2014年11月3日月曜日

Memento(死を忘れるな):第46週 by Mascha Kaleko


Memento(死を忘れるな):第46週 by  Mascha Kaleko





【原文】


Vor meinem eignen Tod ist mir nicht bang,
Nur vor dem Tode derer, die mir nah sind.
Wie soll ich leben, wenn sie nicht mehr da sind?

Allein im Nebel tast ich todentlang
und lass mich willig in das Dunkel treiben.
Das Gehen schmerzt nicht halb so wie das Bleiben.

Der weiss es wohl, dem gleiches widerfuhr;
- Und die es trugen, mögen mir vergeben.
Bedenkt: den eignen Tod, den stirbt man nur,
Doch mit dem Tod der andern muss man leben.



【散文訳】


わたし固有の死の前にすると、わたしは不安ではない
わたしに近しく居る人たちの死の前でのみ、わたしは不安だ。
もしこの人たちがもはやここに居ないとしたら、どうやってわたしは生きて行くべきだろうか?

霧の中で一人で、わたしは死に沿って手探りする
そして、わたしを、喜んで、暗闇の中へと追いやるのだ。
この道行きは、留まることの半分程にも、苦痛ではない。

同じことに遭遇した者は、それをよく知っているのだ
そして、それを運んだ者たちには、わたしを赦してもらいたい。
熟慮せよ。固有の死を、人がただ死ぬるその固有の死を
しかし、他の者たちの死と共に、人は生きねばならないのだということを。


【解釈と鑑賞】


この詩人のWikipediaがあります。



オーストリア・ハンガリー帝国の生まれ、現在はポーランド領となっている町の生まれ。

新即物主義の詩人とあります。


この詩の主題は明らかです。自分固有の死は恐れないが、他者の死を恐れるというものです。

その理由も、わたしは一人では生きては行けないからだと、あります。

しかし、他方、この話者は、孤独に「死に沿って」暗闇の中へと入って行きます。それも、使役動詞を使っていますので、無理やりにでも我が身を闇の中へと向かわせるのです。しかし、それは喜んで、そうするとあります。

このことが何を意味するかは文字にして歌っておりません。しかし、この経験をした者には、よくわかっていると書いています。

そして、同じ経験を「運んだ者たち」がいて、それはこの詩人一人ではなく、他にもたくさんいるといっております。

この者たちに対して「わたしを赦してもらいたい」と呼びかけるこの一行に、何かこの詩人の、詩を書く一般的な動機と、死について思うところのあるこの詩固有の動機が、隠れているように思います。


上掲の写真は、若いときのこの詩人の写真ですが、この顔とその目を見ますと、如何にもこのような詩を書く、激しいものをうちに秘めた女性であると思います。





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