【Eichendorfの詩93】Vorwärts!(前進!)
【原文】
Wie der Strom sich schwingt
Aus den Wolken, die ihn tränken,
Alle Bäche verschlingt,
Sie ins Meer zu lenken -
Drein moecht ich versenken
Was in mir ringt!
Tritt nur mit in mein Schiff!
Wo wir landen oder stranden,
Erklinget das Riff,
Bricht der Lenz aus dem Sande,
Hinter uns dann ins Branden
Versenk ich das Schiff!
【散文訳】
大河が、その身を振り動かして
大河に水を飲ませるその雲の中から飛び出して、
すべての小川を飲み込んで
それらを海の中へと操縦して連れて行く、その様の
その只中に、わたしは沈めたい
わたしの中で格闘しているものを!
何も言わずに、一緒にわたしの船に乗船せよ!
わたしたちが、接岸し、または座礁するところで
暗礁が、鳴り響き
春が、砂の中から裂け出るのだ
すると、わたしたちの背後で、波がぶつかって砕け散る中に
わたしは、この船を沈めるのだ。
【解釈と鑑賞】
この詩は、不思議な詩です。
この詩人の、本来隠れいている、そして他に適切な言葉ありませんので、敢えてシュールレアリスティックなと言いますが、シュールレアリスティックな発想で書かれ、歌われた詩です。
まづ題名が、前進!、前へ!というのに、この船は、大波の砕け散る中に、船長であるわたしは最後には沈めてしまうのです。
しかし、これが前進の意味なのです。
第1連では、大きな河と雲の関係が歌われていて、この空にいる筈の雲たちが、下界の、大地をうねるように流れているその大河に水を飲ませて、養っている。
そして、地上のすべての小川を海の中へと導くのは、その大河である。
と、このような理解の順序になるでしょう。
第1連の最後の2行に、第2連の最後の2行に呼応して、同じように、versenken、沈める、沈没させるという行為が行われるのです。
即ち、第2連の最後の一行で、わたしが沈める船とは、第1連の最後の行で歌われている、「わたしの中で格闘しているもの!」、これが船だということになります。わたしは、そういう人間である。
第1連では、沈めたいと願いを歌っていたものが、第2連では成就して、実際に船を沈めるのです。
第2連で、「わたしの中で格闘しているもの!」というわたしの船が沈むのは、海の大波の砕け散る中ですし、また第1連で大河はすべての小川を飲み込んで、ひとつにまとめて海へと連れて行くとありますので、この船の沈む海というのは、大地のすべての小川の流れを含むものであり(大河が集めることによって)、そうして、そのすべての小川を集める大河は、空に浮かぶ雲たちによって、その雨の降水によって水をもたらされて養われる、この循環の中にいる、そのような海の中で、わたしの船は沈むのです。
第2連第1行の「何も言わずに、一緒にわたしの船に乗船せよ!」という一行に感嘆符を付してあるのを見、またこの詩の題名に同様に「前進!」といって感嘆符のあるのを見ますと、この前進とは、わたしのそのような船に乗船することなのであり、乗船すれば、その前進とは、海の中への沈没であるのです。
深い海の中へと沈む、わたしという船の形象。
これが、アイヒェンドルフの歌いたかった形象であるということになります。
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