【Eichendorfの詩91】Frühlingsklage(春の嘆き)
【原文】
Ach, was frommt das Wehen, Sprossen,
In der schönen Frühlingszeit:
Ist des Liedes Born verschlossen
Und der Seele Freudigkeit,
Die erst Blüten bringt den Sprossen
Und den Frühling in die Zeit.
Gib den alten Frieden wieder,
In der Brust den Sonnenschein,
Gib die Laute mir und Lieder,
Dann lass blühen oder schnein,
Selbst weck ich den Lenz mir wieder,
Sollt es auch der letzte sein!
【散文訳】
ああ、風のそよぎ、芽がでるということは、何の役にたつのだろうか
この美しい春の時に。
歌の泉は、閉ざされてゐて
そして、魂の喜び
即ち最初の満開の花々が、新芽を
そして春を、時間の中へと運んで来る。
古い、懐かしい平安を、再び与えよ
胸の太陽の輝きの中で
竪琴を、わたしに与えよ、そして歌を
その次には、花咲かせしめよ、或いは輝かしめよ
わたし自身に、わたしは春を再び目覚めさせる
これが、本当に最後の春であるならば!
【解釈と鑑賞】
歌の泉は、閉ざされてゐて
と第1連第3行にあるので、このとき、この詩人は歌が歌えなかったのでしょう。
そして、時節は春であった。
しかし、春は、また歌を歌う契機を与えてくれるのでしょう。
最後の一行、これが、本当に最後の春であるならば!という一行が、接続法II式であり、sollenを用ゐているので、本当に最後の春であるかどうかも、本当にはこの詩人には確かではありません。
と、読んできてみると、第1連のこともまた、毎年巡る春に、このように思って、詩作のできない状態にゐるこの詩人の姿を写しているのではないかと思います。
このやうに考へると、最後の一行、これが、本当に最後の春であるならば!という一行のこころは、今度こそ、この春にこそ、という意味ではないでしょうか。
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