23. MAI:Leben(生活)by Rainer Braubach
【原文】
Ich schreibe keine Geschäftsbriefe,
ich behaare nich auf dem Termin
und bitte nicht um Aufschub.
Ich schreibe Gedichte.
Ich schreibe Gedichte auf den Rummelplätzen,
in Museen, Kasernen und Zoologischen Gärten.
Ich schreibe überal,
wo Menschen und Tier sich ähnlich werden.
Viele Gedichte habe ich den Bäumen gewidmet.
Sie wuchsen darob in den Himmel.
Soll einer kommen und sagen,
diese Bäume seien nicht in den Himmel gewachsen.
Dem Tod keine Zeile bisher.
Ich wiege achtzig Kilo, und das Leben is mächtig.
Zu einer anderen Zeit wird er kommen und fragen,
wie es sei mit uns beiden.
【散文訳】
私は商売(ビジネス)の手紙を書かない
私は納期にはこだはらない
そして、納期の延長もお願ひすることはない。
私は詩を書くのだ。
私は、人だかりのする騒がしい場所で、幾つも詩を書く
博物館で、兵舎で、そして動物園で。
私は、至る所で、書く、
人間たちと動物が互ひに良く似るようになる其の場所で。
数多くの詩を、私は数々の樹木に捧げた。
樹木たちは、あの向かうの上方の、天空の中へと成長した。
誰かがやつて来て、そして、かういふだらうか、
それらの樹木は、天空の中へなんか成長しなかつたんだよ、と。
死には、これまで、一行も詩を捧げなかつた。
私は測ると体重80キロで、そして生活とは、生きるとは、強力であり、最初から争(あらが)ひ難い。
別の時に、その誰かがまたやつて来て、そして、かう尋ねるのだ、
私たち二人については、どうなんだい、と。
【解釈と鑑賞】
この詩人の父親は、ドイツはケルンの生まれで、ピアノの調律師で、1908年よりスイスのバーゼルに住して、1917にバーゼルにて生まれたのが、この詩人です。従ひ、ドイツ語の詩人ではありますが、スイスのドイツ語圏の詩人です。ドイツ語のWikiです:
最後の連の最後の一行、
「私たち二人については、どうなんだい、と。」
といふ此の一行は、あんたの詩に歌はれてゐる樹木については、あんなことを言つたけれど、一体俺たちは、天国へ行けるのだらうかといふ意味でせう。
それもまた、「私たち二人」と書いてゐますから、第3連では詩に対しては生活するといふこと、生きるということとの関係では誠に素つ気なかつた男が、死を前にすると急に親し気な態度を詩人にとつてゐるのです。
自分一人で自然の生命を褒め称へるために一人で詩を書いて、日常の生活と生きることに抗して、「体重80キロで、強力であり、最初から争(あらが)ひ難い」「生活」と「生きる」ことをしながら、詩作して、それを寿命ある人間にではなく、自然の中で天国に向かつて永遠に成長する樹木に捧げて生きて来た詩人の姿が彷彿とします。
かうして、最後の連の最後の一行を理解してみますと、
「私は、至る所で、書く、
人間たちと動物が互ひに良く似るようになる其の場所で。」
とある一行が、静かな声調ではありますし、また詩人自身がさう意図したとは思ひませんけれども、しかし誠に辛辣な一行に、人生に対する此の詩人の態度が、生き方が、なつてゐる。大げさな身振りや声ではなく、巧まずに、さうなつてゐる。としてみると、
「私は商売(ビジネス)の手紙を書かない
私は納期にはこだはらない
そして、納期の延長もお願ひすることはない。
私は詩を書くのだ。」
とある最初の連の書き出しは、第3連と第4連に登場する「誰か」に此の詩人が代表させてゐる其の誰かの、日常の生活の中に広くある人間の実際の姿であることが判りませう。
日常に日々忙しく生活すれば、死を忘れる。「死には、これまで、一行も詩を捧げな」ければ、死を忘れることはない。それが、数々の樹木に捧げて来た此の詩人の詩であると、詩人は自ら云つてゐるのです。
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