2016年5月7日土曜日

第19週:Krähenbeißer(鴉を噛む者)by Michael Krüger(1943 -  )


第19週:Krähenbeißer(鴉を噛む者)by  Michael Krüger(1943 -  )




【原文】

Krähen, erzählt einer,
der den Krieg überlebt hat,
muss man mit dem Holz
der Kiefer kochen,
das bindet die Gifte.
Und Sauerampfer dazu,
der von den Tieren verschmäht wird.
Unverständlich ist die Ordnung
der Welt im Frieden
Wir sitzen im Freien und bestaunen
den Sonnenuntergang
Die Krähen auf der Kiefer
haben das letzte Wort.


【散文訳】

鴉たちは、と、
戦争を生き延びた或る男が語る
松の木材を使つて煮て、料理しなければならないのだ
そうすれば、数多くの毒素を集めてひと束になる。
おまけに、獣たちに嫌われ、軽蔑される、あの
酸っぱい酢模(すかんぽ)も。
全く理解しがたいのは、秩序といういふものだ
平和の中の世界の秩序といふものだ。
我々は野外に腰を下ろしてゐて、凝つと見てゐるのだ
太陽の沈むのを。
顎の上にある鴉たちが
最後の言葉をいふのだ。


【解釈と鑑賞】

この詩人は、ドイツの詩人です。

ドイツ語のWikiです:

第一連の、

mit dem Holz
der Kiefer 
松の木材を使つて

といふ言葉と、

第二連の、

Die Krähen auf der Kiefer
顎の上にある鴉たちが

といふ言葉は互いに掛け言葉になつてゐます。

Kieferholzという一語がドイツ語にはあつて、これは英語ならばpine wood、松の樹を切り倒して製材し、場合によつては鉋(かんな)をかけて滑らかにした表面を持つてゐる、いづれにせよ加工された、人手になつた松材を意味します。

従い、前者であれば、訳した通りですが、後者であれば、顎門(あぎと)にある、今咀嚼しよう、咀嚼されようといふ鴉たち、死を前にした鴉たちといふ意味になります。何故ならば、第一連で、戦時中には戦陣で鴉を煮て、料理して食べたことが歌はれてゐるからです。ドイツ人も苦労をしたのだ。

鴉を煮れば、

そうすれば、数多くの毒素を集めてひと束になる。

とあるやうに、鴉を煮ると毒素が表に出てくるのでしょう。他の獣たちも不味くて食えないといふ鴉の肉を、人間が食べるといふわけです。

Und Sauerampfer dazu,
der von den Tieren verschmäht wird.
おまけに、獣たちに嫌われ、軽蔑される、あの
酸っぱい酢模(すかんぽ)も。

この二行目のSauerampferを、

酸っぱい酢模(すかんぽ)も

と訳しましたが、しかし、これは酸味、酸っぱさと訳しても良いと思ひます。ものの名前で、その味の本質をあらはすといふ使い方と解すれば、さう訳することができます。

さて、第二連ですが、第一連が戦時中のことであるのに対して、戦争が終わった後のことを書いてゐます。平和が来て、秩序が恢復されたのにもかかわらず、この戦争体験者は太陽の沈むのを凝然とみてゐる。それは、決して明るい今日でもなく、明るい明日でもない。

Die Krähen auf der Kiefer
haben das letzte Wort.
顎の上にある鴉たちが
最後の言葉をいふのだ。

何故ならば、あれほどたくさんの鴉たちを、戦争に堪えて生き延びるために噛みつき食らつて来たからだ。だつたら、今度は、あの死んだ鴉たちこそが、かうして生きてゐる我々人間たちの命運を決めるべきではないのか?

今人間どもに顎の上で食はれようとしてゐるあの戦時中の鴉たちこそが、今度は、平和だといふ此の戦後の平和の中にゐる人間どもの生死を決める番ではないのか?鴉たちが、その死命を制する最後の言葉を顎(あぎと)の上に持つてゐるのではないか?生きた、そうして平和が来たといふのに惚けたやうに夕陽の沈むのを眺める以外にはないやうな人間どもを口に咥(くは)えながら。







0 件のコメント: