verloren war.

SCHLIMM ist es, wie doch wohl geschieht,
Wenn Wahrheit sich nach dem Irrtum zieht;
Das ist auch manchmal ihr Behagen,
Wer wird so schöne Frau befragen?
Herr Irrtum wollt' er an Wahrheit sich schliessen
Das sollte Frau Wahrheit bass verdriessen.

WISSE dass mir sehr missfaellt
Wenn so viele singen und reden!
Wer treibt die Dichtkunst aus der Welt?
              Die Poeten!


【散文訳】

善き男は、少なく求めた
そして、わたしがそれを善き男に即座に授けて、叶えてやったので
その男は、その場で駄目な奴になってしまった。

悪いのは、何といってもそれは間違いなく起こるわけだが、そのように
もし真理が過ちに向かって進むならば
それは、実際よくあることだが、真理にとっては快適なのであり
かくも美しい(真理という)女性に質問するのは誰だ?
過ち氏が、真理に連なりたいと思うならば
それは、真理婦人をもっと多く不機嫌、不愉快にするだろう。

わたしには、非常に気に入らないのだということを、お前達は知るがよい
かくも多くの人間どもが歌い、且つ議論をするというならば!
誰が、詩という芸術を、この世から追いやるのだ?
        それは、詩人たちが、だ!


【解釈】

この詩を歌っているVesirという名前の意味がわかりませんでした。

ペルシャ由来の言葉であるのでしょうか。前の詩が、信頼されたる者、信頼されたる男という題名したから、それを受けてのこのVesirという者が答えているのです。

この者は、やはり世の逆説を知っているとみえて、その第1連は、まさしくその通りだと思われます。

少なく願っても、自分の力でそれを願い、成就しないものは、力を貸したその場で駄目になるといっているのです。

第2連では、ゲーテは、ドイツの中世の詩人たちのように、真理を真理婦人と呼び、一種の存在として歌っております。それに対して、過誤氏という男性が登場します。

最後の一行の、そのようなどうしようもない、ろくでもない歌を歌い、議論もふっかけて、詩という芸術を世間から追い出すのは、詩人自身であるといっております。

この最後の詩人たちである!という詩人たちは、複数形になっていて、もう一切合切の、あの有象無象の馬鹿どもがという感じがよくします。

わたしのみるところ、これは、日本の今の詩人たちにも、実によく当て嵌まるのです。

この最後の連は、時代を超えて、まさしく、真理であり、真理婦人の言なのです。


0 件のコメント: