2012年6月30日土曜日

第28週:Wechseln Gesichter (顔を取り替える) by Cherbel Dagher (1950 - )



第28週:Wechseln Gesichter  (顔を取り替える) by Cherbel Dagher (1950 -  ) 

【原文】

Wechseln Gesichter

Ein Gesicht folgt einem Gesicht.
Es liest in einem verschleierten Gesicht.
Ein Gesicht ohne Spiegel
gelangt nicht ans Fenster,
hat nur eine Farbe
und ein sanftes Rauschen im Verborgenen des Wassers.
Ich habe ein Gesicht,
das in meiner Tasche versteckt ist
und dem ich nur im Geheimen näher komme.


【散文訳】

顔を取り替える

顔が、顔について行く。
顔は、包み隠された顔の中の意味を読む。
鏡の無い顔は
窓辺に行き着くことはなく、
ひとつの色を持つだけであり
そして、柔らかな潺湲たる音を、水の隠されたものの中に持つ。
わたしは顔を持っていて、
それはわたしのポケットの中に隠されていて
そして、わたしは秘密裏にのみ、その顔のもっと傍に近寄るのだ。


【解釈と鑑賞】

この詩人は、アラブの詩人です。

インタネットで検索して、Wikipediaはありませんでしたが、この詩人がEdward Saidのオリエンタリズムについてのインタービューを受けて答えた記事が載っていましたので、引用して、掲載します。ご興味のある方はお読み下さい。

次のURLアドレスです。

http://www.aljadid.com/content/rethinking-edward-saids-orientalism-interview-charbel-dagher

この記事からの引用ですが、次のような方です。

a professor at Balamand University, Lebanon, has been an active and prominent voice on the Arab cultural scene, mainly in the fields of poetry, Arabic language, and Arab and Islamic arts.


この詩の題名から言って、この詩は、ひとの顔は交換できるし、いつも交換されているということを歌っているのではないでしょうか。

それが、顔は顔につき従っているという一行目の意味。

鏡の無い顔は
窓辺に行き着くことはなく、

という行は、安部公房の10代の散文を思い出させます。

その個人が外の景色を眺め、知ることの交流の窓口が、文字通りに窓なのです。

しかし、どうやら、鏡があれば、窓辺に行き着くことができそうです。

鏡は、自分自身を知るためのもの、自分の顔をみるための道具です。

そのような鏡をその顔(そのひと)が持っていなければ、そのひとは自分の外を見る事ができないのでしょうか。

しかし、窓辺に行き着かないけれども、この顔は、

柔らかな潺湲たる音を、水の隠されたものの中に持つ。

とあるので、何か清冽なものを自分の内側に持っているようです。たとえ、それが単色であって、多彩な色を帯びていなくても。

Tascheという言葉を、わたしはポケットと今様に訳しましたが、懐中と、少し古めかしく訳したいところです。

懐中に自分の本当の顔があって、自分ですら秘密裏に、ということは人前であることは全然ない機会に、近寄ってみることができると言っています。

顔は、包み隠された顔の中の意味を読む。

という2行目の一行は、わたしたちの日常の行いを率直に歌った一行だと思います。

こうして、また詩の題名に戻ってみると、わたしたちの顔はどれも似ていて、交換可能であるということなのでしょう。他方、それぞれの顔は、この詩人の歌うような顔であるかも知れません。

そのような顔は、他人には知られる事がないと言っているのでしょう。

しかし、寂寥感のある詩ではなく、もっと乾いていて、その現実を受け入れ、生きているという感じのする詩です。

アラブの気候と風土のせいでしょうか。




2012年6月27日水曜日

【Eichendorfの詩2】Frische Fahrt (新鮮な舟旅)


【Eichendorfの詩2】Frische Fahrt (新鮮な舟旅)

【原文】

Frische Fahrt

Laue Luft kommt blau geflossen,
Fruehling, Fruehling soll es sein!
Waldwaerts Hoernerklang geschossen,
Mut'ger Augen lichter Schein;
Und das Wirren bunt und bunter
Wird ein magisch wilder Fluss,
In die schöne Welt hinunter
Lockt dich dieses Stromes Gruss.

Und ich mag mich nicht bewahren!
Weit von euch treibt mich der Wind,
Auf dem Strome will ich fahren,
Von dem Glanze selig blind!
Tausend Stimmen lockend schlagen,
Hoch Aurora flammend weht,
Fahre zu! ich mag nicht fragen,
Wo die Fahrt zu Ende geht!



【散文訳】

新鮮な舟旅

穏やかな気持ちのよい空気が、青く流れてやって来る
春だ、春が来たに決たのだ!
森の方で、角笛の響きが放たれ
その気満々の目の明るい輝き
そして、混乱が多彩に乱れ、もっと乱れて
魔的な野生の川になり
美しい世界の中へと入って行って
お前を、この流れの挨拶が誘惑するのだ。

そうして、わたしは自分自身の身を守りたいとは思わない!
お前達から遥かに、わたしを風が追いやり
流れの上を、わたしは船に乗って行くのだ
輝きのために、至福に盲(めし)いて!
幾千の声が誘惑しながら激しく響いている
高くオーロラが燃えてたなびく
そこへ船で行けよかし! わたしは問いたくないのだ
船の旅がどこで終わりになるのかを!


【解釈と鑑賞】

このGedichteと題された詩集には目次がなく、今この詩集の目次の全体をみることができないのですが、しかし、二つ目の詩を訳そうとして気がついたのですが、前回Wanderliederという題名として訳した4行詩は、正確には、「1. Wanderlieder」と題されていて、即ち、この詩集の第1章という意味であり、その章全体の名前なのでした。

更に即ち、前回の詩は、言わば、旅の歌という章のエピグラムというわけでした。

ですから、前回の詩のこころは、これから地上と天上を行き交う使者の歌をお届けします、という意味だったのです。そうしてまた、そのような使者の詩はいづれも、新鮮な胸からでなければ生まれて来ないという詩であったのです。

以上のことを、ここに訂正して、改めて、最初のこの「新鮮な旅」と題された詩を読むことにします。いづれの詩も、新鮮なこころから生まれた詩。そして、その最初の詩です。

Frische FahrtのFahrtは、船に乗って行く事をいっていますので、新鮮な船の旅という訳になるでしょう。

新鮮なとは、この詩を読みますと、春のという言葉と同義です。

春は、惑い、混乱の季節である。

空気、風、角笛、森、混乱、川、世界、流れ、挨拶、船、輝き、至福、盲目、誘惑、声、オーロラ、終わり

と詩の中から、これらの言葉を抜き出して並べてみると、この旅の詩人の世界を、またこの旅の詩を理解することができるのではないでしょうか。






2012年6月26日火曜日

Superflatの世界


Superflatの世界

Hart Craneというアメリカのゲイの詩人に関して、
白人種のゲイの世界を知りたいと思い、
ロバート・メイプルソープという写真家の写真集のURLアドレスを
幾つか若い詩人に教えてもらった。

本当に、インターネットの時代は、スーパーフラットだ。素晴らしい。

これは、わたしの夢想が現実になってしまったとぃう世界である。
即ち、時間と空間の値がゼロ。距離も時差もなくなったように見える。
いつも今、この今だけ。(しかし、ある意味(senseー意義というべき)、
これは子供たちの世界である。)

ということで、このフェイスブックも成り立っている。

おい、Zuckerberg君、世界は構造を備えているんだぜ。たまには思い出してくれよな。

(宇宙の知性は時間の流れの中で沐浴が終わったら、必ず新しい世界を創造する。勿論、実に単純な唯一の普遍言語規則に従って。あるいは、ギリシャ人がlogosと呼んだもの)

他方、わたしのように日本にいて、旨い酒と蕎麦と魚があればいいという出不精で、怠惰な人間は、localtyの方に傾くのだなあ。その方が人間は幸せだと思うけれど。

Genius loci、地霊とともに住みたいものだ。

日本の古代の名前で呼ばれる土地で、一生を終えたいものである。




2012年6月25日月曜日

Lao Tse on a blue cow



Lao Tse on a blue cow

Lao Tse, on a blue cow,
Is leaving KankokuKan
In West

His farewell is
His purity, which is
Always a way of his thinking,
Always a channel of his considering
Always a logic of his pondering
It is a law to understand the essence of the universe. 

(Trails of his thinking shine like water.)

The essence of the essence is a gate of the universe
He came out of the gate, he passed through the gate
He came through the gate, he came out of the gate
It was a long, long journey through the womb of the Mother

(How many times I was reborn!)

Now, this journey comes to end finally

Good bye

Said Lao Tse,
Closing the last gate of the gates

(Riding, far, on a blue cow)

P.S.
Please let me know how to spell"函谷関", Kankokukan, alphabetically by Chinese pronouciation, in the first stanza, if you may know it.

【Eichendorfの詩1】Wanderlieder (旅の歌)


【Eichendorfの詩1】Wanderlieder (旅の歌)

【原文】


Wanderlieder

Viele Boten gehen und gingen
Zwischen Erd und Himmelslust,
Solchen Gruss kann keiner bringen,
Als ein Lied aus frischer Brust 



【散文訳】

旅の歌

多くの使者たちが行く、そして行ったものだ
地上と、天の喜びの間を
だれも、そんな挨拶を運んで来ることができない
新鮮な胸から生まれたひとつの歌以外には


【解釈と鑑賞】

これは昨日アメリカのamazon.comのeBookで購入したアイヒェンドルフの詩集、Gedichte (1841年刊行)の最初の詩です。

著作権が切れており、また電子書籍ですので、ゼロドルでした。凄い時代になったものです。

この詩人の散文の作品も、主人公は旅をしているものが多いのではないかと思います。

わたしがこの詩人を思い出し、その詩を読んで、改めて感銘を受けたのは、昨年のドイツ語詩53週のカレンダーの「Weihnachten」(クリスマス、またはクリスマスの夜、あるいは聖夜)を読んだときでした。素晴らしい詩なので、ここにURLアドレスを置き、お読み戴ければと思います。

http://shibunraku.blogspot.jp/2011/12/weihnachten52.html

さて、この詩の題名は、旅の歌ではありますが、原文では歌という名詞は複数形になっています。

即ち、地上と天上の喜びの間を行き来する使者の数程に、旅の歌があるという意味なのでしょう。

その旅の歌という歌すべてに対抗して、唯一新鮮な胸から生まれるひとつの歌が均衡しているという構成になっています。

そのような歌というものが、どのような歌であるのか、その解釈は読者に委ねられています。

新鮮な胸から生まれる歌の齎す挨拶。

詩人は、新鮮な、frischという形容詞に深い意味を持たせています。

これから、毎週週末にアイヒェンドルフの詩を、この詩集から、長短に拘らず一篇訳し、解釈と鑑賞をしたいと思います。





2012年6月23日土曜日

【西東詩集2】Hegire(ヘジラ)


【西東詩集2】Hegire(ヘジラ)

【原文】

Hegire

Nord und West und Sued zersplittern,
Throne bersten, Reiche zittern,
Fluechte du, im reinen Osten
Patriarchenluft zu kosten;
Unter Lieben, Trinken, Singen
Soll dich Chisers Quell verjuengen.

Dort, im Reinen und im Rechten,
Will ich menschlichen Geschlechten
In des Ursprungs Tiefe dringen,
Wo sie noch von Gott empfingen
Himmelslehr in Erdesprachen,
Und sich nicht den Kopf zerbrachen.

Wo sie Vaeter hoch verehreten,
Jeden fremden Dienst verwehreten;
Will mich freun der Jugendschranke:
Glaube weit, eng der Gedanke,
Wie das Wort so wichtig dort war,
Weil es ein gesprchen Wort war.

Will mich unter Hirten mischen,
An Oasen mich erfrischen,
Wenn mit Karawanen wandle,
Shawl, Kaffee und Moschus handle;
Jeden Pfad will ich betreten
Von der Wueste zu den Staedten.

Boesen Felsweg auf und nieder
Troesten, Hafis, deine Lieder,
Wenn der Fuehrer mit Entzuecken
Von des Maultiers hohem Ruecken
Singt, die Sterne zu erwecken
Und die Raueber zu erschrecken.

Will in Baedern und in Schenken,
Heiliger Hafis, dein gedenken;
Wenn den Schleier Liebschen lueftet,
Schuettelnd Ambrolocken dueftet.
Ja des Dichters Liebefluestern
Mache selbst die Huris luestern.

Wolltet ihr ihm dies beneiden,
Oder etwa gar verleiden,
Wisset nur, dass Dichterworte
Um des Paradieses Pforte
Immer leise klopfend schweben,
Sich erbitternd ewges Leben.



【散文訳】

ヘジラ

北も西も南も分裂し
玉座は割れ、諸王国は震える
逃げよう、純粋な東に
族長の空気を味わうために
愛、酒、歌を尽くせば
キーザーの泉が、お前を若返らせてくれる。

そこで、即ち、純粋であるものの中、正しいものの中で
わたしは、人類の
源泉の深みへと突き進みたい
そこでは、人類は、まだ神から
天の教えを、地上の言葉で感じていたし
そして、頭を悩ますことはなかった。

人類が、父祖達を高く敬っていて
異教の務めも禁じていた、そこでは
若さという限界も、わたしの心を歓ばせる
信仰は広く、思考は狭く
言葉が、そこでは、かくも大切であった通りに従って
何故ならば、言葉は、話される言葉であったからだ。

羊飼いたちの中に身を交えて
オアシスで、我が身を新しくして
キャラバンの隊商とともに旅をし、生活し
ショール、珈琲、そして麝香を商うならば
どの小道も踏破したいものだ
砂漠から町々までを

悪路の岩山道を登り、また下り
慰めよ、ハーフィスよ、お前の歌で
もし隊長が魅了されて
馬の高い背中から
星々を目覚めさせようと歌うならば
そして、盗賊どもを驚かせようと歌うならば

入浴しながら、また居酒屋にいながら
神聖なるハーフィスよ、お前を思うのだ
酒場の可愛い娘がそのヴェールに息を吹きかけて揺らす度に
首を振りながら、龍涎香の巻き毛の芳香を放つ度に
そう、詩人の愛の囁きは
天国の永遠の処女さへをも欲情させるがいいのだ

お前達は、ハーフィスがこうだからといって、それ羨むにせよ
あるいはまた、全く嫌がるにせよ
ただただ知るがよい
詩人の言葉は、天国の門の周りを
いつも微かに叩きながら漂っているということを
永遠の生命を切に願いながら



【解釈】

ヘジラとは、イスラム教の始祖ムハンマドとその信者達が、メッカでの布教を迫害により一時諦めて、難を逃れて、メディナという町へ逃れたことを言う名前です。

ゲーテも、秩序の崩壊し、混乱した世の中を逃れて、懐かしい世界に行く事が歌われています。

手元にある詩集の註釈によれば、ゲーテのこの時代は、ナポレオンが退位し、ウィーン会議が開かれている時代です。

しかし、詩を読むということは、詩の生まれた実証的な時代考証を知ることだけに留まるものではありません。あるいは、そのような知識だけでは、詩を理解することができない。

わたしたちは読者として、自由にこの詩を読むことができます。

大切なことは、このようにヘジラという題名の詩を最初において、自分自身を救うために、ペルシャの世界を、ハーフィスという詩人の姿を借りて仮構したということだと思います。これが、芸術の世界、詩の世界の素晴らしさだと思います。

そうして、そうなると、もはや詩人の自分ひとりの人生の問題ではなくなる。それは、その民族、その言語の財産となり、歴史と文化の継承を担い、国民の財産になることでしょう。

そうして、ゲーテの詩作品は、実際にそのようになっている。

今の日本に、古典の力を借りて、本歌取りをし、あるいはパロディーをして、このように高度に仮構した詩作をする詩人がいるでしょうか。いることを願います。

私は何故かこの詩集を読んだ最初から、この冒頭の詩がとても好きでした。それは、若さ、青春の抱える不安、その最たるものは自分の人生の未来に対する不安に違いありませんが、その不安を実に心豊かに全く異なる世界とその形象に転換し、展開して、愉快な気持ちにさせてくれる詩であるからだと思います。

そうか、世界は崩壊し得るのだ、社会も崩壊し得るのだ、それでも尚生きることの勇気を賦与してくれる詩であったのだと思います。これは、言葉と形象、イメージの力の齎すものです。このような詩を書きたいものです。

人類の古代へ帰るのだ。古代の族長の時代に戻るのだ。言葉が単純であって、話すことで意味の通じたあの時代へ戻るのだ。このような言葉は、その後繰り返し、社会に出た後には一層尚、わたしの胸を去来した詩句です。

第1連のキーザーの泉のキーザーとは、原意が緑の、あるいは青いという意味ですが、これはそのような語源をその名前としたキーザーという預言者の名前です。この預言者は、生命の泉を発見したという伝説があるそうです。この泉では、人のみならず、動物も植物もまた若返ることができるとのことです。

青いという色はまた青春の色、若さということですから、その意味もまた生命の泉の掛言葉にしてゲーテは歌っているわけですし、ペルシャの人々もそのようにしてこの預言者を大切にして来たのでしょう。

旅をし、商うキャラバンの形象も素晴らしい。これは、人生そのもの形象と思えます。
歌を歌うときは、苦しいときだ。しかし、ハーフィスの歌が隊商を率いる長を慰める。今ならリーダーというところでしょう。

最後から2連目、第6連も、実にエロティックでいい連です。ゲーテの本領が発揮されていると思います。酒場に酌婦がいたのでしょう。わたしも70歳のときに、このような詩句を書ける人間でありたい。

最後の連は、註釈が不要かと思います。

この詩で、ゲーテは、理想の詩人像を歌っています。言葉は、やはりその言葉を発した年齢が10代の終わりであるが故にやはり青臭い匂いがこうしてゲーテと比べてみるとしますが、藤原定家の言った言葉、紅旗征戎はわが事にあらずと言う言葉に大いに脈絡の通じるものがあります。

これらの言葉は、詩の本質、詩人の本質、要諦に触れていると、わたしは思います。



第27週:Ich (私) by Rainer Brambach (1917 - 1983)


第27週:Ich  (私) by Rainer Brambach (1917 - 1983) 

【原文】

Ich mit meiner Prosa,
Ich mit meinen Versen
Und auch sonst einfach ich -
Aber jene Treppe aus Granit,
Ihre zwoelf Stufen,
Die Unterzüge aus Kalkstein
Und die Trockenmauer
Doppelhaeuptig, Huefthoch -
Vor gut zwanzig Jahren
Habe ich sie erstellt.
Ich war ein Gartenbauarbeiter,
Ich habe Bleibendes geschaffen.

【散文訳】

私には散文があるだけ
私には詩文があるだけ
そして、実際その他には単なる私だけだ
しかし花崗岩のあの階段も
その12の段々も
石灰岩の支え梁も
そして、庭の乾壁は
双頭で、腰の高さで
優に20年前に
わたしはその壁を積み上げたのだ
わたしは造園労働者であった
わたしは不変のものを創造したのだ。

【解釈と鑑賞】

原題は、無題ですが、わたしという題としました。

この詩人のWikipediaです。

http://de.wikipedia.org/wiki/Rainer_Brambach

これによれば、この詩人は、ケルンからスイスのバーゼルに来たピアノの調律師の息子として、バーゼルで生を受けました。

高校を卒業したあと、家具の梱包屋、泥炭堀り、コピーライターとして仕事をしました。30代にドイツ、オーストリア、フランスを放浪。1950年から、この詩に歌われている庭師と造園技師になっています。1952年から、作家生活に入りました。

乾壁と訳した壁は、訳しならすと乾いた壁と訳せる言葉で、庭につくられる一体に腰の低い壁です。Googleの画像検索で検索すると、それがどのようなものかがわかります。Trocken、乾いたというのは、石と石の接合に関する、壁を造作する技術についての名前なのでしょう。もし詳しい方がいらしたらお教え下さい。

庭をつくる仕事も、詩文も散文も、同じ仕事であり、それは不変のものをつくる仕事であった。それは黙々と、自分と対話しながら、素材と対話しながら、ひとつひとつの石を積み上げて行く作業であったことでしょう。

私に徹したという心が、最後まで読みまた最初の3行に戻ると、より伝わってくる詩です。

2012年6月21日木曜日

【西東詩集1】Buch des Saengers:冒頭のエピグラムの詩


【西東詩集1】Buch des Saengers(歌手の書):冒頭のエピグラムの詩

【原文】

Zwanzig Jahre liess ich gehen
Und genoss was mir beschieden;
Eine Reihe voellig schoen
Wie die Zeit der Barmekiden.


【散文訳】

20年を、わたしは、行かしめた
そして、わたしに与えられる定めとなっていたものを享受した
それは、全く美しいひと連なり
バルメキーデン一族の時代のように


【解釈】

今日から、淡々とゲーテの西東詩集 (West-Oestlicher Divan)を頭から順々に訳して行く事にしよう。

リルケのオルフェウスへのソネット55篇を訳し終え、解釈し終えたという経験が、わたしの肥やし、わたしの糧になっているのを感じる。

そうして、去年、2011年3月11日の大震災と大津波の直後の3日間で、カレンダー53週の詩53篇をお経を読むように読んで、全て日本語に訳してしまった常ならぬ経験もまた。

本は、Insel版の西東詩集を使います。386ページあるうちの、124ページがゲーテの詩、残りの262ページが、ゲーテ自身による註釈と論文、それから採録されなかった詩の遺稿集になっています。

この詩集は、次の9つの書からなっています。

1. Buch des Saengers(歌手の書)
2. Buch Hafis(ハーフィスの書)
3. Buch der Liebe(愛の書)
4. Buch der Betrachtungen(観察の書)
5. Buch des Unmuts(不満の書)
6. Buch der Sprueche(箴言の書)
7. Buch des Timur(ティムールの書)
8. Buch Suleika(ズーライカの書)
9. Das Schenkenbuch(酒酌ぎの書)
10. Buch der Parabeln(寓話の書)
11. Buch des Parsen(パルシー教徒の書)
12. Buch des Paradieses(天国の書)

この詩集を出版したときのゲーテは、70歳。そのゲーテが20年を行かしめたと歌っている20年前は、50歳。

50歳からの20年が豊かであったことを、このエピグラムは示しているのだと思います。それが、どのような20年であったか、それがこの詩集に結晶していると言っているのでしょう。

20年を行かしめたと訳した一行の意味は、その豊かな20年を運命として受け容れて過ごしたと言っています。

それは、あの豊かなバルメキーデン一族の時代のような連続の時間であった。

バルメキーデン一族という一族は、イスラム帝国のアッバース朝の盛期を支えたペルシャ人の高官の一族です。もともとは、ゾロアスター教徒でありましたが、イスラムによる征服の後にイスラム教に改宗して王朝に仕えました。税務と軍隊の統率をまかされていたとドイツ語のWikipeidaにはあります。

もうこのエピグラムからして、既にペルシャとイスラム世界が提示されていて、読者はその世界に誘われることになります。

ゲーテの巻末にある重厚な論文の冒頭には、次のような自らの詩が掲げられています。この詩からは、ハーフィスというこの詩集を編む契機を与えた詩人に対する尊敬の念が伝わって来ます。そうして、またわたしたちもこの西東詩集を同じ気持ちを以て読めばよいのではないでしょうか。

Wer das Dichten will verstehen
Muss ins Land der Dichtung gehen;
Wer den Dichter will verstehen
Muss in Dichers Lande gehen.

詩作を理解しようとする者は
詩の国に行かねばならぬ
詩人を理解しようとする者は
詩人の国に行かねばならぬ

次回読む、Hegire(ヘジラ)という詩は、3.11の後になって尚一層治世の乱れている今の世というコンテクストにおいて読むと、一層意義のある詩だと思います。

老子は青い牛に乗って


老子は青い牛に乗って

老子は
青い牛に乗って
揺られながら
函谷関を出
西へと歩み去る

老子の惜別は
老子の純粋であり
いつも思考の筋道であった
いつも思考の経路であり、理路であり
宇宙を理解するための法理であった

(思考の跡は、水のように輝いている)

玄の玄、これ衆妙の門なり
門をい出て、門に入り
門に入って、門を出る
胎内巡りの長い長い旅であった

(幾たび、わたしは生まれ変わったことか)

そうして、その旅も、とうとう終わりに来たのだ

さようなら

といって、老子は
最後の門を閉じた

(遠く、青い牛に乗って)

2012年6月19日火曜日

【番外篇】ゲーテの西東詩集 (Divan)からIm gegenwaertigen Vergangnes


【番外篇】ゲーテの西東詩集 (Divan)からIm gegenwaertigen Vergangnes

【原文】

Im gegenwaertigen Vergangnes

Ros' und Lilie morgentaulich
Blueht im Garten meiner Naehe,
Hinten an bebuscht und traulich
Steigt der Felsen in die Hoehe.
Und mit hohem Wald umzogen,
Und mit Ritterschloss gekroenet,
Lenkt sich hin des Gipfels Bogen,
Bis er sich dem Tal versoehnet.

Und da duftets wie vor alters,
Da wir noch von Liebe litten,
Und die Saiten meines Psalters
Mit dem Morgenstrahl sich stritten.
Wo das Jagdlied aus den Bueschen
Fuelle runden Tons enthauchte,
Anzufeuern, zu erfrischen
Wie's der Busen wollt und brauchte.

Nun die Waelder ewig sprossen
So ermutigt euch mit diesen,
Was ihr sonst fuer euch genossen
Laesst in anderen sich geniessen.
Niemand wird uns dann beschreien
Dass wirs uns alleine goennen,
Nun in allen Lebensreihen
Muesst ihr geniessen koennen.

【散文訳】

現前する過去の中で

薔薇と百合が朝露に濡れて
わたしのそばの庭で咲いている
後ろ直ぐには灌木が茂り、気持ちよく伸び伸びと
絶壁が高く聳えている。
そして、木々の高い森に囲まれて
そして、騎士の城を頂上に戴いて
山巓(さんてん)の弓なりの線は、続いている
絶壁が谷と仲良くなるところまで

すると、そこには、昔のように薫り立ち
わたしたちがまだ恋に苦しみ
そこでは、わたしの竪琴の弦が
朝日と争っていた。
狩りの歌が灌木の中から
満ち足りた丸い音を吐き出して
胸が欲し、必要とするままに
火をつけ、新たにした、そこでは。

こうして振り返ると、森という森は永遠に芽吹いたのだ
だからかくもこれらの森で勇を鼓せよ
お前達がかつては自分自身のために味わったことが
他の者たちの中で、享受されるのだ。
だれもだから、わたしたちのことを
自分たちだけに恵んでいるのだといって
罵り叫ぶことはないだろう
こうして振り返ると、すべての人生の順番で
お前達は味わうことができる筈なのだから。

【解釈】


何故か、この詩を思い出し、20代初めに読んで、意味の解らなかった連が、いよいよこの歳になって、実感として理解できるようになったということなのだと思う。

特に最後の連の最後の2行が思い出深い。

西東詩集を教わった当時の先生に、わたしがこの2行は今のわたしにはわからないなあと言ったら、そうだろうと返されたが、なに、その先生も、今思えば、まだ30歳を少し出ただけであったのにと、懐かしく思い出される。

Bill EvanceのBlue Monkを聴きながら訳してみる。

この西東詩集は、ゲーテの最晩年の詩集で、素晴らしい詩集です。中世のペルシャに詩人ハーフィスに我が身を仮託し、恋人のマリアンネをハーフィスの恋人ズーライカに擬して、ペルシャの世界と当時の現代の自分の人生を二重写しにしてみせた詩集です。

当時、全く散文的な世界に生きていたわたしが、唯一理解していた詩の世界です。

こうしてみると、詩文も散文もなく、やはり芸術のエッセンスが凝縮している世界であったからでしょう。

全く、人生は繰り返しています。

最後になりましたが、ゲーテのWikipediaです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ

2012年6月17日日曜日

第26週:Regen in der Daemmerung (黄昏の中の雨) by Hugo von Hofmannstahl (1874 - 1929)



第26週:Regen in der Daemmerung (黄昏の中の雨) by Hugo von Hofmannstahl (1874 - 1929) 

【原文】

Regen in der Daemmerung

Der wandernde Wind auf den Wegen
War angefuellt mit suessem Laut,
Der daemmernde rieselnde Regen
War mit Verlangen feucht betaut.

Das rinnende rauschende Wasser
Berauschte verwirrend die Stimmen
Der Träume, die blasser und blasser
Im schwebenden Nebel verschwimmen.

Der Wind in den wehenden Weiden,
Am Wasser der wandernde Wind
Berauschte die sehnenden Leiden,
Die in der Dämmerung sind.

Der Weg im daemmernden Wehen,
Er führte zu keinem Ziel
Doch war er gut zu gehen,
Im Regen, der rieselnd fiel.


【散文訳】

黄昏の中の雨

道々を放浪している風は
甘い音に満たされていた
黄昏れる、さらさらと降る雨は
欲望に湿って濡れていた

迸(ほとばし)り、潺湲(せんかん)と流れる水は
浮かんでいる霧の中に
より青白く、より青白くと融解している夢の声を
混乱させながら、陶然とさせた

吹くに任せている枝垂れ柳の風は
水辺で放浪している風は
黄昏の中にある憧憬する苦しみを
陶然とさせた

黄昏れる風のそよぎの中にある道
この道は、どこにも行き着かなかった
が、しかし、行くに値する道であった
さらさらと落ち来たる雨の降る中を


【解釈と鑑賞】

これは、フーゴー・フォン・ホーフマンスタールの詩です。

この詩人も、文学史に名のある詩人です。

わたしは、20代の始めに、この詩人の美しい散文を読んだ記憶があります。言葉が、本当に美しい。

この詩人の日本語のWikipediaがありました。日本にもこの詩人のファンがいるものと思われます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/フーゴ・フォン・ホーフマンスタール

この詩は、叙景の詩でもあり、しかし同時に叙情詩でもあり、更に且つまた、もっとその景色の奥に何かを秘めて、訴求する詩でもあります。

連と連は、それぞれの連に使用している語で関連を持たせられています。それがわかるように、同じ語には、同じ訳語を当てました。

Daemmering、デメルング、twilight、黄昏、というだけで、もうひとつの世界です。

そこに雨が降っている。

第2連で、

迸(ほとばし)り、潺湲(せんかん)と流れる水は
浮かんでいる霧の中に
より青白く、より青白く融解している夢の声を
混乱させながら、陶然とさせた

とある、流れる水が混乱させながらというところは、水の音が夢の声の邪魔をするという意味です。

夢の声に水音が混じって響くのでしょう。

全ての時制(tense)が過去形で歌われているので、この詩を過去に起きた、何か非常に懐かしいものとなしています。




2012年6月9日土曜日

「ハイド氏の庭」を読んで


何かを読むというときの入り口というものが私にはあって、その入り口が今日は見つかったということなのでしょう。

なんと言う事も無く、すっと入って行って、3度読みました。

まづ惹かれたのは、題名です。

庭という空間は、実はこころ密かに詩人という人種がみな例外無く憧れている空間の名前だということに、あなたは気づいていますか?

母屋、家屋、家ではなく、庭、庭園であるということが大切なことなのです。

どんな詩人の詩も、一言で言えば、みな、庭を歌っているのです。

以下、わたしの好きな句を挙げますが、こうしてみるとまた、わたしの好み、句一般に対する好みばかりではなく、言葉による表現に対する好みも明らかになっているように思います。

一言で言えば、目に見えるような形象を備えた句が好きだということです。

また、これは水島さんたちと芭蕉の七部集を読んだ影響もあるなあと、即ち蕉風を思わせる句も、わたしのお気に入りです。まづ、その句から挙げることにします。

塩鮭の胃に溜まりたる暑さかな
四日には鰺の干物を裏返す

また、一寸蕉風からはづれるかも知れませんが、それでも尚、

魚の目の見開ききりて夏料理

という句はいい。

それに、文字通りに墨絵のような静謐なこのような、古典的といっていい世界、

白神をやがて墨絵の驟雨かな

このづれから入って行くのは、わたしの好みの世界ということになるでしょう。

それは、冒頭述べましたように、写実的な、具体的な姿が目に見えるような句が好きだという好みです。以下、続けて列挙しますと、

春は曙血圧計を巻いてをり
雛壇より十二単の糸電話
春の牛として野菜炒め喰らう
永劫に座る男や夏の河
五月には五月の鯨太平洋
黒南風やラベルのずれるビール瓶
紙飛行機ほどの孤独よアキアカネ
白桃と云ふ眼球の爛熟や
芋虫の礼儀正しき咀嚼音
カクテルに秋の地球を絞りけり
感情に古層のありて赤まんま
青年は死と兎とを肩に乗せ
不安とは火星人の冬帽子
菫色のペンギン眠る初明り
万物に臭ひのありて火星かな
少年は顔より孵化を始めけり

それから、ひとの名前が強烈に、その名前そのものの力を借りて詩になっている句。

花闇に江波杏子の儀式かな
昭和の日バカボンは天才だったのか

わたしの好きな不思議の国のアリスの句。やはり、同じように、名前が力を持っている。

野遊のアリスと兎手にナイフ
花曇ハンプティ・ダンプティに黄身ありや

それから、一寸抽象的な言語論理の世界の論理そのものを見事にイメージ、形象に転化させた句。

たんぽぽの絮のすてきな仮定法

また、同様に、言語、言葉の論理の機微に触れた次の句、

小兎を掬う小兎壊れけり

更に、青春や死を思わせる句、

菜の花や明日より近き亡びかな
人界を抜けきれるはず夏燕
飛魚のガラスの鰭や青春や
謝らずどこまでもむく青林檎
青葉騒奥に高校あるらしき
秋うらら棺の釘の素直なり

この流れで、更にブラックユーモアを感じる次の句、

どちらかが死んでいるはず初笑い

最後に、本当は最初に挙げるべき句、

そこまでの岬と知りつつ蝶と行く

この句が最初の作句であるとのこと。

この後の作句がみな、この一句の上に生まれ、成り立っているように思われます。

このような、自分の一生を既にして含んでいる作品、即ち庭という空間を、わたくしもつくりたいものだと切に思いました。

夢の逃亡(安部公房):飛行と塀

安部公房の初期の短編に、夢の逃亡という小説がある。

これを読んでいると、その後の生涯に亘って、他の作品にも現れるイメージや発想が、実に詩的に現れることに気づく。

愛だけが法則を無視した飛行をする。

という一行の前後は、遺稿となった「飛ぶ男」の形象である。

また、塀という形象もでてくる。

これは、勿論、「終わりし道の標に」ににも最初に出て来る形象であるが、今「夢の逃亡」に同じ形象が出て来て思うことは、塀とは、この世界の謎、謎の世界、世界は謎であるということの表現であり、象徴であるということだ。

(そうして、この塀は、後年様々に変形して、例えば、壁と呼ばれ、砂と呼ばれ、迷路と呼ばれ、箱と呼ばれる。)

安部公房のテキストは多義的であり、本人もそれを十分意図的に意識している。

そのような多義的な自分の作品のありかたを、どこかで、テントを張って、骨組みをすっかり消してしまうという、そのような構築物の譬喩として、述べている。

第25週:無題 (雲) by Yi Chon-O (14世紀)


第25週:無題 (雲) by Yi Chon-O (14世紀) 

【原文】

Glaubst Du, dass die Wolken keine 
Ränke spinnen hoch am Himmel?
Müßig treiben sie und unnütz,
Schatten werfen sie und Regen
in des hellen Tages Leuchten


【散文訳】

雲は、
空高いところで、悪巧みを図っていると思いますか?
雲は、のんびりとやっていて、そして無用で、
影を投げかけ、そして、晴れた日の
光の中で、何かを喚起しているのです

【解釈と鑑賞】

14世紀に生きた朝鮮の詩人です。

ネットで調べると、Yi Chono という文人で、1341–1371の間生きたというひとがいます。

あるいは、同じ人でしょうか。

2012年6月6日水曜日

寒山拾得

寒山拾得

わたしの観察では
ひとの饒舌の原因は
死に対する恐怖心にあり

死に対する恐怖が
日常の根底にあるとは
誠に不思議なことだ

わたしの発見は
沈黙は死を受け容れる行為である
ということだ

わたしの沈黙は
見よ、お前の土壌を
といいたいのだ

わたしの沈黙は
見よ、言葉の生まれる場所を
といいたいのだ

沈黙についてすら
言葉で言わなければならないという
そこ
そこが、寒山拾得の棲む場所である
と言いたいのだ

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%92%E5%B1%B1%E5%AF%BA#.E5.AF.92.E5.B1.B1.E6.8B.BE.E5.BE.97

2012年6月3日日曜日

3c。 To Brooklyn Bridgeの表の訳と裏の訳



3。 表の訳と裏の訳

3.1 原文の詩の全文

TO BROOKLYN BRIDGE

How many dawns, chill from his rippling rest
The seagull's wings shall dip and pivot him,
Shedding white rings of tumult, building high
Over the chained bay waters Liberty-----

Then, with inviolate curve, forsake our eyes
As apparitional as sails that cross
Some page of figures to be filed away
------Till elevators drop us from our day . . .

I think of cinemas, panoramic sleights
With multitudes bent toward some flashing scene
Never disclosed, but hastend to again,
Foretold to other eyes on the same screen;

And Thee, across the harbor, silver-paced
As thought the sun took step of thee, yet left
Some motion ever unspent in thy stride, -----
Implicitly thy freedom staying thee!

Out of some subway scuttle, cell or loft
A bedlamite speeds to thy parapets,
Tilting there momently, shrill shirt ballooning,
A jest falls from the speechless caravan.

Down Wallfrom girder into street noon leaks
A rip-tooth of the sky’s acetylene;
All afternoon the cloud-flown derricks turn . . .
Thy cables breath the North Atlantic still.

And obscure as that heaven of the Jews,
Thy guerdon . . . Accolade thou dost bestow
Of anonymity time cannot raise:
Vibrant reprieve and pardon thou dost show.

O harp and altar, of the fury fused,
(How could mere toil align thy choiring strings!)
Terrific threshold of the prophet's pledge,
Prayer of pariah, and the lover's cry, -----

Again the traffic lights that skim thy swift
Unfractioned idiom, immaculate sigh of stars
Beading thy path ------ condense eternity:
And we have seen night lifted in thine arms.

Under thy shadow by the piers I waited;
Only in darkness is thy shadow clear.
The City's fiery parcels all undone,
Already snow submerges an iron year . . .

O Sleepless as the river under thee,
Vaulting the sea, the prairies' dreaming sod,
Unto us lowliest sometime sweep, descend
And of the curveship lend a myth to God.



3.2 表の訳と裏の訳

TO BROOKLYN BRIDGE

How many dawns, chill from his rippling rest
The seagull's wings shall dip and pivot him,
Shedding white rings of tumult, building high
Over the chained bay waters Liberty-----

[表の訳]
ブルックリン橋では、

その細波(さざなみ)憩はぬ橋桁に
寒く凍えて耐え難く、じっと波間に漂うことなく
鴎(かもめ)の翼という翼が、どれだけたくさんの夜明けを
その波に浸(ひた)し、橋を旋回する運命にあることか
そうして、騒乱と騒擾の、鴎の群れの、流れるような白い環を分たず分ちながら
(それは、ブルックリン橋の、白色の幾つもの、空飛ぶ翼の環)
その湾の、連なり、連鎖し、鎖に繋がれた水面水面(みのもみのも)のその上高く、自由の女神の白い像を、これらの鴎の翼で、層を成して積み、建築しながら

[裏の訳]
ブルックリン橋の[奏でる音楽の]韻動、リズムとモーションに合わせて、
その波打ち揺れ動く避難所、すなわち、男色の行為の一時の慰安の場所の寒さに耐えかねて、尻尾の尾羽根が2つに割れていない種類の、その未だ男を知らぬ鴎の翼、肛門を貫く(penetratingする)ことなく、[一本の白い歯の炎に焼かれて傷つけられて血を出したりすることなく、]流れるように橋を旋回する鴎の翼の群れの純白の色の神聖な形象が、どれほど数多くの夜明けを、その橋の下の男色者が肛門性交の連鎖をなす海面に浸し、また[太陽の位置にいるホスト役]の尻にペニスを挿入し、そうして[太陽の位置にいるホスト役の男性の長い]橋[ーペニスー]の周りを、いいぞもっとやれという歓声や騒ぎの声とともに、帆布で織って作った白い環状用具を上へ下へと、射精するために、それの周りを旋回する運命にあることか。

Then, with inviolate curve, forsake our eyes
As apparitional as sails that cross
Some page of figures to be filed away
------Till elevators drop us from our day . . .

[表の訳]
と、鴎の群れなす翼は、無垢の曲線を描いて
僕達の視界から身を翻し、視野の外へと向かい
帆掛けた船が幾つも、台帳の紙面の上の、
数字の記入されたあるページを横切り走り
それは、事務的にファイルされて、整理整頓されて
(これをしも夢幻とやいはむ)
これらの夢幻の起こるに任せ、幻視の見えるにまかせて、鴎の群れなす翼は、無垢の曲線を描いて僕達の視界から身を翻し、視界の外に出たり入ったりする
それも、一日の仕事が終わり、エレベータがついには僕らを夜の暗い地上へ、地下へとよくも堕(お)としてくれるまで

[裏の訳]
と、その男色者のための環状の白い用具は、まだ尻を2つに分けられていない無垢の鴎、つまりは、肛門を貫かれる(penetratingされる)ことなく、まだ男を知らぬ無垢の曲線があれば、それがために、僕達自身の尻の穴を放擲し、うっちゃって、カリの立派な,鰓(えら)の帆掛けた一物が幾つも
オフィスで立ち働く人影の、成年前のお稚児さんの給仕職と交われば
これも、法的に訴訟となって簡単に監獄行きになって
(これをしも夢幻とやいはむ)
それも、一日の仕事が終わり、エレベータがついには僕らを夜の暗い地上へ、地下の男色者の地獄へとよくも堕(お)としてくれるまで



I think of cinemas, panoramic sleights
With multitudes bent toward some flashing scene
Never disclosed, but hastend to again,
Foretold to other eyes on the same screen;

[表の訳]
僕は、映画を見ようかとも思ってみるが、しかし、それが何かを思ってみると
それは、ひとの目を欺くための装置。それを見ると、群集は、激しく明滅する映画の光景の方に、面白いから、皆身を乗り出して、姿を曲げて歪めて夢中になるが、
群集には秘密も開示されることなく、そのこころも開かれることないまま、しかし、またもや、急がされ、急(せ)かされて、そうして、同じスクリーン、真理を欺き覆い隠すその保護膜(スクリーン)の上で、他のひとの目には、はじめからその未来を見透かされ、先を読まれている。

[裏の訳]
僕は、映画でも、いや、男色のあの性的な飽きることなき動きのある一幅の動く絵でも見ようかと思ったが、しかし、それは、同じ仲間の見物人の前で繰り広げられるひと時の見せ物の動きの姿、あの一時の慰めにしかならない男色の、私を欺く色々なテクニックや性具を思うが、もう酷(ひど)く何回もたくさん奴らと、射精する場面(シーン)へと向かって、腰をひん曲げて角度をつけてやることになるが、それは、決して世間に開示されることなく、一人の相手が終わったら、またもや、急がされ急(せ)かされて、どこへ行っても同じ男色専用の代用品の膜を張った道具(スクリーン)の上で、同類の眼をした他の奴らを相手に男色するその運命の定めとはなっている。

And Thee, across the harbor, silver-paced
As thought the sun took step of thee, yet left
Some motion ever unspent in thy stride, -----
Implicitly thy freedom staying thee!

[表の訳]
ところが、僕は、お前、ブルックリン橋を思ってみる
港を横切り架かって、生き物のように、白銀色の調和、
即ち、恰も朝日なる太陽が、お前の音楽に合わせて寸分違(たがわ)ず
踊りのステップを踏むかのごとくに。しかし、お前の息の長いステップには、そもそも費消されることの永遠にない、ある運動が残されており、それは黙示的に、無言の内に、お前の自由とは、あの帆船の帆柱がそうであるように、鋼鉄の綱がお前をそうやって直立させ、屹立させ、お前の進む航路を、どんな方向であろうと、風に向かって進めるもの、それがお前の自由だ。

[裏の訳]
そして、お前、ブルックリン橋よ、男色者の集まる避難場所を横切り、セックス(across)し、自然の生理の韻動に合わせて、その体を波打たせ
その格好は、恰も太陽が、お前の脚の長いステップ、すなわち、お前の長いマスト、その長竿(ペニス)の中にある、幾ら射精しても決して尽きせぬ、男色者の動き(モーション)であって、それはひとに知られることなく、人の眼から隠されて、黙々となされる、自然の法と韻律と音楽に調和した動きであり、そうやって、お前自身を自らの自慰行為の力で支えている、
お前の所有する自由なのだ。


Out of some subway scuttle, cell or loft
A bedlamite speeds to thy parapets,
Tilting there momently, shrill shirt ballooning,
A jest falls from the speechless caravan.

[表の訳]
[お前は一体どこから来た者かと、旧約聖書のヨブ記にあるように、もし神が問えば、答えよう、]ある地下鉄の出入り口の蓋を開けて、もはや身を隠すことを止め、飛び出したのか、また、地下鉄の車両の狭い空間、その狭さならば、ユダヤ教の聖書にあるように荒野を彷徨っていたユダヤ人の、地下なる狭苦しい集会所から飛び出したのか、それとも、地下鉄の、屋根裏部屋のような狭い空間から飛び出したのか、

一人の気違いが、ブルックリン橋よ、お前のその、敵の攻撃から身を護るための、城塞の胸墻(きょうしょう)ともいうべき数々の欄干に向かって、猛烈な速さで、[あのドンキホーテ、中世の騎士のごとくに]槍を持って、姿勢を低くして、突進し、鋭いシャツを目一杯に膨らませ、吶喊を叫びながら、空に舞い上がらんばかりに、自分の一切を賭して突進し、そうして、もの言わぬ列をなしている自動車の列の、恰も砂漠や敵意に満ちた土地を横断して旅する隊商の、その旅の仲間の中から、陽気な嘲(あざけ)り笑う声が、欄干から落ちて行くのだ。

[裏の訳]
[お前は一体どこから来た者かと、旧約聖書のヨブ記にあるように、もし神が問えば、答えよう、]ある地下鉄の出入り口の蓋を開け、サタンが棲み、行ったり来たり、上へ下へと歩いている地下の世界の通路への蓋を開けて、もはや身を隠すことを止め、飛び出したのか、また、地下鉄の車両の、法律に違反をして罰せられ、裁かれて入れられるあの狭い牢獄の独房の空間から飛び出したのか、それとも、地下鉄の、尻の形をした、そうして罪深い、狭い空間から飛び出したのか、
一人の男色者の気違いが、ブルックリン橋よ、ホストたるお前のその(ゲストの突きから身を護るための)保護膜に向かって、猛烈な速さで、[あのドンキホーテ、中世の騎士のごとくに槍を持って、]姿勢を低くして、尻を突き出して突き進み、白い帆布で織られた環を、あのバルーンを目一杯風で膨らませて、あるいは自分のペニスを吸ってもらって膨張させてもらい、いくぞと叫びながら、空に舞い上がらんばかりに、自分の一切のものを賭して突進し、そうして、

整然と規則に従い秩序だって列をなしている、世間のひとが口を開いて触れることのない、公にはとてもできぬが、しかし、それでもなお砂漠や敵意に満ちた土地を横断して旅する非可触賤民のごとき(speechless)隊商の、その旅の仲間の中から、男色者の陽気な嘲(あざけ)り笑う声が、[お稚児さんの小姓を従え、別の槍で突くものだからなお、]欄干から海へ落ちて行くのだ。


Down Wallfrom girder into street noon leaks
A rip-tooth of the sky’s acetylene;
All afternoon the cloud-flown derricks turn . . .
Thy cables breath the North Atlantic still.

[表の訳]
さて、そうやって、落ちて来て、ウオール街を歩くと
[お前、聖なるブルックリン橋よ、お前のその美しい構造を支える大梁(おおはり)から、大都会のビジネス街の正午の時間の中へと、落ちて行くと、]
[町中で、表通りのそこここで、鎚打つ響きも音高く、]高層建築の溶接の、
空のアセチレンガスの炎の一本の裂け目の白い歯、その歯の白い炎が
白昼に、恰も闇の中から漏れ出るように漏れるのだ。
そうやって、
午後の時間ずうと休む暇なく、ブルックリン橋よ、お前が雲の流れに合わせて動き、帆船、お前の横梁の巻き上げ機が、回転し、旋回すると. . .
お前のマスト、その主柱を支える数多くの鋼鉄の綱が、こうして、北大西洋の潮風の息吹きを、静かに、吸って、息を吐いている

[裏の訳]
さて、そうやって、戦死者の慰霊の碑へと落ちて行き、
ウオール街を歩くと、

お前、聖なるブルックリン橋よ、お前のその美しい構造を支える大梁(おおはり)から、大都会のビジネス街の正午の時間の中へと、落ちて行くと、
[町中で、表通りのそこここで、鎚打つ響きも音高く、]高層建築の溶接の、
空のアセチレンガスの、透明なその昼間の青い色と、薄明薄暮の時間のあかい色を合わせ持つ、その炎の色の通りに相異なるものを一体と化して統合する、アセチレンの火のような灼熱の歯でペニスを噛むと、血が出るのだ。

このウオール街で、昼は堕ちて来た死者として仕事で辛酸を嘗め、夜は男色に耽り、しかし、これらを皆一つに溶け合わせ融合するアセチレンガスの炎、この白昼の地獄の業火、その煉獄の火よ、それは男色者が相手の傷つき易い性器に歯を立てて傷つけるための、煉獄の息を吹き付けるように火を点火してそれを焼く炎の一本の白い歯、その歯の白い炎が、白昼に、恰も闇の中から漏れ出るように漏れるのだ。

そうやって、

午後の時間ずうと休む暇なく、両端の大都会の街区から往来する自動車の群れに耐えて応じて暇(いとま)無く、円滑に、四大の自然の要素を循環させ、またその変化に応じて流れ、帆を立てて進むことができる、航海する、そのような雲に合わせて操作をし、風に向かって進むことができるようにと、帆船の横梁の巻き上げ機が、回転し、旋回すると. . .

お前、聖なるブルックリン橋よ、お前の立派にそそり立つマスト、そのカリの張った主柱を支える数多くの鋼鉄の綱、その禁忌の快楽の韻律と旋律を響かせる竪琴の糸、帆船の帆が、こうして、北大西洋の潮風の、息吹きを、静かに、吸って、息を吐いている


And obscure as that heaven of the Jews,
Thy guerdon . . . Accolade thou dost bestow
Of anonymity time cannot raise:
Vibrant reprieve and pardon thou dost show.

[表の訳]
だから、お前、聖なるブルックリン橋よ、お前が僕に、僕の日々の労苦の代償として与えてくれる報酬は、[毎日苦労に満ちた仕事に耐え、天上の至福の機会を奪われ、地上に堕ちて参り、また翌日は、勇気を以て、持てる力のすべてを尽くし、すべての罪が赦されるかと、地下鉄の、また、地中の中から飛び出して、騎士として獅子奮迅の活躍をし、たとえ人に嘲笑われようとも、橋の上から身を投げ、自らの死を以て神との契約を履行して蘇る、勇気ある行いを仕事として、日々身を委ねて来たのだか])、だから、ユダヤ人達の天国、その天空と同様に、薄明にあるように、明るく暗く、暗く明るいのだ

そう、どうか、お前、聖なるブルックリン橋よ、騎士の名誉を叙勲することを、僕になし給え

そうやって海に身を投じて名前がない、無名の存在であるということから、時間は何かを実際に現実に生起させることはできない。つまり、

このような、日が昇り日が暮れて自然と調和をして生きている分だけ、延期され、猶予されている死刑執行に、刑罰を受けること無く、罪が赦されることを、人為の文字で書かれた法律ではなく、お前、聖なるブルックリン橋よ、神の御名において、僕に示し給え

僕は、そうやって、一途に、ただただ日々無名な存在に徹して来たのだから。

[裏の訳]
だから、お前、聖なるブルックリン橋よ、お前が僕に、僕の日々の労苦の代償として与えてくれる報酬は、[毎日苦労に満ちた仕事に耐え、天上の至福の機会を奪われ、地上に堕ちて参り、また翌日は、勇気を以て、持てる力のすべてを尽くし、すべての罪が赦されるかと、地下鉄の、また、地中のあの牢獄の中から飛び出して、騎士として獅子奮迅の活躍をし、たとえ僕の男色仲間に嘲笑われようとも、橋の上から身を投げ、自らの死を以て神との契約を履行して蘇る、勇気ある行いを仕事として、日々身を委ねて来たのだから])、だから、ユダヤ人達の天国、その天空と同様に、薄明にあるように、明るく暗く、暗く明るいのだ

そう、どうか、お前、聖なるブルックリン橋よ、騎士の名誉を叙勲するために、その儀式のために、僕を抱擁し、男色者の奏でるモーションの音楽に合わせて、僕は僕でおまえの長竿(ペニス)に合わせて、一緒にお前の竪琴の揺れて響く音楽に合わせてステップを踏むから、そうやって、衆人環視の中で正式に、ああいい感じだと、僕にいい、僕を誉めなし給え

そうやって海に身を投じて名前がない、無名の存在であるということから、時間は何かを実際に現実に生起させることはできない。つまり、

このドクドクと音の聞こえるような生きた心臓の脈拍の、その血脈の流れ打つ男根の、しかしまたその分だけ、まだ自然と調和をしている分だけ、延期され、猶予されている死刑執行に、刑罰を受けること無く、罪が赦されることを、人為の文字で書かれた法律ではなく、お前、聖なるブルックリン橋よ、神の御名において、僕に示し給え

僕は、そうやって、一途に、ただただ日々無名な存在に徹して来たのだから。


O harp and altar, of the fury fused,
(How could mere toil align thy choiring strings!)
Terrific threshold of the prophet's pledge,
Prayer of pariah, and the lover's cry, -----

[表の訳]
ああ、お前ブルックリン橋の、鋼の綱で出来ているその竪琴と祭壇は
罪人を罰するその破壊的な、その浄化の怒りを持ち、
そのような力を、本々所有して、そこにあり、

(何故ならば、一体ただ苦労をして仕事をするからといって、ただそれだけで、人間が、お前の、その美しい、自然に合わせて、大きなステップを踏み、踊りを踊るかのごとくに見える、その見事な合唱と唱和の声を上げる弦の数々を、人為的な規則に従って、調整し、調音できるとでもいうのだろうか?できるわけがない!)

お前は、予言者の、この詩人を養い、労り、傷を、病を癒してくれる、この詩人をこれ以上どこにも誰にも売ることのない、そのような保障された憩いの、安全の場所であり、また、閾(境界域)である。

南インドならば、カーストの最下層の非可触賤民、町を離れ、あの荒野に棲まいする、その野生の人間の祈りを、そうして恋する者の叫び声を、どうか聞き届け給え

[裏の訳]
ああ、お前ブルックリン橋の、鋼の綱で出来ているその竪琴と祭壇は
罪人を罰するその破壊的な、その浄化の怒りを持ち、
そのような本源的な力を、本々所有して、そこにあり、

(何故ならば、一体ただ苦労をして仕事をするからといって、ただそれだけで、人間が、お前の、その美しい、あたかも朝日がお前の朝の振動の音楽に合わせて、大きなステップを踏み、そのそそり立つ立派なマストと長竿のモーションの揺れに合わせて踊りを踊るかのごとくに見える、その見事な合唱と唱和の歓喜の声を上げる、そのマストを自分自身で直立させ屹立させる男色の自慰行為の弦の数々を、人為的な規則に従って、調整し、調音できるとでもいうのだろうか?できるわけがない!)

お前は、予言者の、この詩人を養い、労り、傷を、病を癒してくれる、この詩人をこれ以上どこにも誰にも法律に従って裁いて売ることのない、だから詩人がその全てを投げ出して決して裏切られることのない、そのような安全保障された憩いの、安息の場所であり、

地上と天国との境界線、その線の下ではそのような救いの決してあることのない、そのような境界である、そのお前、聖なるブルックリン橋よ

南インドならば、カーストの最下層の非可触賤民に等しい、町を離れ、ウオール街を離れ、あの人跡未踏の荒野に棲まいする、その野生の人間の祈り、法令に従う意志そもそもその出生からいって無きものの、そうして恋する者(恋する男色者)の叫び声を、どうか聞き届け給え


Again the traffic lights that skim thy swift
Unfractioned idiom, immaculate sigh of stars
Beading thy path ------ condense eternity:
And we have seen night lifted in thine arms.

[表の訳]
また再び、自動車の照明が、お前の、その素早く反応し返す振動の、
そもそも壊れて破片でいることとは無縁の、お前の文法と慣用規則からなる
言語表現(イディオム)に、たった一瞥を喰らわせるだけで、そんな税金など支払いたくないといわむばかりに、その核心を猛スピードで通り抜け、天上の星々の曇ることなき悲しみの、深い溜め息も聞くこと無く素早く走り過ぎ、
お前の橋をビーズ玉のように数珠に連なって、連なり並び、ローマン・カトリックのあのロザリオの数珠を以て祈りを捧げ、Our Fatherと詠い始め、Gloria Patriと終わる、その詠唱の儀式の間に瞑想するもの達のように、お前の橋を浄め、そうして、永遠を凝縮してくれるのだ。すなわち、僕達は、お前の両の腕(かいな)の中で、夜がお前に抱きかかえられて持ち上げられ、夜が明けるさまを、こうして、目(ま)の当たりにしたのだ。

[裏の訳]
また再び、自動車の照明が、お前の、そのいい感じで素早く反応し返す男色の振動の、一体となり連鎖して思わず声にする体系的な慣用句、それから、男色行為のあの動き、モーションの絵図の、闇に潜んでスクリーン用具に輝く映画スターというべき、その星々の曇ることなき、男色の歓びの深い溜め息を、それらの不純物があればそれを取り除き、もっと純粋にそれらを濾過して、永遠に濃度を上げようと、お前、聖なるブルックリン橋をビーズ玉のように、ローマン・カトリックのあのロザリオの数珠に連なって、連なり並ぶが如くに、連鎖になって肛門性交の列をなし、そうやって、永遠を凝縮するのだ。すなわち、私達男色者は、そうやりながら、お前の両の腕(かいな)の中で、夜がお前に抱きかかえられて持ち上げられ、夜が明けるさまを、いつも、このようにして、見て来たのだ。


Under thy shadow by the piers I waited;
Only in darkness is thy shadow clear.
The City's fiery parcels all undone,
Already snow submerges an iron year . . .

[表の訳]
お前の影の下、桟橋の並ぶ傍で、僕は待っていた
何故ならば、暗闇の中にあればこそ、そしてその時にだけ
お前の影は、明らかであり、透明だからだ。
遠く眺める、シティの夜景は美しく、
お前の影の中から、眞に明るい闇に立って眺めると、対岸の
その燃えるような、摩天楼の電気的な光の粒子も要素も
すべてそもそも無かった状態に戻り、
何故ならば、1年のウオール街の喧噪もそのビジネスの猥雑も、そこでは赦されて、すべてはそもそも無かった原初の状態に戻り、戻れよ、
既にして、雪は、鉄(鋼)の1年を、洪水で罪を洗い流すがごとくに
その上を覆い、隠しているのだから。

[裏の訳]
お前の影の下、桟橋の並ぶ傍で、僕は待っていた
何故ならば、暗闇の中にあればこそ、そしてその時にだけ
お前の影は、明らかであり、透明だからだ。
遠く眺める、シティの夜景は美しいが、
お前の影の中から、眞に明るい闇に立って眺めると、対岸の
その燃えるような、摩天楼の電気的な光の粒子も要素も
すべてそもそも無かった状態に戻り
あの、ユダヤ人の聖書にある、罪人を赦すという古代の避難のシティ (The City of Refuge)の、またシティのオフィスで犯した僕の罪、あの灼熱の肛門性交(parcels)も、そこでは赦されて、すべてはそもそも無かった原初の状態に戻り、戻れよ、既にして、雪は、男色者の辛かった鉄(鋼)の1年を、洪水で罪を洗い流すがごとくにその上を覆い、隠しているのだ、既にして。

O Sleepless as the river under thee,
Vaulting the sea, the prairies' dreaming sod,
Unto us lowliest sometime sweep, descend
And of the curveship lend a myth to God.

[表の訳]
お前、ブルックリン橋の下を流れる河のように
ああ、眠る暇(いとま)なく
海の上に架かるように、聖なる建築の天蓋、窮陵の天井を架け、また
それがそのまま死者達の、(海ではなく)地上の
地下の教会堂の墓所であるように、海の上のその空間を為し
樹木の無い、肥沃な広大な薬草地、誰も人が脚を踏み入れたことのない
未開拓のその草地がそうやって夢見る土地、私達の生まれ育った故郷の土地に
天蓋を掛け、このように、私達の庇護者となり、そうして、
お前、ブルックリン橋よ、私達、最も謙虚な者達の上に降りて来て、なんということなく、あっさりと、いつか、一遍に根こそぎきれいさっぱりと、
片付け、一掃し、私達の今棲むここをすっかりと奇麗にてしてくれないか
その源から降りて来て、私達の上にやって来てくれ給え
そうして、最下層で働く荷役や誘導の帆船の
(ああ、お前、ブルックリン橋の下を流れる河のように眠る暇(いとま)なく、
日夜立ち働く小さな船という存在の)
それがその苦労の全部でなくともよいから
たとえそれが一時のことでもよいから
あとでお返しをしますから
それがひとつの神話だと、神に与えて、そう成した給え
そう成して、神に与え給え、
あの白い鴎が形象をなす、あの鴎の群れの立ち昇る、自由の女神に

[裏の訳]
お前、ブルックリン橋の下を流れる河のように
ああ、眠ることなく、時間の流れることなく、
海の上に架かるように、聖なる建築の天蓋、窮陵の天井を架け、また
それがそのまま死者達の、(海ではなく)地上の
地下の教会堂の墓所であるように、海の上のその空間を為し
樹木の無い、肥沃な広大な薬草地、誰も人が脚を踏み入れたことのない
未開拓のその男色の草地がそうやって夢見る土地、
私達の生まれ育った故郷の土地に天蓋を掛け、このように、
私達の庇護者となり、そうして、お前、ブルックリン橋よ、
私達の所に降りて来て、なんということなく、あっさりと
いつか、男色者の時間に夜毎やっている時に、一遍に根こそぎきれいさっぱりと片付け、一掃し、私達が今棲むここをすっかりと奇麗にてしてくれないか
その源から降りて来て、私たち最も謙虚な者達の上にやって来てくれ給え
そうして、最下層で働く、南インドの荒野に棲む非可触賤民たる男色者の
純潔の曲線をもった尻という尻のことからも、そのことについても
僕の命と引換にして、お返しをしますから
それが男色者の神話だと、神に与えて、そう成した給え
そう成して、神に与え給え、
あの尻尾の尾羽根が2つに割れていない種類の、その未だ男を知らぬ鴎の翼、肛門を貫くことなく、一本の白い歯の炎に焼かれて傷つけられて血を出したりすることなく、流れるように橋を旋回する鴎の翼の群れの純白の色の神聖な形象、すなわち、神に奉れ。